肆.
肆.
ドンドンと階段をすべり下りてくる音が聞こえた。
きた…
この場にいる、すべての人間が現状を悟り、機材をそそくさと仕舞いその場を離れようと急いでいた。
バンッッ
格納庫の扉が開く。
「私の機体を整備した方はどなたですか?」
「…はぁ…。」
まただ。嘉島は深くため息をつく。
これで何度目だろうか…ほとほと嫌気がさす。そして、静かに立ち上がった。
「私です。」
「また、あんたか。」
ずかずかとこちらにやってきた。
「前にも言いましたよね?飛行中変な音がするって。微細だけど、確実に変な音がするって。まだしてるんですけど。俺の練習機。」
そう言い放つと、そいつは、今しがた格納されたばかりの練習機を指さした。
「だから、何回も申し上げているように、何度もなーんども点検しましたからって。で、何度もなーんども異常がないこと、確認しましたって言ってんですよ。わかりますかね?諏訪三等飛行兵?」
嘉島の前に仁王立ちで立つ、飛行服を身にまとった男こそ、あの日、艦尾から3本目の制動索に止めた人物に他ならなかった。
こいつの名を諏訪孝太郎といった。海軍飛行予科練習生、通称予科練の8期として入隊、その後は飛行船技術教育を履修し、初めて着任したのが、空母六甲だったのだ。
飛行技術は、予科練の中でもぴか一だったようで、予科練卒の飛行兵はみな、諏訪三等飛行兵を知っているほどだった。
そして、彼を知っているものがそろって口にするのだった。
「諏訪三等飛行兵の腕は見事だよ。でもな、悪い癖があるんだ。」
「悪い癖…?」
そう、それがこの勘の良さだった。技術を高めるあまり、ついには整備科に文句を言うようになってしまったのだという。
自分が最高の飛行技術が見せられないのは機体にも原因があるからだと。
「あのさぁ、あんた耳ついてる?」
こいつ…同じ階級だからと思いやがって…
嘉島は額の血管を浮かせた。周りにいた逃げ遅れた連中がひやひやした目でこちらを見ていた。
「耳、ついてるから、あんたからの要望があるたびに点検してんだと思うんだけどな。」
向こうがぶしつけな態度をとるならこっちにも考えがある。そんな態度にビビるかよ。俺の育ちをなめんなよ。と嘉島は思った。
「なら、その整備技術がでくの坊なんだな。整備係、変えてくれよ。」
ぶっちーん
堪忍袋の緒が切れる音がした。
「貴様、いっていいことと悪いことがあるだろうが!!」
「あんたが、いうこときいてくれないからだろう!!この唐変木が!!」
ついに、嘉島と諏訪はその場で取っ組み合いを始めてしまった。
ハッと気が付き、まわりの連中が間に入って喧嘩の仲裁に入る。お互いが主張し、こぶしを振り上げる。右ストレートが互いのほほに入った瞬間だった。
「「やめんか!!馬鹿ども!!!!」」
嘉島と諏訪の頭に鉄拳が降ってきた。
「ぐえ!!」
「いだっっ!!」
それぞれが所属する小隊の隊長だった。
「いつも、うちの馬鹿が申し訳ない。」
先に頭を下げたのは航空第三小隊隊長の笹山三等飛行伍長だった。
「いやいや、うちも血が頭に上りやすいやつで困っとるんですわ。申し訳がない。」
次に頭を下げたのが整備科四班の班長、柏原三等整備伍長だった。
両者ともに、第一次世界大戦を経験したたたき上げである。それぞれの問題児を囲うには、それなりの人選がいるだろうとの配置だったそうだ。
嘉島、諏訪、首根っこをつかまれた猫のようにおとなしくなる。
「諏訪三等飛行兵、機体の違和感を感じることはいい。だが、有事の時、今ある状況で最高の操縦ができるものこそ、帝国海軍に求められる操縦士だと、何度説明すればわかるんだ。馬鹿者が。」
「…申し訳ありません。」
ぶっすーとした表情を浮かべる諏訪三等飛行兵の頬にもう一発拳が入る。
とても痛そうだ。
「申し訳ない。これで勘弁してやってくれ。」
