結び直し

 ユーリが一日の仕事を終えて帰路につくと、家の前で佇んでいる人影があった。

 遠目にもわかる純白のワンピースに、ヘッドドレス。くるりと巻かれた淡い金髪に不安そうな色を宿した青い瞳。護衛艦ベアトリーチェ管理アニムス、リーシャだ。


「リーシャ」

「ひゃっ!」


 猫の子のように飛び上がり、リーシャが振り向く。驚愕に見開かれた目がじわりと安堵の色を帯び、ホッと胸をなで下ろす。一連の仕草があまりにも人間じみていて、ユーリは思わず同年代の女子に対するような感覚で「ごめんごめん」と言った。


「雪衣に会いに来てくれたのか?」

「は、はい……あの、前回はお兄様がご不在のときに上がり込んでしまったので……お帰りをお待ちしていたのです」

「マジか。別にいいのに。でもありがと。入って」

「お、お邪魔致します……」


 全身で恐縮しながら、ユーリに続いて扉をくぐるリーシャ。

 玄関に入ると清浄ゲートが作動し、消毒液のミストが降りかかったのちに強い風が四方から吹き付けられる。目に入っても痛くない成分で出来ているのだが、ユーリはいつもつい目を閉じてしまう。

 今日も反射的に目を閉じ、風が収まった頃に目を開けたユーリの横で、リーシャも全く同じ仕草をしていた。


「俺は風呂入ってから雪衣の部屋に行くから、先に会ってて」

「よろしいのですか……?」

「うん。居間で待っててもらっても暇だろ? うち、何もないし」


 両親が亡くなってからというもの、ユーリは仕事のついでに外食や買い食いをするようになり、リーシャは毎週届けられる療養食を自室で摂っている。そのため居間は勿論、台所もダイニングも、過日から使われた形跡が殆どない。

 開かれた出入り口から見える居間には生活感がなく、時が止まっているかのような感覚を覚えた。


「では、お言葉に甘えて、お邪魔しています」

「んじゃ、サクッと浴びてくる」


 リーシャと別れ、ユーリは着替えを持って風呂に入った。

 一方廊下に取り残されたリーシャは、一度深呼吸をしてから雪衣の部屋の扉を軽くノックした。応答があるまでの数秒が、何時間にも感じられる。


「……どうぞ」

「お……お邪魔、します……」


 怖ず怖ずと、開かれた扉から顔を覗かせる。雪衣の「入って頂戴」の言葉に頷き、リーシャは不安そうに一度振り返ってから室内に入った。

 相変わらず雪衣はゆったりとした作りのワンピース型の寝間着を着ていて、白髪と白い肌が光に透けて、とけて、消えてしまいそうに見える。けれど、決して頼りなく見えないのは、意志の強い瞳のせいだろう。

 以前と同様、真っ直ぐにリーシャを見つめてくる。


「また来てくれたのね」

「はい……あの……」


 前回の別れ際のことをどう切り出そうか、或いはいっそ触れずにいるべきか迷っていると、雪衣が小さく溜息を吐いて先に口を開いた。


「このあいだはごめんなさい」

「えっ」


 思わぬ言葉にリーシャが固まっていると、雪衣はぽつりぽつりと話し始めた。

 体調が悪いときや疲れが出てきたときは、言葉を繕うことが出来ないこと。そんな自分に嫌気がさして、人を避けてしまっていること。一度自分の元から去った人は、二度と戻っては来なかったこと。

 どれほど言い訳を重ねようと、自分がろくに気遣いも出来ず相手を傷つけた事実に変わりはない。小児病棟では「一生治らないなんてざまあ!」などの言葉を返されたこともあった。叫んだ子供が看護師や親に叱られていたが、抑も雪衣が冷たい態度を向けなければ相手も棘を吐かずに済んでいたのだ。

 それを誰よりも理解しているから、雪衣は拒絶も暴言も全てを受け入れてきた。

 兄以外の人間は、自分の元には残らない。それが当たり前だと思って生きてきた。


「だから、リーシャがまた会いに来てくれるとは思ってなかったの……でも、もしもまた会えたら、絶対に謝ろうと思っていたのよ。いままでは誰に対しても謝る機会を得られなかったから……」


 リーシャは雪衣のベッドに近付きスツールに腰掛けると、布団の上に置かれた白い手を取った。細く頼りない指が、リーシャの手の中で震えている。


「雪衣が、またわたしを迎えてくれてうれしいです。わたしは人間ではありません。人間と同じようには出来ませんし、お友達にと言いましたけれど、お友達がいったいどういうものなのかもわからず、想像で言っているだけです」

「そんなの、わたしも同じよ。だから他の人が決めた正解じゃなくて、わたしたちが思う友達になれたらそれでいいんじゃないかしら」


 リーシャは目を丸くして雪衣を暫し見つめたあと、ふにゃりと笑って頷いた。


「雪衣」


 和やかな空気になったところで、整容を終えたユーリが合流した。

 下層で着ている作業着ではなく部屋着に着替え、乾かしたばかりの髪にはまだ少し洗い上がりの湿気が残っている。髪質ゆえか枯れ葉色の髪がふわふわと空調に靡いており、微かに洗浄剤の香りが漂ってくる。

 衣服はだぼついたシルエットの白いスウェットシャツとカーキのカーゴパンツで、スウェットの袖と背中にはブランドのロゴが刻まれている。これは主に十代の少年に人気のスポーツブランドで、通気性と伸縮性に優れた素材と、シンプルなデザインが売りである。


「仲直りは出来たか?」

「出来たわ。人生で初めて、ごめんなさいが言えたの」


 この言葉だけ聞くと、雪衣が意地でも謝罪しない人間のように聞こえるが、実際は謝罪の機会を得られなかっただけだということをユーリは知っている。これまでも、叶うなら伝えたい言葉がたくさんあった。それら全てを向けられた棘ごと飲み込んできたことを知っているユーリは、笑って言った。


「友達、出来たな」


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