妹の尻ぬぐいをするために奴隷として公爵家に売り飛ばされた私~待っていたのは悲惨な運命……ではなく、公爵家当主とその愛娘と過ごす幸せな生活でした~

夏芽空

【1話】尻ぬぐい


「汚らわしいお前にピッタリな仕事を与えてやる。床に額をこすりつけ、誠心誠意の謝罪をしてこい」


 しとしとと雨が降る昼下がり。

 ゲストルームに呼び出されたエレインにかけられた第一声は、そんな言葉だった。

 

 言葉を発したのは、レルフィール伯爵家当主――ラントニオ。

 エレインの父だ。

 しかめっ面をしながら腕を組み、横長のソファーにふんぞり返っている。

 

 ラントニオの両隣には、二人の女性が座っている。

 母のドミニカと、二つ歳下の妹であるノルンだ。

 

 目を細めているドミニカは、激しくイラついている雰囲気を放っている。

 

 もう一方のノルンはというと、それはもう楽し気だ。

 愉快でしょうがないとでも言いたげな、ニヤついた笑みを浮かべている。


 父、母、妹。

 それぞれの反応に違いはあれど、彼ら三人には共通していることがある。

 それは、全員が全員エレインを嫌っているということだ。

 

 しかし当のエレインは、気にもしなかった。

 

 家族から冷ややかな態度を取られることは、何もこれが初めてではなかった。

 

 むしろ、日常だ。

 生まれてからの十八年間、エレインはずっと家族に疎まれ続けている。

 彼らから愛情を受けた思い出など、ただの一度もない。

 

 だからもう、今さら傷ついたりはしなかった。

 

「慰謝料を持って、ただちにデルドロア公爵家に向かえ。いいな?」


(デルドロアって、確か……!)


 デルドロア公爵家といえば、ここ、マルーファス王国で大きな権力を持つ名家。

 そこの当主とノルンは、一か月ほど前に結婚した。

 

 しかし、すぐに離婚。

 嫁いでいたノルンは、生家であるここ、レルフィール家に戻ってきた。

 

(慰謝料って……。デルドロア家で、ノルンはいったい何をしたの!?)


 赤い瞳を大きく見開くエレイン。

 ビクンと背筋が跳ねると、背中まで伸びた銀色の髪が、体の動きに合わせて揺れた。

 

「当主には一人娘がいたんだけど、その子があまりにも生意気でね。言っても聞かないから、手をあげたのよ。単なる躾ね」


 エレインの心の声を察知してか、ノルンが答えを口にしていく。

 

「でもその現場を、たまたま当主が見ていてね。躾をしただけって言ったのに、私の話は無視。しまいには顔を真っ赤にして、離婚を切り出してきたのよ」

 

 金色の長髪を指でくるくるしながら、大きな緑色の瞳をエレインへ向ける。

 庇護欲をかきたてるような愛らしい顔をしている彼女の口元には、依然として楽し気な笑みが浮かんでいた。

 悪びれたり反省している様子などは、まったく見受けれられない。

 

「ノルンが悪くないとはいえ、デルドロア家の反感を買ってしまったことは事実。このまま敵だと認識されてしまえば、貴族社会で孤立してしまう。そうなれば、我が伯爵家にとって大きな損失だ。絶対に避けなければならない。そこで、お前の出番というわけだ」

「……どうしてノルンではなく、私なのですか?」


 こういった場合は、原因を作った本人が謝罪しに行くのが筋。

 無関係のエレインが謝罪に行っても、火に油を注ぐだけ。余計に反感を買ってしまうのではないだろうか。

 

 そう思っての、単純な疑問。

 

「そんなことも分からないのか。お前の想像力の無さには呆れる」


 肩をすくめたラントニオが、わざとらしく大きなため息を吐いた。

 

「今回の一件で、デルドロア家は激しく怒っているはずだ。謝罪に行けば、暴言を吐かれたり、暴力を振るわれる可能性すらある。そのような危険な場所に、大切な娘を向かわせる訳にはいかないだろうが!」


(私なら良いんだ……。でも、そうよね。私は大切な娘じゃないものね)


 ラントニオにとっては、ノルンだけが大事な娘なのだ。

 エレインが暴言を浴びせられようが殴られようが、知ったことではないのだろう。

 

「私のために頑張ってきてね、エレイン」

 

(つまり私の役目は、ノルンの尻ぬぐい)


 どうして私がそんなことを、という気持ちはもちろんある。

 しかし、口には出さない。

 

 この家族に何を言ったところで、時間の無駄だ。

 生意気なことを言うな、一蹴されるのが目に見えている。

 

「話は以上だ。準備を整えたのち、すぐに出発しろ」

「承知しました」

 

 ゲストルームを出たエレインは早々に外出の準備を済ませ、馬車に乗りこんだ。

 両手には、大きなカバンがぶら下がっている。

 

 カバンの中身は、二種類。布袋と封筒だ。

 

 布袋の中には、多数の宝石や貴金属の類が入っている。

 それらを慰謝料として、デルドロア家に納めるのだ。

 

 封筒の中には、謝罪の文が入っている。

 家を出る前に、「いいか。こちらも忘れずに渡すんだぞ」とラントニオから強く念押しされた。

 

(私、これからどうなるのかな……)


 何事もなく終わるといいのだが、そううまくはいかないだろう。

 動き始めた馬車の中、浮かび上がった不安な気持ちがゆらゆらと揺れ動いていく。

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