第9話 お互いの距離感
「じゃあな、徳川。あとは俺様に任せとけや。」
レストランの前で家康と別れ、信長はタクシーに乗り込んだ。
行き先を告げ、シートに深くもたれかかる。
外の街灯が流れるたび、車窓に自分の顔が映る。
(……明智の動きが怪しすぎる。
産業スパイやったとして、どこまで情報を流してるのか、
それに浅井・朝倉と本当に繋がっとるんか……)
考え込むうちに、タクシーは目的のバーへと近づく。
一見すると高級感のあるラウンジ風の店構え。
だが、裏では“戦国企業の闇”とも言える存在たちが出入りする場所だった。
信長は運転手に料金を渡し、無造作にドアを開けた。
外の冷たい風がスーツの襟元を揺らす。
「さて……突っ込んでやるか。」
そう呟き、足を踏み出した瞬間――
「すまんな、御曹司サマ。」
背後から突如、太い腕が首を掴み、乱暴に引き倒された。
「っ……!!」
息が詰まり、視界が一瞬揺らぐ。
驚きと同時に、背中に鋭い衝撃が走った。
「おっと、大人しくせえよ。」
いつの間にか、周囲には数人の黒い影。
体格のいい男たちが、にやにやと嘲笑いながら信長を囲んでいた。
「な……っ」
振り払おうとするも、腕をねじり上げられ、背中に容赦なく膝が押し付けられる。
呼吸が苦しくなる。
「こら、暴れんな。さっさと運べ!」
「ちょ……っ、離せや!!」
言葉を振り絞るが、容赦のない力に抗えず、
口元に布が当てられる。
(――ッ!?)
ツンとした薬品の臭いが鼻を突く。
意識が、遠のく――。
ーーどこかの倉庫ーー
目を覚ましたとき、信長は床に投げ出されていた。
湿ったコンクリートの冷たさが背中に染みる。
「……っ、くそ……」
手を動かそうとするが、手首には頑丈な結束バンドが巻かれ、後ろ手に固定されていた。
さらに足も縛られ、自由が奪われている。
倉庫の奥、薄暗いライトの下に半グレたちが数人。
彼らは楽しそうに笑いながら、信長を見下ろしていた。
「へえ、思ったより“お利口”に寝てたな。」
「さすが今川の御曹司サマ、こぎれいやけど……思ったより、弱いな?」
「……っ、ざけんな……!」
信長は睨みつけたが、すぐにゴッと靴が脇腹にめり込んだ。
「ッ……!!」
呼吸が止まるほどの衝撃が走る。
信長は歯を食いしばるが、すぐに次の蹴りが飛んできた。
バキッ――!
横倒しになる。
頭がくらくらする。
頬を擦り、軽い切り傷の感触。
スーツの襟元は掴まれたまま無理やり引き裂かれ、
シャツのボタンが弾け飛んだ。
「うわ、ほんまにボンボンやん。服も高級品ばっかやな。」
「けど、俺らが知りたいんはそんなことやないんや。」
男の一人がしゃがみ込み、信長の顔を覗き込む。
その目は、獲物を嬲るハンターのような冷たい光を宿していた。
「――噂、聞いとるで? あんた、最近“徳川のボンボン”と仲ええらしいなぁ?」
「……っ!」
信長の表情が強張る。
「なにが“仕事のパートナー”や? まるで恋人みたいやんか。」
周囲が、嘲るように笑い出す。
「噂やけどなぁ……今川の御曹司サマ、案外、従順らしいやん?」
「ほんまは強気なふりしとるだけで、徳川に“抱かれたら”素直になってまうとか?」
「ハッ……お高く止まっとるくせに、アイツの前では可愛いとか、笑えるわ。」
「せやせや、お前、夜はあれか? 『家康……』って甘えた声出しとんのか?」
「……やめろ。」
信長の肩がびくっと震えた。
「ほう、ほんまなんか? じゃあ、もうちょい聞かせてくれや。」
男たちは執拗に言葉を浴びせ、
信長の胸ぐらを掴んで、乱暴に引き起こす。
「やめろって言うてんねん……っ!!」
声が震えた。
悔しい。
本気で悔しい。
口撃よりも、暴力よりも、
自分の心が“ざわついている”ことが何よりも屈辱だった。
(――俺様は、そんなふうに見られとるんか?)
