第2話 嵐は射程圏内に
「良いですか、リディ様。
確かに
しかし、お約束をしましたよね?
えぇ、しましたとも。
アルバイトとして、着ぐるみを担当なさる代わりに、絶対に危険ごとには首を突っ込まないことを。
有事の際には、私共が対処をすると!
何故それを破り、ましてや......」
ハルシャダの口は非常に滑らかであった。
彼の薄い唇からは流暢な発音であり、一言一句は非常に明瞭で透き通っている。
まるで天啓を受けたかのように喋り倒す彼の前には、こぢんまりと正座をしているリディがいた。
数あるうちの一室、スタッフ控え室でのことである。
居心地が悪そうにもじもじと足の指先を組み替えているリディは、チラチラとハルシャダの顔色を窺っていた。
「聞いておられるのですか⁉︎」
ハルシャダは羽音の五月蝿い虫を払い除けるかのように、リディが飛ばす視線を声で撃退した。
「聞いてるよ!
つまりお前の話をまとめると、俺は王子だから危険な目には合わないで欲しいし、もっと自覚を持て。
そういうことを言いたいんだろっ!」
リディはキレながら答えた。
「分かっていらっしゃるなら常にその自覚を持っていて頂きたい」
ハルシャダはふんっと荒い鼻息をし、腰に当てていた手を胸の前で組んだ。
リディは、彼のその態度にイラッとし、目の色が暗くなるくらいに細めながら彼を睨みつけた。
そして、大声を出し、殺気を飛ばす勢いで彼に人差し指を突きつけた。
「いつもいつもお前はそればっかだな!
大体なんだっ。俺は何もするなってか?
黙って指咥えて、勉学・武術・日常生活のマナーにずぅぅぅっと努めとけってか!」
ガルガルと吠える勢いだ。
リディからの突然の反抗に驚いたハルシャダは、目を見開き呆れた声を出した。
「誰がそこまでしろと言ったと思っているんですか?
言ってませんよ!
ただ、私共にはあなたを預かっている以上、譲れないものがあるのです!」
「そんなの知らねえよ。
俺が深窓の姫君みたいにになるなんて冗談だぜ!
というか、最近野蛮な輩が増えてきているのは、入り口でお前らが野蛮な輩を見分けられていないからだろっ。
俺の責任じゃねぇよ!」
リディの鋭い指摘にハルシャダはグッと詰まった。
確かに最近は以前に比べて素行に問題のある者が多く訪れている。
メディアにこのテーマパークが取り上げられていることが大きな原因だろう。
それはリディが仕事以上のことをしでかした事が現在の状況を作り出しているのだ。
前にチンピラから子どもを庇った事がネットで拡散され、チンピラと共にいた女性への神対応が表へ出て、多くの一般人に好印象を植えつけたのだろう。
よって、彼に興味を持った客が多く来る様になった。
だが反対に、それはからかい目的で訪れる者も多く惹きつけた。
これが今の現状なのだ。
「こちらも出来る限りの最大限の力で対応しております。
ですが、すべては不可能なのですよ......」
決してハルシャダを含む従業員たちが、自身の職務を放棄しているわけでも怠慢しているわけでもない。
だが、人は見かけによらない。
その一言に尽きるのだ。
リディは、「そうかよっ...」とやけくそで呟き、顔をそっぽに向かせた。
その頬には薄く傷が入っていた。
この傷は先ほど言った、素行の悪い客のうちの一人が、マハートマくんの頭部分を無理に剥ごうとし、揉み合った際に出来たものだ。
ハルシャダはこれが一番の心配事であった。
この件は直ぐに対処ができたが、いつもそうとは限らない。
深い傷を負ってからでは、すべて遅いのだ。
だからこんなにもキツく説教をしている。
彼は一国の王子。それも秘密裏にここに居る。
国にいる事が危険な状況だったために、ハルシャダ一家が預かることとなった。
リディは彼の家で暮らし始めて少し経ってから言い始めた。
着ぐるみを着て働いてもいいか、と。
ずっと部屋に閉じこもっている姿を見られてしまえば、ここに居ると知らせている様なもの。
そのため働いてカモフラージュをする。
その方が、外からの刺客の目があったとしても直ぐにはバレにくく、相手の裏をかけると考えたからだ。
着ぐるみは顔を隠せる最適な案であったために皆乗った。うまく行っていたのだ。
しかしこのような事態になれば、圧倒的に不利であった。
もう、彼を自由にはしてやれないのだろうか?
