5-1
次の日、シズクは補習に来なかった。私はますます意味が分からなくなった。来なくなった理由は、まあ私のせいなのだろうけど。
昼時の第一食堂は雨の日の水たまりのように賑やかだ。私は人いきれのする人混みに目を凝らした。今日もいない。毎日探しているのだけれどシズクを見つけることができない。一年から三年まで使う大きい食堂なので、見逃している可能性もあるのだが、こうも見つからないと最初からいないのではと思ってしまう。
横から腰を突っつかれる。察してトレイを持ち、前の人との隙間を埋める。配膳されたのは鯖の煮込みだった。隣でカノンが牛蛙のようなうめき声をあげた。
「またこれだよ。私の投書、届かなかったのかな?」
「止めなよ。聞こえるって」
配膳口の向こうに目を遣る。料理人が忙しなく動いている。
「だってオレンジ煮だよ。鯖のオレンジ煮。鯖とオレンジって、そんなの合うわけないじゃん。作る前から分かりそうなのに」
「分かったから、私が半分食べてあげるから」
なだめすかしつつ席に着く。頂きますして、私はスープを啜った。味がしてとても美味しい。食べ物など栄養があって嫌な匂いがしなければ充分なのだ。私が嚥下したのを見計らってカノンは言った。
「もうちょっとだね。掃討戦」
「うん。緊張してる?」
「少しね」カノンはちょっぴりはにかんだ。
基地の統計によれば軽微な怪我はあっても死ぬことは少なく、初陣での死亡率は一パーセントほどである。これは掃討戦だから相手が丁級であるのに加え、緊張がいい方に作用するからと見られている。しかし初めての戦闘なのだ。怖くないわけがない。
「油断しなきゃ大丈夫だよ」
「……そうだね。でも、生きて帰っても続いていくわけじゃん。卒業するか、死ぬまで」
「それはそうだけど」
「一回の作戦で五人以上死ぬこともあるって先生も言ってたし」
「それは余裕が出る慣れ始めでしょ? つまり気を引き締めれば死なないって意味でさ。甲乙級とか相手にするわけじゃないんだし……」
カノンは納得しかねるように箸でスープを掻きまわした。私は次にかけるべき言葉を探した。……向こうからにこにこ顔で迫ってくる人影が見えた。黄色い眼鏡がトレードマークの、つまりキイロだった。双子の姉のアオイと違ってスラックスも履いているから間違いない。敵を察知し、私は臨戦態勢に入った。
「隣いいかな?」
「あ、キイロ。いいよ」カノンが答える。
お邪魔しまーす、とキイロはカノンの横に座った。私は前屈みになった。
「……どういうつもり? 嘘なんか言って」
「ん?」キイロはナムルに伸ばしかけた箸を止めた。「何の話?」
「赫耀のクルークスなんて馬鹿みたいな名前を広めてさ」
私が言うとキイロは納得したように大きく頷いた。
「あー、あれね。ニコがすごく気に入ってたやつ」
「気に入ってない。嘘つかないで質問に答えて」
「あれは私なりのリスペクトだよ。早い話」
「リスペクトって、シズクに? あれがリスペクトになるの?」
「珍しいね、こっちに来るなんて」カノンが話題を逸らした。
「うん。掃討戦前だからアオイもリンも気が立ってて。ピリピリしてるの好きじゃないから逃げてきた。殊にリンは特待生を狙ってるからね」
と、キイロはお預けされていたナムルを食べた。私は追及しようと口を開きかけたが、カノンの言葉に遮られた。
「リンのお姉ちゃんも特待生なんだよね」
「そうそう。お父さんも軍部のお偉いさんみたいで、家柄がいいんだよね。リンってきっつい性格してるけど、重圧感じてるみたい」
「だから特待生かあ。……あ、ニコ、もしかして知らない? 特待生」
「……生徒手帳でさらっと読んだくらいだから、詳しくはちょっと」
「ニコは今年入ったばかりだからね。教えて進ぜよう」
キイロがふふんと鼻を鳴らす。カノンの策略で強引に会話が別な方へ向いてしまった。空気を悪くしようとしたつもりはなかったのだが。
「特待生制度はね」得意げにキイロは眼鏡のブリッジを押し上げる。「一口で言えば、頑張ったレナトスにご褒美をあげて士気を向上させようって制度だね。作戦で優秀な成績を修めると特待生として認められて、報奨金と外出権、そして乙級以上の作戦へ参加できるようになるよ。私たちみたいな一般レナトスは薄給だし、年度末しか実家に帰れないから、喉から手が出るほど欲しい賞与よね。人によっては甲乙級と戦えるって方が魅力的な場合もあるかな。上級のレナトスを倒して武勲を挙げれば、出世街道一直線だからね。軍部の役員とか、それこそササムラ司令だって第一期の特待生なんだよ。トウカさんも特待生だったらしいけど、なぜか分隊長なんて立場に甘んじてるね。もったいない」
「トウカさんそんなに強かったんだ」とカノン。「でも甲乙級と戦いたいだなんて、気が知れないね……」
「だから特別なんだよ彼女たちは。身体能力もサングイスも、私なんかと比べれば鯖と鯨ぐらい差があるよ」
「たとえがかなり奇抜だね」と私。
「サングイスは生まれ持った才能だから、並大抵の努力じゃ乗り越えられない壁があるんだよ。私たちは二年生になってやっと丁級と戦えて、丙級は四年生からじゃん。乙級以上は下級のクリーチャーと比較にならないからね。特待生とか特権階級を設けて、強いレナトスだけが戦えるようにしないと。こんな名誉だからリンは特待生を目指してるんだろうなあ。なんでも一番が好きし……」
語り終えてキイロは鯖を食べると、ううんと唸った。
「天才だねこれ。鯖とオレンジってのが斬新で秀逸」
