第19話

 その日は早く、馬を止めた。


「精霊教の祈りに形式と言うものはないのです。一番大切なのは心から祈ることなので……」

 そう言いながらラーシュはそっと地面に膝をついて手を前に組む。

「教会によって御神体は様々ですが、不浄にはこの大地に対して祈るのが良いと言われています」

 そう言うと、手をついておでこを大地につけた。こうして大地とつながるのだ。ラーシュはその姿勢のまま目を閉じて動かなくなる。自分の内にあるものを大地にお返しするよう意識してゆっくりと経文を唱える。ラーシュの柔らかな旋律が森に響いた。


 ラーシュの周りを風が柔らかく吹きまわり、跪いた大地から円を描くように少しずつ緑が増えていく。

 風の正体はヨルディスだ。

『ラーシュ!お祈りだね!』

 彼は嬉し気にラーシュの周りをひゅんっと飛び回っていた。

 大地が活気づくのは、ウンソンの力だ。

『あぁ、ラーシュのお祈りだあ』

 ラーシュの周りでウンソンがはねると大地が答えるように生命に湧き立っていた。その力が森の中を伝播する。木々はざわざわと葉を鳴らし、空気はキラキラと光る。


 ラーシュはゆっくりと起き上がる。

(どうだろう、うまく祈ることはできただろうか)

 ゆっくりと目を開くと自分を中心に緑の輪ができていた。精霊師の祈りに大地が答えると精霊の輪ができるという。それは人の手では描けないほどきっちりとした真円だ。精霊師の祈りの証。

 精霊の花も咲いている。

 それはラーシュの祈りが届いた証だった。ラーシュはもう一度大地におでこを付けて礼を言う。


 マティアスとウェスティンはその様子を、息をのんで見守っていた。ラーシュの周りに光の粒子がキラキラと舞っている。ラーシュは手を広げるとふわりと笑った。それに答えるように花びらが舞い上がる。ラーシュだけが薄い膜の中で別の世界にいるような不思議な感覚に陥る。

 そして、辺りに肌で感じるほどの生命力を感じた。


「これが精霊の祈りなのか」

 二人はどちらともなくこぼすようにつぶやいた。


 ラーシュは立ち上がろうとしたが、くらりとたたらを踏む。久しぶりに感じる酩酊感だ。だが地面にぶつかる前に左右かから大きな腕に抱き留められていた。

「大丈夫か?ラーシュ」

 マティアスの心配そうな声がした。

「このまま横にする」

 優しいこの声音はマティアスだ。どうやら二人に助けられたようだ。

「ありがとうございます。張り切りすぎたみたいです……面目ない」

 ラーシュはふにゃりと笑う。久しぶりの祈りは、やり切れたという充実感で心が満たされ胸が震える。安心すると急に体に力が入らなくなった。そしてパチリと世界が暗転した。


 ラーシュが目を覚ますとすぐにマティアスが顔を覗き込んできた。

「起きたか?ラーシュ」大きな手がラーシュのおでこに置かれる。「熱はなさそうだな」と安心するようにつぶやく。

「ラーシュ。気持ち悪くはなってない?」

 そう言ってウェスティンが片腕でラーシュの背中を支える。もう片手にはカップを持っていた、中にはいい匂いのするスープが入っているようだ。「食いしん坊だね」ウェスティンはラーシュにカップを手渡すと背中を支えてくれた。

 新鮮なキノコとベーコン。そこに塩味が足されている。少しアリシアさんの山菜鍋に似ている。あったかくて美味しい。二人はラーシュがそのスープをこっくりと飲み終わるのをじっと見つめていた。ラーシュが頬を赤くさせてほほ笑むと、二人は挟むようにラーシュをぎゅっと抱きしめた。


「ちょっと、怖かったよ」

 正面から抱き着くマティアスが耳元に唇を寄せ、囁くように言った。

「あぁ、わたしもだ」

 背後から抱き締めてくるウェスティンは珍しく声が震えていた。

 この抱擁は二人の不安の表れなのだろう。ラーシュは申し訳ないのでされるがままにした。

「すみません。次はちゃんと精霊力がなくなる前に止めます」

「できるのか?」

「ええっと……たぶん?」

 ラーシュののんきな返事に、二人はぐっとのどを鳴らしてハァーと長いため息を吐いた。


 そして、また夜を迎える。今日は草のおかげでいつもよりふかふかだ。相変わらず左右から抱き締められて窮屈ではある。だがとても安心する。見上げる木々の合間から見える星空は相変わらず美しかった。眠るまでに星が二つ流れた。





