新しい暮らし
グラスの前に置いたティーカップに、アルテはポットからお代わりの紅茶を注ぐ。
「あっ、す、すみません! ありがとうございます、お師匠様」
ぺこぺこと頭を下げながら礼を言うと、グラスはまだ湯気の立つ紅茶に口をつける。
そしてやはりまだ熱かったのか、素早くカップから口を離すとともに瞳をぎゅっと閉じた。
「だ、大丈夫⁉」
「はっ、はい! お見苦しい真似をしてしまい、申し訳ありません……」
「もう、そんな大げさな。もっと肩の力を抜いて、気楽にしていいんだよ? あ、それと」
「は、はい……?」
「その、お師匠様って呼び方なんだけど」
「はい……はっ、も、もしかして、この辺りではお師匠様のことをそうお呼びするのはご無礼にあたるのでしょうか⁉」
たちまち青ざめる少女に、アルテは思わずくすっと笑みをこぼす。
「ふふっ、そうじゃなくてね。そんな堅苦しい言い方しなくてもいいのよって言いたかったの。さっきも言ったけど、わたしのことは気軽にアルテって呼んでくれていいんだから。それに、別に敬語だって使わなくて平気よ、あんまりかしこまった話し方してると、息苦しくなっちゃわない?」
「……え、えぇと」
少女は困ったように、視線をふわふわと泳がせ。それから、おずおずとこう返答した。
「で、ですが、自分の師となっていただく方に対してそのような態度を取るのは……。それに私、こういった話し方でないと落ち着かないのです、幼い頃からそう育てられてきましたので……で、ですがどうしてもとおっしゃいますのなら……」
「う、ううん、無理にしなくてもいいの! ごめんね、変なこと言っちゃって」
「す、すみません……」
「謝らないで、礼儀を大切にできるのは素敵なことだもの」
そう言って、どことなく気まずそうな表情を浮かべるグラスに、アルテはにこりと微笑みかけた。
グラスがいいのなら、アルテもそれでいいのだ。ただ、お師匠様なんて堅苦しい呼び方ではなく、”アルテ先生”なんて呼ばれてみたかった気持ちはあるけれど。
「あ、そういえば」
紅茶のおかわりを自分のカップにも注ぎながら、アルテは尋ねる。
「グラスのお家って、どこなのかな?」
「えっ? 私の家、ですか?」
「うん。グラスのお家がここからどれぐらいの所にあるのかによって、授業の始まりと終わりの時間も決まってくるかなって。それに、わたしはこれからあなたの師匠なんだから、一度おうちの人たちにもご挨拶しなきゃ」
「えぇっ、そ、そんな!」
「ん? ど、どうかした?」
「あっ、い、いえ、何でも……!」
一瞬取り乱しかけるも、慌ててすぐに平静を装ったグラス。だが彼女のその表情の変化は、アルテの目にもしっかりと捉えられていた。
訝しむアルテに、グラスは少し焦った様子でこう告げる。
「た、ただ、その……、うちの親は、そ、そういったことは必要ないと申しておりました!」
「あら、そうなの? うーん、でもやっぱり一度顔を合わせて挨拶しておかないと失礼なんじゃ……」
「いえ! ほ、本当に必要ないのです! えぇと、わ、私の母は……そう! 家族以外の人と会うのを極度に嫌っていますから!
