存在?

きりり

存在?


 装飾さえ綺麗であればガラクタでさえも高価に見えるとは誰かが言った話だ。安価なスープも高級料理店のメニューに早変わり。外面を付け替えるのは比較的簡単らしい。

 それは人間も同じ。容姿なんていくらでも変えられるのに初見を気にして着飾る。結局この世のモノは自らを偽って過ごすのだろう。

 これは僕の持論であり異論は認めない。他人が勝手に言っていればいいと思う。ヒトの言うことで自分の考えを変える必要はない。けれど今目の前にいる女は。

 真っ赤な顔でこちらをじっと見つめている。見覚えのある人間だった。赤い毛先のツインテールがよく似合う。中学時代の同級生だろうか。小さな口から告げられる言葉1つ1つが膜を纏っているように見えて上手く呑み込めなかった。が、1つ分かったことは、これは巷で噂の告白だということ。興味のないことにはめっぽう興味のない僕は今どんな表情をしているかわからなかった。したい顔、すべき顔すらよくわからない。

「だめ、ですか?」

 上目づかいで女は尋ねた。大きな丸眼鏡が窓から覗く夕陽を反射しているのに大きな猫目は困惑を浮かべる自分に向いている。視線が見えるほどに。ただその視線が僕には毒のように見えたことはきっと向こうは気づいていないのだろうけれど。

「それは、僕のことが好きってこと?」

「え、は、はい!」

 そう、ならば、と零した口先は自分でも最悪なことを口走る。

「僕のことが好きならばそのスカート丈は向かないと思うけどね。」

 本当に言いたかったことがこれかと言われれば断固として違うと言える。ただ今言えることが見当違いの文章しかなかっただけだ。

「そっ、か。そうだよね。ありがとう。ごめんね、迷惑かけちゃって。……またね。」

 女は最後に無理に笑顔を作っては僕の元から走り去っていった。

 罪悪感はあれど自分の気持ちが未だ分からずにいた。”あの時”の衝動を超える感情を持てずにいる。それが悔しいのか、はたまた悲しいのか。独り残された教室で立ち尽くす他、すべきことが見つからなかった。


 ***


 「優秀賞は○○高等学校__」

 青春の終わりを告げる声が聞こえた。他校の演劇部の喜びの悲鳴が会場中に響き渡る。今日は二年生である僕たちの最後の演劇の大会があった。県大会を突破した僕たちだったがやはり高い壁である関東大会は突破できなかった。他の部員は愕然としつつもその結果に納得していた。だけど僕の中にぽっかりと開いた穴の中には「何故」という気持ちが浮き出ては消えていく。自分に自信があったのだと思う。初めてではない座長を務め、未熟ながらに部員をまとめてこの最骨頂の明かりの下で舞うことができたのだから。

 帰り道、僕は僕に無意識の自信、自意識過剰があったのだと気づかされた。理由はない。ふとしたことだった。気づかされたとしてもあまり治す気はない。

 さて、この先どうしようか。自分の中で道が途絶えたような気がしてならなかった。一生演技で食っていこうという気は毛頭ない。テレビの奥の存在とは一緒にしたくはないし。ただこの空間を、この空間だけを終わらせたくなかっただけだった。


 ***


 冬の風の匂いで意識が戻った。あの娘の告白から一日、だいたい同時刻に屋上で音楽を聴きながら過去の事を思い出しては空をながめていた。悲しいことに今の僕にはこれしかすることがなかったのだ。ほんの少し前の出来事を思い浮かべることで意識を飛ばすほど自分は劣っては居ないと思っていたがそれは小さくも大きな間違いだったらしい。

 冬。11月も中旬を過ぎたこの頃の景色はマフラーやコートに身を包む生徒たちで溢れていた。学校を俯瞰で見られる屋上は今の僕にはひどくあっている場所だった。その中に一人見覚えのあるツインテールが校舎に入っていく姿も見えた。白い息を漏らして楽し気に走っていく姿はなんとも僕と真逆の様だった。虚しい。暗い気持ちが自分の心を満たしていく。

「まさか飛び降りようとなんて思ってないよな?」

 背後から声がした。聞き覚えのあるようでない声。振り返ると黒髪の男がそこにいた。髪が風になびいて映える姿が眩しい。

「...まさか俺の事分からないのか?」

「ああ、イチか。」

 イチ。確か本名は相生ハルと言った。出席番号が常に一番であることからイチと呼んでいたと思う。中学からの数少ない友人だが高校に入ってクラスが分かれてからは話すこともなくなっていた。

「その呼び方懐かしいな。お前も今じゃカシロなんて呼ばれてないだろ?」

「いや、部活の連中にはそう呼ばせてるよ。」

「ふーん。まぁそうか。お前本名嫌いだもんな。」

 嫌いと言うと語弊があるが間違ってはいないから否定しない。生まれ持った哀しい性で、僕は日本とギリシャの混血だった。混血であることに悲しみを覚えているのではなく混血であることで周囲の人間がはやし立てることが好ましくない。

「カシロっていう名前を気に入ってるだけだよ。この名前を使っている理由、また聞くか?」

「いやいい。お前話長いもん。」

 可愛げのない高校生の”もん”がこんなにも気に食わないとは思わなかった。思わず眉を顰めるとそれを見て何故かイチは爆笑していた。

「どこに笑うところがあった?」

「いや全部面白いだろ。流石演劇部、表情変化が立派ですねぇ。」

 舐められている気しかしない。煽りっ気たっぷりの眼は彼によく似合っていて苛立ちを増す。

「それより、何しに来たんだ。」

「それはこっちのセリフだから。ここは俺の定位置よ?なにしてんのさ。」

 聞き返されるとは思っていなかったので思わず息が詰まる。部活で負けたから、とは虚しくて言い出せなかった。

 その状況を哀れに思ったのか、聞き返してきたイチが薄ら笑みで口を開く。

「ちょっと息抜きしない?」

「は?息抜き?」

「そ。最近さぁ疲れてんだろ?お前。疲れてなくても来年になれば受験生になるんだし嫌でも疲れるようになるんだからさ、少し付き合えよ。」

 そういうとイチは僕の腕を引っ張って無理やり屋上から引きずり下ろした。抵抗はしてないつもりだったが引く腕は反論させないとばかりに人一倍強かった。

 

