第四話 風のにおい

風のにおい プロローグ

 一月の中ごろ、燐火は久魯川稲荷神社の石段に腰掛け、階下を見下ろしていた。

 乾いた風が甲高い音をたてて吹きすさんでいる。風は鋭かった。ともすれば、風にふれた肌が切れてしまいそうなほどに。

 ふと頬に手を伸ばしたとき、ウカノの声が背後からした。

「風がつよいですね」

 燐火は振り返って、ウカノを見上げた。

「はい。本当に、そうです」

 するとウカノは、石段からのぞむ街並みや、抜けるような冬空に目を向けて、

「一年がまた、はじまりましたね、燐火よ……。みなにとって、よい年になればいいですが」

 燐火は感心したように目を拡げる。

「ウカノさまは、地域の、みんなのことを心底見守っているのですね」

「どうでしょうね。しかしそれは、当然のことです。稲荷神社に祀られた、このわたしの定め、というものです。さて、おまえも、みずからの定めを果たさねばな」

「は、はい……」

 と、燐火は頭を掻いた。ウカノはくるりと背中を向けて、本殿のほうへ戻っていった。


 燐火はため息をついてから、商い帳を懐から出した。そして、いつものように最後のページを開く。そこには、女神のウカノが気にしている、特別な商いが羅列されている。

(あんなプレッシャーをかけられたら、仕方ないな……)

 そんなことを思いながら、商い帳を目で追ってゆく。やがて、気になる行があった。


 『みそぎ屋、名は佑凪ゆうな、東京にて』


 そんなふうに書かれていた。

 禊屋……。想像もつかない商いだった。それに『禊屋』の文字の並びから、異質なにおいを感じた。しいて言えば人間ではなく、獣のにおいがした。それも、妙に悲しい感じを受けた。

「けもの……」

 と燐火はつぶやく。

 いつかウカノから、『人間のことをもっと知りなさい』と言われたことを思い出した。けれど、仕方がないじゃないか、とも思う。自分は人間ではないのだから、人間のことなどわからなくても、当たり前だ。

 そう思いながらも、『禊屋』のことがどうにも気になった。そこで燐火は目を細めて、集中してゆく。

 すると、ある光景が視えてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る