「あ、そうなの? それじゃあせめてお手紙で……」
「い、いいえ、結構です! 本当に! えぇっと……母はいつも、手紙が届いても読まずに破り捨ててしまうのです!」
「……えぇっ、そうなの?」
「はいっ! そうなのです! ですから……!」
首から頭が落っこちないか心配になるぐらい、しきりに首を縦に振る少女。
その様子にアルテはただならぬ違和感を覚えるが、彼女がそう言うのなら仕方ない。この件はひとまず流しておくことにした。
「あっ、それから実は私、この国の出身ではないんです。遠いの異国の地から来ておりまして。ですから、私の実家に行くというのは難しいのではないかと……」
「えっ、そうだったの⁉ それじゃあ寝泊まりは……」
「幸い、森の向こうの町にもお宿はあるようでしたし、そちらから通わせていただきます!」
教えていただけるのですから、何時でも喜んで参ります。グラスは笑顔でそう告げた。
「で、でも、お金はあるの?」
「はい! 家の金庫から金品をいくらか……い、いえ! ではなくて、家を出る前に資金をいくらかもらってきましたので!」
「……」
何か言いかけてから、慌てて言い直した少女。何か後ろめたいことでもあるかのように、その視線は泳いでいる。
「本当に、大丈夫? そんな暮らししてたら、すぐにお金が足りなくなっちゃうんじゃ……」
「ええ、大丈夫ですとも! もし金銭面での問題が生じたら、その際は衣服などを少しずつ売っていけば……」
「だ、ダメだよそんなの! そんなことしていったら、今度はグラスの着るものがなくなっちゃうよ!」
「も、問題ありません! そうなったとしても、この身さえ残ればきっとなんとか……」
「そっ、そんなのダメ! 絶対ダメだから!」
少女が、アルテの頭に今思い浮かんだのと同じようなこと——己の心を犠牲に、その身を売りさばくような行為——を考えながら今の言葉を発したのかどうかは分からない。だが、そんなことは絶対にあってはならないことだ。
そんな風に、自分の身の周りのものや大切なものを少しずつ売っていくような生活が、長く続けられるはずなどないだろう。
そんなことをしていては物どころか、自分の心までどんどんすり減っていってしまう。
「そ、それもいけませんか? では、私はいったいどうすれば……」
「うぅん、そうねぇ……あっ、そうだ!」
泣きそうな表情になり、おろおろと尋ねてくるグラスを前に、アルテの頭にふと名案が思い浮かんだ。それを考えつくまでに、一秒の時間すらいらなかった。
「うちに住んだらいいわ、グラス!」
「えっ? お、お師匠様のお家に、ですか⁉」
「うん。それならお金もかからないし。それに、この辺りに来たばっかりなら、一人じゃ不便なことも多いでしょう?」
「ええっ⁉ ということはお家賃、お支払いしなくてもよろしいのですか……⁉」
「家賃? ふふっ、そんなの必要ないよ」
「で、ではお礼はどうすれば? この身体でできることでしたら、何なりといたしますので……」
「そ、そういうのは大丈夫だから! ほんとに、見返りなんて何もなくていいの!」
何故か頬を赤らめて言った少女に、アルテは慌ててそう伝える。
実際、アルテには彼女から金銭などを要求する理由もないのだ。生活は錬金術ですでに賄えているし、少女が一人転がり込んできたところで支障はない。
「ほ、本当に、よろしいのですか……?」
「うん、ほんとにいいの! お金のことなんて、何も気にしなくていいんだから」
「お師匠様……っ!」
アルテがそう告げると、グラスは瞳をうるうるとさせ、口元を手で覆い隠す。
「なんて寛大で、お優しいのでしょう……! いつか必ず、この御恩は返させていただきます!」
そう言って、グラスはぺこりと頭を下げる。その角度はほとんど直角なのではないかというぐらいに深い。
「そんな、大げさな……」
アルテはただ、当たり前のことをしただけなのに。目の前で他人が、しかも子供と言って差し支えないほどの若者が困っていたら、助けるのは当然のことだ。
