159. 猫の鼻と口


「……え……?」

 上手く剣を受けていたと自己評価していたオーエルは、自分がまた穴に落ちていたとようやく分かった。

 すぐに引き上げてもらい、


「……サティが女性を斬れないから魔力に任せてやってるってオレも馬鹿にしていましたけど……尋常じゃなく無茶苦茶ですね……」

 女性を斬れないどころか攻撃にも移れないサティラートが、女性の敵を魔力で作った大穴に落としていたが……落とされて、その衝撃だけでもかなりのもので、今回のオーエルのように他との戦闘に集中していればどうしようもない技と分かる。


「……サティラートさんは、更に水で中をぬかるませていましたからね。よくあんなことできますよ。サティラートさんによれば、水に痺れ薬や毒に類する成分も混ぜることもできるとか」

 穴を作った魔導士が言いながら、穴を元に戻した。

「殺す意図はないので、毒は使ったことはないそうですが」


「どんだけ魔力あるんですか……。サティナお母さんくらいの魔力量って聞いてますけど……」

「そうですね。サティラートさんは魔導騎士でやっていましたが、私たちは魔導専門が遠くから集中してやっとです。しかもサティラートさんは、対象がどう移動しようと完璧に足元に穴を作りますからね。どうやって動きを予測しているのか聞いてみましたが、私が聞いてもさっぱりでした」

「確か、エルベットの高位魔導士って、もっと魔力あるんですよね。サティナお母さんよりもあるんですか?」

「サティラートさんもレヴィス殿下も、高位魔導士の方がサティラートさんよりも魔力があるって仰っていましたが……サティナさんは亡くなっているので、周りの人の言葉によれば、であって、もしかしたら何か色々分かっていないことがあるのかもしれないと……」

「……サティの家、無茶苦茶色々ありましたしね……」

 魔力迷路だの金貨が増えて壊れるだの、どう考えてもおかしい。呪王クズのせいで謎になってしまった。


「あら? 大隊長? サティラートさんの大穴掘りには致命的な欠点があるのに気がつかれません?」

 ミリアが上機嫌に言ってくる。手には、小さなワンドがある。魔力増幅の媒介らしい。


「……? なんですか? どう逃げても空でも飛ばない限り……あ!」

「そうで~す! 風属性持っている魔導士に浮遊とかされたら、すぐに全員に逃げられちゃいます!」

「……ですから、エルベットの騎士訓練受けても、女性に攻撃できないって弱点をこの手で言い訳できないんですよ……」

 上機嫌なミリアの横で、小隊長の魔導士は憂鬱そうに言う。

「過去、やっぱり浮遊で逃げられそうになって、レヴィス殿下が捕縛することになったとか……」

「……どうしてもレヴィス殿下たちのために騎士になるときは、絶対に嫌だけど貴族権限で騎士になって殿下の直接雇用扱いで傍に居るって、それは嫌そうな顔で言っていましたよ~」


 上機嫌なミリアに、

「うわ、サティが一番嫌な権力ごり押しですね……」

 そう言ったサティラートの心中を察してオーエルも憂鬱そうに言った。


「大事な弟殿下のためなら、自分の信条も曲げるとか……サティらしいブラコンですね」

「そうで~す! 弟殿下のお話になると、すっごく嬉しそうなんです! ブラコンの典型として口伝でも残したいくらいですね~」


 そう言うミリアは、過去に弟を亡くしている。生きている弟のために必死なサティラートに、自分と弟の為にも弟たちを大切にしてくれと思っているのだろう。

 サティラートのブラコン話になると酷く上機嫌な様子で笑っているが、オーエルはその件には絶対に触れない。


 ……と。


「あの大馬鹿ども、私を娼館に売ったら弟は絶対責任もって育てるって約束しやがったのに……あろうことか炭鉱の労働奴隷に売っぱらいやがったわ……」

「す、すみません、ミリアさん。そういうのを変に募らせると呪怨になるらしいので、気をつけろってサティがよく手紙に書いてますから……」


 仮面を切り替えたように、いきなりとんでもない形相になってワンドを変に構えて呟くミリアに、オーエルは慌てて言う。


 サティラートの手紙には、エルベットに着いた直後から呪いに関する記述が何故か多い。それも、変に思考をこじらせて勝手に呪いを作り、テロリストにまでなってしまった女性のニュースを読んで納得したが。