「おいでませ第二講義室~」

 ギリギリと音が鳴りそうなほどに強く腕を掴まれたままついた先は人気の少ない第二講義室だった。イチは先ほどとは真逆に紳士のように扉を開ける。扉の先、向かい合わせになった机に座っていたのは見覚えのある顔。

「ハルくんお帰り~。あ、カリス君!じゃなかった。カシロ君、いらっしゃい。」

 昨日教室で告白をしてきたあの毛先を赤く染めたツインテールの女子生徒だった。キラキラとした目で元気よく手を振っている。しかし僕はその姿に軽い違和感を覚えた。見た目はまるっきり昨日会った姿のままだったがまるで昨日の記憶のみすっかり抜けた彼女のように見えた。絶対にそんなことはあるはずないのに。周囲の友人からの知識だと告白後。特に振られた後は気まずくなるものだと伺っていたので思っていた状況と異なって調子が折れる。

「カシロ~?なに突っ立ってんだ?早く座れよ。」

 脳内でぐるぐるめぐる思考を外にいつの間にかイチは女子生徒の前に座っていた。退屈そうに足を揺らす姿に急き立てられるように僕もイチの隣に座る。

「いらないとおもうが一応紹介するな。この子はミモザ。あ、本名は清宮花火な。接点はないけどおな中だから知ってはいるだろ?」

「二人ともコードネームみたいなので呼び合ってるでしょ?だから私もそれで呼んでほしいな。」

 コードネーム、周囲の人間からはそう思われているのだろうか、少し複雑な気持ちになったが間違ってはいないので何も言わないでおいた。

「まぁ、はい、よろしく?」

「うんよろしく~!」

 にこにこと手を振って挨拶を交わす彼女は会話をしていてもやはり気まずさのかけらもない。むしろ僕にだけ気まずさや心地悪さだけが溜まっていく。この空間が不審で仕方なかった。

「で、なんでここに?何しようとしてるんだ。」

 突然呼び出すにしては段取りめいていると思ったのだ。高校生の突発的な提案にしては話が早い。

「いやさっきも言ったろ。息抜きだって。」

「ほんとかよ。」

 信じがたい表情だった。傍から見たら彼女、ミモザを振った報復に僕を呼び出したようにしか見えないし真相の見えずらいイチに関しては目的すら知れない。いつになく警戒してしまう。

「お話ししようよ!勉強とか、なにか作業しててもいいしさ!」

 説得する様にそういう表情はどこか純粋で信用を少し増した。けれどこの空気が異変のように感じられた。詐欺にでもひっかけられたかのような気持ちだ。

「本当にそれだけで呼んだのか?」

「だからそうだって。ま、疑うのもわかるけどさ。お前しばらく部活休みなんだろ?暇じゃん。」

 何故知って居るのだろうとイチの方を見るとどや顔でトーク画面を見せられた。うちの部員の名前だ。確かに、大会終わりの二週間は休みを貰っていた。初めての長期にわたる部活に対する打ち込みに体調を崩す部員が多かったことが原因だ。僕は大した疲労も感じなかったが流行り病に倒れる同級生も多い。そのうちの一人にイチの友人が居たのだろう。

「今日は課題でも終わらせますかね~」

「じゃあ私も~」

 まだ、僕の脳内は急な転機に処理が追い付いていなかった。そんな僕を余所に二人は仲よさそうに課題を解き始める。本当にそれだけの様だった。


 風のように流れる時間は止められず、あの急激な転機から二週間が経った。

 相も変わらず今日も第二講義室で息抜きと称した集まりは開催される。息抜きというだけあって日を経るごとにリラックスできているような気がしていた。部活漬けの日々から脱却しただけで自分が変わったとすら思えるのは脳の錯覚かそれとも実力なのかはまだはっきりしない。そういえば部活は始まったらしいが2年はほぼ引退状態なので週一で顔を出す程度にしている。

 ポケットに入れた携帯が振動した。画面には『お前まだ来ないの?』とイチからのトークが表示される。歩きスマホはダメだと念を押すようにポスターが見つめて来るので廊下の端によって文字を打つ。今日はミモザが七不思議について調べようと言うので図書室に調べ物に来ていたのだ。こういう謎解明みたいなことも時々やるようになり、気分はさながら某少年探偵団のようだった。

 図書館に寄ってから向かうという旨を伝えて電源を切る。中は思ったより人が少ない。受験生がはびこっているかと思ったがうちの学校は自習室を使う人が多いらしい。ちらちらと顔に当たる視線を横目に都市伝説のコーナーに向かった。先に行っておくと都市伝説コーナーなんてものはないので実際は古ぼけた学校の歴史が詰められた歯抜けの棚に向かっていた。それくらいは察せられた。まぁ結局参考になりそうなものはないので一番古そうな資料を取って少し読んでみることにした。

 席に座ってぱらぱらとページをめくるも正直つまらないことしか書いてなかったので早々に飽きてしまった。資料を閉じて軽く背伸びをすると斜め前から声がした。

「あの、」

 目線を向けるとそこには1年のバッジを付けた黒髪の生徒が座っていた。机に置いてあった本は茶色く見覚えのある様子だった。勘違いかと思って本を戻しに立つと「あの!もしかして都市伝説、調べてますか?」と少し赤い顔の彼は僕の裾を掴んで聞いてきた。