「いいえ、大げさなんかじゃありません! ただで赤の他人を置いてくださるだなんて、普通はありえませんもの! ……ですが、お授業のお代金は当然、必要ですよね?」
「えっ? もう、グラスったら。そんなの取ったりしないよ」
もちろん、弟子から授業料を徴収する師匠もいるのであろうが、アルテはそうするつもりなど最初から一切なかった。それに第一、彼女の金銭事情を聞いて、それでもお金を取ろうとする方がどうかしているとアルテは思う。
「えぇっ? お、お授業料も、お支払いしなくてよろしいのですか? そ、それはつまり、出世払い、ということなのでしょうか……?」
「出世払い? ううん、ほんとにタダ。もちろん、グラスが将来出世してくれたらそれは嬉しいけどね」
「お家賃のみならず、お授業料まで……! 実家にいた頃は、タダでお勉強を教えに来てくださる先生なんてお一人もいらっしゃらなかったのに……!」
それは、彼らが学問を教えることによって生計を立てているからだろう。だがアルテはそうではない。だからグラスに無料で錬金術を教えることぐらい、何の問題でもないのだ。
けれど、やはり少女はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「ですが、そこまでしていただいて何もお礼をしないというのは、私の信条に反します! 何か、少しでもお礼をさせていただけませんか……?」
おずおずと、そう申し出てくる少女。その身含め、持っているものなら何でも差し出せるとでも言わんばかりの様子だ。
けれどアルテには、グラスに金銭や他のものを要求するようなつもりなど全くもってなかったし、そういったことを気にしないでほしかった。
どう言ったら、納得してくれるだろうか。少し考えてから、アルテはグラスにこう答える。
「そういうことは、何か人にあげられるものを持っている人が言うことよ。もちろん、自分自身だったり、自分が生きていくのに必要なものを差し出すっていうのはなしね。そうね、わたしにとっては、あなたが”やりたい錬金術”をやれるようになってくれるのが、お礼みたいなものかな」
「私の、”やりたい錬金術”?」
「うん。……錬金術ってね、本当にいろんな可能性があるの」
アルテの言葉に、グラスは雛鳥のようにきょとんと首を傾げる。
そんな彼女に、アルテは微笑んで続けた。少女の澄んだ瞳の奥に、かつてアルテ自身もよく知っていたはずの気持ちを思い出しながら。
「錬金術は無限大なの。できないことなんてないんだから。だから、あなたにも自分自身のやりたい錬金術を見つけてほしいと思うんだ。それから……あなたの叶えたいことを、あなた自身の錬金術の力で叶えられるようになってほしいの」
「私の、やりたいこと……」
アルテの言葉を、グラスは反芻するように繰り返す。そんな彼女の瞳は、みるみるうちにきらきらと輝きを増し始めていく。
「はいっ! 私、これから精一杯、お師匠様から学ばせていただきます!」
そう言った彼女の瞳は、まるで満天の星空を映しだしたかのように煌めきに満ち溢れていた。
「じゃあわたしも、グラスのいいお手本になれるように頑張らなきゃね」
かくして、アルテには同居人兼一番弟子ができ。ここ数百年ほとんど変わりを見せなかった彼女の暮らしに、新たな風が吹き込んできたのだった。
何の前触れもない、突然の出来事ではあったが。なんだか楽しくなりそうな予感がする。
「確か、ここが空き部屋だったはず……」
そう呟きながら、アルテは二階の一室の扉を開ける。
「あ、やっぱり。グラス、このお部屋でいいかな?」
「は、はいっ、もちろんです! どんなお部屋でも、貸していただけるだけで十分ありがたいですし……!」
アルテが振り返って尋ねると、グラスはこくこくと頷き、それから部屋の中を覗き込む。
そして、開口一番こう言った。
「まぁ、とっても素敵なお部屋! お日様の光がいっぱい差し込んできて暖かそうですし、それに大きな本棚もあります!」
