第22話

「……あっ」

 目の前を駆けていた子どもが転んでしまった。

「大丈夫?」

 ラーシュは子供を立たせると、膝の土を払ってやる。勢いよくこけたせいか手のひらをすりむいて血が滲んでいた。子供の瞳はみるみる涙がたまって泣きそうになっていた。


 マティアスと出会ったあの日のことを思い出して慌てて手のひらをかざす。


『任せて』ウンソンがにっこり笑って胸を張っていた。

『ボクも!』ヨルディスがはばたいて、花びらを飛ばす。

 手のひらからはあふれるほどの花びらが出てくる。泣きそうだった少年は舞いあがる花びらに驚いて目を見張る。

「お兄さん、すごーい」

「わたしもびっくりだ」

 ラーシュたちは舞い踊る花びらが少しずつ空気に溶けていく様を見守った。

 子供の手のひらの傷を水で流してやる。


 いつのまにか、ラーシュたちの周りには何事かと人が集まってきていた。

「いくぞ、ラーシュ」

 マティアスはラーシュの手を引いて走る。ラーシュは茫然と自分の手を見る。

 溢れるようなこの感覚は何だろう。

 気付けば宿に戻っていた。受け付けは済んでいたのでまっすぐ部屋に向かう。

 部屋は角部屋で通りに面した正面と、入って左側に窓があった。部屋にはベッドが三つ並んでおり、それぞれにサイドボードがあって、それ以外の家具はない。なんだか無理やり三つベッドを並べているようにも見えた。風呂は共同風呂があり、食事は一階の食堂で提供されると説明を受けた。


 並んでいる寝台の右と真ん中に三人は向かい合うように座った。


 最初に沈黙を破ったのはウェスティンだった。

「ほんとうは今日の夜にでも話そうと思ったのだけど。ラーシュがこの旅で一番くじけるのはどういう時だと思う?」

 ウェスティンがラーシュの手を取って優しく問う。

「えっと、食べるものがないときとか……」

「確かに」とウェスティンとマティアスは同時に吹いた。

「うん、それもそうなんだけど。一番くじけるのはもうすぐナーハルテトってところでたどり着けないことじゃないかな?」

 ラーシュは驚いて目を見張る。

「ええ、それはすごく嫌です」

「ニコラウスは絶対にそこを狙うと思うんだ」


 あぁ、その通りだ。

 ラーシュは順に二人を見つめた。思い返せば、ニコラウスのすることはいつもラーシュが一番イヤだと思うことだった。皇后さまへの冷遇。母の形見だと偽る。暴力的なドビアスとの婚姻。思い返すとどれも確実にラーシュの心を深く傷つけるものだった。


「ではあの場であんなに目立ってしまったら……場所を知られてしまったのでは」

 ラーシュは青ざめてがっくりと肩を落とした。マティアスの手が伸びてきてラーシュの髪を撫でた。

「すまん、脅しすぎたな。警戒するのも大事だが。相手大きく見すぎるのもよくないぞ。たかが弟だろう?」

 それを引き受けてウェスティンが瞳を柔らかくする。

「ラーシュ。良いんだよ。わたしたちも今日ははしゃいだだろ?目立っていいんだ。ここからは追手がどこから襲ってくるかを待つよりおびき寄せた方がいいと思ってね。あらかじめラーシュに言わなかったのは、先に知らせると今日のデートを純粋に楽しめなくなるんじゃないかと思ったから。ラーシュには心から楽しんでほしかった」

「デート……」

「あぁ、順序が大事だって言ったのはラーシュだろ?」

 ウェスティンが不意につないでいたラーシュの手を引っ張る。おもむろに顔が近づいてきて唇を重ねられた。ウェスティンはいたずらが成功したみたいなうれしそうな顔をする。

「デートは大成功だったろ?」

「はい。ありがとうございます?」

「お礼を言うのはまだ早いよ?」

 そう言って二人の手がラーシュの頭に乗せられる。ラーシュが機嫌を直すまで乱暴に髪をかき混ぜられた。





 そしてウェスティンとマティアスは今後の計画について話し始めた。

「森で襲ってきた人たちに口止めはできなかったから、きっともう向こうに居場所はばれていると思う。だから作戦変更したんだ」

「あぁ、もうナーハルテトはすぐそこだからな」

 暗にラーシュのせいではないと言ってくれる。

 ここにできるだけ追っ手をひきつけ、二人一組で一斉にナーハルテトを目指すそうだ。

 つまり、囮を用意する作戦だ。

 二人一組と言うと、わたしは誰と組むのだろう。二人の顔を見比べるが今は答える気がないようだ。



 紹介したい人たちがいるということで食堂へ向かった。そこで今回の計画に参加してくれる人たちと顔を合わせた。彼らは以前、王都の大使館にいた黒装束の人たちだそうだ。助けてくれる彼らの名前を一人ひとり教えてもらって、協力してくれることにお礼を言った。