「そうだけど?ただちょっとうるさいな。」

 彼の声は図書館には似合わない声をしていた。おかげで僕らは数人の視線の標的になっていた。

「あ、え、その、すいません……」

 裾の手が離れ、どんどん小さくなる声に比例する様に小さくなって椅子に座った。それを見て僕も椅子に座る。

「君、都市伝説について調べてるの?」

「まあその、興味本位ですけど……」

 興味本位以外で調べるのもどうなんだというツッコミは喉の奥に仕舞っておいて向き直る。

「あ、この本たちもそれ関係で。多分先輩が持ってる本には何もそれらしいことは書いてないかと。」

 やはり机の上の本はさっき見た本棚の歯抜けを埋めるものだったらしい。古ぼけ具合も超鵜戸同じだった。それにしてもよく声をかけられたものだと感心する。たとえ同じ学校の生徒だとしても金髪の人間に話しかけるというのは勇気がいることだろう。実際街中で話しかけられることも減った。僕自身も部活の為で校則が緩いとはいえこんな派手な色にするとは誰がそうぞ出来ようか。思い直すとイチが僕に声をかけたこともよく分かったなと褒めてやればよかった。

「なるほど。」

「で、その、よければ協力してくれないかなと!」

「都市伝説調べに?」

「はい!」

「声。」 

「すいません!」

 どうやら目の前の少年は熱中するとのめりこんでしまうタイプの様だ。目が輝いている。とはいうもののもう僕にも協力者はいるしな。流石に掛け持ちはできない……。

「あ」

「え?」

「君、息抜きに興味ない?」

 困惑の状態の彼の手を引いて図書室を後にする。もちろん本は戻した。


「ただいま。」

 第二講義室に着いた時には黒髪の1年から手が離れ、困った表情を浮かべながらもしっかりついてきてくれたみたいで安心。

「遅かったな。部活行ってたのかと思ってたわ。」

「部活は1年に投げた。それより、新メンバー連れてきたんだけど。」

 そういって背後で縮こまる彼を前に出した。

「新メンバー?」

「え、メグくんじゃん!」

 ぞろぞろと新メンバーに詰め寄る二人。メグくんと呼ばれた1年は少しおびえた顔をしていた。が、ミモザの顔を見るとパッと明るい顔をして見せた。

「あ、花火先輩!」

 話を聞くとどうやら同じ部活の後輩らしく知り合いだったらしい。

「改めて自己紹介しますね!オレ、メグと申します!」

 手を敬礼する様に添えて元気に挨拶するメグに対して先ほどとまるっきり変わった姿に一瞬引いてしまった。目の輝きから違う姿にはもはや感嘆する程だった。本人曰く本名だがここでのコードネームはそう呼んでほしいとのこと。名字は教えてくれないのかと謎に思ったが僕も人の事は言えないので見逃しておこう。

「お前の知り合い?」

 イチから小声で聞かれてしまった。未だ話で盛り上がるミモザとめぐを横目に話す。

「いや、声かけられたからスカウトした。」

「それはお前もメグもやべぇな。」

「ん、呼びました?!」

 こっちに来ても声はうるさい。すると感じたことが顔に出たのかまぁまぁと言いながらミモザが机に向かった。

「仲間になったんだったらさ!話しようよ!」

「話す?何か話してたんです?」

「例の都市伝説の話だよ。そのために連れてきたんだから。」

 僕はそういうと強引に椅子を引いてめぐを座らせた。

 向かい合った先にめぐを座らせ、隣に苦笑気味のイチが気だるげに座った。ミモザは鞄の中からなんだか古そうなファイルを取り出して見せた。

「これが図書室の奥底にあったの!いろいろ書いてあったんだけど面白そうなのがあってさ。」

 はいと手渡されたファイルを開くと茶色の紙に達筆な字で不満だったり不条理や不便な点が書き並べられていた。生徒専用の掲示板のようになっていた。最初の方は目安箱のような使い方をしていたようだが後ろの方を見ると雑になってきているのか遊んでいるのかふざけた内容が見られた。紙の種類も千差万別で、原稿用紙にルーズリーフ、コピー用紙や厚紙もある。コーヒーの匂いのするそれらの一番後ろにはミモザが書いたであろう筆跡で白い紙にメモが残されていた。メモを眺めているとミモザが一枚の破れた紙を差し出した。

「埃臭くは無いが古く見えるな。」

「ここに3つ、ファイルにあるような不満とかとは一風変わった問題みたいなことが書いてあった。破れてるからわからないけどもう反対の紙と合わせて残りの行数的に7つありそうじゃない?」

 言おうとしていることは何となくわかるが分かりにくい説明だった。つまりは破れているもう一方の片割れと合わせれば7つ何かが書かれているのだろう。

「下に詰め込まれている可能性は?」

 イチがボケた口調でかつ真剣な表情で言った。

「無いとは言えないけど……ありえる?」

 ミモザがボケで返した。いつも見る光景だ。僕は毎度毎度華麗にスルーする。

「メグ、思うところはないか?」

 置いてけぼりになって資料を眺めるめぐに声をかけた。

「……この切れ端、もしかしたらオレが持ってる紙のもう一方かもしれないっす。」

「え」

 鞄をがさごそと漁り取り出したのは先ほど見たモノと酷似している紙切れだった。

「これそうじゃん!」

 ミモザはメグの手からひったくる様に紙切れを取って身を乗り出した。

「ほら見て!ピッタリ合う!……でもあと1つしか書いてないね。」

「そうなんす。残りは地図ですね。学校内にあるよーってことでしょう。」

 ミモザから紙を返して貰っためぐはそのまま中心に置いて見せてくれた。そこには簡易的に、でも的確に図が描かれていて明らかにこの校舎の配置だった。

「思ったより親切だな。探してくれと言わんばかりの。」

「探してほしいんじゃね?俺が作ったとしたら絶対探してもらいたい。」

 そういうイチは紙を片手にじっと文字とにらめっこしていた。それを覗き込むように僕も参加する。全部で4つある謎らしきものの内容は開かずの屋上、絵画のベートーヴェンの裏の金庫、第二講義室の時計裏の手紙そして。

