第10話

情感を頭に叩き込む……

寧々は早朝の発声練習をした後で河原に座り込んだ。

お姉ちゃんが大好きな妹。

多彩な恋をする姉。夜の世界から

蝶と呼ばれている姉を見る妹の気持ち。

分からないなー!

寧々は頭を抱えてしまった。


「情感を頭に叩き込めって言われたのか」

いつの間にか矢野が隣に座っていた。

「でもね、いっちゃんそんな事言われたって私兄妹いないしさ……でもね。思い出した事があるの」

矢野は促すように寧々を見ている。

「子供の頃、お父さんとお母さんが別れて……あの頃お母さんは家の中じゃなくてテレビの中にいた。多彩な恋愛を繰り返して娘はお手伝いさんに任せっぱなし。私はお母さんが大嫌いだった。お母さんは私より女優の方が大事なんだって」

矢野は黙って寧々の話を聞いている。

「あるオフの日、お母さんが手料理作ってくれたの。でも私は癇癪を起こしてその料理を全部ぶちまけたの」

「何でそんな事したの?」

「母親ズラして欲しくなかったから。

私は本当はお父さんの所に行きたかったの。耐えられなくてお父さんの所に行ったのよ。でもお父さんには既にお腹の大きな奥さんがいた。お父さんは笑って言ったわ。お前はお母さんの所へ帰りなさいって」

矢野は労わるように寧々の手を包み込むように握った。

「お母さんは泣きながら料理を片付けていた。でもそれ見ても何とも思わなかったんだよね。冷たい娘だよね」

寧々は涙ぐんでいた。

「お母さんの出ているドラマは絶対に見なかった。私はお母さんが大嫌いだった。でも反面友達がお母さんと仲良くしているのを見ると羨ましくて……」

矢野は優しく寧々の頭に手を掛けた。

「小学校5年の時、私は家出したの。

街をぶらついて夜中になっても帰らなかった」

「その話は聞いてるよ。真理子は半狂乱で君を探し回った。撮影も全部放り投げてね。生きた心地がしなかった。あんな思いはもう二度としたくないって言ってた」

「警察に保護されていた私に駆け寄り母は私を思い切り抱きしめた。

いつも髪型もメイクも決まっていなかった事がなかった母が、髪はめちゃくちゃ、メイクはハゲて、服はヨレヨレ。母は泣き叫んだの。

どんなに心配したか!もうこんな思いさせないで!……演技じゃない、本当の涙だった」

「真理子は君を愛している。自分自身よりも

ね」

「それを知った後、私は初めて母と色々な話をしたの。そして母の出ているドラマを初めて見た。そこに出ていた母は輝いていた。母を夢中にさせる女優というものに興味を持ったのはその時だった」

矢野は優しく寧々を見つめた。

「寧々には寧々が生きて来た道がある。それを素直に演技に出せばいい」

「私の15年間をこの演技に……綾にぶつけるって事?」

「そう、そうしたら絵里香は必ず受け止めるから」

「絵里香さんっていっちゃんにとってどういう存在なの?」

「青春だな」

「青春?」

「そう、お前はこれからそれが始まる。誰かに憧れ、誰かを愛し、泣いて、落ち込み、また立ち上がる…… 」

矢野は立ち上がると、寧々を立ち上がらせた。

「帰ろう。真理子が朝ご飯の支度をして待っているからな」

「いっちゃん、お母さんと結婚した事後悔していない?」

「全くないな。俺、今幸せだから。真理子も寧々もそうだからかな」

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