 炭鉱奴隷は、典型的な労働奴隷だ。戦わされることはないが、日々の労働で確実に死に至る、売り買いしている人間が消耗品と疑問もなく称していた扱いだった。危険なものも対処も教えられることもなく働かされ、妙なガスなど出れば即座に全滅し、新たな炭鉱奴隷が連れてこられて遺体が処理され、当たり前のように入れ替えられる。

 救助できれば娼婦のような異常な欲望に晒された被害者と違って社会復帰への道は短いが、見つかるのは多くが遺体、しかも適当に棄てられて獣に食われた遺体が入っている穴の中だ。腐って害が出なければいいという、本当に見ていて堪える扱いだ。


 ミリアは、旧丁鳩邸ていきゅうていで順調に訓練できている中、レヴィスから弟が遺体で見つかったと知らされ、炭鉱に売られていたと知った。

 もちろん、平気で子どもを売り飛ばす体質だった産まれた村は、即座に大人全員が捕縛されたが、両親の裁判で堪えきれず叫んでも、弟は帰ってこないという現実を知るのに時間がかかった。


 悪質な順に取り締まるしかなかったレヴィスには、本当に限界だったが、それでもレヴィス本人の責任のように言っていたという。


 危険労働の箇所にはすぐに調査を入れていたが、よくある隠れた娼館のように、色々偽装された分かりづらい炭鉱だった。それを支配していた貴族が取り調べで供述したことで発覚、即座に向かったが、レヴィスに見つかるのを恐れて魔導士に発生させた火と二酸化炭素、一酸化炭素などの有毒成分で炭鉱に押し込められ殺された遺体が転がるばかりだったという。

 火を避けて必死に逃げ回っただろう遺体は、放置され白骨が出るほど腐敗していたが、レヴィスは身元を調べたらしい。


 虐殺を実行させられた魔導士の遺体まで、身元が分からないように服や所持品を剥ぎ取られて混ざっていた。女性の遺体もあったが、魔導士の妻だった。腐敗していたが、衣類もなく、骨もおかしく、明らかに何もなく遺体にされただけでそこに置かれたわけはなかった。


 貴族の裁判では、ミリアは魔力で攻撃しそうになって傍聴から外されている。


「サティラートさん、必死に励ましてくれましたけどね。ああいう人ですし、ご自分でも【レヴィスやまともなヤツとは違って、俺は必要なら自分の部位パーツでも使う】って言っていましたし。

 まあ、サティラートさんがあんまり親身になるんで、恋だと勘違いする子もいましたけど~」

「恋が多いとか、顔だけじゃなくてそういうことも多いですよね。サティラートさんが必死に違うって説明しても、エルベットの倫理的に外れることもしているので言い訳にならないんですよね」

「そうそう。殿下が無理だから同じ顔のサティラートさん狙う子も居ましたし~。まあ、サティラートさん自身があんな目に遭ってるとか、言いませんし~。見かねた事情知ってる人が、そういう経緯で同情が強いだけだって説明して、事情知って真っ青になって、サティラートさんを今度は避けるって現金さですよ~」


 邸仲間の内輪話に、

「あのそれ、サティの立場では酷いって言うんじゃ……?」

 オーエルが流石に呟くが、


「でしょ~。まあ、きっちり殿下からもお叱り受けるんですけどね~。でも、人助けるために倫理もなくなるサティラートさんだから仕方ないことだって、殿下も仰っていましたけど~」

 そういう人間に何か心当たりと思うことがあるのだろう。ミリアは別の意味で語調がおかしくなっている。


 ――と。

 咄嗟に右に避ければ、さっきまで頭があった場所に剣があった。


「おや? だいぶ敏感になられましたね?」

 にっこりと微笑む騎士は、オーエルが躱せなかったらどうするつもりだったのだろうか。頭部両断だろうか?