「4:44分に3階の男子トイレを覗くとナルシストになる……?」

 それは他の事項とは異質な空気を振りまいていた。というかふざけているようにしか見えない。

「ちょっとこれ試してみない?」

 ミモザがそう言う。目がキラキラしていて断りづらい。けれど正直この中で一番難しいと感じる。

「いや無理だろ。どう判断すんだよ。」

「でも時間は調度良いぞ?」

 イチが指さした先の時計の時刻は4:38分だった。

「行っちゃいます?」

「でも判断基準が、」

「そうかお前もうナルシストだもんな。」

 あきれ顔で肩に手を置かれた。本気で殴ってやろうかと思った右拳を抑えただけ優秀であろう。

「やってみるだけやってみよう!あ、私は入れないから行ってきて!」

 投げやりになりながら手を振るミモザを置いて3人で向かうことになった。その間にミモザも色々調べてはくれるようだが僕はまだ無理やり連れてこられている状況に納得しない。

「とりあえず、納得してないであろうナルシストカシロくんは置いておいて、」

「おい」

「メグ、鏡見る?」

 廊下を歩く3人の足音と会話が響く。

「ハル先輩、じゃなかったイチ先輩でもいいですよ?」

 まるで自分はまだナルシストじゃないですよと言わんばかりのやり取りをぼんやり耳に入れる。僕の言い分はなしかと言いたかったがもう否定も面倒だったのでやめた。

「じゃあ俺が行くか。」

 そんな会話を続けて数分歩いた。無駄に広いこの高校は2年たった今でも迷子になる。基本的に前を歩く二人の会話を聞きながら歩いていた。秋と冬の狭間のような景色に鳥のさえずりもほんのり聞こえてきて風流。ついた時にはもう43分になっていて3人でやばいやばいとトイレに駆け込んだ。するとそこには社会教師の高橋先生が鏡を覗き込む姿があった。

「……高橋先生?」

 おそるおそるイチが鏡越しに問うた。先生は数秒俯いた後軽快に振り向いた。

「やぁ相生君、それに東君。この僕に何か用かね?」

 硬直した。真面目な高橋先生からは想像もできないキラキラ具合に吐き気がして少し退く。しかもそれは僕には演技だということがひしひしと伝わってくる。

 「あーはずい。お前ら、東は特に分かってんだろ。嘘だよ嘘。俺がこんなんになるわけねぇだろ。早く帰れ。ほらここじゃなんにもおきねぇよ。」

 そう早口で言うと足早に、逃げるように職員室の方へ去っていった。気持ちの悪い口ぶりはやはり目的は僕たちと同じだったのだろうか。先ほどの様子を鑑みるに鏡をじっと穴が開いてしまうほど眺めていたのも噂を知っての事だろう。彼がナルシストになりたかったのかの真相はさておいて現在時刻は4:46。もう検証を行うことはできない時刻になっていた。イチはまだ鏡を世事笑いの眼で呆然と見つめ、メグは口元を抑え笑いを堪えきれずに声が漏れている。

「これ、やったところで恥をかく人が変わっただけだろ。」

 なだめるように肩に手を置いた瞬間二人が噴出して笑い始めた。それはそれは五月蠅く笑い転げるので声が廊下中に響き渡ったので引きずる様にして第二講義室に戻る。過呼吸になって赤い顔をした二人はあまりにも重い。


「ただい、ま」

 息も絶え絶えになってたどり着いた時には二人は笑いを収めていたけれど落ち着くのに時間がかかりすぎていた。僕の方が落ち着きたいというのに。

「おかえりぃ。すごい楽しそうだったね。」

 資料片手に手を振るミモザにも聞こえるほどの笑い声だったらしい。後に怒られることを想像するとどうか巻き込まれないでくれと願わずにはいられなかった。

「色々あって失敗した。詳細は後でいくらでも話してやるからこいつら何とかしてくれ。」

「笑い死ぬ……」

 音を立てて床に馬鹿二人を落とす。疲れた肩を軽く回して溜息をついた。何があったのか、かくかくしかじかという有難いお言葉で解説するとミモザは噴き出すように笑っている。

「なるほどね。あー面白い。そうか先生も見てたんだ。」

 ミモザは笑いながら言うと軽く頷いて机にいつの間にか置かれた封筒を掲げた。

「そうそう!3人がトイレに行っている間に第二講義室の時計裏見てみよーって思ったらあったよこれ!」

 ミモザが高々と掲げる封筒はよくある茶色の封筒をしていて、コーヒーの香りはしなかった。封筒の糊付けをはがして中を見ると管理人よりお知らせと書かれた手紙が入っていた。

「管理人?このファイルのか?」

「多分そうじゃね?カシロ、ちょっと読んでみろよ。」

 いつの間にか回復してたイチが肩越しに覗き込んでくる。

 致し方なく内容を読み上げることにした。

「いつもこの生徒専用非正規目安箱をご利用いただきありがとうございます。突然ではございますが、教師一同からの弾圧により提供を停止させていただきます。結局この不条理な学校は治りませんでした。申し訳ございません。ですが停止前に彼らに一石投じております。もちろん学校運営にもダメもとで。いつかこの学校が変われる日まで、卒業しても諦めません。……橋谷ゆき」