彼女の言った通り、この部屋は特に日当たりのいい場所にあった。壁の半分を覆うほどの大きな本棚は、昔ここを書斎にしようかと考えていたときの名残だ。
「こぢんまりとしていて、隠れ家のような雰囲気も素敵ですし……私、一度こんな所で暮らしてみたかったんです!」
「えっ? こ、こぢんまりとしてる……かな?」
グラスの言葉に、悪意が一切ないのはその声色からも分かる。けれど一般的な家の部屋の規模を考えると、決して狭くはない部屋だとアルテは思うのだが。
「はい? 今何かおっしゃいましたか、お師匠様?」
「う、ううん! 何でもないの!」
もしかしたら、彼女の実家はよほど大きかったのかもしれない。思えば彼女の着ているものや鞄なども、なかなか良いものに見える。
おまけに、所作や言葉遣いもとても丁寧だ。その辺りを鑑みるに、彼女の実家はやはり裕福なのかもしれない。
ただ、そう考えると彼女の切羽詰まった金銭状況や、ここをたった一人で訪れたことなどは少し不思議に思えてくるが。
「あなたがここを気に入ってくれてよかったわ。さ、入って」
アルテは部屋の中へと一歩立ち入り、グラスを促す。
「し、失礼します」ここはここから自分の部屋になるというのに、丁寧に一礼して少女はおずおずと中へ立ち入った。
「まぁ、とっても暖か……けほっ」
「グラス? だ、大丈夫?」
「は、はい、平気、で……けほっ、かはっ」
部屋の中に入るなり、突然咳き込み始めるグラス。アルテは慌てて彼女を部屋の外に連れ出し、その背中を摩る。
思えば、この部屋はもう長いこと掃除していない。もしかしたら、部屋に入った途端彼女はホコリを一気に吸い込んでしまったのかもしれない。
「大丈夫、グラス?」
「は、はい……すみません」
外に出てからしばらくすると、グラスの咳もなんとか収まった。アルテはほっと胸を撫でおろす。
「ごめんね、中ホコリっぽかったよね? ずっと掃除してなかったから……」
「いえ、平気です! このぐらい、どうってことありませんので!」
アルテが申し訳なさそうに謝ると、グラスは笑顔を作り、殊勝にそう答える。アルテに気負わせまいとしているのか、その健気な姿に余計に胸が痛んだ。
「ごめんね、家具が来る前にちゃんと綺麗にするから!」
「あっ、お師匠様! 待ってください、それぐらい私がやります!」
アルテが再び部屋の中へと入っていこうとすると、グラスが彼女の手首を引いて引き留める。そんな彼女に、アルテは優しく微笑みかけて。
「もう、そんなこと気にしなくていいんだよ。わたしがやっておくから、あなたはここで……」
「いえ、私にやらせてください! 私が使わせていただくお部屋ですもの!」
だが、グラスは引こうとしなかった。そう言うや否や、彼女は部屋の中へと立ち入っていく。
「えっ、で、でも……」
アルテは慌てて彼女を止めようと手を伸ばす。先ほどの苦しそうな様子を見た後なのだから当然だ。なんとか説得して、部屋の中で待っていてもらおう。
だが、次の瞬間。
「……っ?」
突然、空間の魔力がぐらりと揺らいだ。
突風のような魔力の振動に、アルテは驚いて反射的に目を閉じる。
「何、今の……?」
それなりに強めの振動だったが、それはすぐに収まった。
アルテはゆっくりと目を開け、周囲の状況を確認する……と。
「わっ! 何、これ⁉」
なんと、気がつけば水泡のような透明な球体が、彼女の全身を包み込んでいたのだ。
そして、それは彼女の前に立つグラスも、全く同じ状況だった。
「な、何これ?」
「すみませんが、少々そちらの中にいていただけませんか? 少し風を吹かせますので」
「か、風?」
風を吹かせる。そんなことをして、一体どうするというのか。
だがアルテのそんな疑問に答えが返ってくることはなく、グラスは前へと向き直る。そして、静かに深呼吸を始めた。
「……」
アルテは、自分の身体を包み込む魔力の壁にそっと触れてみる。
分厚く、ちょっとやそっとの衝撃では壊れないであろう強固な魔障壁だ。
これだけ大きく、そして強い防壁を二人分も作り出すなんて。どうやらグラスは魔術において、なかなかの手練れであるようだった。
