第15話

「……と〜。おーい、真絃!」

 呼ばれて横を見ると、湊が僕を呼んでいた。

「なに?」

「なに? じゃねーよ。何回も呼んでたんだけど。今日ぼーとしすぎ」

「あ、ごめん……」

「休みの間、なにかあった?」

 湊、色々あったよ。湊に言えないことが沢山ある。

「うん……。いつか話すよ」

「おう! 俺はいつでも話聞けるからな!」

 学校に来ればお母さんのことを考えなくて済むし、気分も上がるだろうと思ったけれど、さすがに気分が上がらない。土曜日のあの時から、お母さんとは口を聞いていない。目も合わせていない。

 家族が壊れないように、不倫をやめさせようとしているのに、もうとっくに家族は壊れていたんだ。

 

「なぁ! 聞いてる?」

「あ……ごめん。聞いてなかった」

「明日一緒に帰ろうぜ」

 明日は先輩どうするんだろう。今日は計画を立てる約束をしていたけれど、明日は特に約束はしていない。最近先輩と毎日一緒に帰っていたから、明日も帰ると思い込んでいた。もし、先輩から明日も帰ろうと言われたら、湊と帰ると言おう。

「いいよ」

「よし。じゃあ先輩も誘っておいて」

「は? 凛華先輩を?」

「うん。いいかげん紹介してくれよ〜先輩がどんんな人なのか知りたい」

「えぇ……」

「なにその嫌そうな顔」

 先輩、人見知りだろうし、緊張するだろうし、大丈夫かな。

「いや、嫌ではないんだけど……。とりあえず先輩に聞いてみて、無理だったら僕と二人で帰ろう」

「分かった。無理だったら二人な!」

 湊が満面の笑みを浮かべる。先輩と話せるかもしれないのが嬉しいのか、僕と帰れるのが嬉しいのか、どっちなんだろう。きっと先輩と話せるかもしれないほうだな。先輩と湊が仲良くなれば、先輩に友達が増えていいじゃないか、と思うけれど、先輩と湊が話しているのを想像すると、心臓に棘がささっているみたいな感じがする。違和感があって気持ち悪い。



 放課後、校門で待ってる、と先輩からメッセージが来ていたので、急いで校門へ向かった。

 校門近くまで来ると待っている先輩が見えた。ブレザーのポケットに両手を突っ込んで、赤いマフラーを巻いている。マフラーで口元を隠しながら寒そうに待っている。

 僕に気づいたのか、先輩がこちらに向かって胸の前で小さく手を振っている。僕も小さく手を振り返す。

 先輩に近づくと、真っ直ぐ揃えられた前髪とマフラーで顔が隠れて目元しか見えていない。そんな姿を見て、僕の凝り固まった心が少しだけほぐれていく。

「お待たせしました」

「真絃……なにかあった?」

「えっ?」

「悲しそうに笑ってるから……」

「な、なにもないですよ。寒いからですよ」

「そっかぁ……」

「先輩。早く行きますよ」

 僕達は歩き出した。

 先輩が、「本当になにもない?」と僕の顔を覗いて訊いてくる。

「なにもないですよ」

 僕は先輩から目を逸らす。

 僕はそんなに感情が顔に出やすいのか。先輩に余計な心配はかけさせたくない。話題を変えないと。

「先輩。マフラーは黒じゃないんですね」

「あ、うん……黒い服ばっかりだから、マフラーは黒以外の色にしようかなって思って……」

「あ……僕がこの前言ったことやっぱり気にしてたんですね。気にしなくていいのに。黒似合ってるのに」

「き、気にしてないし。たまには赤もいいかなって思っただけ」

「そうなんですか。赤も似合ってますよ」

「あ、ありがとう」

 今日マフラーに顔が隠れて先輩の表情が分からない。先輩の笑顔が見たい。

「ところで歩き出しましたけど、今日はどこで話すんですか?」

「えっと……今日は……とりあえずついてきて」

「え……分かりました」

 