 席に着くと食事が始まる。その場はにぎやかで軽口を飛ばして笑いがあふれる。皆とウェスティンたちと親密な様子を見て、信頼できる仲なのだろうと推測できた。自分のわがままにどんどん人が巻き込まれていく。それが申し訳なくてありがたい。

「そんな不安な顔をするな。向こうも多分ラーシュのことは生きて捕まえたいはずだから命までは奪われないよ」

 ラーシュはうなずく。だが、それはラーシュに限っての話だろう。囮になるのは彼らだ。危険はないのだろうか。

「俺たちはこれでもナーハルテトの選りすぐりだから、任せとけって」

 冗談めかして快活な笑みを浮かべる彼らに、不安そうな様子を見せるのは失礼だった。ラーシュはできるだけ明るい表情に努めた。

「ええ、ありがとうございます。わたしも頑張ります」

 この計画を成功に導くために何ができるだろう。自分にできることなどほんの少しだ。それでもできることはしたい。


 ラーシュはふと思いついたことをウェスティンたちと話しあった。




 次の日ラーシュはポーシャの街の精霊教の教会へ向かった。日が昇って一番人通りの多い時間帯だった。目立つならここ以上のところはないだろう。教会はどの町でも中心に立っている。教会の前は広場になっていて、たくさんの人が集まると聞いた。


 ラーシュはその広場の中心に立った。

『ねえ、ラーシュ。ここでお祈りをするの?』

 ウンソンがラーシュの肩にのって辺りを見回す。

「あぁ、やってみようと思う」

『手伝うよ』

 ヨルディスは嬉しそうに羽を広げた。



 大きく深呼吸する。

 ラーシュはそこに膝をつき、大地におでこを付けた。小さく経文を唱える。節をつけてゆっくりと丁寧に音に言葉をのせていく……やはり経文を唱えるのは楽しかった。ラーシュは目を閉じてこの大地の浄化を祈る。


 祈るラーシュの周りをウンソンがくるくると踊ると、緑の輪ができていく。ヨルディスが羽をはばたくと、花びらが舞いあがり空に溶けた。行きかっていた街の人たちは足を止めてラーシュを囲むように集まってくる。その足元にも緑の輪がゆっくりと広がっていった。

 やがて周りに人が集まりその祈りを静かに見守る。緑の輪にはいくつもの白い花が咲く。

 ラーシュの経文はヨルディスの風に乗って街に響き渡る。精霊の緑の輪は広場いっぱいに広がった。

 広場は清浄な空気に満たされた。


「この地に眠る御霊にも祈らせてください」

 ラーシュは経文に合わせてステップを踏む。くるくると踊ると花びらがつむじ風のように舞い上がった。手を伸ばせば手の先に。手を振り上げれば綻ぶように花びらが舞う。

 不思議なことにラーシュは以前のような酩酊を感じなかった。それどころか内から次々と力が湧くようだった。

 ひとしきりやり切ると、額に汗が浮かぶ。

 そのまま姿勢を正して、深く礼を取る。


「この地とこの森に幸多からんことを」


 四方から拍手や、指笛が鳴る。ラーシュはもう一度頭を下げた。肩に乗るウンソンやヨルディスにもお礼を言った。


「あぁ、昨日のお兄ちゃんだ」

 母親に連れられた子供がラーシュに手を振る。昨日、ラーシュの目の前でこけた子のようだ。それに応えて片手で花びらをふわりとまき散らした。また大きく歓声が上がる。



「皆さんの不安を減らしたいとここで祈ったのです。皆さんの祈りも届きます、どうか。身近な人の幸せを祈ってください。誰の祈りも平等に届きます」


 精霊は精霊師だけのものではない。誰が祈っても届く。


「ありがとー!」誰かが声を上げた。それに呼応するように緑の輪の中に白い精霊の花が咲いた。一人が「ありがとう」と口に出すと、次々と声が上がっていく。それに答えるように精霊の花が咲いていく。


 集まった人の顔は精霊の花のようにぱっと輝いているように見えた。ラーシュにはそれがくすぐったくて誇らしく感じた。


「ありがとうも祈りなのですね」

 ラーシュは両手を胸の前で組んで微笑む。ラーシュの周りに集まった人たちは割れんばかりの拍手をしている。

「皆さんに応えて、精霊の花が咲いています」

 集まった人の視線が精霊の花に集まった。白い花は可憐に花びらを飛ばす。



 皆の注意がそちらに逸れた間にラーシュはその場を去った。

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