笹山飛行伍長が頭を下げた。
「罰として、甲板100周走ってこい。その後、甲板掃除。いいな。」
「…承知しました。」
柏原整備伍長がちらりと嘉島の方を見る。
「その罰、うちのもご一緒させてください。」
「んん!?」
驚いたように嘉島は柏原整備伍長の方を見上げた。
「なんだ?一方的に被害者のつもりか?馬鹿者。喧嘩というのはな、両者に原因があるもんだ。売った方も悪ければ、買った方も悪いんだ。」
ごちん
嘉島は頭頂部にもう一発拳を喰らった。
いい迷惑である。
夕暮れ。
洋上での夕陽は何も遮るものがなく、とても美しい。
静かに太陽が海へと沈んでいく。あんなに燃え盛っているものが海に沈むのに、ジュッと音がしないのはいつ見ても不思議だと嘉島は思った。
海軍の兵にとって、一番の問題は運動不足である。陸軍とは違い、大きいとはいえ、狭い艦の中に押し込められ、自由には体を動かすことができない。そのため、少しの出っ張りを見つけて懸垂をしたり、腕立て伏せや腹筋背筋をする。中でも、一番標準的な運動が甲板上を走るということだった。
それにしても100周はキツい。
元々、体力がある方ではあるが、昼間に勤務した後の罰は身体がこたえた。
だが、足を止めるわけにはいかない。少しでも周回遅れになりそうものなら、同じく走るあいつにどんな顔をされるからわからないからだった。
「ぶっはー!!」
100周を完走し、嘉島は大の字でその場に倒れ込んだ。
同じく100周を完走した諏訪もその場で息を整えていた。
さすが、航空機乗り、基礎体力が違う。なんだか、悔しくて嘉島は大声を出しながら立ち上がった。
作業服では熱がこもる。上半身だけ脱ぎ、下着になった。諏訪も同じく上半身だけ脱ぎ、下着になっていた。手拭いで汗を拭う。
夕陽に照らされた、諏訪の体は均一に引き締まっており、造形美があった。
「何、まじまじ見てんです?」
諏訪がこちらを見ていた。
しまった、失敗したと思った。
「いや、きれーな体って思っただけ。」
「何?あんた、男が好きなの?」
馬鹿にしたような諏訪の顔。
前言撤回。お前に造形美などない。
「安心しろよ。たとえ、男が好きだとしてもお前はないから。無理。範疇外。問題外。お前に抱かれるなら鱶に食われるほうがマシだ。」
「なっ…!?」
言い切る嘉島。
言い返されるとは思っていなくて、諏訪はあっけに取られていた。
嘉島は、その場を立ち上がり、諏訪のほうへ歩み寄った。グイっと、下着の胸元をつかみ上げた。
「性癖がどうであれ、人には好きになる権利がある。受け入れられるかは別にしてな。思う権利はあんだよ。男が好きでも女が好きでもな。それをお前なんかに踏みにじられたくない。そんな権限、お前にはない。人にはなぁ、好みってもんがあんだよ。相性があんだ。好かれる素養もないガキが、ガタガタ抜かして人を傷つけてんじゃねぇよ。そういうの、虫唾が走る。大っ嫌い。」
嘉島は一息で言い切ると、その場で諏訪の胸倉を突き放した。
カツカツと音を鳴らし、距離を取り、近くの掃除用具庫からモップを取り出した。夕陽が落ち切り、あたりが暗闇に包まれる。
向こう側でも動く気配を感じた。諏訪が何をしていようが知ったことか。
嘉島は我関せずを決め込み、モップを持つ手を動かし続けた。
翌日も晴天。洋上の青空は、化学物質などで遮るものがなく、透き通るような青空だった。
あの後、どれぐらいモップ掛けをしていたのだろうか。嘉島の場合は、夕食をくいっぱぐれるとかわいそうだと思ってくれた同僚が呼びに来てくれ、甲板掃除を終えることができた。
諏訪はどうだったのだろう?まぁ、関係ないが。
「チッ。」
嘉島は、昨日の利根川の言いぐさを思い出し、再び腹を立てていた。
こんな晴れた日は訓練をすることが多い。案の定、練習機が3機ほど、格納庫から運び出されていった。