 どこに行くのか分からず少し怖かったけれど、着いた所は市立図書館だった。

「どうしてここへ?」

「真絃、元気ないみたいだし、静かで落ち着けて暖かくて真絃の好きなことができる場所と言えば図書館でしょ? 本が好きだって言ってたでしょ?」

 先輩、今の僕にそんなに優しくしないでくださいよ。何かが込み上げてきそうになるじゃないですか。だから、顔にグッと力を入れて込み上げてきそうな何かを止めた。

「ありがとうございます……」

「あ、ちなみに図書館は静かにしないといけないから、紙に書いて話そうね」

 先輩は、まるで弟を見る姉のような目をしてい

る。そんな目でみないでほしいな。


 図書館に入って、奥にある窓際の横並び席に座った。

 先輩が早速紙に書いている。書き終わったのか、僕の目の前に紙を置いた。


『あれからお母さんどうだった?』と書かれている。


 僕は少し考えて、

『特に変わらないです。たぶん僕達のこと、先輩のお父さんには言ってないんじゃないですかね』と書いた。

 お母さんが付き合うことを反対したことや、凛華先輩のことを悪く言ったことは絶対に言えない。


『そっかぁ。私もパパに彼氏ができたって言ってみたんだけど、そっか良かったな、って言われただけだったの。反応が薄かったから、真絃のこと聞いてないんだって思った』


『そうなんですね。聞いてないなら、僕も先輩のお父さんに会って、目の前で不倫相手の子供だということを気づかせて、反応を見たほうがいいですね。脅迫状はそのあとにしましょか』


『そうだね。じゃあとりあえずパパに会える日聞いてみるね』


『はい。よろしくお願いします』


『真絃、かわいい字、書くんだね』

 可愛い字なんて言われたくないな。先輩を見ると笑いを堪えているような顔をしている。


『先輩は意外と字が汚いんですね』

 先輩が僕を睨んできた。


『すみませんね。汚くて! もう話すこともないし本探してきたら?』

 先輩が怒りのこもったような乱暴な字を書いてきた。先輩が頬を膨らませている。

 

 僕は、ふっ、と笑って、『嘘ですよ。先輩の字、綺麗で正直びっくりしました。先輩らしい字です』と書いた。


 先輩が書き終えると、微笑みながら僕に紙を渡してきた。

『今日初めていつもの笑顔が見れた。少しは元気でた?』と書いていた。

 先輩、今日はそんな優しくするの本当にやめてほしい。僕の心が完全に先輩に奪われてしまう。押し殺していた感情が、体の中心から外に向かっていってしまう。


『僕は最初から元気です。先輩も本を探しに行きましょう』

 元気がないことを認めない僕に、先輩は少し呆れたような表情を浮かべる。


 そうだ。本を探す前に先輩に明日のことを訊かないといけない。

 先輩から紙を奪って、『明日、僕の友達と三人で一緒に帰りませんか?』と書いた。


 先輩に紙を見せると不安そうな顔をしている。

『僕の友達いいやつなので大丈夫です。たぶんずっと喋ってくれるので、先輩は笑顔で頷くだけでいいです』


『真絃がいてくれるならいいけど、緊張する』


『先輩たぶん緊張すると顔が怖くなるので、とにかく笑顔を意識すれば大丈夫です!』


『分かった』


『それとあとひとつ、言い忘れていました。先輩は小説を書いていることになってます』

 先輩が眉間に皺を寄せて僕を見ている。


『どういうこと?』


『先輩から最初呼び出された時、友達から何で呼び出されたのか聞かれて、咄嗟に嘘ついたんです。先輩が小説を書いて、それを僕が読んでアドバイスしてるって』


 先輩から肩を軽く殴られた。僕は肩をさすりながら先輩が書き終わるのを待つ。


『何でそんな嘘つくのー! 私、たいして小説読んだことないし、明日小説のこと聞かれたらどうするの!?』


『大丈夫です。僕の友達、小説読んだことないので。でも一応、三冊くらい小説のタイトルくらいは覚えておいたほうがいいかもですね。好きな小説はなんですか? とか聞かれるかもしれないし』


『分かった。じゃあ真絃のおすすめの小説教えて』


 僕が三冊ほど小説を持ってくると、先輩はパラパラとめくり、『僕達は愛を信じる』と言う小説を読み始めた。

 黒くて綺麗な髪を耳にかけ、僕のことなんて忘れているのではないかと思うくらい真剣に本を読んでいる。

 僕達は図書館が閉まるまで本を読み続けた。横に先輩がいてくれて、本を読んでいると嫌なことを忘れられた。お母さんのことを思い出しても、そこまで怒りが湧いてこなくなった。

 先輩も、『小説って面白いね。私これ借りて帰る。これで明日友達に聞かれても大丈夫だよ』と安心したように笑っていた。


 先輩を家まで送り、家に帰ってから、ポケットに入れていた紙を思い出して取り出す。今日、先輩と文字を書いて会話した紙だ。

 先輩に捨てといて、と言われていたけれど、なぜか捨てることができなかった。

 今日僕を元気づけようとしてくれた優しい文章を何度も見てしまう。

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