第19話 私の神様

「園田さん、もうすぐ授業始まるよ?」


 もう予鈴は鳴ったのに、校舎裏の木陰で寝転がり目を瞑っている彼女に、わたしは言った。彼女は校則で禁止されているはずの金髪を揺らし顔を上げ、片目を開けてわたしを見る。しかしすぐ目を閉じた。


「早く戻ろう? 園田さん」

「……また委員長か。うるさいな。あっち行ってよ」


 寝返りをうってわたしからそっぽを向いてしまう。それでもわたしはめげずに話しかける。


「園田さんが教室に戻るまでわたしも行かないよ」

「じゃああんたもサボりになるけど」

「……それもいいかも」

「は?」


 わたしの言葉に振り向き、こっちを見た園田さんに笑いかける。


「次の授業、英語なんだ。でもあの先生、時々セクハラっぽい発言するよね。授業と関係ないこともよく言うし。あんまり得意じゃないんだ」


 その言葉は本当に思っていること。園田さんはキョトンとしていたけれど、フッと面白そうに笑った。


「真面目な委員長がそんなこと言っていいの?」

「ほんとのことだもん。委員長とか関係ないよ。それにあの先生が園田さんのこと呼んでこいって言ったんだけど、多分先生、園田さんのこと好きなんだと思う。美人だから」

「え? マジで言ってる? きっしょいんだけど」

「ね。だから、このままサボっちゃってもいいかなって。……園田さんとも、お話ししたいし」


 わたしがそう言うと、今まで笑っていた園田さんが、ハッと我に返ったように目を丸める。やがてまたわたしから視線を逸らして寝転がり、反対側を向いてしまった。また顔が見えなくなっちゃったな。


「私はあんたと話したくないから。早く行って」

「……そっか」


 今日もやっぱり、なにも話してくれないか。


 園田さんはよく授業をサボるし、よく学校の生徒や先生と喧嘩までするけれど、それでも毎日学校に来ているし、遅くまで家に帰らず町をウロウロしたり、近くのゲーセンに入り浸ったりしているのを友達が見かけたと言う。


 だから何か理由があって、家に帰りたくないんじゃないかと思った。もしも家で――ご両親とうまくいっていないのなら、なにができるかわからないけれど、力になってあげたい。しかし根気強く話しかけてもその話題に行き着くくらい深くは喋れない。最近はちょっとだけ笑顔を見せてくれるようになったけど、今日もダメそうだ。仕方ない。


「先生には見つかりませんでしたって言っておくね」


 そう言っても、園田さんから返事はない。わたしは諦めてそのまま去ろうと、彼女に背を向ける。


「――待って」


 しかしそう呼び止められ、驚いて振り返った。すると園田さんはそっぽを向きながらも起き上がって、わたしに近づいてきていた。


「園田さん?」

「……戻る」


 そう一言だけ口にして、そのままわたしの横を通り過ぎて行ったので、慌ててその背中を追った。


 ……ちょっとだけ、仲良くなれたかな。もっと仲良くなれれば、お家に早く帰らないでいる理由がわかるかな。そう考えながら、園田さんを追いかけるように教室まで向かった。




 ⭐︎




 それからというもの、園田さんがサボったらわたしが毎回連れ戻す役割になった。


『いつもサボっていた園田さんが、委員長が呼んだら戻ってくる』。そんな噂が広まって、最初は英語の先生だけだったのが、他の授業の先生も、園田さんがサボってどこかへ消えたら、わたしに頼むようになったのだ。

 それからだんだんと、園田さんはわたしに悩みを打ち明けてくれるようになった。




「――つまり、お父さんやお母さんとうまくいってない?」

「……簡単に言えばね」


 苦虫を噛み潰したような顔をして呟いた園田さんは、もう日が落ちかけている夕暮れの空を眺めていた。放課後、家まで向かう帰り道で、わたしの少し前を歩く園田さんの足取りは、なんとなく重い気がする。それも今打ち明けてくれたことが関係しているのだろう。


 わたしに打ち明けてくれた悩みは、ご両親とうまくいっていないということだった。園田さんはいわゆる『裕福なお家のお嬢様』で、家柄が華やかな分、ご両親の教育も厳しいらしい。


 小さい頃からたくさんの習い事をやらされ、小学生の頃から他の子とは比べ物にならないくらい勉強をしていたらしい。クラスメイトが放課後遊ぶ予定を立てていても、自分は家の都合で誘われてもいけない。少しでも勉強をサボれば叱られる。そんな日々に限界が来たのは、園田さんが小学5年生の頃のことらしい。


「その日は珍しく習い事の予定もなくて。勉強も、家庭教師は来ないから家で自習って感じだったの。だから少しくらい、せめて放課後の学校でちょっと遊ぶくらい、許されるかなって思った。だから1回だけ、みんなと少しだけ遊んで、10分くらいだけいつもより遅く家に帰ったの」