「まあ、娼館で皆が縋ってた、奇跡のような身請け話には曖昧な顔されてましたけど……サティラートさん、ご自分のことは仰いませんし、サティラートさんの状況からどう見てもそういうお話には希望持てませんでしたし……何より、大隊長のようなお考えがあって、それでも私たちが希望持って語るので言えなかったんでしょうね」


「ほん、っとに、そうい、うとこ、サティ、ら、しいですね!」

「あ、大隊長!? そういう状況でお話に混じれるように!? じゃあ、私も参加します!!」


「やめてくださいよ! ミリアさん強すぎる上に加減ないんで!! 死にますから!!」

「はいっ! とりあえず定番! 大隊長、その状態で戦ってください!!」


 ミリアが上機嫌でワンドを振ったのち、発生した効率的に呼吸を妨げる、鼻と口を塞ぐ水に対抗できないままオーエルは斬りかかってくる騎士の剣を受けている。


「ご存知です~? 猫って、どんな大人しい子でも、鼻と口を同時に塞ぐとものすご~い勢い暴れるんです!! 昔から複数の猫ちゃんで試してるので間違いないです!!」


「……っ、はぁ……はあ……!! 何やってんですか! 動物虐待ですよ!! ミリアさんの鼻と口を塞ぎましょうか?」

 倒れてから水が消され、息を吹き返したオーエルが抗議するが、


「あ~、夫と同じこと言ってますね~! 手で鼻と口塞いで、次やったら魔力で思考支配してその行為を物理的にできなくしてやるよ? 逃げないように縛り上げて時間とかかかるけど本当にやるよ? って言うんですよ~」

「それ……夫さんに会うことがあったら即実行してくださいってお願いします」

 楽しそうなミリアに疲れた口調で言い、

「まったく……オレも殿下に手紙で言いつけますよ……」


「あ~~! 殿下も仰いました! お前の鼻と口を塞げば分かってくれるか? って。

 普段、特に女性には触れない殿下がその御手で塞いでくれますよね? 即、是非! って返したら……水でした!! さっきの大隊長状態!! 手じゃないんですよ~!! あんまりです~!」


 ワンドをぶんぶん振って話が違うと必死なミリアに、

「……どういう役得ですか……。で、お仕置きされてもやってて、夫さんが…………あれ? 魔力の属性ってあるんでしょ? 殿下、呪怨と炎しかないんじゃ?」


「そ~う!! そこなんです!!」

 ミリアはワンドを更にぶんぶん振りながら、


「魔力は属性がないものは絶対できないんです!! どういうことか殿下に質問したら、傍で呆れてたサティラートさんが、理解不能すぎて悩みの種になるヤツが多いから聞くなって」

「あれ? もしかしてやったのはサティですか?」

「いえ、女性に攻撃できないサティラートさんが、死亡に直結すること私にするわけないです!」


「ええと……死亡する行為って分かっててやってるんですね?」

 ミリアに猫は見せない方がいいだろう。


「サティラートさんを問い詰めたら、物凄く強なったら分かるかもって呟いていらっしゃったんですけど、その後強くなってもサティラートさんは教えてくれなくて、殿下にもう一度聞いたら……多分? 教えてくださったんだと? 思いますよ~?」

「なんでそんな疑問形なんですか?」

「聞き取れた単語は、魔力属性やその関連だったので、その説明だと思うんですけど~? なんかの古代の消えた言語のような~? 理解できない言葉なんですよ~。でも、やっぱり共通語で。

 意味が分かりませんって言ったら、噛み砕いて説明するって、また何か仰って……共通語の魔力属性のお話? なのはかろうじて~わかりますけど~?