家康といることで、
知らん間に“そういう目”で見られるようになっていた?
何よりも悔しかったのは、
その噂を聞いて、一瞬でも「いやや」と思ったこと。
「なぁ、ホンマのとこ、どうなんや?」
「……っ、黙れっ!!」
信長は振り払おうとしたが、
再び殴られ、今度は頬から地面に叩きつけられた。
視界がぐらぐらする。
耳鳴りがする。
呼吸が乱れ、胸が痛い。
涙が滲むのを、絶対に見られたくなかった。
「……家康……」
――無意識に、その名前を呟いていた。
バンッ――!
倉庫の鉄扉が、爆発音のような勢いで開いた。
静寂を破る音に、半グレたちが一斉に振り向く。
「……あ?」
「なんや、お客さんか?」
男たちは不機嫌そうに声を上げるが、その表情がすぐにこわばる。
――そこに立っていたのは、徳川家康だった。
「やっぱり、ここでしたか。……織田さん、探しましたよ?」
暗闇の中でも鋭く光る瞳が、静かに倉庫を見渡す。
背後には、彼の側近たち――本田忠勝、酒井忠次、井伊直政、榊原康政の4人が控えていた。
しかし、次の瞬間。
家康の視線が、縛られたまま倒れている信長の姿を捉えた瞬間――
倉庫の空気が、一気に凍りついた。
「……なんや、これ。」
低い声が倉庫内に響く。
普段は穏やかな家康の声音が、
今まで聞いたことのないほど冷たく、静かに震えていた。
「お、おい、なんやねん……」
半グレたちが警戒するが、家康は一歩も動かない。
ただ、静かに、じっと、信長の傷だらけの姿を見つめていた。
ボタンが弾け飛び、シャツはぐしゃぐしゃ。
頬には殴られた跡、唇の端には乾いた血の跡が残っている。
床には血が滲んだティッシュが落ちていた。
信長が家康を見上げる。
瞳が揺れている。
唇をわずかに震わせながら――
「……おそ、いねん……」
途切れそうな声が、かすかに零れ落ちた。
「っ!」
家康の眉が、かすかに動く。
「――こいつら、殺せ。」
---
「っ!!?」
家康の言葉が響いた瞬間、
倉庫内の空気が一気に張り詰めた。
「おいおい……マジかよ……」
「家康様、ほんまにキレてるやん……」
「これ、ヤバいぞ……」
側近たちが低く呟く。
普段の家康は、どんな状況でも冷静で、
無駄な暴力は好まないはずだった。
しかし今――
その家康が、明確に殺意を滲ませている。
「忠勝。」
本田忠勝の目が光る。
彼が動けば、全員終わる。
「了解。」
ゆっくりとジャケットを脱ぎ、
拳を鳴らす音が、倉庫内に響いた。
「お、おい、待て! 話し合おうや……!」
半グレたちが後退る。
しかし、もう遅い。
「話し合う? どの口が言うとるんや?」
家康の冷笑が、静かに空間を支配した。
「にげ……ろ……っ」
弱々しく信長が声を振り絞る。
しかし、家康は聞いていない。
「誰が、こんな姿にしたんや?」
家康の声が低く、異様に静かだった。
信長の髪を乱暴に掴み、
顔を無理やり上げさせた男が、震えながら口を開く。
「っ、俺じゃ……」
ゴッ――!!
次の瞬間、家康の拳がその男の顔面を抉った。
「っ!!?」
鈍い音とともに、男が床に倒れ込む。
「……まだ終わりやないぞ。」
家康は上着を脱ぎ、袖をまくる。
その横顔は、いつもの穏やかで柔らかい表情など一切なく――
冷酷な“徳川の狼”の顔をしていた。
「お前ら、生きて帰れると思うな。」
ドンッ――!!
