第5話
目が覚めると天蓋のついたベッドに寝ていた。視線をやったカーテンの向こうはまだ明るい。
なんとか起き上がって室内を見回す。調度品はシンプルな木目の上品なもので揃えられ。棚の上には生花が飾ってある。だがあるべきものがない。
精霊国ならば、寝室に精霊の像があるのだが……。ここはどこだろう。
やけに肌寒い。自分を見るとなぜか裸だ。
「おお、兄さま。起きたか」
男はドアに寄りかかるように立っていた。ラーシュは驚いて、布団をかぶる。
「あの……ここはどこですか?わたしはなぜ服を着ていないのでしょうか?」
「ここはナーハルテトの大使館だ。安心しろ、君を脱がせたのは俺だ」
なぜそれで安心すると思うのか。顔だけ出して男を睨む。男は楽しそうに笑っている。
「なんだ、オレを信用したんじゃないのか?」
「それと服を脱がせることとどういう関係があるのですか?」
男は大股でラーシュのいるベッドに近づくと、端に座る。
「ここに連れてきてすぐ、あんたの弟から兄を返せと連絡がきた」
ラーシュは布団をはねのけて男を見た。
「だから、なにか身に着けているものに、追跡するようなものがあるのではないかと着ているものを検めさせてもらった」
「弟はどこにいてもわたしを見つけるのです。たぶん精霊力で……」
男はラーシュの腕をとる。
「この腕輪だけが外せなかった」
ラーシュの腕にはまっている金色の腕輪は指三本ほどの幅で、細かな文字の細工がされている。特殊な金属でできているため継ぎ目がない。
「これは母の形見です」
男はじっとその腕輪を見て、不意にぐっと握りしめた。とたん、バチバチっと音を立てて光がはしった。
「とんでもなく物騒な形見だな」
彼は指先に息を吹きかけながら腕輪を睨む。
「すみません。誰かが外そうとするとこんな風になるなんて知らなくて」
「自分では外せるのか?」
「外そうと思ったことがないのでわかりません。それより、あなたはいったい?」
コンコンと控えめなノックオンが響く。
入ってきたのは濃茶のズボンと、白シャツというラフな格好ながら黄金色の髪と、薄水色の瞳を輝かせる隣国の王子ウェスティンだった。まだ、ラーシュが王弟の婚約者だったころ、何度か公式行事で会ったことがある。
「マティアス、客人の様子はどうだい?」
この男はマティアスというらしい。マティアスは、立ち上がりウェスティンに敬礼のポーズをとる。ラーシュは居ずまいを正そうとしたが、すぐに自分が全裸であることに気づき、また布団をかぶって埋まった。
「この通り、元気です」
布団の塊がそれに合わせてブルブルと震える。
「久しぶりだね、ラーシュ」
「このような格好ですみません。ウェスティン殿下。お久しぶりです」
隣国の貴人相手だが、恥ずかしさが勝ってしまい布団に丸まったまま挨拶をした。ウェスティンのクスクスという笑い声が届く。
「大丈夫、事情は知っているからね」
「寛大な心遣いありがとうございます」
ラーシュは布団ではなく穴に入りたくなった。それも思いっきり深いやつ。
「いや、公式の場ではないし。それにどうやらうちのマティアスが勝手に連れてきてしまったみたいだし」
飼い犬がおもちゃを拾ったような言い方だ。黙っていると椅子を引く音が聞こえた。恐る恐る布団から顔を出すと、ウェスティン王子はベッドの近くにあった木目の美しい応接セットの椅子に座っていた。
「あのわたしは……」
ウェスティンは、大げさに考えるそぶりをして口角を上げる。
「マティアスからも聞いていると思うが、精霊教に君を保護したことが伝わっている。返してほしいと催促が来た。穏便に収めてほしい」
ウェスティンは口角を上げているものの、目は笑っていなかった。
「わ……わかりました」
ラーシュはかぶっていた布団を上げてウェスティンを見る。
「ところで……君たち兄弟は仲が良いと聞いていたのに。君はあの貴人から離れたいのか?」
ラーシュは息をのんで目を伏せる。
「それを問うのはずるい気がします」
「そう」
ウェスティンは瞳の奥を光らせて笑う。答えてしまったようなものだが、言い切ることは避けた。
「わたしにあなたを助けることはできないか?」
「その……助けるとは……」
ウェスティンがにやりと笑って身をかがめる。ラーシュは唇を引き結んでウェスティンを見返した。
「じゃあ少し話をしようか」
ウェスティンは少し意地悪い笑みを浮かべてラーシュを見た。
「では、愛する弟が迎えに来ている。身なりを整えてお帰りいただくとしよう」
ウェスティンが目配せすると、マティアスがドアの向こうに控えていた侍女たちを招き入れた。
彼女たちは手に衣装を持って入ってきた。入れ違うようにウェスティンは部屋から出ていった。なぜかマティアスは残ってラーシュの着替えを見守っている。