練習機は、特別に座席が2つずつついている。前方は運転者、後方は教官が乗る設定なのだという。洋上では、前方に若手、後方にベテラン飛行兵が乗ることがよくあった。
1機が艦上を航行している。綺麗なアーチを描いていた。
「きれーな操縦…。」
嘉島はたばこの煙をふーっと吐いた。訓練が終わればまた点検の任務がやってくるので、しばしの休憩時間だった。
「こんな綺麗な操縦できる奴がいるんだなぁ…。」
何も考えずに、素直に気持ちを口にし、パッと頭の中に諏訪の顔が浮かんだ。
一気に気分が悪くなり、まだ長いたばこを灰皿にたたきつけたのだった。
3機の小隊の飛行訓練が終盤を迎え、着陸体制に入る。そろそろ仕事だ。嘉島は甲板に向かって急いだ。
一機、また一機と母艦に着陸していく。今日は天気がいいので、甲板で整備するのも悪くない。そう思いながら、航空機を端に寄せていく。
最期の一機が着陸体制に入り、母艦に着艦する。決まって、艦尾より三本目の制動策にて動きを止めた。
操縦席から2人の人物が出てくる。1人は笹山飛行伍長、もう1人は言わずもがな…
グッ
相変わらず、飛行服のゴーグルの中、眉間に皺を寄せながら降りてくる利根川がいた。こちらをじっと見つめている。
サッ
俺は無意識で目線を逸らす。
なぜ俺がそらさにゃならんのだ。
自分の中で葛藤していると、珍しく何も言わずに利根川は飛行帽を脱ぎ始めた。いつもなら、整備の文句の一つでも言いにくるはずなのに。
なんだか調子が狂う…そんなことを思いながら、同僚と共に整備を始める嘉島だった。
短い訓練だったので、整備点検の所要時間も短く済んだ。いつでも出動できるように燃料を入れ、機体を布で拭き埃を取る。
やはり、航空機は綺麗だ。相葉を撫でるようにそっと機体を撫でる。
「ちょっと、日向ぼっこしような。」
声をかけた。
その時、後ろからグイッと肩を掴まれた。
「なっっ!?」
そのまま、腕を引っ張られ、甲板まで連れて行かれる。
その場に置かれていた練習機の操縦席を開くと、嘉島を担ぐように持ち上げ、後部座席にぶん投げた。
「いっでぇぇ!!」
尻をぶつけた。
恨めしげに前方の座席を睨んだ。諏訪三等飛行兵だった。
「てめぇ!!なんのつもりだ!?」
「黙って安全ベルトを締めろ。ポカンって口開けてっと舌噛むぞ。」
「何言って…」
ガガガガガガ
エンジンが入り、プロペラが回る。
まさか、この機体が動いている…??
前進する機体。まさかと飛ぶ気か…??
嘉島は急いで安全ベルトを着用した。
静かに動き出す機体がだんだん加速する。そして、重力がかかり、身体が浮かぶ感覚があった。離陸したのだ。
「うぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!」
空なんか飛んだことはない。初めて感じる空気の重さに、嘉島は叫び声を上げた。
そんなの気にすることなく、機体は艦上を航行する。くるりくるりと、まるで鳥のように機体が回る。
外から見ていても、操縦技術は見事であったが、中から見ていても、あまりに安定していて見事だった。
「本当は急降下したら面白いんだが、零戦は急降下するとエンジンが弾け飛んで炎上することがあるんだ。だから、やってやれねぇ。」
「なっ!?え、炎上!?」
嘉島は思わず、前の取手を握りしめた。
「ハハハハッ。そんなとこ持ったって、落ちる時は落ちるからな。2人もろとも助からねーよ。」
何も安心できない一言を吐かれた。
「大丈夫。俺が運転してるんだぜ?安心して乗っとけよ。」
そういうと、航空機は真っ直ぐと機体を安定させて航行した。
ビクビクとしていたが、だんだん身体も慣れてくるものだ。
初めての空の旅、俺は操縦席の窓越しからキョロキョロと景色を確認した。
「すげえ、雲の近くにいる…」
「だろ?」
「綿菓子みてぇ。」
食べたら甘いのかな?
