第五話:八月の陽炎――命の旅路
八月のプロヴァンスは、一日中太陽が照りつける乾いた季節だ。マヌーの庭園では、乾燥に強いハーブ類が青々と茂り、ラベンダーは花を落とし始め、代わりに種を実らせようとしていた。
この朝、マヌーはベッドから起き上がるのに少し時間がかかった。昨夜からの疲労感がまだ体に残っていた。窓から差し込む朝日を見て、彼女はゆっくりと身支度を整えた。
「今日は少しペースを落としましょう」と、彼女は自分に言い聞かせた。
庭に出ると、既に暑さを感じる。八月の太陽は容赦ない。マヌーはアンリの墓石の前に立ち、いつものように話しかけた。
「おはよう、アンリ。今日は少し体が重いわ。でも心配しないで、大丈夫よ」
彼女は墓石の周りのラベンダーに水をやり、枯れた花穂を丁寧に摘み取っていく。七月に収穫されなかったラベンダーは、これから種を実らせるためにエネルギーを蓄えている段階だ。
「あなたたちの子孫のために、しっかり種を残してね」
マヌーは東側の花壇へと移動した。そこではヒマワリが太陽に向かって堂々と頭を持ち上げていた。一本一本が彼女の背丈より高く育ち、大きな黄色い花が庭に明るさをもたらしていた。
「アンリ、あなたが植えたヒマワリ、立派に育ったわ。空を見上げているみたい」
七月の終わりに咲き始めたヒマワリは、八月の陽光を浴びて最盛期を迎えていた。その花の中心部には、既に種が形成され始めている。マヌーは昨年、この種を村の子どもたちに配ったことを思い出した。
南側の菜園では、トマトやナスが引き続き豊かな実りを見せていた。マヌーはそれらを収穫しながら、一粒一粒に感謝の気持ちを込めた。
「たくさんの命をありがとう。大切にいただくわ」
彼女が収穫を終えると、急に目の前が暗くなった。めまいと胸の痛みが同時に襲ってきたのだ。マヌーは慌ててそばの木の幹に寄りかかり、深呼吸を試みた。
「大丈夫…落ち着いて…」
しばらくすると症状は和らいだが、彼女の顔は青白く、額には冷や汗が浮かんでいた。この状態で作業を続けるのは難しいと判断し、彼女は家に戻ることにした。
「アンリ、ごめんなさい。今日はこれで失礼するわ。また明日…」
家に戻ったマヌーは、村の医者ロベールに診てもらうことにした。彼は長年のマヌーの友人でもあり、アンリの死後、彼女の健康を気にかけてくれていた。
「心臓に少し負担がかかっているようだね、マヌー」とロベールは診察後に言った。「しばらくは無理をしないで、ゆっくり過ごすことだ」
「でも、庭の手入れは…」
「誰かに手伝ってもらうといい。一人でやろうとしないことだ」
その夜、マヌーは窓辺に座り、月明かりに照らされた庭園を眺めていた。今日は一日中、庭仕事ができなかったことを申し訳なく思いながらも、不思議と植物たちが彼女を見守ってくれているような安心感があった。
「アンリ、私はまだ大丈夫よ。この庭を守っていくわ」
彼女の目に映る庭は、月の光に照らされて幻想的な美しさを放っていた。そして彼女には見えなかったが、植物たちは互いに囁き合っていた。
「マヌーおばあちゃんが具合悪そうだった」とヒマワリが。
「私たちで彼女を元気づけなきゃ」とトマトが。
「明日はもっと甘く、もっと美味しくなろう」とナスが。
「私たちの香りで彼女を癒そう」とラベンダーが。
植物たちの愛は、夜風に乗って庭中に広がっていった。マヌーが知らないところで、彼女の庭はただの植物の集まりではなく、命が交流し合う特別な場所になっていたのだ。
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