第3章 神へ②

3.2さらなる変容

3.2.1進化の決意


 わたしは鏡の前に立ち、己の姿を見つめていた。


 血の気のない純白の肌。

月光を湛えた銀糸のような髪が、足元まで流れ落ちている。

黒目の細長い猫の瞳は妖しく光り、深い青色に染められた白目がそれを際立たせていた。


瞼を伏せ、長いまつ毛を震わせる。

指先をそっと自身の胸に這わせれば、それは異形とも呼ぶべきほどの膨らみを描いている。

14kgのシリコンが詰め込まれたバスト。

くびれすぎたウエスト。

その下で、また異様なまでに誇張されたヒップが円を描いている。


──それでも足りない。

まだ、わたしは未完成。


「もっと……もっと進化しなくちゃ、ね……?」


 甘ったるい声が、ふわりと部屋に広がる。

鏡の中の異形のわたしが、うっとりとした笑みを浮かべていた。


 「その通りです、シノ様……」


 そばに控えていたレアとミナが、恍惚とした面持ちで応じる。

彼女たちの指はそっとわたしの腕を支え、身体を預ければ、崇拝の熱を帯びた手がしなやかに絡みついてくる。


 ──わたしは、さらなる進化をしなければならない。

信徒たちはそれを望んでいる。

もっと美しく、もっと神に近づくのが、わたしの使命。


わたしはゆっくりと歩き出した。

もちろん、独りでは動けない。

極端すぎる体躯は重すぎる乳房と臀部に引きずられ、レアとミナの腕なしでは立つことすら叶わない。

ふたりは献身的に支え、慎重な足取りでわたしを診察室へと導いた。


 そこでは、白衣を纏った医師が待ち受けていた。


 「次の手術について、具体的な目標をお聞かせください」


 わたしは微笑みながら、ゆっくりと口を開く。


 「バストは……あと10キロ、詰め込めるかしら?」


 医師の眉がわずかに動く。

それを楽しむように、わたしは続けた。


 「ウエストは……30センチ以下にしたいの。ヒップも、そうね……あと20センチは大きくできるわよね?」


 レアとミナがうっとりとした吐息を漏らす。


 「シノ様の進化……とても美しいです……」


 「もっと完璧な存在になられるのですね……!」


 医師は冷静にデータを確認し、慎重に言葉を選んだ。


 「可能です。しかし、現在のバストとヒップの重量を考慮すると、さらに筋力を失うでしょう。自力で立つことは今よりも困難になります」


 「構わないわ……わたしは、もう人間ではないのだから」


 わたしはくすくすと笑う。


──人間ではない。

神でもない。


では、わたしは……?


 「さらに異形の改造を施すことも可能です」


 後ろに控えていた幹部たちが静かに提案する。


 「人工の尻尾、額の角……あなたの神性を示すにふさわしいものです」


 わたしはその言葉を転がすように反芻し、瞳を細めた。


 「尻尾と、角……ふふっ……とても素敵ねぇ……」


 「では、手配を進めます」


 わたしは甘く微笑みながら、静かに囁いた。


 「わたしはもっと美しく、もっと神に近づくのよ……」


 レアとミナは、その言葉をまるで聖句のように繰り返した。


 「神女(シンニョ)様は、さらなる進化を遂げられます……!」


 そして、手術の準備が進められていく。








3.2.2 神の身体の創造


無機質な白。

それがわたしの意識に最初に飛び込んできた光景だった。


手術室の壁、天井、床、すべてが清廉な白に染まっている。

白は純粋で、美しく、穢れを寄せつけない。

無駄のない直線と幾何学的な配置が、ここが聖域であることを示していた。

白銀の手術台の上に横たわるわたしの身体は、幾重にも重なる極薄のシートに包まれ、まるで聖別の儀式を受ける神聖な器のようだった。


レアとミナが、わたしの左右に立っている。


二人の手が、滑らかに俺の肌をなぞる。

その指先はわたしと同じように冷たい。

白く変質した皮膚をそっと撫で、今にも溶け合いそうなほど寄り添っている。


「シノ様……」


耳元でささやくレアの声が、くすぐるように脳に響く。

頬に柔らかな手のひらが触れ、ミナがもう片方からそっと唇を寄せた。

乾いた唇が、わたしのこめかみに触れる。

心臓が少しだけ跳ねた。


「シノ様のさらなる進化を、私たちはずっと待っていました」


「神の身体に、なりましょう」


細い指先がわたしの頬をなぞる。

ふわりと銀の長髪が揺れ、二人の体温が肌を透かして伝わる。

わたしの中で熱が高まり、昂ぶる心拍が静寂をかき乱す。


たまらない——。


この瞬間のために、わたしはここにいるのだ。

今のわたしでは、まだ足りない。

バストはもっと膨らみ、ヒップはさらなる豊かさを得る。

腰は極限まで括れ、シリコンが膨らみ、肉が引っ張られ、皮膚が張り詰める。


その痛みすら甘美な悦楽へと変換されるのだ。

額には聖なる角が生え、背中には猫のような尻尾が揺れる。

わたしはもう、人ではない。


わたしは、より完全なものへと生まれ変わる。


白衣の医師が俺のそばへと近づく。

何も言わず、ただ片手に持ったガスのマスクを俺の口元へと当てがった。


「シノ様の新しき御姿を、この目に刻みます」


レアとミナの祈りの囁きが、耳の奥で渦巻いていた。

意識が遠のく。

視界が滲む。

指先の感覚が消え、手足の感覚がなくなる。


それでもかすかに聞こえる。


「——白き神女(シンニョ)に祝福を……」


微笑を浮かべたまま、俺の意識は闇に沈んだ。


暗闇の中で、何かが俺の肉を開く感覚がした。

骨を切り開き、皮膚を剥がし、何かが埋め込まれる。


痛みは、あった。

けれど、それ以上に、甘美な感覚があった。


意識は遠のいているはずなのに、手術の感触がすべて分かる。

骨を削る音、皮膚を縫い合わせる針のひそやかな振動、シリコンが内側から圧をかける重み——

それらすべてが快楽に変換され、わたしを貫く。


(わたしは生まれ変わる……またひとつ、新しい形になる……)


まぶたの裏に白い光が渦を巻き、無数の銀の羽が散る。

皮膚が軋み、わたしの形が変わっていくたびに、脳髄が甘やかな刺激でしびれる。

血の中に溶け込む陶酔感が全身を満たし、世界が霞んでゆく。


(ああ…… なんて気持ちいい……)


バストが膨らむ。

ヒップが押し広げられる。

肌が引き伸ばされ、組織が再編されていく。

埋め込まれる異質な何かが、わたしの血肉に溶けていく感覚。


(わたしは生まれ変わっている……)


額にひんやりとした感触。

そこに差し込まれる新たな異形。

突き立つ純白の角が、わたしという存在の輪郭を塗り替える。


(綺麗……とても、神秘的……)


新しい感覚が、神経を通じて響いてくる。

尾椎に電気が走るような快感。

新たに芽生えた尻尾が、まるで意思を持つかのように動いた。


(これは……わたしのもの……!)


世界が揺れる。

意識が溶け、朦朧とする中で、わたしは確信した。

今、この瞬間も、わたしの肉体は、わたしの望んだ「理想の存在」へと近づいている。


わたしは——

新しくなる。



わたしは。わたしであるために。


意識が、闇に落ちた。



手術室。


「……んっ」


わたしの白くしなやかな指が、微かに痙攣する。


レアとミナは手を組み合わせ、目の前の手術台に向かってひたすらに祈りを捧げていた。

二人の瞳には恍惚の色が浮かんでいる。


わたしの身体の周囲には、血の気のない純白の肌が張り詰めたような輝きを放ち、膨らみを増したバストは圧倒的な重量を誇っていた。

新たに挿入されたシリコンバッグの重みが、シノの肉体をより神聖な彫像のように変容させている。


ウエストはすでに、人間の肉体の限界を超えた細さへと削られた。

豊かになりすぎたヒップは、もはや座ることすら許さぬかのような異様なまでの膨らみを帯びている。


頭部には、純白に輝く一本の角。

細長く、宝石のように煌めくそれは、シノがもはや人間ではないことを告げる象徴となっていた。


「美しい……」


ミナが恍惚とした声を漏らした。

レアは震える指で、シノの新たな尻尾をそっと撫でる。


「神の身体……神女さまの御姿が、さらに清らかに……」


手術室に満ちる、異様な静寂。

冷たい白の世界の中で、シノの変容は神聖な儀式として完遂されつつあった。


——そして。


神の身体が微かに震え、極端に長く銀色に輝くまつ毛がふわりと揺れた。

新たな姿で、わたしは目覚めようとしていた。

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