「それ、大気のチリの塊だから汚いぞ?」
浪漫のない奴め。
俺は返事もせずにそっぽを向いた。
「雲は綺麗だ。でも、怖くもある。なぜだかわかるか?」
嘉島は首を振る。
「敵機が隠れてたら、確認が遅れるからな。一瞬さ、一瞬の油断で死ぬんだから。」
俺は黙って雲を見た。命を意識して、雲など見たことがなかった。
それでも、青と白のコントラストはとても綺麗で、俺はその景色に見惚れていたのだった。
「青に吸い込まれそーなのな。空の中では。」
「まぁな。」
「とっても、綺麗だ。」
「ほら、下、見てみろ。」
諏訪の言葉に、嘉島は下を向いた。
一面に海が広がっていた。その綺麗なコバルトブルーに黒く、航空機の影が映っていた。
「俺はこっちの景色のほうが好きだ。」
「うん。これは綺麗だな。」
太陽光が反射する海は、艦上から見るより美しい。空とはこんなにも澄んだところなのだと嘉島は感動を覚えていた。
「空が、好きなんだな。」
諏訪が言う。
「なんで、そう思う?」
嘉島が聞き返した。
「いつも甲板で煙草をふかしながら、空、みてるだろ?空が好きなんだなって思ってた。」
びっくりした。まさか、みられているとは思わなかった。
「おま、どこからみてたんだよ?」
「ココ。」
諏訪は座席を指差した。
なんだ、操縦しながら見ていたのか。なら仕方ないなと、嘉島は思った。
バレているなら仕方ない。もう少し、いつもより距離の近い空を堪能させてもらおうと思った。
沈黙。このまま、空と同化できたらどれほど嬉しいだろうか。嘉島はそんなことを思いながら、上空の晴天を見上げた。
「すまんかった…」
突如、ぽそりと諏訪がつぶやいた。
俺はハッと前を向き、操縦席の諏訪を見た。
「何が?」
「…昨日のことだよ。」
「殴ったことか?」
「それはお前も殴ったからおあいこだよ。それに、殴ったことは悪いと思ってない。」
このやろう
「じゃあなんだよ?」
嘉島が尋ねると、諏訪は珍しそうにモジモジと話し出した。
「甲板…」
「甲板?」
「俺は!君自身を否定する気なかった…でも、あの言い方じゃ、あれは駄目だ。だから、すまん。」
こちらを見ない。まぁ、操縦中だから仕方ないか。
どんな表情をしてるんだろうか。その表情を見てみたいと思った。
「まさか、お前…謝りたいがために航空機に乗せたのか?」
「…他に2人っきりになれる場所思い浮かばなかった。」
「っっ…ぷは!!お前、それは馬鹿だろう。もっと他に考えろよ。」
俺は思いっきり笑った。
「わ、笑うことないだろう!!俺は必死でさ!!」
ぷりぷりと怒る諏訪。それもまた、今の流れだと可愛く見えた。
「はー、おかしかった。」
一通り笑うと、諏訪は静かに着陸体制に入る。
俺も姿勢を正して、降りる準備をした。
その時だった。
パキンッ
「!?」
軽快なエンジン音の中に何か小さな雑音が聞こえた。
「今、なんか音、しなかったか!?」
「…したよ。」
「まさか、お前が言ってる音って、あの音か!?」
コクリ
諏訪は頷いた。
「着陸体制に入った時の雑音…角度が変わる…エンジン…角度…もしかして…」
嘉島はぶつぶつと何かを呟き出した。
体に振動が走る。
だが、体制を崩すほどの衝撃はない。
外を見た。きっちり三本目に止まっていた。俺は急いで航空機から降りると、作業用の手袋を嵌め、機体のエンジンカバーを外した。
「これだ!!エンジンオイルのネジが緩んでた。オイル交換の時に締めが緩かったのか…」
嘉島はチラリと諏訪を見た。
艦の壁に寄りかかるように立っていた。
嘉島は諏訪のそばまで歩いて行く。そして、ペコリと頭を下げた。
「すまん!!信じず悪かった!!」
「いいよ。不備部分がわかればそれで。」
俺はチラリと諏訪の顔を見た。真っ直ぐとこちらを見ていた。その表情に悪気は一切感じられなかった。
「俺はさ、怖いんだ。」
「何が、怖いんだ?」
「死ぬのが。」
「えっ!?」
嘉島はびっくりして諏訪の顔を見た。死にたくない、それは航空機乗りとしてあるまじき発言だった。
「死ぬのが怖いは語弊かな。死ぬのが怖いんじゃない。無駄死にするのが怖いんだ。どうせ死ぬなら、敵機を倒して死にたい。機体のトラブルで墜落して死ぬなんて、ごめんなんだ。死ぬときは自分で決めたい。敵機を一機でも多く堕として死にたいんだ。」
その瞳は、真っ直ぐだった。一流の操縦士だと思った。
ならば
「俺が、整備してやる。お前が死なないように。お前が堕ちないように。俺が必ず、完璧な状態で飛ばしてやる。」
諏訪が嘉島に視線を向けた。
そっと手を差し出した。
嘉島はにっこり笑うと、諏訪の手を握り返したのだった。
これが問題児コンビの誕生の瞬間であった。
もちろん、無断飛行で再び甲板掃除を命じられたのは言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます