第2話 破れ舟の真言僧

 苗がいなくなって、二十年余が過ぎた。

 オギヤカが去り、尚真王も崩御ほうぎょし、世はその子、尚清王の時代へと移っていた。

 何かの折りに、かつてこの村に、神威高セジだかく美しいノロがいた、という話が出ることもあったが、苗のことをおぼえている者も、だいぶ減っていた。

 

 この年、ある出来事できごとが、人々の口をにぎわせた。

 ぶねにのったひとりの真言僧が、大和から流されて、金武きんの海岸に漂着ひょうちゃくした。それがとても神威セジ高い僧であるという。


 ――大和ではのう、昔から、徳をんでえらくなった坊さんは、たったひとりで舟に乗って、ニライカナイを目指めざすのだそうじゃ。

 ああ、えらい修行もあったもんじゃあ。

 わずかばかりの水と食い物だけ積んでよ。しかも、せまくて暗い船底ふなぞこに入ると、くぎが打たれて、もう二度と、外へは出られんという。

 もちろん、舟をいだり、かじを切ったり、帆をあやつることなど、一切できんぞ。ただただ念仏だけをとなえてのう、一切合切いっさいかっさいのすべてを、神さまにゆだねるのじゃ。

 ――。

 そりゃあそうじゃ。

 ニライカナイに着かなければ、もちろん水も飯も、いずれ尽き果ててしもうぞ。そうなればもう、大海原おおうなばらでたったひとり、飢えと渇きにもがき苦しんで、死ぬしかないのじゃ。

 いざというときのためにのぅ、舟の底には穴をけておいてのぅ、その時がくれば、せんを抜いてみずから舟を沈めたり、なかには、身を投げるとき、ふところに抱く石を積んでゆくお坊さんもあるそうじゃ。

 それはそれは、きびしいきびしい航海じゃあ。命がけの、それはそれは、大変な修行なのじゃ。

 それがのう、ときどき、しおの狂う年がある、そのようなとき、琉球に流されてくることがあるのじゃ――。


 あたたかな晩春の午后ごご

 村祭りを終えたあとの世間話で、茶をすすりながら、村掟は、おそらく首里あたりから聞いたことを、まるで自分が航海してきたかのように、物知ものしがおで、みんなに語った。

 村掟といっても、かつて苗に漢字を手ほどきした彼は亡くなり、別の者である。

 その、大和から流されてきたという高僧は、今、金武きんきょをかまえているという。人々を苦しめている物の怪を、法力によって退治しているらしい。


 それから、なんでも、その真言僧の周辺には、ときどき、目をぬぐわずにはおれぬような美しい婦人が出没するのだという。

 それは、上人しょうにんさまが勧請かんじょうした菩薩ぼさつであろう、いいや、彼をたぶらかそうとする魔性ましょうのものにちがいない、などと、皆、好き好きに、浮世話うきよばなしに尾ひれを付けていた。


「その上人さまは、坊さまと云いましたかえ?」

「おお、そのように聞いておるがの……。それがなにか」

「いえ、なんでも」

 そろそろ老いをむかえた棚原のノロは、顔いっぱいにしわをよせて、そのうわさ話を、うれしそうに聞いていた。


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