「話は終わったよな? 俺は帰るっ!」
ハルシャダが深い思考に入り込んだのが分かり、リディはさっさと部屋から出て行こうとした。
「お待ちを、まだ終わってないですよっ!」
逃げ出そうとしたリディを見て、慌てて彼の腕を掴もうとした。
まだ伝え足りていない。
スカッ
ハルシャダは腕を掴めなかった。
何故なら、リディはこちらに向かって盛大に転けてきたからだ。
「うあぁぁわぁぁっ!」
少々情けのない叫び声を上げながら、リディは腕をバタバタとした。
長時間の正座で足が痺れて動かせないのだろう。
地面に足を埋め込んだかのように突っ張りながら前へ倒れた。
「ゴフッ!」
それはそれは綺麗な決め技であった。
彼のしなやかで、逞しい腕は、ハルシャダの上半身へと見事に収まり...、詰まるところラリアットが決まった。
後頭部と顔面、それぞれ強かに打ち付け、コブを作った彼らは、しばし呻くしか無かった。
「痛みは引きましたか?」
保冷剤を額に当てたリディに聞いた。
「だいぶマシにはなったさ」
遠いところを見つめながら答えた彼は完全に覇気を失い、ただの抜け殻に成り果てていた。
不意での出来事とはいえこんな顔をしてほしくない。大変アホではあったけれど。
強くそう思った。私達家族、いや、私共の願い。
ハルシャダは今言うべきか悩んだが、また逃げ出されては溜まったものではないと、覚悟を決めて話し始めた。
「蒸し返すようで悪いですが......、先程はキツく言いすぎてしまったと思います。
ごめんなさい」
リディはピクリと反応したが、顔は動かさないまま聞き耳を立て始めた。
「あなたの事が、私共は心配で不安なのです。
あなたは本来ここに居るべきではないのですから。
最近の蛮行、特に今回のように、顔を暴こうとする輩を、私は睨んでいます。
ただのいたずら者か、或いはあなたを付け狙う刺客か。
特に前者は油断なりません。後者の場合は、私共が手を下す事が可能ですが、前者の輩は、SNSに載せようと写真を撮ろうとする者が多いのです。
もし顔を撮られてしまえば、全世界に発信される。
これがどのように危険かお分かりいただけますよね?」
リディは俯きながら、「分かってるさ」と小さく返事をした。
昔から変わらない、思いが伝わった合図。
「お茶を淹れますね」
ハルシャダは立ち上がり、自身のコブの具合を確認しながら、キッチンスペースに行った。
これも変わらない彼の合図。
コポコポと温かい湯気と柔らかな茶葉の香りが部屋を満たした。
分かり合えた後のなんとなくの気まずさ、がチラチラとこちらを見ていたが、お茶を啜ることでなんとは無しにお互い見ないふりをしていた。
ジクジクと小さく痛む程度になったコブが残ったが、なんとは無しにスカッとした気持ちを抱えながら、両者は良い夢を見るだろう。
あんな事があった。
数日後、天変地異の事態が発生した。
アシェンドラ王国から連絡が来たのだ。
規律の厳しいあの国から。
緊急招集。
内容は政権交代についての話し合い。
原因は、リディの亡き母 アリシュナ・ギータが生前、不貞行為を働いていたため。
結果として、民衆の暴動が起き始めた。
リディとハルシャダは驚きに固まった。
「......。ふふふっ。待っていましたよ、この時を」
そっと誰かがそう呟いた。
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