けれど、何のために一体こんなことを——そう思っていた、そのとき。
「っ⁉」
突然、部屋中に凄まじい突風が吹き込んできた。今度は比喩ではなく、風そのものだ。
風はびゅうびゅうと吹き荒れ、部屋の中のホコリを外へと洗い出していく。その風は窓など存在しない廊下側から、開いた部屋の窓の方へと吹いていっていた。
その中には、並々ならぬ魔力の気配が感じられた。言うまでもなく、これはグラスの魔術によって起こされた風だった。
強風が吹いている、とは言ったが、その強さは単に音や障壁の揺らぎから伝わってくることであり、障壁内にいる者からしたら、それもそよ風程度にしか感じられない。
アルテは目を閉じ、少女のもつ清純な魔力をまとった心地の良いそよ風に包まれる感覚を楽しむ。
実に澄んだ魔力だった。純粋で清浄で、触れているだけで気持ちがいいような。
それにしても、これだけ厚い障壁の中にいてもなお、これだけ強い風を障壁外に発生させられるグラスの魔力量には驚くべきものがあった。
「これで、綺麗になりましたでしょうか」
グラスの呟き通り、床に積もっていたホコリはすっかりと消え去っていた。
泡が弾けるように、アルテの周りを包み込んでいた魔力の防壁がぱちんと弾ける。
「わぁ、さっきまであんなに汚れてたのが嘘みたい! すごいね、グラス!」
「そ、そうでしょうか……? 私、大したことはしていませんけれど……」
少女は頬を赤らめ、恥ずかしそうなか細い声でそう答える。
「ううん、あんなに大がかりな魔術を連続で使えるなんてすごいよ。びっくりしちゃった」
「えっ? そ、そう、でしょうか? えぇと……え、えへへ」
アルテが褒めると、グラスはかぁっと頬を真っ赤にして、薔薇のつぼみのようにしぼんでしまう。けれど、両手に覆われたその顔に浮かぶ表情は、とても嬉しそうだった。
実際、さっき彼女が見せた魔術の技術は卓越していた。魔術に長けているエルフ種の中でも上位に入りそうなぐらい。
あれだけ大量に魔力を消費するであろう魔術を二つ連続で使ってもなお、彼女は息切れ一つ起こしていない。
グラスのおかげで、掃除の手間がだいぶ省けた。アルテが礼を言うと、グラスは自分の借りる部屋なのだから当然のことだと返す。
それから、二人は手分けして掃除の仕上げを始めた。濡れた雑巾で床や本棚を拭いていくと、だんだんと元の木の色を取り戻していく様は見ているだけで気持ちがいい。
グラスの魔術のおかげもあり、そして二人で協力したのもあり、掃除は案外すぐに終わった。
結果的に、家具がここに運ばれてくるまでいくらか時間が余ることとなり。しばらく待っていると、家具を運んだ家具屋の見習いたちがようやく家までやってきた。
元気な挨拶をして家の中に入っていく青年たちに、アルテは笑顔で挨拶を返す。
「急だったのにありがとうね、みんな」
「いえ、アルテさんとお弟子さんのためならこれぐらいなんでもありませんよ!」
にこやかに言いながら、見習いたちは息を合わせててきぱきと二階のグラスの部屋にベッドや机などを運んでいく。
「グラスさん、これ、どこに置きましょうか?」
「あっ、ええと、こちらにお願いします! すみません、お手数おかけしまして……」
「いえいえ、僕たちもグラスさんのお役に立てて嬉しいので!」
「自分たち、お手伝いできることなら何でもしますんで、困ったことがあったら言ってください!」
グラスに眩しい笑顔を向け、こぞって彼女に優しい言葉を告げる見習いの青年たち。心なしか、グラスの前では持ち前のその笑顔の眩しさに磨きがかかっているようにアルテには見えた。
「みなさん、とっても頼もしいのですね。みなさんのような方が近くにいてくださるなんて、とっても心強いです」
「いえいえ、自分たち、こんなことしか取り柄がないので!」
「ここに来てばっかりで、分からないことも多いでしょう。もしなんかあったら、いつでもうちの店に来てくださいよ!」
口々に、笑顔と共に優しい言葉をかけてくれる職人見習いたちに、グラスの瞳が潤む。