 綺麗な字だった。まるで春風を掬ったような、それでいて道路の白線のような字。

 橋谷ゆき。聞き覚えのある名前だったがぼんやりと頭の中に浮かんでは消える。

「なんか、凄いな。」

「いや語彙力無くしたのかよ。」

 そう言ってみるが正直僕も息をのむことしか出来ずにいた。妙に現実離れした、というべきか。この平和な学校に似合わない黒い部分を証言しているような気持ちになったのだ。

「問題、謎もこの人が作ったのかな?」

 呟いた声はミモザ。手には破れた紙。見比べてみると筆跡が同じに見えたので管理人作成のものなのだろう。

 少し考えてしまう。管理人、ゆきという人物は何が目的でこの謎の項目を挟んだのか、人の目に当たらなそうで当りそうな場所に資料が置いてあったのにも疑問が……

 キーンコーンカーンコーン……。

 無情にも鳴り響くチャイムの音に全員で時計の方へ顔を向ける。最終下校時刻の経過を知らせる放送に耳を傾けても何も聞こえなかった。溜息をついて立ち上がる。気まぐれにしては重く、放課後にしては長すぎる時間だった。毎日同じような時を過ごしているはずなのに、時計の針も正常だと信じているのに。帰り道はあまりにも非道だった。

「カシロ先輩って、その、演劇部なんですよね?」

 先を歩くイチとミモザの後を薄ら眼で追いながら歩いて居た時だった。メグが少し後ろから声をかける。

「よく知ってんな。そうだよ。」

 一生徒の部活事情なんで知っていることの方が少ないというのに珍しかった。僕は目立っている方ではないと取り繕った謙遜で膜を張っていたから。実際はハーフであり名を偽って生きる人間が珍しくないはずがないのだろうけれど。

「有名ですし。何で演劇部に入ろうと思ったんですか?」

 真っ直ぐな瞳を向けられて思わず足が止まる。後ろに居たはずのメグが気づけば前に居た。

「あぁ……なんでだっけなぁ。」

 うつむき気味で思い返す。曖昧な記憶に活を入れるように脳を刺激する。

 

 ****

 夏の事だった。

 半袖シャツに汗がにじんで気持ちが悪い。けれど快晴続きのおかげで湿気が充満していない事は望ましいことだった。中学生生活ももう終盤の夏の空だ。

 僕は進学の為に学校が行っている説明会に来ていた。都立高校を第一希望にしていたのでこの私立高校はあまり乗り気ではない。落ちる気はないし滑り止めとして受験に必要だからと足を運んだ。中高一貫ではないのにも関わらず平均的な高校より一回りも大きい。高さも横幅もある。相当多くの生徒が入学するのだろうと他人事のようにふと考えていた。想定通り沢山の受験生が門から入口に吸い込まれていく。その流れに身を任せるように僕自身も前に進んだ。

 説明会自体は普遍的な、他の高校とさほど変わらなかった。いや、変わりないというと失礼に当たるだろうから謝罪する。簡単に言うと個性を育てます、進学実績が凄いです見たいなことを言っていた。偏差値はそこそこ高いので校則が緩くメイクや髪染めOKとも言っていた覚えがある。やりたいことも見つかっていない僕にちょうどいいと思った。多分あの場に居た全員がそう思ったであろう。当たり前だ。皆に合う校風をアピールすることで志願者数を多くするのは高校大学の手口なのだから。

 昇降口から出てすぐ、笑顔で正門まで案内する在校生を無視して敷地内を歩くことにした。HPには説明会後自由に見て回れると書いてあったから大丈夫であろう。校内は見てきたので校庭、中庭、そして物珍しいステージを観た。他のものには眼も止まらなかったのに、そのステージには目を奪われた。理由はたった1つ。広いステージで独り、音もなく踊る少女を見たのだ。

 真夏で雲も無い晴天で客は誰一人いないにも関わらず長袖の制服で踊るボブの髪を持つ彼女は軽やかに、まるで踊り子のように妖艶に踊っていた。その姿はまるでモダンバレエ。華麗な歩みは蝶よりも美しく熟れていた。しかし汗1つない瞼に林檎より赤い頬、そして目には見えない視線が僕に憑りついて離れてくれなかった。無音のステージ上がさながら中世欧羅巴の貴族層の遊戯の様で、原因不明の音楽に酔いしれていた。それに気づいた時にはもう両の目どころか心も奪われているとは思えない。元から奪われていたように。

 数刻が経ち、舞台上の演劇者は深々とお辞儀をした。客は僕しかいない。それでもまるで大舞台で演じているかのようだった。お辞儀の後ゆっくりと顔を上げて僕の方を見た。その表情は恍惚とし、美しかった。彼女はくるりとスカートを翻して去っていったが舞台にはまだ熱気が残っていた。

 ****


 落ち着いてから知ったことだが、あの舞台はダンス部ではなく演劇部のものだったらしい。その舞台から離れられなくなった僕は第一志望校をすぐに変更し私立校であるこの高校に入学した。確か理由はこれであっていたはずだ。思い出していたら無言になっていたのか話していたのか曖昧になった。顔を上げて息をつくとメグが口を開くのが見えた。