「どうして見ているのですか?」
「趣味と仕事を兼ねているだけだよ」
マティアスはまた砕けた雰囲気に戻っていた。
ラーシュは鏡越しに自分の着ている服を見て、つい笑顔が浮かぶ。
「どうした?」
マティアスが怪訝そうにこちらを見た。
「すみません。この服が素敵で」
「よくある既製品だが?」
ラーシュは瞳を上げてマティアスに向き直る。ラーシュに用意されたのは、明るい青色の襟付きシャツと、薄く格子模様の入った灰色のズボンだった。
「……のんきですみません。このような色の服を着るのは初めてで……空の色が好きなのです。でも、この色は弟には似合わないので、今まで着ることがなかったのです」
マティアスは眉間にしわを寄せてラーシュを見る。本当にうれしそうにシャツの裾を持ってほほ笑んでいる。
「なんでそうなる?」
「わたしの服はわたしのものではないので」
ラーシュの服は国から予算が出ていてその中でまかなわれている。だが、ニコラウスが自分の予算が足りなくなるとそれを使い込んでしまうため、持っている服のほとんどが弟のお下がりとなっている。
「そうか……」
「はい。ですからうれしくて」
マティアスは、いろいろと考えを巡らせていたが、その笑顔に毒気を抜かれた。うなじに手を当てて、もう一度ラーシュを見る。薄い黄金色の髪に青いシャツ。
「……似合ってるよ」
言ってから、マティアス自身も驚いた。
「ありがとうございます」ラーシュは赤く頬染めて喜んでいる。
侍女たちはラーシュの髪も整え始めた。彼女たちもマティアスと同じく毒気を抜かれたのだ。それは丁寧に身支度を手伝った。
「ほんとうに良くしていただいて、ありがとうございます。今日のこと思い出すたびにきっと嫌なことがあっても、吹き飛ぶ気がします。では、みなさまに幸多からんことを」
ラーシュは手を掲げて花びらを散らす。たった三枚。それでも、せめてものお礼だった。花びらはふわふわと宙に浮き。透明になって空気に変わる。ラーシュは目を細めてお辞儀をした。それは大事なものを抱きしめるような柔らかな笑顔だった。
マティアスが大股で近づいてきた。ラーシュは一歩下がったが瞬く間に拘束された。抱擁されたのかもしれない。枯れ葉の様な優しい匂いに包まれる、ホッとするような匂いだった。でもどういうことか、彼の顔を見ようとした瞬間、唇が塞がれる。思わず目を閉じた。唇に当たる感触に意識が集まってしまった。柔らかで胸がズクンとする。
「ん……」
離れたと思うと、角度を変えて吸い付いてくる。不思議と暖かなものが伝わってきて、酩酊感が消えていく。だが、とても息苦しい。
「おい、息をしろ」
腰を支えられて、見上げると心配そうな顔をしたマティアスがこちらを見ていた。
「煩わせてすみません」
「ふはっ……」
マティアスは整った顔いっぱいに笑顔を浮かべた。
「……迎えに行くから」
ラーシュをもういちど、抱きしめて背中をなでた。
通された応接室には、ウェスティンとニコラウスがテーブルをはさんで向かい合うように座っていた。ニコラウスはソファに浅く腰かけて薄い笑顔を浮かべていた。早く帰りたいと言っているように見える。
ニコラウスはウェスティンを良く思っていない。ウェスティンの母親が元侍女であるからだ。ウェスティン自身はそれをしっかりと弁えていて継承権も放棄しているし。十三歳で騎士団に入隊し公の行事に王族として出席するが、普段は騎士として立派に働いている。
ラーシュはその潔さと行動力がうらやましく尊敬している。だが不義の子を良く思わない人は多い。その中にニコラウスはいた。だから、彼はウェスティンに敬意を払わない。不敬になるようなことを平気でする。
今もウェスティンが出している紅茶や茶菓子に手を付けていない。
「ごめんね。ウェスティン殿下、ニコ」
「兄さま。帰りましょう」
ニコラウスは立ち上がり簡単に礼をすると、ラーシュの手を引いて部屋を出ようとした。振り返るとウェスティンは困った顔で笑っている。
「お世話になりました。ウェスティン殿下」
ラーシュは振り返って再度深く礼をする。ニコラウスはそれに合わせて目だけで礼をした。あまりに失礼でニコラウスを睨むがさっさと歩き始めた。
強引に馬車に押し込められた。ニコラウスには嫌味を言われたり泣かれたりしたが、ふわふわとした気分が抜けず、やり過ごすことができた。その後、部屋に軟禁されてしまったが、今は一人になって考えたかった。考えれば考えるほどおかしくなる。
「迎えに行く」と湖のような青い瞳を持つ男の言葉が耳にこだまする。
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