 エルベットの高位魔導士も理解できない謎仕様で、サティラートさんも何度聞いても理解できないそうで。

 エルベット王族の秘儀ですかね~」

「いや、王族の秘儀なら高位魔導士にも説明しないでしょ? サティの家のあれこれも、殿下が調べて問題ないって判断を王室に送った結果残されたんですから」

「サティラートさんは、忘れろの一言でしたね~。悩むだけ時間と労力の無駄だって」

「エルベットの王族は色々すごすぎますからね。……あれ? もしかしたらサティナお母さんの謎関連ですかね?」


 それならばレヴィスが使えて高位魔導士にもミリアにも普通に説明するのも納得だ。


「でも、サティラートさんも使えないんですよ~」

 言いながらミリアがワンドを振ると、またオーエルの鼻と口を水が覆った。


 解放されて息を整えて、

「すみません、これ、本当に死にますから……」

「敵と戦えば、向こうも本気で殺しに来ますから」

 今度のミリアの言葉は正論だった。その後に続いた、

「私、猫ちゃん大好きなのに、何故かすっごく嫌われるんですよ~。猫好きさんに聞くと、あるあるだそうですが~」


「ミリアさんのはあるあるじゃなくて、虐待するからです!!」

 そこは、今度はオーエルが正論できっぱり言う。


 と。

「みんな~、もう始まるって!」


 聞いて、訓練場から騎士団本舎の大きな談話室に移動する。

 本日は、エルベット国王の誕生日だ。祝賀会として大きな行事らしい。最初は神殿で非公開の王族のみ参加のものがあり、その後の宴が公開される。


 王族のみの行事が終わり、王族が列席する中国王カリシアが挨拶をしている写絵が流れる。


「カリシア陛下、やっぱカッコイイわね~」

「女性なのにドレス着ないで王族服っていうのも、仕事って感じ!」


 女性組が口々に何やら言ってる。


 カリシアの挨拶が終わり、他国からの祝辞が述べられる。激務で出席できなかったアイナは鳥を通じて挨拶をし、最後にレヴィスに礼と見舞いを述べた。国王の返事の後、レヴィスも前に出て短く、コ・ルムを頼むと述べる。


 その瞬間、主に女性陣が声を上げた。


「王族の礼装もお似合いね~」

「争わなくて良くなって、穏やかなお顔でいいわ~。お優しさが前に出たわね~」

「あの八重百合の王女様と……はぁ」

「最初っから、あの王女様のお使いがよく来てたのよね。遠くから文通なんて絶対そういう間柄だってみんな噂したけど……」

「あとで、ものすごい美形の近衛騎士の、青のめっちゃ強い人にお使いが代わって、見た子がきゃーきゃー言ってたわよね。襲ってきた十人以上をあっという間に斬ったとか」

「そうそう。王女殿下も恋の噂がないどころか求婚者が泣くほどこっぴどくお断りしてるって噂で、あの青騎士さんもモテるのに彼女いないって聞いて、あの王女様と青騎士さんがそういう仲じゃ……って盛り上がってたけど~」

「結局、憧れの殿下は、雲の上の王女様と……はいはい、そうなるわよね~」


「あんたら……噂話がお好きなようですけど、その噂が独り歩きした時の責任取れるんですか?」

 はしゃぐ女性陣に呆れてオーエルが突っ込むと、


「あら~、そんな調子じゃガールズトークに混ざれないどころか、邪魔って追い出されますよ~?」

「レヴィス殿下とサティラートさんも、噂してるとそうおっしゃいますね~。あのトリス将軍とか、怖い顔を更に怖くして、怖い目で見てましたよ~」

「レヴィス殿下とか、無責任な噂が発端で酷いことになった事例を淡々と説明なさるんですよね~」

 そのレヴィスの姿は、すぐに脳裏に浮かぶ。本当に淡々と、そしてくどく言い聞かせるのだろう。


「その後でも、噂話やめないって……あの、意味わかってます?」

 オーエルが、説教しようかと思いながら言うが、


「男性はみんなそう言いますね~」

「女の性ですよ~」

「理解できないって夫も匙投げました~」


 女三人寄れば姦しいとはいうが、サティラート隊所属の、レヴィスの邸出身の女性騎士、魔導騎士、魔導士がこれだけの人数なので……数押しで騒いでいた。




◆◇◆◇◆

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る