第3話 譲れない理想

「......。ふふふっ。待っていましたよ、この時を」


 そう呟いた者がいた。

 そいつは優しく笑っていた。




「リディ様っ! これは一体どう言う事なのでしょうか。

 何故、今このタイミングで緊急招集を。政権交代を。

 そもそもすでに亡くなった王妃様が、あのお方が不貞行為をしていたなどあり得ません!」



 ハルシャダの父が珍しく走っていると思ったら、こちらに唾を飛ばしながら近寄ってきた。

 そして、端末を寄越して直ぐに見ろと言ってきたのだ。

 緊急連絡の通知がなりよほど驚いたのだろう。

 頭にハテナを浮かべながら二人で端末を覗き込んだ。

 冒頭の言葉はこれが原因だ。

 ハルシャダは、叫びながら問うた。

 肩を掴まれ、ぐわんぐわんと頭を前後に振るリディはどこか呆然としながらも、目には常にはないほどの光を宿していた。


「さぁ〜わぁ〜ぐぅ〜なぁ〜」


 揺さぶりを辞めさせるべく声をかけた。

 間抜けな声だが、その実、吐き気を催し始めたので、早急に辞めて欲しかった。

 気づいたのかは分からないがハルシャダは肩を揺らすのを辞めはしたが、まだギャイギャイと騒いでいる。

 だいぶ青くなった顔を引っさげながら、肺に酸素を取り込む。

 ゆっくりと呼吸を繰り返しながら、送られたきた内容を眺めた。

 端末の画面を何度もスクロールするが、これ以上それ以下でもなく何も出てこないし、更新されない。

 何か隠し要素があるのではないかと端末をぐるぐる回したり、画面の色を白黒させたり、明るさを調整させてみるが、何も出てこない。

 まさか詐欺の類ではなかろう。

 ログイン画面には王国の中でもほんの一握りしか知らない紋章が示し出されていた。

 何はともあれこれを事実として受け止めるしかない。

 リディは自身の母親との記憶があまりにも少ないため、あまり動揺しなかった。

 しかしどうにも信じることをしたくない。

 歪んだ映像のきおくではいつだって朗らかに笑う母の姿がある。

 一人になるのが寂しく、ベッドに横たわる母のまわりを四六時中うろちょろとし、絵本を読み、手を握り、時には一緒に眠りもした。

 彼女は他の誰かと心を通わせていた様なそぶりを見せたことはなかった。

 勿論、幼い頃の記憶なので確定はできないが。


「こうしていても仕方がない。

 国に帰る。お前も着いて来るか?」


 端末をまたハルシャダの父に渡し、急ぎ足で自分の部屋へ踵を返そうとした瞬間、振り返りざまに聞いた。

 スタッフ控え室には静けさが生まれた。

 ピーと言う甲高い電子音みたいな音が耳に入って来る。

 視線をリディと父親にそれぞれ向けながら、ハルシャダは逡巡する。



「明日発つから今日の内に答えを出せよ」、とリディは言った。

 今はただ暗い部屋で三日月のわずかな光を集めながら、ベットの上で足を抱えて考えている。

 正直なところ人生で初めてこんなにも悩んでいた。

 思うのだ。

 ここで自分が着いて行ったところで、なんの役にも立たないことは目に見えきっている。

 政権交代に巻き込まれては、万が一の際一族は滅ぼされかねない。他者の命をぞんざいに扱うほど肝も覚悟も座っていない。

 しかし、リディはわざわざ聞いてきた。

 普段は自由奔放な彼が、自身を振り回すことなく、何の答えを出すのかと突き放してきた。

 彼の意図が全く伝わってこない。

 これ関連でもう一つ気になった事がある。

 父親も何も言わないのだ。普段から厳しくはあるが、馬鹿なのではないかと感じるほど毎日愛情を注いでくれている。その人が。

 危険地帯に踏み込むなんて許すこともしないだろうし、立場が上であるリディに歯向かってでも背の後ろに庇ってくれるはずだ。

 しかし、自分が捉えたのは、父の大きく広い逞しい背中ではなく、静謐さが漂う海のような両の瞳だった。

 どうすれば良いかが分からなくなって頭を抱えたくなる。

 手汗が溢れて、丸め込んだ指先が冷える。

 息が細くなる。目は焦点が合わない。

 心が押し潰されそうになった。

 風が吹いて小さく窓を揺らす音、カチカチと刻む時計の音、体の内から響き続ける大きな心臓の拍。

 全てが責め立てるようで、駆り立てるようで、落ち着きがなくなる。

 思考は真っ白になる。全てを塗り替え、無に戻そうとする圧力がかかっていく。

 苦しくて堪らない。