「あ~あの舞台ですか。へぇ~」

 その口調は嘘が下手な人間の様で額に汗がにじんでいた。

「お前なにか知ってるだろ。」

「え?!えっとぉ、その、し、」

「知ってるな。何でもいいから教えろ。」

 僕はそれだけを追ってここに来たんだと付け加えて回りこむように詰問した。圧がある様に見えるのは申し訳ないが仕方ないのだ。

「あー……あの舞台、取り壊しが決まっていたけれど一人の生徒の抗議で取り壊しがなくなったっていうやつなんですよね。」

「ふーんそうなんだ。で、まだ隠してるよな?」

「なんでわかるんですかもうー!言っちゃいますよ!その抗議をしたのがその人です!」

 怒るように頬を膨らませてメグは言った。流石にもう隠し事は無いだろうと言葉を飲み込む。

「なるほどな。なんでお前がそれを知ってんだ?」

「……有名な話ですし。そんなにここが良い場所じゃないってことくらい。」

「え?」

「ほら!もう帰りますよ!時間です!締め出されたら怒られるんですから!」

 速足で僕の手を引くメグに呆然と着いていくことしか出来ずに気づくと帰路に居た。線路を挟んだ先、電車に乗り込むメグが手を振っていたのに振り返して目を逸らした。



「……う。やっぱりこれから……でもこっち……」

 ぼやけた眼と途切れ途切れの会話から覚めたように身体を起こす。突っ伏していた机から背筋を正して戻すとミモザとイチ、メグがこちらを向いた。

「やっと起きた。おはよ。授業中も寝てたのか?お前。」

 そういえばもう放課後だと不明瞭な頭を起動する様に目を擦る。今何の話をしていた?と聞くと笑って三人が諸々説明してくれた。

「今ね、次の謎は何にしようかなーって話してて。」

「で、ベートーヴェン裏の金庫が気になってるとこ。まぁ屋上は開いてるし消去法でそうなるわな。」

 机に広げられたファイルは必要あるように見えて実は必要の無いものだった。口先だけで決めたならそりゃそうか、と勝手に納得しておく。

「あぁ。なに、もう行く感じ?」

「そのつもりだけどまだ眠いならあれだけど?」

「何」

「チョーク投げて起こす。」

 いつの間にか手に持っていたチョークを投げるふりをするように僕に向けていた。昭和かよ、と言いチョークを没収するとへへと笑った。

 眠気が急に襲ってきていたのは昨日のメグの話を反復して思い返していたからだ。橋谷ゆきと言う人物と、あのステージで踊る生徒。もしステージ撤去の抗議をしたのが彼女なのだとしたら、もしかしたらファイルの管理人、橋谷ゆきも彼女なのではないかと思っていたり。そう考えていたら深夜になっていたのだ。しかしこうも考え込むのは自分らしくないなあと思いつつイチが歩く傍を着いて歩いた。

「第1音楽室のなんだったっけ?」

 ミモザが音楽室の扉を開けながら言った。

「ベートーヴェンの裏っす!でもなんか裏系多くないっすか?」

「裏系?あ、何かの裏に隠れてる系ってこと?」

 確かに、それは多いなとは感じた。隠しておきたいことが多すぎるんじゃないのかこの学校は?はたまた生徒が暴かんとする事実が隠されているのか、とにかく謎が多すぎる。

「さっそく見ちゃう?」

「見ちゃおうか。」

 ミモザとイチが小走りで絵画の方に駆けていった。それを追いかけるように焦り気味でメグも追いかけたが僕はとりあえず歩く。高いところにあるその人はミモザの背丈では到底届かないどころかイチにすら届かない位置にあった。近くに梯子のようなものはないし、しょうがなしに椅子にでも上って裏を覗いてみることにした。

「椅子で届くのかこれ?」

「メグくんなら届くんじゃない?」

 一斉に振り向くとメグは一瞬びっくりして苦笑いをした。メンバー全員で並ぶと明らかに背の高い人間がそういえば居た。それがメグなのだが足が長いのか胴が短いのか全く気づけなかったのだろう。おだてるようにしてメグを押しだし椅子に脚をかけさせると容易にベートーヴェンに手が届いた。思わず地上の3人で拍手をしてしまった。

「そういうの良いですから!てかこれならカシロ先輩でも届きますから、こっち来てくださいよ心細いんで!」

 そう椅子の上で暴れる男を見ているとまるで幼児だなと白い目になる。溜息を吐いて椅子に上ると確かに僕でも手が届いた。

「じゃ、額とるか。メグお前そっち側上げてくれ。イチは受け取れ。」

「へいへい。」

 せーのという掛け声と共にガコッという音がして腕に少し重厚感が加わる。彼をイチのいる方へ差し出すと壁にある異変に気が付いた。

「あぁ……これか」

「重。何かあった?」

「なんかも何も金庫だ金庫。」

「ほんとに?!本当にあったんだ。」

 背後で騒がしい声がする。だが隣のメグは浮かない顔をしていた。苦々しい顔と言うか、何かを噛み締めているかのようだ。

「メグ?」

「はい?あ、っこれ、番号、分かりませんね……」

「お前、昨日から本当に嘘が下手だな。動揺しすぎだよ。」

 そう言うと目を逸らして縮こまった。彼の額を通る汗が地面に落ちる。それきり黙ってしまったので昨日とは違う姿に眉を顰める。けれど人には隠したいこともあるのだろうと深堀は辞めた。

「お前が言いたくないならいいよ。無理は――」

「いえ、言います。これがあの人の望みでもあるので」

「あの人?」

 応えが帰って来るより先にメグの右手は動いた。かち、かちとダイヤル式の金庫が音を立てる。メグ自身も緊張しているのか手は震え、息が少し荒くなっていた。無理はしないでくれ、という僕たちの言葉はもう耳に入らない様で彼の集中力が目に見えた。

 かちゃっ。先ほどとは違う音が鳴りメグの震える手がゆっくりと離れていった。

「開きました。」

 メグはふうっと息をつくとふらふらしながら椅子を下りた。イチとミモザに介抱されているようでほっとしたが「お前、何者だよ」と言わずにはいられなかった。きっと僕の額にも汗が伝っている。

