第4話 フタは開かれた

 尚真王が、ひつの中をのぞきむ。

 しばらくうつ向いていた尚真王の顔に、みるみるうちに赤みが差してゆく。伏せぎみのおもての、その黒い瞳だけがぐいっとあがって、木田をぎろりとめつけた。

 櫃の中には、灰色の大きなネズミが一匹、うずくまっていた。

「一匹、ではないか……」

 尚真王の肩が、大きく二三度、上下した。

「木田ぁ! おのれっ、ワシをだましておったな! 予はずっと信じておったぞ! ええい、打首じゃ!」

 待っていたかのように官吏が数名、ドタドタと踏み込んでくると、一言を発する間もなく、木田大時は、引きずられるように、書院から連れ出されていった。


 蓋を開けた御医頭ごいがしらは、腰がくだけたように、尻をついて放心している。

「わっはっは、とうとう化けの皮が剥がれたわい」

「自分のことすら、見透みとおせなかったようですぞ」

 三司官や神女らの笑いを最後に、座は、気まずい沈黙に支配された。

 脇息きょうそくひじをのせてもたれかかったまま、怒りにうち震える国王の肩が、まだ上下していた。


 裏切られた。

 信じ切っていた木田に、裏切られていた。

 王府にいる者たちと、木田はちがっていた。腹になにかをめているようなふうがなかった。安心できた。涼し気な眼が、誠実であった。歳も近かったこともあろう、親しみをこえた、主従以上の何かを、感じてはじめていたところだった。権謀術数の巣窟そうくつにあって、気を許せる、たったひとりの人間だった。

 「友」とはこういうものをいうのかも知らぬ。

 そう思っていた。

 それが……。

 このワシはおろかにも、いままで虚言きょげんをありがたがって、それに従っていたというのか……。東が良しといえば東へゆき、西が良しといえば西に行った。これではただの木偶でくではないか。さては腹の中ではワシをわらっておったというか。下郎めが!

 うかつに人を信じた己の未熟を恥じた。臣下たちのまえに自分の愚かさをおおやけされた気がした。

 生まれたときから陰謀ばかりの黒い世であった。木田は、そこに流れる清流のようだった。

 もしかすると、人の世とは、良いものかも知らぬ。

 そう思わせてくれた。

 しかし、それはやはりまぼろしだった。

 


 ゆっくりと息をととのえるが、木田を心底しんそこ信じていただけに、腹の虫は、おさまらない。

 息の詰まるような静寂の中、コツコツと脇息のを指で叩く音ばかりがひびく。アゴひげをなでるもう片方の手が、まだ怒りに震えていた。

「ええい! いまいましい!」

 そう怒鳴った尚真王は、目の前のネズミのひつをたたき払った。

 櫃がひっくり返り、ころげ出たネズミが、チョロチョロと右に左に、臣下たちのあいだをすり抜けて、壁沿いに逃げ去っていった。


 国王の憤怒ふんぬ形相ぎょうそうに、座は息を呑んで固まっている。

 と、逆さまになった櫃の中に、チイチイ、と音がする。

 はて、ネズミは今、逃げたはずだが……。

 不思議に思った官の一人が、にじり寄ってひつを持ち上げた次の瞬間、一同は、ああっ! と声をあげた。

 桃色の子ネズミが四匹、櫃の形そのままに、丸く固まっていた。

御主加那志前うしゅがなしめぇ! ネ、ネズミは、ぜんぶで、五匹……、五匹でございます!」

 櫃の中で、ネズミが子を産んでいた。


 皆、言葉を失い、国王もまた凍りついていた。

 ごくりとひとつ息を呑んで、我にかえった国王が、悲鳴のように叫んだ。

「だ、誰か! 早く、早く馬を! 馬を出せ! 木田を、木田を、死刑をただちにめよ!」

 一同ただぼう然として、動こうとする者はない。

「ワシが参る!」

 そう叫んで阿波根里主あはごんさとぬしが立ち上がり、ふすまを蹴破けやぶって、外へ飛び出した。


 死刑場のある安謝湊あじゃみなとまでは約一里半。大時が連れ出されてから、どのくらい経ったろう。

 間に合うか。

 阿波根はむちを振りつづけた。鬼神のように駆けた。首里の坂を飛ぶように下り、松林を走った。国王さえ下馬するという神聖な国廟、崇元寺の前を、疾風のように駆け抜けた。

 衆人を散らし、集落を突っ切り、刑場へと至る最後の丘を駆け上がる。

「中止じゃあ! 中止じゃあ! 木田どのの刑は、中止じゃあ! 首里天加那志の勅令ぞおおお!」

 道半みちなかばから阿波根は叫び、早馬はいななきながら到着したちょうどそのとき、高々と振り上げられた首討役の刀が、空中に大きな弧を描いて、銀にひらめいた。

「おのれらあ!」

 阿波根は、怒りにまかせ、首討役ら三人を、その場でたたき切った。


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