木曜日
僕は朝起きて、ふと考えた。世界人口は約50億人だ。それぞれの星座の人口が均等だとしよう。そうすると、この世界には最悪の一週間を過ごしている人が約4.2億人もいることになる。大問題じゃないか。僕が気がついていないだけで、もしかすると世界の破滅の時は近いのかもしれない。今頃大天使たちはラッパを吹く練習でもしているのだろうか。
「おいマフラー、今日来るか?」
今日はマウスのバンドのライブである。
「いくよ」
「今日はな、伝説になるぜ」
「いつも言ってるじゃん」
「毎回ベストを更新してんだよ」
「それはそうかも」
「今日はお守りもあるしな」
どうやら通販で届くと言っていた験担ぎのアクセサリーを身につけているらしい。やはり、なんとなくいつものマウスらしくなく感じた。
とにかく、楽しみにしとけよ、そう言って彼はスティックケースと共に去っていった。家に一人だけになり、特にすることもない。自室に戻ってピアノの蓋を開けた。
ピアノはコメディアンである。伝説のピアニストはそう言った。それ単体でも面白さを持つが、他と交わることでさらに可能性が増す。僕たちピアニストはそのコメディアンのマネージャーに徹するのだ。しかし、僕の腕が悪いばかりに、僕のピアノはまだテレビに出たことはない。
今日も打ち合わせをする。題目は「Fly me to the moon」。僕の大好きな曲だ。しかし真っ昼間で曲と時間の相性が悪く、どうも締まらない。僕はカーテンを閉め、灯りを消した。
ジャズは最も空想的で、現実的な音楽である。奏者の精神と想像が音に多大な影響を与え、感情がそのまま音として出力されている。それには、常に他のすべてを想像できる力が必要だ。
部屋にはピアノの綺麗な音と打鍵音だけがある。ただ僕の脳内には明確にドラムと、サックスがいた。次々とメロディーが思い浮かぶ。次第に笑みが溢れてきた。頭の中のセッションに、ノワールさんの美しい歌声が混ざり始めた。嘘偽りない音の集合体が誰かを月まで連れていく。
素晴らしいセッションを終えると、いつの間にか後ろにマウスが立っていた。
「めちゃくちゃいいじゃねえか」
「何でいるんだ」
「いやあ、スティックケースは持ったのに、スティックを持ってなかったんだよ」
「プロ失格だ」
「こんなことでプロ失格なら、俺は失格コレクターになる」
彼は自分のスティックを取ると、僕に言った。
「なあ、せっかくだし一緒に会場まで行こうぜ」
「もちろん」
玄関を出ると、車に乗り込む。僕は恐る恐る彼に尋ねた。
「ねえ、緊張してる?」
普段ならしないようなミスを彼はした。それに、珍しく自己肯定感も低い。
「するわけねえだろ。俺は緊張しないでお馴染みだぜ」
「そういえばそうだ」
マウスはいつもみたいに笑った。数多の車が高速ですれ違う。
「とにかくさ、これだけは言っておくよ。君のドラムは、僕の中で世界一だ」
マウスは目を丸くした。よほど驚いているようだ。
「おいどうしたんだよ。緊張してるのか?」
「僕も、緊張しないでお馴染みでしょ」
そういえばそうだ、と彼は呟いた。聡明にも僕は彼がそう言うと見抜いていたので、僕も被せてそう言った。
ライブが始まる。意外にも客は集まっていて、これは元を取れそうだなと安心した。決して彼のためではなくて、彼の収入がないと僕が彼に色々奢る羽目になるからだ。決して彼のための安心ではない。
MCを務めるボーカルのベンさんは話が上手く、僕にもよくしてくれる。僕はバンドメンバーと仲が良く、一緒にご飯も食べる仲だ。かなりの古参であるから、新参者を先輩面して見ている。
一曲目が始まった。
あっという間にライブは終わった。彼が言うだけあって、今回のライブはとてもいいものだった。何と言っても新曲がいい。これは伝説という言葉に過不足ないかも。すごい、すごいよ。感情が溢れ出している。今すぐ彼と話がしたい。
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