「ただの男子高校生です。訳アリですが。」

 にへらと笑う姿を見てああと飲み込んだ。イチの目が早く中を視ろと焦らせるので軋む金庫を開いて中を覗き込んだ。

「何、これ。」

 中に入っていたのは女子生徒の盗撮写真らしきものと調査結果と書かれた大き目な封筒。そして管理人よりと書かれたコーヒーの香る手紙だった。これらを目に入れた瞬間背後から怒号が聞こえた。

「お前ら!!何してんだ!!」

 思わず振り返ると居たのは高橋先生と心配顔の先生数名、そして真っ赤な顔をした教頭先生だった。全速力で捕まえるように迫って来るので逃げるほかに選択肢がない。

「カシロ!そこにあるやつ絶対に落とすなよ!」

「分かってる!道案内しろ!」

 イチはぐったりしたメグを背負って走った。僕は急いで金庫の中身を引き抜いてその後を追う。ミモザが詳しいのか、外へ出る扉へと連れて行ってくれた。

「こっち来て!」

「おいこの扉じゃ屋上にしか行けないだろ?」

「今はこれしか道がないの。捕まりたくないでしょ!」

 重い扉を勢いよく開けて階段を駆け上った。ミモザはいつの間にか僕の手を引いていち速く走ってくれた。イチは高校生一人背負っていても先生たちより速いようで安心した。周囲を見る余裕がないほど走って、時折聞こえる先生たちの声を五月蠅く感じながらもとうとう屋上についてしまった。

「はぁ、はぁ、おい。お前ら、堪忍、しろ。」

 屋上のフェンスに到達して息を整えるも、やはりおじさんおばさんぞろいである先生たちの方が体力の消費が激しかったようだ。

「先生、大分お疲れですね。」

 イチがメグを下ろしながら煽った。メグはもう落ち着いたのかイチに軽く礼をしながら前方に向き直る。

「お前ら、なにをしでかしたか分かってんのか?」

「え、これそんなやばいやつなのか?」

 思わず手に持ったぶつを揺らして呟く。それを見て風で飛びそうになるのを先生たちがひやひやしながら見ている。どこか面白くてわざとらしくやってついでに封筒の中を眺めた。

「おい!やめろ!」

「やめません。ふーん、なるほど先生結構やらかしてるんですね!」

 イチが覗き込んで笑っていた。封筒の中には公表されていない事件レベルの案件がびっしり書いてあった。これを先生たちは隠したいのか隠していたのか、僕らの手から奪おうとしてくる。こんな狭い屋上ではしゃぎあったら落ちてしまうというのに、哀れな人たちだと他人事のように思ってしまった。その時、僕は悪魔にでも憑りつかれたように思想が傾いた。気づいたころにはもう遅く、僕の手から紙や資料が零れていく。強い風は翻弄し舞い踊るようにフェンスの外へ紙吹雪を追いやった。視線は全て外れへ流れていく。もう手遅れだと知って。

「なにやって、」

 誰の声だか分からない言の葉が聞こえた。だが憑りつかれた僕は元に戻れなくて、ただ笑う。

「もう、いいじゃないですか。隠した貴方たちが悪いです。管理人には感謝しなきゃな。だってこんなにも楽しい。」

 天を仰いでよろけた様に力が抜ける。この気の抜けた自身の姿を客観視してあまりにも狂っていると笑った。きっとこれが終われば校長に話がいって停学処分、悪ければ退学だろう。そう思うとどうでもよくなってしまう状況だと黙認した。仲間たちも怯えている事だろう。間違いなく。

「橋谷、ゆき、」

 青ざめた教頭が呟いた。その声を耳にしたモブの先生方も色を変えて視点を泳がせる。そして走って屋上から去っていった。


「何だったんだよ、本当に...」

 ほぅと息をついてフェンスに寄りかかると音を立てて隣に並ぶイチ。ミモザとメグも同じように並んで長い息を吐いた。僕はどこを見る訳でもなくこれで何か変わればいいねぇ。なんて呟く。

「変わるどころかこの学校消えませんかね。」

「てか俺何があったのか見てないんだけど。なんで投げちゃったのさ。」

「あぁ、1枚だけ大事そうな手紙はポケットに忍び込ませたから...見るか?」

 実は逃げ始める直前にいくらかポケットに突っ込んでおいたのだった。おかげで大事そうな手紙や写真はしわくちゃになってしまったが味がででいいのではいかとすら思う。

 3人に見せた写真たちは教育委員会に見せたら即クビものでとにかくコンプライアンス違反を犯しているものだった。隠しカメラのようなもので撮られた紙の画面には僕の尊敬する彼女が映っていたことも、手元に残しておいた理由であろう。ミモザは意外と平然としていたがメグは手で隠しつつ引いて見ていた。イチと僕は覚悟を持っているような表情をしていた。目を瞑って長息すると最後の写真を手放した。あ、という声を横目にひらひらと地上に落ちていく写真。

