第17話 邪道に堕ちる

 コンテスト用に書いていた絵が汚れた。

 もう書き直す時間もない。


 わたくしはその瞬間、高校2年目の夏を諦めた。


 「先輩ごめんなさい。私が……私があんなもの持ってこなければ!!」

 「気にすることないですわ。貴方せいじゃありませんもの」

 「でもー」

 「急に起こった地震が悪いに決まっているでしょう?それよりけがはない?」


 だけど、不思議と心は晴れやかだった。

 その理由は明らか。

 ずっとこの絵を描きながら『去年より下手になった』と感じていたから。


 だからこそ、地震が起こったあの時。

 揺れのせいでコーヒーをこぼしたあの時。

 

 これは自分の絵を見つめ返すいい切っ掛けだと確信した。

 だからわたくしは、この時だけは心が晴れやかだった。



 『三条さん。この前は残念だったね』

 『完成していたら良い絵になっていただろうに、無念だったな』

 『文化祭のポスターさ、青いバラの絵にしようよ。涼音っちもこの前の絵のリベンジって事で』


 絵が汚れてから一週間がたった。

 とても、とても奇妙な一週間だった。


 『また来年もある、お前の腕ならラストチャンスもつかめるはずだ』

 『わたし貴方の絵を初めて見たわ!!素敵ね。汚れてしまった絵からも素晴らしさを感じるもの』


 わたくしの絵が注目されている。

 クラスの皆から、学校中の先生から、知らない先輩から、知らない後輩まで。


 いままで絵にかけらも興味の無かった人たちが、わたくしの汚れた絵に群がっている。

 

 絵画での賞なら今までいくつか取った。

 わたくしの中で最高傑作だと思う絵も他に沢山ある。


 でも、そんな絵よりも『汚れた青いバラ』の絵の方が注目されている。


 その道のプロに認められた作品、学校で一位を取った作品、自分の持てる全技術を使って描いた作品。

 そんな作品が……コーヒーで汚れて『去年より下手になった』と感じた絵に注目度で負けている。


 「……どうして」


 意味が分からなかった。

 自分の全てを込めた絵画はAIに負た。

 それどころか絵と呼ぶのもおこがましい汚れた一枚が沢山の人に見られている。


 「多くの人は絵の価値なんて……どうでもいいと思っていますの?」


 ここにどんな差があったと言いますの?

 仮に、あのバラの絵が無事に完成していたらとしても、ここまで注目を集める作品にはなるはずまりませんわ。


 「必要なのは……分かりやすい話題。人間にとって、絵は話題の種の一つでしかない?」


 地震によって高校二年の夏を諦めざるを得なくなった絵の話……えぇ、えぇ、確かに興味をそそられる題材ですわよねぇ。


 天才高校生が美術的価値の高い絵を描いたなんて話題よりもよっぽど身近でよっぽど共感されやすいですわよねぇ。


 「そんなバカな事があってたまるものですか」


 そこでふと、わたくしは考えてしまったのだ。

 去年描いたコンテストの絵。

 あの絵をSNSに投稿し『AIのせいでコントスト入賞を逃した絵』と一言添えてみればどうなるだろうか??


 「えぇ。きっとだれもそんな投稿見ないですわ」


 祈るように口ずさむ。


 「高校生の絵画コンテストなんてマイナーも良いところですもの」


 今までの努力が壊されそうな気がして。

 もう、王道を通る画家には戻れないような気がして。

 

 「フォロワーも居ないアカウント、乗せるのは落選した絵画」

 

 そうだ、そんな投稿がバズるはずがない。


 「悲劇を付加価値として加えたぐらいでいろんな人が見てくれるなんてー」


 そんなバカな事がありえてはいけない。

 口ずさみながらわたくしはSNSへの投稿を始めた。



 もんもんとした気分のまま、家に帰った。

 家族と一緒に夕食を済ませ、軽くお風呂に入り、専属メイドと少し話してベッドにつく。


 「そういえば、あの投稿はどうなったかしら」


 そう呟いて、成れないSNSを開いた。

 

 「……ハハ。こんな簡単な事で、絵の価値は変わるんですわね」


 画面に映るのは通知の群れ。

 いわゆる万バズという現象をわたくしの絵は引き起こしていた。


 「ハハ……わたくし今まで何の為に勉強していたのでしょう」


 自分の中の価値観がバラバラと壊れる。


 「コンテストで得られる賞の価値ってなんなんですの……良い賞を取ったって賞賛してくれるのは関係者の方達だけですのに……賞を取れなかったこの絵は無関係の沢山の人が褒めてくれている」


 自分があこがれていた美術家のイメージが崩れ去る。

 過去の努力が酷くくだらないものへと変貌する。


 「真に絵を愛する方ならば、物の価値も分からない馬鹿どもめって吐き捨てられるのでしょうか?」


 それと同時に、芽生えた一つの快楽。

 世界中の人々に認められたような錯覚と、それによる全能感。


 俗に承認欲求と呼ばれる味が、わたくしの価値観をぐちゃぐちゃに壊しつくしていた。

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