第25話

 何かあるわけではない、そこに線を引いたのは人間だから。だがそれでもこの線を越えることを目指してきた。超えたことで一気に脱力した。

 あぁ、きっと皇后さまも喜んでくださる。


 力の抜けたラーシュの体をウェスティンが後ろから支えられた。

 安心している場合ではなかった、我に返って辺りを見回す。

「あの、みんなは?」

 視線をさまよわせるがそれらしい人影は見えない。落ち込みそうになるのをぐっとこらえて再度辺りを見回す。そんなラーシュの肩をウェスティンが片腕で抱き締める。

「この領の領館で待とう。ラーシュも疲れているだろう?」

 心は待ちたかったが、体はこの緊張で張り詰めた夜を超え、疲労でくたくただった。ウェスティンは返事を待たずエッタを進ませた。

 領館は国境から近い場所にあった。

「あそこからでも国境は見張れるから」

 ウェスティンの気遣いにラーシュはうなずいた。


 領館は館というよりは要塞のようだった。四方に壁があり、物見の塔もある。近くに森があり、国境も近いためにそのようなつくりになったのだろう。ポーシャの街に似ていた。門をくぐると中は広く。大きな邸宅と広場があった。


 エッタから降りると、足がふらつく。追われながら夜通し走るのはやはり体に負担がかかっていたようだ。それでもまだ、皆の顔をみるまでは安心できない。

 そう思って物見の塔へ行こうとすると、背中から文字通り足をすくわれた。気付けばウェスティンがラーシュ横抱きにしている。



「誰かが帰ってくれば、教えてくれるからいったんしっかり休もう」

 ウェスティンはそう言ってずんずんと館の中に入っていた。

「ウェスティン様。おかえりなさい」

 中では騎士たちが二人を迎えてくれた。ラーシュがウェスティンの顔を見上げる。

「この辺境領は騎士団の管轄で、ここは私が管理している家だよ。驚いた?」

 ラーシュはぐっと前立てを握りこんでうなずく。当たり前だが立派な建物を前にやはりウェスティンは尊い身分の人なのだと実感する。


「とりあえず、部屋に案内するから休もう。詳しい話はそれからだ」

 ウェスティンはそのまままっすぐ歩いて奥の部屋を開く。そこには天蓋付きのベッドが部屋の中央にあった。

「風呂の用意はできております。どうぞ」

 後ろをついてきていた騎士が案内する。ウェスティンはそれにうなずくと、部屋の奥に進んでいく。

 脱衣室に下ろされてホッとしていると、ウェスティンがどんどんとラーシュの服のボタンを外していく。

「え、あの……」

「洗ってあげるよ?」

 ウェスティンがにっこりと邪気のない笑顔を浮かべる。疲れているから心配なのだろうか。だが、ウェスティン相手にそれはかなり恥ずかしい。

「あの、一人でできます」

 ウェスティンがラーシュのシャツを脱がす手を止めて、こてんと首をかしげる。

「でも、疲れてるでしょ?心配だよ」

 あぁ、やっぱり心配をしてくれていたのか。なんだか、善意に対して不埒な勘繰りで拒絶するのもよくないかもしれない。

「あの、でも……」

「初めてじゃないでしょ」

 大使館の時のことを言っているのだろうか。それとも川での水かけっこのことか。ラーシュは考え込んでいる間に全裸に剥かれる。そしてそのまま風呂に浸けられた。

「はい、いいこ」

 ウェスティンがラーシュの頭を撫でる。騎士の気遣いなのか、お湯は白く濁っていて浸かってしまえば見えないだろう。ラーシュは顎まで浸かってウェスティンを見る。ウェスティンは嬉しそうに腕まくりをしている。これでいいのだろうか。

 ラーシュがおとなしくしていると、ウェスティンの瞳はこころなしかキラキラと輝いていた。

「やっぱりラーシュは危なっかしいね」

 そう言ってにやりと口角を上げる。ラーシュが眉を寄せると「流されやすい」とつぶやかれた。そのまま、ラーシュはウェスティンの手でぴかぴかに磨かれた。恥ずかしさと、疲れがどっと押し寄せて意識が遠のいた。



 ラーシュが目を覚ましたのは、日も傾きかけたころだ。のろのろと起き上がるとヨルディスとウンソンが心配そうにこちらを見上げていた。

『大丈夫?』

 ラーシュは指先で二人の精霊を撫でた。

「うん、よく寝たみたいだね。すごく元気だ」

 そう答えたラーシュにクスクスと笑い声をあげた。

「ヨルディス、ウンソンありがとう」

「どういたしまして」

 そうしていると、ノックの音とともにウェスティンが入ってきた。

「おはよう。ラーシュ。本当に疲れていたみたいだね」

 そう言ってベッドの側に椅子を引いて座った。

「ええ、よく寝たみたいで……今はとても元気です」

 しっかり一番上のボタンが留まっているのを確認しながらラーシュは顔を赤らめて答える。ウェスティンは口角を上げてほほ笑んだ。眠りこける前のことを思いだして、なんとなく気まずい沈黙が過ぎる。