「まぁ、そんな! ルスタの町にはこんなにもお優しい方々がいらっしゃるのですね、お師匠様……!」
「う、うん……! みんな、いい人ばっかり……あはは」
そう答えたアルテの笑みは、わずかに引きつっていた。
その理由は言うまでもない。家具屋の青年たちの、いつも以上に輝かしい笑顔のせいだ。
(男の子って、ほんとに分かりやすいなぁ……)
どれだけ時代を経ても変わらぬその性質に、呆れるべきか、そういうものだと割り切るべきか。とはいえ、グラスも喜んでいるのだから今のところは困るようなこともないのだが。
思えば、家具を購入するためグラスを連れて町に出向いたときにも、彼女は男女を問わずとても注目を集めた。
そのわけには、いつも一人でいるはずのアルテが珍しく誰かを伴っているという物珍しさもあっただろう。だが、明らかにそれだけではなかった。
その綺麗な子はどなた? そんな可愛い子、一体どこから? そんな調子に、通りでアルテに声をかけた人々の言葉はグラスのことを尋ねるものが圧倒的に多かった。
実際、彼女は美人だ。美形揃いのエルフ種の中でも特に美しい部類だと言っていい。同種のアルテですらそう思うのだから間違いない。
目鼻立ちは均整がとれているし、長いまつ毛に縁どられた目元など特に繊細で流麗だ。ふとした瞬間、目が合ったら見惚れてしまうほどに。
と、そうしているうちに。
「アルテさん! 家具、全部運び終わりましたよ!」
「あっ、わざわざありがとうね。お疲れ様、みんな」
言われて見ると、確かに部屋の中には揃えた家具たちが綺麗に配置されていた。
これまでの殺風景さとは正反対だ。ベッドも、机も、衣装箪笥もある。
「本当に、ありがとうございました! ここまで大変でしたでしょうに……」
礼を告げる二人に、工房の見習いたちは人の好い笑顔を返す。
「また何かあったら、いつでも!」「できることなら、なんでも力になりますんで!」自分たちを見送るアルテとグラスに、口々にそう告げて青年たちは帰っていった。
アルテは手を振って、そんな彼らを見送る。
仕事から解放され、かつ厳しい親方の目もない貴重なひと時に、去り行く彼らは自然と年相応の若者の姿へと戻っていく。
そんな彼らの楽しそうな話し声が、こちらにもかろうじて聞こえてくる——
「びっくりしたよな、アルテさんがあんなに綺麗な女の子を連れてきたときは」
彼らの話題は、どうやらグラスのことでもちきりのようだった。ある程度の距離が開けているからか、こちらには聞こえていないとでも思っているのだろうか。
グラスは恥ずかしがって頬を赤らめているが、アルテにはそれも含めて微笑ましく感じられた。
「ああ、だよな。エルフの女の子はみんな美人だって聞くけど、まさかあれほどとは」
「そんなこと言ったらお前、アルテさんだって美人だし可愛いだろ?」
「ああ、二人で一緒に来たときは一瞬、夢かなんかかと思ったな。あんなに顔の整った女の子が二人並んでやってくるなんて、現実じゃそうそうねえよ。お前らもそう思っただろ?」
「確かに、それはそうだけど。でも、アルテさんはあのお弟子さんとはなんかこう、違うっていうか……。うーん、もうちょっと大人っぽい見た目だったらなぁ」
「確かに、見た目だけなら子供と一緒だもんな。そこが惜しいよなぁ」
「馬鹿! そこが可愛いんじゃねえか!」
「……お、お師匠様?」
顔を俯かせ、ぷるぷると小刻みに震え出すアルテ。彼女の様子の異変を、グラスもすぐに察知する。
「まぁ、可愛いのは否定しねーけど。でもそれは子供や動物に対する”可愛い”と同じようなもんだろ? あ、それともお前、そういう趣味が……」
「き、聞こえてるからっ!」
突然、背後から飛んできた大声に、青年たちは驚いて振り返る。
「「「あ……」」」
そこには、リンゴのように頬を真っ赤に染め上げたアルテが、恥ずかしそうな表情を浮かべて立っていたのだった。
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