白薔薇の乙女

「……白薔薇の乙女が目覚めたそうだ」

「また戦争になるってのか? 面倒だな」


 ――――と喧騒の中に、妙に低く落とした不穏な声を拾い、ユーリは首を傾げた。見渡す限りテーブルと椅子と酒と酔っ払いが並ぶこの空間で、話し手を見つけるのは難しい。なにせ其処ら中で笑い声が上がり、話題は二転三転し、酔っ払いの戯れ言と仕事の愚痴と女や賭け事の話題が混ざり合うような空間である。おまけに、ユーリはまだアーヴィン隊以外の人と殆ど関わりがない。仮に話し手を見つけたとして、その人が他の部隊員だった場合にどう話しかければいいか、まず話しかけてもいいかすら判別つかないのだ。


「あの、ディルク班長。白薔薇の乙女……って何ですか?」


 話題の出所を探すことは早々に諦め、ユーリは隣で適当につまみをつっついていたディルクに訪ねた。彼はスモークチーズにピックを突き刺しながら小さく「ああ」と呟く。

 酔いにくい質なのか、既にジョッキ三杯飲んでいるにも拘らず、顔色も声音も全く変わっていない。


「護衛艦ベアトリーチェの、管理AIアニムスの異名だな。上層のお嬢さんが持っていそうなお人形みたいに可憐な姿で鬼神のように強いって話だ。ま、小型船の下っ端整備士にゃ無縁の高級品さ」

「へぇ、護衛艦のことは知ってましたけど、そんなに凄かったんですね。……って、もしかして、例の百年戦争のとき、ソムニアを無傷で生還させたのって」

「そ。白薔薇の乙女がすっかり護り切ったのさ。まあ、戦艦ヴァージルの働きも勿論あったけどな。あの二つはある意味伝説だよ」


 そんなにも凄い艦があるなら一度お目に掛かってみたい、整備してみたいと思ってしまうのは、整備士の性か。しかし一方では下層で働く下っ端である自分に、上層が管理する護衛艦用アニムスなんて高級品を易々と触れさせるわけがないだろうと諭す冷静な自分もいる。

 まずアニムス自体が高級品で、人間の姿をそっくり模したものは更に上を行く。

 魂を意味するアニムスという名は、予め設定された言語に反応し決められた返答をするだけの業務用アンドロイドや、子供向けの音が鳴る玩具などにはつけられない。一定の基準を超える知能を備えたAIであることの証明が成されて初めてアニムスと定められる。

 そして管理者用アニムスは皆、美しく整った人型をしている。これは万一にも人の群れに紛れたとき、すぐに見分けがつくようにするためだ。

 子供の名付け然り、管理者用アニムスは世間一般とは明確に隔絶されている。

 全てはこのソムニアが、長く永く夢を見ていられるように。


「でも、何だって急に?」

「さっき、誰かがその名前を言ってたような気がしたんです。気のせいかも知れないですけど」

「また物騒な話題が出たもんだな」

「護衛艦の出番なんて、そうないほうがいいですもんね」


 答えてからユーリは「ご馳走様でした」と手を合わせ、そそくさと立ち上がった。


「お、帰るのか。お疲れ」

「はい、お疲れさまです。お先に失礼します」


 ディルクに一言挨拶をしてから、ユーリは喧騒の合間を縫って酒場をあとにした。

 ドックの外れにある端末にIDを通して、中層行きトラム駅に続くエレベーターに乗り込むと、丁度来たトラムに乗って住宅街を目指す。其処から更に数分歩いて家の前まで来たところで、雪衣の部屋に明かりがついていることに気付いた。


「……あれ? まだ起きてるなんて珍しいな」


 時刻は六時半。世間的にはまだ活動時刻のうちだが、体の弱い雪衣は、いつもなら既に眠りについている時間帯だ。なにかあったのだろうかと逸る気持ちを抑えつつ、玄関を潜る。


「――――でしたら、持ち出し可能な本がないか、お父様に聞いてみます」


 すると妹のものではない、聞いた覚えのない声が雪衣の寝室から聞こえ、ユーリは反射的に駆け込んだ。

 何者かが家に入り込んでいるなんて。しかも、動けない妹の部屋に。不審者なら、警護兵を呼んで捕らえてもらわなければならない。まず雪衣が無事かどうか確かめてそれから……そうだ、考えるのはそれからだ。

 焦りと心配に思考を支配されているユーリを余所に、玄関口のダストクリーナーは規定の時間キッチリと仕事をしてくれている。二重扉のあいだに挟まれたまま何度もその場で足踏みをして、急く気持ちを抑えようと試みる。

 が、微かな電子音を伴って扉が開いた瞬間、ユーリは焦りのままに飛び出した。


「雪衣!」

「きゃっ!」


 飛び込んだユーリを見つめるのは、二人分の瞳。

 一つは、きょとんとした顔で小首を傾げる妹のもの。もう一つは、上層のご令嬢が持っていそうなお人形を人間サイズにしたような、アニムスのもの。

 小さな悲鳴の主はアニムスのほうだ。

 ――――いや、そんなことよりユーリには捨て置けない事実がある。それはもう、目の前に。


「どうして、此処に……」


 “下っ端整備士には無縁の高級品”と思しき天上の存在が、何故か目の前にある。

 あまりにも信じ難い光景に、ユーリは呆然として固まってしまった。

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