「そっか。よかった……」

「あの……みんなは?」

「続々と帰着しているよ」

「えっと……まだ帰ってこない人が?」

 ウェスティンは少し言いにくそうにして眉を下げる。

「うん、どうやらマティアスたちの班はニコラウスに捕まったみたいだ」

 ラーシュは目を見開いてウェスティンを見た。

「安心して危害などは加えられていない。だが……どういう経緯か護衛として雇われてね。ナーハルテトの王都に送っていると鳥便が来た」

 一瞬、水に沈むような感覚がした。マティアスがニコラウスの護衛を……。なんでそんなことになったのだろう。それよりも今マティアスの側にニコラウスがいるということがすごく嫌だ。きっと、ニコラウスはそれを見越してマティアスを雇うなどといったに違いない。


 思わず布団を指が白くなるまでぎゅっと握っていた。

 ウェスティンはそんなラーシュを観察するように見ている。

「それで、ラーシュはどうする?どうしたい?」

 ウェスティンはラーシュの手を柔らかくほどく。

「わたしは……」

 たしかにニコラウスは気になるが、ここに来た目的は皇后さまの遺灰を彼女の産まれた土地に帰すことだ。それはマティアスとも約束をしたことだ。


「皇后さまの遺灰を故郷まで帰しに行きたい」

「……うん。わかった」

 ウェスティンはうなずいてから、ラーシュの手の甲をポンと叩いた。出発は明日にして、また、晩御飯時に迎えに来るとウェスティンは部屋を出ていった。

 ひとりにしてくれるのは彼なりの気遣いだろう。


 ウェスティンが出ていくのを見送ると、ラーシュはベッドの上に座った。

 マティアスはニコラウスの側にいるのか。

 それがなぜか嫌だった……すごく。

 もやもやとする心を晴らすため、手のひらの上に火をともした、マティアスからもらった魔力だ。炎の揺らぎを見ると落ち着く。「怖がりすぎるな、弟だろう?」と言った彼の声を思いだして少し冷静になれた。

 ニコラウスともしっかりと話をしなければならないと思った。旅の目的を果たしたら、ニコラウスと向き合う。


 ラーシュは決意を改めた。



 晩御飯のため食堂に行くとあのポーシャの街で出会った皆が顔をそろえていた。彼らも到着後の休養を取っていたようで、顔色もよさそうだった。

 テーブルの上には料理が並んだ。香草の匂いが食欲を掻き立てる。骨のついた肉や、山盛りの卵と、ふかし芋。パンも焼き立てらしく湯気が立っている。皆の瞳がキラキラと輝いていた。


「皆、食事をしながら聞いてほしい。明日はここから北の領エラート領に行く。ベラルヘンの皇后さまのご出身、侯爵領だ」

 ウェスティンがそう言うと、皆は顔を引き締めて「はい」と声をそろえて返事をした。

「ラーシュ。それでいいね?」

「はい。それであの……ニコラウスが王都に来ているのなら、わたしもそこに行きたいです」

「分かった」

 ウェスティンは優しく目を細めてうなずいた。ラーシュの決意に気づいているのだろう。ラーシュはここまで助けてくれた騎士の皆の顔を見回す、また彼らを自分のわがままで振り回すことになる。

 恐る恐る見た彼らの顔はウェスティンとおなじく柔らかな笑みを浮かべうなずいている。

「ありがとう、ございます」

 自分がベラルヘンで築けなかったのはこういう関係だ。ウェスティンを信じ、ウェスティンが決めたから従う。ウェスティンを信用しているからこそ、ラーシュにも力を貸してくれる。自分に足りなかったものは何だろう。なんだかうらやましくて困ってしまう。


「よし、じゃあ。明日に備えて食べよう!」

 ウェスティンの明るい声に皆がこぶしを上げて答えた。陽気で優しくて良い騎士たちだ。そうか、彼らはずっと、旅を影で支えてくれていたのかもしれない。森に入ったのに魔獣に遭わなかったこと。森の中でも平和に野宿ができたことを思い返した。

 自分が世間知らずだと言うことが身に染みる。なおさら、やるべきことを果たすことが彼らに報いることになるのではないだろうか。

「皆さん、本当にありがとうございます。よろしくお願いします」

 皆は笑顔で受け止めてくれた。


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