忠勝の一撃で、もう一人が壁に叩きつけられる。
「家康様、ほんまにガチギレやな……」
井伊直政が冷や汗をかきながら呟く。
「まあ、そらそうやろ。」
酒井忠次が苦笑する。
「信長様のあんな姿見せられたら、誰でもキレるわ。」
榊原康政が、頭を掻きながらぼそっと言った。
その瞬間、倉庫の奥から大量の足音が響き、半グレの援軍が一気になだれ込んできた。その数、ざっと五十人はいる。
「ハハッ! お前ら、何人来たって無駄やぞ!」
半グレたちが凶器を手に、家康たちに襲いかかる。
だが――
家康は静かに息を吐き、一瞬のうちに身体を低くした。
まるで瞬間移動したかのような速さで、最前列の男の懐に飛び込むと、鋭く研ぎ澄まされた拳が男の顎を容赦なく砕いた。
「がっ……!」
男は勢いよく吹き飛び、後ろの集団を巻き込んで倒れ込んだ。家康の表情に一切の迷いはない。眼差しは冷たく、鋭く、まるで羅刹のようだった。
「来い」
家康の合図を受け、背後の四人――本田忠勝、酒井忠次、井伊直政、榊原康政が一斉に動き出した。
忠勝は鬼神の如き迫力で男たちの真ん中を突き進み、その腕力だけで次々と男たちを叩き潰していく。
「うおおお!!」
怒号と共に、巨漢が何人も宙を舞った。
井伊直政はまるで刀のように鋭い蹴りで男たちの足を薙ぎ払い、数人が一斉に倒れ込む。その動きは洗練され、あまりにも美しく、同時に恐ろしい。
酒井忠次は、懐に飛び込んできた敵を静かにかわし、一瞬の動作で相手の腕をねじ折った。次々と襲いかかる男たちを、あっという間に無力化していく。
榊原康政は冷静に状況を見極めながら、攻撃を見切って相手の急所だけを正確に狙い、男たちを苦痛に呻かせる。
倉庫の中は、一瞬にして修羅場と化した。
そして、その中心にいるのが――家康だった。
彼は、まるで闇の中で淡く光る羅刹のように、冷徹に、そして完璧に、目の前の敵を破壊していく。
身体の動きには一切の無駄がなく、ひと振りごとに数人が倒れ伏す。
表情はいつもの穏やかさの片鱗もなく、氷のように冷えきっていた。
「……おい、冗談やろ……」
信長は、その壮絶な光景を目にし、身体が震えるのを止められなかった。
これほどまでに冷酷で、これほどまでに容赦ない家康を目にしたのは初めてだった。
「あいつ、こんなにも……強かったんか……?」
信長の背筋に冷たい汗が伝う。
自分を守るためだとはいえ、家康の瞳に宿る残忍さに、言い知れない恐怖を感じていた。
しかし、その一方で――
心の奥底で、家康がここまで激しい怒りを見せている理由が、自分を傷つけられたためだということに気付き、信長の胸が奇妙に震えた。
(――俺様は、こいつに、こんなにも怒らせてしまうほどの存在やったんか……?)
信長は怯えながらも、家康から目を離すことができずにいた。
やがて、倉庫の中は静かになった。
倒れた男たちは呻き声さえ上げられず、家康と四人の側近だけが、立ち尽くしている。
家康はゆっくりと振り向き、床に倒れ、震えている信長のもとへ歩み寄った。
その表情からは、先ほどまでの羅刹の影は完全に消えていた。
「織田さん……」
信長の傍に膝をつくと、家康は自分の手がまだ微かに震えていることに気付いた。
さっきまでの冷酷さや怒りではなく、胸の奥から込み上げる後悔と悲しみが、その瞳に静かに滲み出していた。
「……すんません、織田さん。こんな、見せたくない姿をあなたに見せてもうて……」
家康の声は穏やかでありながら、どこか痛々しいほどの切なさが混ざっている。
信長は何かを言おうとしたが、怯えと混乱で言葉が詰まった。
「俺は、あんたを守るためやったら、何でもできてしまうみたいで……」
悲しげな微笑を浮かべながら、家康は震える信長の体を優しく引き寄せた。
そして、強く、けれどどこか壊れ物を抱くようにそっと抱きしめる。
「怖がらせてしもて、本当に申し訳ない……でも、織田さんが傷つけられるんだけは、どうしても許せへんかった」
信長は家康の腕の中で、ようやく息を吐くことができた。
その温もりが怖れを少しずつ溶かしていくように感じる。
「……家康……」
小さく呟いた声は弱々しく、それでも確かに彼の名を呼んでいた。
家康は信長を抱きしめたまま、もう一度静かに言った。
「……大丈夫です。もう絶対に離しませんさかいに」
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