そして一つの線になる [KAC2025-5]
咲野ひさと
第一話 弁護士事務所の日常
「高かったんじゃ~ないですか?」
「まあな。でもあれだぞ? 体は資本だし、贅沢すぎる位でちょうどいい」
裁判を乗り切るには、一にも二にも体力。
自分の発言で依頼人の人生が左右するのだ。責任は重大、神経はいくらあっても足りない。
しかし助手に実感はないらしく、山積みの資料の上に肘をついた。
その眼鏡をずらした上目遣い。あざといから止めろ。
「って言いつつ、彼女が来る準備だったりして~ おうちデート的な」
「はぁ? 居ねぇよそんなの」
「さみし~ですね。で、どうなんです実際」
状況は目を背けたいほど悪い。
弁護士という資格を以てしても、ロマンスの兆しはない。
身近な女性といえば、この小生意気な若い助手と田舎に暮らす母くらい。
絶望に輪をかけるのは、数えられるほどになった前髪。
このところ急速に進み、鏡を見るたびに減っている気がする。
タイムリミットは近い。いや――――
「時間切れかな」
「なんのコトです? 使用感を聞いてるんですけど」
「ああ。
「じゃ~天下無双の寝心地って売り文句、誇大広告で訴えますか」
ハシゴします? なノリで物騒な提案をする助手。
法人相手に訴訟する手間と難度、わかってないだろ。
「お前、うちが仕事ないからって」
「ケンカ売って名前も売る。炎上商法バンザイで~す」
「変な営業やめろ。そのせいか、この前ゴブリンから仕事を頼まれそうになったぞ」
「ありえな~い。寝不足じゃないですか~?」
「本当に来たんだって。あと、しっかり寝てる」
見間違いかとは思った。
読んで親しんだ世界の存在が、事務所のドアを開けて入って来たのだ。今となっても信じがたい。
「って、布団の話でしたね。モノは良いんですね~?」
「と思うぞ。じゃなかったら逆に、付属品が紙ペラ一枚だけって許されんだろ」
「へ~ マニュアルには何て?」
「知らね」
すると助手は、目をハトのように丸くした。
そこまで驚くことでもないだろうに。
「読まずに捨てた」
「ま~そ~ですよね。でも……新事実が発覚したりして」
「ンな訳あるかよ。説明されなくたって、布団くらい使える」
コーヒーを淹れに行かせて、書類に向き直る。
その前に軽く伸びをすると、チェアの背もたれが軋んだ。
ふと、書類にある名前が目に入った。
こいつも飛び入り客だった。タバコのヤニで黄ばんだ事務所には場違いすぎるイケメン。
話を聞いてみれば、急を要する心配事はないって言うし……世の中不公平だ。
ラクに顧問料を稼げる上客ともいえるが。
「あ、その人!」
大きな声と共に、マグカップを置く助手。
コーヒーが少し、テーブル上の植木鉢にこぼれた。
水やりしなくていいんだぞ? 枯れてるし。
「どうした、知り合いか?」
「い、いえ。有名ですよね~」
「でも変な客なんだよ。来たる時のためのパイプ作りとか言ってたけど……
「じゃなくて――――いや、おかし~ですね~」
眼鏡が飛びそうなほどブンブンと頭を横に振った助手が、こちらに身を乗り出す。
コーヒーの湯気に混じって、甘い香りがほのかにした。
「知ってます? ボスが羽布団を買ったっていう販売店のマスコット、その人が原案を描いたらし~です」
「あのファンシーな鳥? ウソだろ」
「画風が違いますもんね。でも、そ~なんですって~」
まあ、あの客だったら受けかねないか。
絵を描く時より、鳥について語る時のほうが生き生きと見える自由人。
前回アトリエで打ち合わせをした時もそうだった。
ダンスを踊るのは人間だけではないよ! とか言って、タンチョウヅルの求愛行動についての説明を延々と聞かされた。
……あれで名が知られてるんだから、やっぱり世の中は不公平でしかない。
もっとも褒めるべきは、可愛らしいマスコットに仕上げたキャラデザイナー。それは断言できる。
日本画のイメージのままに何度も夢に出てこられていたら、布団なんて絶対に買わなかっただろう。
「ところでさ」
「なんでしょ~?」
「お前、俺の布団に詳しいな」
「なコトないですよ」
またブンブンと首を振っているものの、さっきから気にかかる点があった。
「だって普通知らないだろ。マスコットの原作者とか、付属品の詳細とか」
「え?」
「俺は紙一枚としか言わなかったのに、それがマニュアルだって知ってただろ」
「そ、そんなモンじゃありません? 言葉のアヤですよ~」
言われて返事に詰まる。
言葉尻が気になるのは、弁護士の職業病。
モテない要因だとわかっているものの、なかなか止められない。
「そうか。いや、寝てみたいのかって思って」
「セクハラで訴えますよ~」
「どうしてそうなる」
助手に訴えられるとか、失態の極み。
紺屋の白袴、医者の不養生の系譜に連なってしまう。
……鳥は気軽だよな。
ダンス一つでパートナーを捕まえられるんだから。
――――ポーン
ヤニで黄ばんだ壁にかかった時計が、五時を知らせた。
「お先に上がりま~す」
「はいはい。お前も自由人だよな」
「ですよ~ ボスもお元気で~」
まだまだこれから。
弁護士の夜は長い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます