砂漠女に手料理を
kae
第1話 ポンコツ男
「えーん。美味しいよ~」
「おい、ご飯食べただけで泣くな! そんなにお腹空いていたのか?」
部長の手料理は、乾いた私の心に染み入るほど美味しかった。
日本酒を飲んだせいもあって、涙が止まらない。
「お腹はすいてないです。でも私……長年人の優しさに飢えていたみたいです」
「長年って……。今日まで彼氏いたんじゃ。あ、いやスマン」
「いいんですよ部長。むしろ聞いてください! 私、東京に出てきてから8年間、自分以外の人が作ってくれた料理を食べたのは初めてなんです!」
*****
仕事のお昼休み、会社近くのオフィス街にある、今話題のオシャレなオープンカフェ。
そのテラスのテーブル席に、私、秋山雫と、大学時代からの恋人である浅岡蒼汰は見つめ合って座っていた。
都心のオフィス街には贅沢なことに、広いガーデンテラスのあるカフェで、テラス席を囲う柵には植物の蔦が這って、ビジネス街を覆い隠してくれている。
更にテーブルとテーブルの間には、これまた本物の小さな観葉樹が植えられていて、自分が今、森林の中にいるような錯覚さえしてくる。
1年前にオープンして以来、私の会社にも近い事だし、何度も蒼汰に一緒に行ってみたいと話していた。
蒼汰には研修医だから時間がないといつも流されていたけれど。
それが今日、ようやく誘ってもらえたのだ。
離れた席から、「あれ第二営業部の秋山さんじゃない? こんなカフェにくるなんて珍しい」なんていうとげとげしい声が聞こえる気がする。
いつもなら気に障るその声が、今日ばかりは祝福の鐘の音にすら聞こえた。
今の私は、学生時代から変わらず、少年のように希望に満ち溢れキラキラと輝く蒼汰の瞳や、少しフワリとさせたマッシュの、うす茶の髪しか目に入らない。
テラスの花々もキラキラと輝いて見え、まるで夢の世界にいるみたいな心地だ。
ついにこの春、蒼汰が研修医を修了して、私の会社近くのクリニックに就職していた。
彼がまだ学生時代に、ひとり暮らしの私のマンションに転がり込んできてから6年間、ずっと彼を支えてきた。
毎日忙しい彼の代わりに家事をして、ろくにデートができなくても我慢してきたのは全部この日のため。
ちなみに家賃も生活費ももらっていない。
家賃はもともと一人暮らしをして自分で払っていたのだし、研修医のお給料はとても安いと聞いていたから。
だけどついに正式なお医者さんになった彼。就職して一か月、そろそろ新しい職場にも慣れた頃だろう。
そして今日は、私の誕生日だった。
『今日の昼、抜けられる? こないだ雫が行きたがってたカフェで、昼一緒に食べようよ』
そうメッセージがきたとき、今まで我慢してきた分も、幸せに満ち溢れた。
――まさかプロポーズ? なんて。さすがにお昼休憩中に慌ただしいからしないか。きっと夜はいつも通り忙しくてお祝いできないから、お昼に誘ってくれたんだ。嬉しい!!
顔が思わずにやけてしまう。
今、世界中を探しても、私よりも幸せな人はいないだろう。
学生時代、勇気をだしてインカレの飲み会に参加してよかった。そこで他大学の蒼汰と出会えたから。
医学部の蒼汰と付き合えて、蒼汰を狙ってた女の子に妬まれて、悪口を流されて、気が付けば大学内でほとんどの女子たちから無視されるようになった。
それ以来、なぜかどこへいってもあまり人付き合いが上手くいかなくて、友人といえる友人もいなくなってしまったけど。
でも私には素敵な彼氏がいる。頑張り屋さんで、お医者様になった、蒼汰がいてくれる!!
蒼汰は今年30歳。私は今26歳だから、年齢的にもどうしても結婚のことを意識してしまう。
「雫の頼んだ料理、そば粉クレープっていうの? 美味しそうだな」
「一口食べる?」
「お、いいの? ラッキー」
がっつり3分の1ほど切り取られたクレープも、その代わりに自分の料理を分けてくれる様子もない蒼汰も、今日は全然気にならない。
「お、美味い!」
「ね。美味しいよね」
それよりも、同じものを食べて感想を言い合えることが幸せだった。
「あのさ雫。今までありがとうな。俺地方から出てきて、奨学金で大学通ってたし。親からの仕送りもそんなになくてさ。雫が支えてくれなかったら、今頃医者になれてなかったよ」
「そんな……蒼汰が頑張ったからだよ。勉強で忙しくて、アルバイトもできなかったよね」
「そうなんだよな。だから本当に、雫には感謝してるよ」
「いいの。どうせ元々一人暮らしで家賃は払っていたんだし。食費も自炊してれば、一人分も二人分もそんなに違わないって!」
「だよな!」
これはちょっと嘘だ。本当は家賃も食費も光熱費も、結構大変だった。
私が会社に就職してから引っ越した今のマンションは、蒼汰がいることを考えて少し大きめの部屋にしたので、家賃も以前より比べ物にならないほど高い。
――まあこれからよね。これからは蒼汰も生活費を払ってくれるはずだから。
「あーよかった。そう言ってもらえて。ホッとしたよ。それでさ、俺達もう別れよう」
「え?」
「そろそろ別れようぜ、俺達。最近ろくにデートもしてなくて、会話も減ってきたしさ。倦怠期っていうの? 好きでもないのにダラダラ付き合っていても、仕方ないだろう? 雫ももう若くないんだからさ」
「はあ?」
「実は俺、クリニックの院長の娘に気に入られちゃって。うまくいけば婚約って話に今なってるんだ。俺、浮気とかそういうのよくないと思って。いくらもうほとんどただの同居人みたいな関係だとしても、そこはしっかりと雫と別れて、けじめ付けたくてさ」
相変わらず、少年のようなキラキラした瞳で、上目づかいをしてくる。
これは「蒼汰すごーい」って褒めてほしいという合図だ。
――蒼汰すごーい。院長の娘と婚約する前に、浮気とかしたくないから6年間支えてきてくれた彼女をきっぱりと整理するんだね。さすが!
……って褒めろってこと!?
熱々になっていた心が、ジューッという音を立てて急速に冷やされていく。
急激な寒暖差に眩暈がしそうだ。
――まさか。まさかそんなことあるわけ……。
思いついてしまった可能性に、目の前の景色がグワングワンと揺れて、まるで夢の世界にいるようだ。もちろん悪夢のほう。
「それでさ、雫に頼みがあるんだけど。別れても正式に院長の娘と婚約できるまで、今まで通りマンションに住まわせてくれない? 同棲じゃなくて、同居ってことで。結婚したら院長がマンション買ってくれるっていってくれるんだけどさ。それまでの間、数か月だけ住む場所探すのも面倒くさくって。まだ奨学金残ってるから節約したいし」
「……ええっと……」
頭の機能が停止して、何も考えられない。
取り合えずキョロキョロと、なにかいい物がないかと探す私。
視界の隅にオリーブオイルが目に入るけれど、さすがにそれはちょっと勇気がでない。
「こちらをどうぞ」
「……ああ。ありがとう」
なぜかこの絶妙なタイミングで、格好いいギャルソン姿の男性店員さんが、お代わり用の水をピッチャーごと渡してくれた。
「はーすっきりした。さすがにちょっと罪悪感あったんだけどさ。思い切って雫と話してよかったよ。肩の荷が下りた」
「……」
「さ、食べよ食べよ。さすがにこの店は俺が奢るよ。あ、でも残りの期間の生活費は、これまで通りお前持ちだからなー(笑)」
バッシャーン!!
優にコップ10杯分はあろうというピッチャー水を、外さないように慎重に狙って目の前の蒼汰にぶちまける。
先ほどまでは可愛くて仕方ないと思っていた蒼汰の髪は、水に塗れてぺシャリと彼の額に張り付き、枯れたワカメに変身していた。
「な……なにをするんだ! 酷いよ雫!!」
――殴りたい。この男を力いっぱいボッコボコに殴って今すぐ黙らせたい。
酷いよ、ですって? 何が? 水をかけたのが? 水よ水? オイルじゃなくて、水。
こんな時までオイルじゃなくて水を選ぶ自分が優しすぎて、惨めで、体の震えが止まらない。
「おい! 何か言えよ! しず……」
「二度と!!!!」
「……!?」
キャンキャン吠える蒼汰を、10倍の声量で、黙らせる。
蒼汰だけでなく、カフェのガーデンテラスの客全員が、いや道路を歩く人々までもが立ち止まり、静まり返ってしまった。
「二度と私の前に現れないでちょうだい! このポンコツ男がぁ!!」
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