「これで終わりか。」

「あの……先輩に謝らないといけないことがあって。」

 メグが急にフェンスから離れて面と向かった。その目はさっきの緊張とは違う真面目な表情をしていた。

「オレ、あなたたちを誘導する為に協力してたんです。」

「……え?」

 先輩の表情とは思えない間抜けな声が3人同時に出た。

「説明が難しくて。えーとあ、まずオレの本名から教えますね。」

 メグは咳ばらいをして軽い深呼吸をした。

「改めて、メグこと橋谷めぐです。今まで、というか昨日からですか、騙していてごめんなさい。」

 めぐは深々とお辞儀をした。僕らは狐につままれたような顔で呆然とする他でできずに居た。

 橋谷、と言えば管理人の名だ。本名を言えずに居たのはそれを隠していたからか?いや偶然かもしれない。橋谷なんて日本にいくらでもいるだろうと……。

「管理人の橋谷ゆきは、姉か?」

 イチが問うた。めぐは一息おいて答えた。

「そうです。オレは姉に頼まれて、姉の代わりに悪行を暴きに来たんです。」

 めぐは付け足すように、ミモザがファイルを見つけたことも偶然ではなく司書さんに頼んで分かりやすいところに置いておくように頼んだそうだ。僕はめぐの話を聞いて真っ先にイチとミモザを疑ったので、それが晴れたので少しホッとする。

「でも、なんで僕らを?」

「僕の姉はこの学校の演劇部を関東大会まで連れて行ったエースです。と言えばわかりますか?」

 耳に入り、脳を言葉が駆け巡った瞬間喉の奥から息だけが漏れた。僕が憧れていたあの人だ。絶対に。やはり、彼女は管理人だった。橋谷ゆきその人だったのだ。

「あの時姉は貴方の事を深く覚えていたそうです。自分の後を継ぐなら貴方であるとまで。姉はこの学校をいたく嫌っていましたから。」

 めぐはそういったきり目を逸らした。もう説明は終わりだと言わんばかりに。まだ聞きたいことは沢山あったはずなのに、脳の処理は1900年代のPCより遅い。思わず倒れこむように寝転がった。

 青春らしいとはこのことだときっと哲学者でさえいえるだろう。青春とは程遠い僕らがそういうのはお門違いだなんて笑わせはしない。答えがないと僕らが一番知って居るから。目を瞑って焦げた夕焼けから目を背けると周囲から同じように倒れこむ音がした。

「いいよね。これで。楽しかったし。」

 全ての発端であるミモザが悲しそうな声で言った。

「いいよ。なんか、経験だろ。」

「だなぁ。」

「……先輩たちに出会えて良かったです。必然でも。」

 夜と太陽を二分割した中央で泣きながら笑いあっていた。こんなありもしない現実を、自分が一番愛していたのだと気づいた時には手遅れだったけれどそれもまた、一興。


 時は過ぎた。あの事件は壮絶だったと後世に語り継げる。資料がばらまかれたことで一生懸命回収をした先生陣の努力も虚しく話は校長まで届いてしまった。教頭は僕らの名前を出して必死に弁明したが誠実な心を持っていた校長は何一つ聞かず事実だけを見て教頭を解雇した。思い切りがいいなと思ったがちらほらと聞こえる女子生徒の歓喜の声を聴くと良かったのだと浸るように考えを染み渡らせる。

 図書館に行ったときに、司書さんから声をかけられた。司書さんは橋谷ゆきと仲が良かったらしく、故にファイルを預けられていたと語っていた。聞くと教頭からのセクハラの1番の被害者は橋谷ゆきだったそうだ。加えて大好きな舞台まで壊される話が出たことで心が折れ、復讐を誓ったのだとか。密かにファイルを作り、同じ境遇に置かれた女子たちを味方につけて証拠を集めた。準備を万全にした彼女は証拠を校長に持っていこうとしたそうだ。しかし教頭にバレてしまい全てに帳が張られてしまったことで直接対決は出来なくなってしまったのだ。それでも後輩のことを思ってなのか、彼女は悪人の悪行を暴くことを委託して学校を去った。しかし司書さんは彼女は勇敢だったと話してくれた。

 今、時期は受験シーズンにまでなった。部活を引退した僕たちは勉強に本腰を入れることになる。正直実感はない。大人になることへの恐怖もまた増していく。

 今日はミモザ、清宮花火に呼ばれて教室で待っていた。あの日を思い出す。過去の僕は随分と性格が悪かったなと反省してももう遅いが。

「お待たせ!ごめんね待たせちゃって。」

 花火は前のドアから静かに入ってきた。

「いや、慣れてるから大丈夫。」

「そっか。ね、覚えてる?あの時もさ、私がここに呼んだよね。」

 思い出すように彼女は言った。忘れたくても忘れられることではないだろうと思ってもそうだなと普遍的なことを言う。

「私、君にあんなことを言われてもまったく変わらずに今日まで生きてたの。なんでだと思う?」

 上目遣いで尋ねられた。見覚えのある顔で。そういわれても分かるはずがなかった。だって僕らは赤の他人なのだから。

「私は、君のありのままが好き。それはずっと、中学時代から変わらない。だから私もありのままを好きになって貰いたかったから。このままで居た。」

 眼鏡のレンズが光った。眼鏡の奥の目は光って僕をじっと見つめる。

「君の演じる姿、私はもっともっと見ていたい。出来るなら、隣で。だから、夢をあきらめないでよ。」

 夕陽が刺す教室は僕らだけの為にあるようだった。いや、この世界が全て、僕らの為にあるように錯覚した。ある意味それは正しいのかもしれない。

 彼女は一輪の花を差し出して言った。

 「私の気持ちはずっと変わらないから」

 そして今までで一番素敵な笑顔で笑った。この世で一番美しい姿だ。どんな絵師でも描けない唯一無二の、輝きは金甌無欠であった。

 自分勝手だった僕らは変われるのだろうか、結局は意志によるのだろうか。まだ未熟な僕にはわからない。

 けれどただ一つ、一つだけわかることは林檎のように火照る僕の頬は彼女にだけ向いているということだった。

 花の名前はデイジー。黄色い花弁は風に揺れて遊ぶようだ。

 これが僕の存在だとするならば、幸せを追うのも悪くない。

 

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

存在? きりり @mikanraku_kiri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