命のしずく エピローグ
燐火が孝彦たちのことを霊視してから二か月後の、十二月の初頭のことだ。
いつものように燐火は、大きな楠の幹に背をもたれて、怪しげな侵入者などに目を光らせていた。
そのとき、小学校中学年くらいと思われる、二人の男児が石段を駆け上がってきた。
一人は坊主頭にわんぱくそうな太い眉毛。
もう一人は、眼鏡を掛け、長めの髪を垂らしている。
二人は笑いあいながら、鳥居をくぐり、神社の境内に入ってきた。燐火は苦笑する。そうぞうしい獣たちだが、ウカノさまも子どもは好きだ。ほうっておこう。
そのあとから、別の影が石段を上がってきた。男女の二人組だ。
男のほうは黒いジャンパーを着ており、素朴な印象がした。女のほうは白いコートを着ており、すらりとして大人しそうだ。
二人は鳥居の前でおじぎをした。
「さあ、手を清めましょうか、未命さん」
と、男は言った。
燐火はそこで、先日の霊視の内容を思い出した。そうだ、彼らは……。
未命はうなずいて、孝彦についてゆく。
そのとき、坊主頭の子どもが走ってきた。どうやら、追いかけっこをしているらしい。後ろを見ながら、眼鏡を掛けた子どもから逃げている。
そのとき、坊主頭の子どもは、木の根に足をとられて転倒した。
「痛ってー!」
と、悲鳴を上げる。そこへ、眼鏡の子どもが近づいてきた。
「大丈夫? ショウくん……」
ショウくん、と呼ばれた子どもは座り込み、自分の膝を見て、
「うわ、血が出てる……」
と顔を歪めた。いまにも泣き出しそうだ。ショウの膝は痛々しく擦りむけていた。
そこで、孝彦はショウに近づいていった。
「大丈夫か?」
孝彦はそう言って腰を屈めると、ショウの傷の様子を確かめるように覗き込んだ。
「よし、おれがなんとかしてやろう」
孝彦のその声に、ショウは痛みに引きつった顔を上げて意外そうに、
「……え、何? お兄ちゃん、助けてくれるの?」
孝彦は答えた。
「まあな。とにかく、目をつむるんだ。おれが、いいよ、って言うまで」
「え、うん……。わかったよ」
ショウはうつむいて、目をきつくむすんだ。
孝彦は真剣な表情で右手を上げた。
そのうしろで未命は、まるで何かを問いかけるように、孝彦の背中を見ている。
「痛いの、痛いの、飛んでけ!」
静寂を破るように、そんな間の抜けた孝彦の大声が響いた。
ショウは不満そうに、
「えー! 何それ!」
「どうだ? 痛くなくなったか?」
「そんなの気休めじゃないか! もしかしたら、治してくれるのかな、って思ったのに! ……まあ、そんなこと、できるわけないよね。魔法使いじゃないんだから」
孝彦は頭を掻いて、
「そうだなー。魔法は、本当に、必要なときだけにしか、使っちゃだめなんだ」
「何それ。へんなの……」
そう言うショウは、いくらか落ち着きを取りもどしたようだ。
すると、未命は少し笑いながら、バッグからハンカチを取り出した。そこでショウに言った。
「傷を洗ったほうがいいね。それからさ、おうちに戻ろう。……歩ける? おぶっていこうか?」
「ううん。大丈夫だよ……。たぶん」
そうして、ショウは顔をしかめながらも立ち上がった。
未命はショウを連れて社務所のほうへ行った。そこで水道や、消毒液などを借りて、ショウの手当をしたのだろう。
やがてショウと眼鏡の少年は帰っていった。
孝彦と未命は石段を見下ろして、少年たちの背中を見守っていた。
孝彦は再び境内のほうに向き直ると、
「さて、お参りしましょうか」
「ええ……」
未命が近づいていき、孝彦の隣に立った。
すると、孝彦は手を伸ばし、未命の手を取った。
燐火は楠に寄りかかり、それらの光景をずっと見ていた。
やがて、孝彦と未命が燐火の横を通り過ぎた。
そのとき、燐火は未命の視線を感じて、思わずびくりと肩をすくめた。姿を消しているはずなのに。
未命は首をかしげると、何ごともなかったかのように、社殿へと歩いていった。
二人の背中を眺めながら、燐火は思う。
きっと、誰しもが、つながりを必要としているのだろう。
みんな、不安を抱えており、どこかが欠けている。
だから、ときおり誰かに、手を差し出す。親しい相手にならば、なおさらだ。
人は他人を支えることで、自分をも支えているのかもしれない。たがいの手のぬくもりを、感じとることで。
燐火は右手を広げ、冬の冷たい太陽にかざしてみる。つんとするような白い光。――その手にはいまだ、何も握られてはいない。
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