31 許せ

「村が東にある。神力を今から放つ。反動を抑えて村を守れ」

「ええと、どうやって……」

「兎に角、上へ。それだけで良い」


 説明をしている暇はないと言わんばかりに、ゼファ様の体に大量のマナが吸い込まれていく。数々のマナの光の帯の動きに合わせて、周りの空気が引っ張られ、立っているのもやっとの強風がゼファ様へ向かって吹き荒れる。


「絶対に押し返そうなど、まして相殺しようなど思うな。上だ。上へと逃がせ」

「わ、わかりました」


 東は僕たちの背中側だ。ゼファ様が手だけで僕を下がらせる。従って、後方へとマナの大幕を張り、言われた通りに上昇気流を発生させ続ける。

 ゼファ様はその様子を見て、口元だけを緩めた。


「上出来だ」


 竜は何かを堪え、拒絶するように、しかし抗えない何かに突き動かされるように唸り声をあげる。それと同時に、竜の周りの地面がバキバキと音を立て、霜が降り、凍っていく。


 ゼファ様は何も言うことなく、マナを体へ蓄え続ける。強風と冷気、そして緊張で寒くて仕方がないが、いつ来るかわからないタイミングに備えて集中は切らせない。マナの光の隙間から、僕の息が白いのが見えた。


 地を這う霜がだんだんとゼファ様へ迫り、到達し、足元を凍らせていく。ゼファ様がわずかに顔をしかめたが、その直後――竜が絶叫する。


 鼓膜が破れんほどの大音量。竜はそのまま暴れ、足踏みし、ゼファ様を叩き潰そうと筋肉と鱗で覆われた腕を振り上げる。



 「――許せ」



 一瞬だった。


 目を焼くほどの輝きを放つマナが、竜に向かって打ち付けられる。

 風のマナは絹布のような見た目をしているが、あれではまるで分厚い木板のようだ。

 これが高位伸の扱う純度の高いマナだというのか。


 鋭く質量のある巨大な風の刃が、竜の体を縦へ割いた。



 遅れて、竜の咆哮に匹敵するほどの轟音が鳴る。それと同時に、多量のマナと行き場を失った風がこちらへ襲い掛かる。――上だ、上へ送れ!


 僕が背後に備えていたマナの大幕は、ゼファ様の放ったマナに比べればひどく薄く、脆い。半分ほどは上へ逃がせたが、もう半分は取りこぼしてしまった。だが勢いは多少殺せている、村に被害はないだろう。


「か、はっ……」


 体の真正面から突風を食らい、上空へ吹き飛ばされる。肺に空気を突っ込まれ、息が思うようにできない。なんとか眼球だけでゼファ様と竜の姿を捉えると、またゼファ様がマナを吸い込み始めていた。


「……ちっ、仕留め損なったか」


 先ほどよりも勢いよくマナが空を走るのが見えた。このマナの乱れようだと、空中に放り出された状態から受け身を取るなど不可能だ。しかしゼファ様はただ半身を失った竜にのみ注意を向けている。その紅い瞳が、次の目標を確実に捉えていた。


(まずい、もう一発来る――!)


 直感がそう告げた。咄嗟に、村を守るためにマナの大幕を再度張りなおそうと試みる。しかし周りに滞空しているのは、ゼファ様が放った高純度のマナばかり。


(何でもいい。使えるものは、何でもいいから使え!)


 視線ごとマナに意識を向ければ、強い光で目が眩む。自由落下する中、左手をかき回して必死にマナを誘導する。高純度のマナは僕の左手の指先から入り、手のひらから出るように通過していく――僕の魂を経由して。


(熱いっ――!)


 呼吸がうまくできないまま、声にならない呻き声を絞り出す。熱い、熱い、熱い! 初めてゼファ様からマナを入れてもらったときの感覚とそっくりだった。鳩尾の中が火傷をしたような、体中の血管を煙で燻したような、そんな痛みを伴う。


 けれど苦痛に悶えている暇はない。あと数秒もすれば地面に墜落する。腹の底から息ごとマナをひり出すようにして、マナの大幕を張り直す。


 ゼファ様は大幕の完成を目だけで確認した後、竜へゆっくりと手をかざした。


 今度は何の言葉も言わなかった。そのまま、先ほどと同じように多量のマナを竜へ叩きつける。


 竜の体が横へと割ける。

 続く轟音の中、かすかに瓶が割れるような音がした。



・ ・ ・



 目を覚ますと殺風景な部屋の中にいた。ぼんやりした頭で、以前ゼファ様よりお借りした部屋だとゆっくり思い出す。外は柔らかく明るい。曇っているようだ。


 ゼファ様が僕を運んでくれたのだろうか。起き上がって、ゼファ様の自室である書斎へ向かおうとするが、全身の強い筋肉痛でうまく動けない……いや、正しくは筋肉痛ではない。神経の痛みに似ている。あの多量のマナを扱った反動だろうか。


 痛みが引くまで一旦大人しくしていようと思うものの、喉の渇きに耐えられず、水を汲みに行くことにした。しかし体が上手に動かせず、ベッドから転落してしまう。……体が動かせないなら、マナならどうだろうかと考え、自分の体の隙間に薄くマナの帯をまとわせてみた。うつ伏せのまま体を持ち上げることができたので、この状態のまま歩く速度でのんびりと飛行する。


 部屋から廊下へと出たところで、丁度書斎から出てきたゼファ様と鉢合わせてしまった。


「……奇怪な飛び方をしておるな」

「バレちゃいましたか」


 寝ておれ、とだけ言われて、ゼファ様に担がれて再び元のベッドへ転がされる。仕方なく水が欲しい旨をゼファ様へ伝え、掛けられた毛布の海から天井を仰いだ。

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