 そんな数分の遅れでも――ダメだったらしい。

 園田さんのお母さんはその少しの遅れも許してはくれなかった。晩御飯も与えずつきっきりで勉強をさせられたのだと。


「泣きながら勉強して、終わった後に思ったの。もう嫌だ、やめたいって。そう思ってから少しずつ、親に反抗していくようになった」


 それで気づいたらこんなんになっちゃった、と自嘲気味に園田さんは言い放つ。遠くの方を見つめ、ぼーっとしながら歩み続ける園田さんは、どこか寂しそうだ。


「本当は中学受験を受けさせられる予定だったんだけど、反抗して勉強しないで面接も適当にやってたら普通に落ちた。それでこの学校に入学して、そっからずっとお父さんともお母さんとも仲悪い」

「そうなんだ……」


 ううむ……これは思っていた以上に深刻そうな悩みだ。家族関係でギクシャクしているのではという予想はしていたけれど。


 しかし彼女の話を聞いて、少しだけ気づいたというか、力になれるかもしれないと思った。わたしはそのを、園田さんに伝えようと口を開く。

 今の話を聞く限り、園田さんのご両親はあまり良い人ではなさそうだったけれど、本当にそうなのだろうか?


 小さく深呼吸してから、わたしは歩くスピードを速め、すぐ隣に並んで彼女に言った。


「でもそうやって勉強してたとき、お母さんも一緒に勉強を見てもらってたんでしょ?」

「そうよ。横で指摘しながら、監視するみたいに」

「ってことはさ、お母さんも夜ご飯、食べてなかったんじゃない?」

「え?」


 園田さんが歩みを止めた。わたしは園田さんを通り越し、後ろを振り返る。彼女は何が言いたいのかわからないといった感じで顔を顰めていた。


「勉強が終わったあと、ご飯はちゃんと食べたんだよね?」

「そりゃまぁ……食べないと死ぬし」

「その時、お母さんも一緒に食べた?」

「ええ。一言も会話せずに、一緒に夕飯を――」


 その言葉を発した瞬間、園田さんは何かに気づいたような表情で、わたしの顔を見た。わたしの言いたいことがわかったような顔。


「それってさ、お母さんもご飯食べずに一緒に勉強してくれたってことだよね。きっとお腹空いてたんじゃないかな」

「――っ、でも」

「そりゃあ少し帰る時間が遅れたくらいで怒って勉強させたり、本人の意思を無視して習い事とかさせるのは、確かにやりすぎだと思うけど。でもきっとお母さんやお父さんが厳しくするのは、園田さんの将来を思ってのことなんじゃないかなって――」


 そんなことを言ってから、ハッとする。園田さんのご両親に会ってもないのに、なんとなくそうなんじゃないかな〜って感じでペラペラと喋ってしまった。適当なこと言ってると思われないかな!?


「え、ええと。確信があるのかはわかんないけど、でも園田さんが思ってるより、園田さんはお父さんやお母さんに大切にされてるんじゃないかな」

「そんなことっ」


 園田さんは幼い子どものようにいやいやと首を左右に振って、それを否定する。


「子どもが大切じゃない親なんていない――って言い切るのは違うかもしれないけど、多分園田さんのご両親は園田さんが大切だと思う。中学受験だって、将来不自由なく幸せになれるようにっていう思いがあってのことだったりするのかも」

「…………」


 園田さんは反論することなく俯いた。わたしはそんな彼女に近づく。項垂れた彼女はいつもより小さく見える。いつも誰かを睨みつけ、威圧感のある普段の彼女とは全く違う、弱々しい姿。けれどもその姿が、わたしには少しもみっともなくは見えなかった。


「……ねぇ、園田さん。少しだけ、お父さんやお母さんとしっかり話してみたら? 今の園田さんに必要なのは、周りの人の言葉を聞き入れることと理解すること、そして自分の意見を自分の言葉で伝えることだよ」


 わたしは彼女の頭を撫でる。払われる覚悟だったが、わたしの手を園田さんは拒まずに受け入れた。手を動かせばその動きと同じように、園田さんの頭は小さくゆらゆら動く。

 しばらくそのままだったが、やがてぽたり、ぽたりと園田さんの足元が水滴で濡れていくのが見え、ゆっくり手を離した。


 顔を上げた彼女は泣いていた。頬は赤く、涙がこぼれ落ちる。わたしはハンカチを取り出して彼女の目元に当てた。


 そして――そっと抱きしめた。


「……今までこのこと、誰にも話せなかったんだよね? 辛かったよね」


 また頭を撫でれば、今度は嗚咽が耳元から聞こえてきた。しばらく震えている彼女を抱きしめる。


 やがて落ち着いた彼女が少し照れ臭そうにしつつ、「お母さんやお父さんと、ちゃんと話してみる」とわたしに告げた時には、もうあたりは暗くなり始めていた。

 胸につっかえていた何かから解放されたような、清々しい顔の彼女に、わたしは最後に言いたかった言葉を投げかけた。


「大丈夫。わたしはいつだって――美舞ちゃんの味方だよ」


 そう言った瞬間、美舞ちゃんは目を大きく見開き、まるで神様に出会ったみたいな、そんな表情を浮かべたのだ。

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