 最後の最後の一画だった。

 本能の中にその力に反発するものがあった。

 パチンと何かが弾けた。


 あぁ、そうか。そうだ。


 小さい頃からリディと共にいた。

 弟ができたようで嬉しくて、常に構い倒していた。

 手間のかかるやつだと思っていた。

 その内に自分とあいつの身分の差や育ちの違いを痛感する事が多くなった。

 それが嫌になることは度々、嘘だ、今でも十分にある。

 でもそれ以上に、自由にさせてやりたいと願うようになった。

 それがあいつと僕が生きる道だと信じたから。


 自由にいきたい。

 これは、僕の、私の心の、魂の、渇望だ。

 お父さんは、理解していてくれたんだ。

 リディは待っていたんだ。 


 潤んだ瞳の焦点は合い始めた。

 深くゆっくりと肺からの息を吐きだす。

 吐き出したら、この部屋にずっと停滞していた空気を吸い込む。

 同じ空気なのに苦くなかった。

 真新しい冷え冷えとし、スッキリした空気が舌の上に乗った。

 甘くないそれに頷きながら立ち上がった。

 クローゼットから鞄を取り出した。

 四角く、皮でできていて、少し古臭い匂いのする時代ものの鞄。

 初めて手に入れた宝箱。

 その中に最低限のものを詰め込んだ。

 服に下着、タオルに身だしなみを整える道具を少々。

 それに幼い頃から永く愛用してきた

 詰め込んでしっかりと閉め、鍵をかけた。

 それを部屋の端に寄せて置いておく。


 鞄を置いてから思い出したかのように、机に向かった。

 木でできた味のある机。大きくなっても使えるようにと言い、大きめに作っていた父。

 今の歳になりやっと合うようになった。

 そっと表面を撫で、椅子に座った。

 電気をつけ、目の前の棚から一本のペンを取り、一番下の引き出しからレターセットを取り出す。

 大切な人に伝えたいことを書こうと置き続けていたものだ。

 少し黄ばんだような紙を一枚取り出し、考え、つっかえながらペンを進める。

 書き終えたら、選び取った青い封筒に紙を入れてそっと机に置いた。


 家族と他の人達をよろしくお願いします。


 そう心の中で呟いた。


 電気を消し、毛布にしっかりと包まり込んだ。

 毛布の柔らかさと自分の体温、服の柔軟剤と石鹸の香り。

 二度となんて言葉をどうか使う事がありませんように。

 これら全てが記憶になりませんように。

 三日月の明かりは優しく見ていた。



 翌朝、階下に降りてリビングに行った。

 父は、テーブルの定位置の席にどかりと座って、コーヒー片手にニュースを見ていた。

 何も言わないし、見てもこない。

 母は朝食を作っていた。

 何か言いたげに見てきたが、それも一瞬でいつものように明るく「おはよう」、それだけを言った。

 おはようと返し、父の前に座った。

 テレビでは日常に溢れた話を繰り返し続けている。

 母が朝食を並べた。


「いただきます」


 そう言って皆で食べ始めた。

 体に染み渡った。温かかった。美味しかった。


「ごちそうさまでしたっ」


 しっかりと手を合わせた合掌だった。


 時刻は午前8時。

 身支度を終え、鞄片手に玄関まで行く。

 父と母はただ立っていた。

 靴を履き靴紐をしっかりと閉めた。

 振り返り、二人の目を見た。

 互いに見つめあった。


「いってきます」


 真っ直ぐにそう言った。

 二人は涙を光らせ、寂しそうに悲しそうに、ただ抱きしめてきた。

 抱きしめ返せる幸せを、その意味を知った。


「リディ様。お待たせいたしました」


 リディ専用のジェット機が止めてある場所まで来た。

 彼は私の姿を見つけると、安心したように笑った。


「あなたは寂しがりですものね。

 ですが、ご安心ください。


 僕は君を傷つけることを絶対にしない。

 兄ちゃんがいる限り、お前は無敵だ」


 私は心からの言葉を久しぶりに見せた。

 リディは驚きの余り口を半開きにしたが、満面の笑みを浮かべて、笑いながら拳を差し出した。


「兄ちゃん、見つけてくれてありがとう」


 拳が合わさった時、彼はそう言った。

 青くて広い空は、春を待ち焦がれている。



 いざ行かん、アシェンドラ




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