「で、さっきの話なんだけど」
話が一段落したところを見計らい、私は促す。カノンの溜息が聞こえたが無視した。キイロは水で流し込む。
「うん。シズクの二つ名の話だね。私さ、好きなんだよね。彼女みたいな
言われて、シズクがクリーチャーと戦う姿を想像してみる。
「まあ、そうだね」
「だから憧れがあるわけよ。応援したいっていうか。あの人たちが活躍すると自分のことのようにうれしいっていうか。分からない?」
「それは……」
分からなかった。構わずにキイロは続ける。
「自分もそうなりたいっていう意味じゃなくて、祭り上げたいんだよ。崇拝って言葉が近いかな。私たちが生まれる前にはさ、アイドルってのがいたんだ。顔の綺麗な男女が歌ったり踊ったりして、観衆はそれを応援して楽しんでたんだ」
「聞いたことある。詳しくは知らないけど」
カノンが頷く。私も薄っすら記憶にあった。父が寝物語で話してくれた覚えがある。
「昔は文化と言うか、そういう娯楽が今よりいっぱいあったんだな。そんな感じかな」
「だからシズクにわけわかんないコードを提案したり、私に嘘ついたのね。二つ名を広めるために」
「嘘じゃないよ」
「誰も知らなかったじゃない。さも周知の事実みたいにさ」
本当はカノンにしか聞いていなかったのだが。キイロは反駁する。
「そっちが勝手にそう思っただけでしょ。私は騙すつもりなんてなかったよ。ただニコがこの話をみんなにして、広まってくれればいいなって思ってたけど」
「故意犯じゃないの」
「それはそうだけど。ごめんって。騙すつもりはなかったんだってば」
合掌して悪びれた顔をする。言葉の通り悪気はなかったのだろう。
「許してあげれば?」
カノンが言った。私が渋々頷くと、途端にキイロの顔はぱっと明るくなる。いつも仏頂面の姉と違って表情が豊かである。
仲直りしたところでさあ、とキイロは言った。
「一緒にシズクを応援しようよ。応援って言ったって声を張り上げたりしないけど」
「応援って何」
私の問いが聞こえてないのか、キイロは長広舌を続けた。
「また見たいなあ。颯爽と十字架に乗って一瞬でのしちゃって。かっこよすぎるよほんと。あーいう分かりやすいのもいいけど、アジキさんのサングイスも渋くていいよね。ほら、式典会館で実演してくれた、シズクに邪魔された先輩。五年の特待生なんだけど甲級も倒してるんだから。しかも剣道部! かっこいい! 彼女みたいな特待生の戦闘を近くで見るのが夢なんだ。まあ学年が違い過ぎて無理なんだけどね……」
キイロはオーバーにうなだれた。私とカノンは彼女が話している間、黙々と食を進めた。
「でもね」勢いよくキイロは顔を上げる。「私は夢を諦めてない。シズクも特待生になれる素質が充分あると思うんだ。だから夢をかけるならシズクだと思ってる。あわよくば一緒に丙級と戦って……同じチームだったら良かったんだけどね。ここだけの話、リンもいいもの持ってると思うんだけど、やっぱりシズクに届かないんだよね。これ内緒だよ。私が言ったってリンに聞かれたら、怒られちゃうから」
「言わない言わない」カノンがご飯を頬張りながら言った。
釘を刺さなくとも言うはずないだろう。
「でも悲しいかな、私は
「残念だったね……」
普通ならキイロの発言は侮辱と捉えて差し支えないだろうが、彼女は本気で羨ましいと思っているのだろう。つくづく変なやつである。
久しぶりに会話が止んだ。時計に目を遣りつつ、この隙にご飯をかきこむ。
「そうだ。あれ聞いた? 誘拐の話」
「なんだって?」
終ったと思ったが、演説はまだ続くらしい。本当にこの席に着いてから喋り詰めである。
「誘拐? 誰が?」
カノンの反応に、キイロは仔細らしく咳払いした。
「ニュースでもやってたじゃん。今だって報道してる」そう言って、食堂に唯一設置されている壁掛けテレビを指す。「他の基地でレナトスの誘拐事件が起きたんだって。で、その犯人が非合法のレナトスの組織らしいんだけど」
「非合法のレナトスの組織?」カノンが驚いた声をあげる。「そんなのあるわけないでしょ。レナトスは病気とかを除いて、絶対に基地に入らないといけないんだから」
「スラム出身のレナトスで構成されているらしいよ」キイロはちらりと私を見た。「あそこは無法地帯だから、住人の子供は戸籍ないじゃん。でしょ? だからレナトスが生まれても把握が難しいんだ」
「なるほど。私みたいな例はレアケースだからね」
「でもなんのために……ていうか、基地から誘拐なんてできるのかな」
「外出中だったらしいよ。ほら、さっき言った特待生の外出権。あれで街に出てた三人組が、時間になっても帰ってこなかったんだって。まるっと三人ともいなくなったんだ。で、なんのためかは――」
と。
キイロの言葉はそこで止まった。機械が異常をきたしたような、耳障りな不協和音が響いたからだ。私もカノンもキイロも音の鳴った方を向く。食堂の誰もが会話を止め、異常の方へ体を傾けていた。
テレビであった。食堂の角、ウォーターサーバーの近く、青々としたパキラの鉢植えの上。
モニターはいつもニュースで固定されている。この時間帯であればそのはずだ。
しかしそこには点描が乱舞している映像しかなかった。
ざあざあざあ。
「なんで砂嵐……」
カノンが呟く。周囲が騒めき始める。
われわれは、と。
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