 太陽も昇らぬ早朝、あたりにはまだ薄闇が広がっている。

 不穏な気配を感じて目を覚ますと、すかさず唇に指を押し当てられてシッと制される。


 向こうの方で茂みが不自然に揺れていた。

 最初に気づいたのはマティアスだった。刀の柄に手をかけてじっとそちらを睨む。静かに起き上がったウェスティンも杖に手をかける。


 マティアスが急にラーシュの頭を押さえる。その上を火の玉がひゅんっと飛んでくる。火の玉は後ろの木にぶつかってパンっとはじける。

「あっぶね!」マティアスは小さく舌打ちをした。

 ウェスティンは杖を振るって飛んできた方に水の球を打ち込んだ。「うっ」というくぐもった声が聞こえてくる。

 目を凝らすと男がその場に倒れていた。それをまたぐように男たちが現れる。かちゃかちゃと金属の音が響いた。


「いいかラーシュ。ここを動くな」

 ラーシュがうなずくと、マティアスは剣を構えてその男たちと向き合った。


 男たちは人数的に優位と思ったのか、剣を構えるマティアスに対峙する。

 先陣を切って剣を持った男がマティアスに突っ込んできた。マティアスは剣を正眼に構えると刀を一閃させる。男は走ってきた勢いそのままに地面に滑るように倒れた。


 その様子に襲撃者たちは一瞬ひるんで、ひとりで勝てないならまとめてと思ったのだろう。バタバタと足音が響いていっせいにマティアスに切り掛かる。

 マティアスは冷静に男たちに向かって剣を横に薙いだ。剣の先に火の粉が走る。ぶわりと火に炙られ男たちは一瞬で吹っ飛んだ。

 吹っ飛ばされた襲撃者たちは、呆然としりもちをついて気を飛ばしていた。マティアスがナーハルテトでも五指に入ると言われるのも納得の強さだった。


 一方、ウェスティンは火の玉を飛ばしてきた魔術師たちと対峙していた。

 ウェスティンは大きな水の壁を作ると、それをそのまま相手に落とす。見ている此方がかわいそうなほど、一方的に殲滅させられている。魔術師たちは一瞬で気を飛ばしていた。三人ほどいた魔術師も気付けば皆地面に倒れていた。


 圧倒的な戦力差で、相手は制圧された。


 ウェスティンは倒れている人の懐を探る。

「あぁ、ちょうどいい。この人たち縄を持ってるよ。これで全員縛っちゃおう」

 ウェスティンが良い笑顔で振り返る。マティアスは男たちを見下ろしながら、鞘に剣を収めていた。

 ラーシュの心配げな視線を受けて、マティアスがほほ笑む。

「安心しろ。この人たちの目的は捕縛だった。命の危険を感じなかったから黙らせただけだ」

 そして、二人は手早く襲撃者たちを次々と後ろ手に縛っていった。


 縛り終わったところでウェスティンが水をかけた。男たちは意識を取り戻し暴れたが、目の前で怖い顔をした二人が見下ろしていたためにすぐに大人しくなった。


 彼らは森の近くに住ある村の精霊教の騎士と、村の人だった。

「大精霊師さまが祈らなくなったのは黒い馬にのった冒険者が大精霊師の兄さまを攫ったせいだと聞いた。捕まえて送り返せばまた大精霊師さまは祈ってくれるのだろう」


 それはあまりにも想像通りのことだった。こんな国の端にまでその噂が届いているということは意図的に流された噂であると言っているようなものだ。なぜこの森を進んでいるのを知っているのかと聞くと、冒険者の女魔術師が言っていたのが発端だという。今も各地で探されているそうだ。

「浚ったから……か。ふーん。ずいぶん荒い指示だね」

 ウェスティンが腕組みしてラーシュの隣に立つ。

「でもこれではっきりした。腕輪を封印する前は街道沿いの教会に指示をしていた。だけど、ドルセさんに結界を張ってもらってからはこういう強行策に出た。たぶん、その腕輪がニコラウスにラーシュの居場所を知らせていたんだ」

 逆に言えば、今はラーシュの居場所を把握できていない。

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