第二話

「ああ、それは本当だ」


 八頭司は間を持たずに肯定した。オレは溜め息をつく……まさかこんな展開になるとは。


「オレ達の手を離れるか……生徒暴行事件が」

「ああ、八月朔日に疑いが掛けられているのでは理事もそう決断するより無かったらしくてな。だが――――依頼は来ている」

「なに?」

「『理事長』からではなく、『宇都宮皇児うつのみや・こうじ』個人からの依頼だ。『PPSも独自に捜査すべし』とな。理事らしいであろう」

「まったくだ」


 次の溜め息は僅かな安堵だった。

 八月朔日家の防犯カメラの証明はおそらく決定打にはならないだろう、八月朔日達も機械にも精通しているのだから編集は容易い。真犯人を捕まえるより他は無いが――――その権利ももはや生徒会に剥奪されている。

 理事らしく、屁理屈で依頼をくれた事には感謝するが……果たしてどこまで動けるか。そう思ってオレはまだ若い理事長の顔を思い出す。二十歳そこそこでこの学園を、否、学園都市とでも言える場所を創立した大企業宇都宮財閥の現総帥は、精力的な性質ではなかったが恐ろしく狡猾な人間だった。何度か会ったことはあるが、どうにも掴み難い雰囲気をして……婿入りのくせに財閥の総帥に落ち着いてることについてのやっかみを買うこともない男だった。その妙な雰囲気はやはり八頭司と類似しているのかもしれない。


「瀬尋、気になる情報を一つ仕入れたのだが」

「なんだ」

「二学期最初のミーティングに遅刻した八月朔日の姉はネクタイをしていなかっただろう? どうやらアレは、南風真理奈とか言う普通科の一年生のボディガードにやられたらしい。そのほぼ直前にその娘は八月朔日妹に『DOLL』をよこせと言って玉砕されている」

「……それで?」

「南風のボーイフレンドの中には生徒会副会長の林庭英樹はやしば・ひできが含まれている」

「…匂うな」

「だろう?」


 生徒会をつかってPPSを出し抜き、捜査権を取って……八月朔日を落とし入れる。『DOLL』というネットワークは、どうやら創始者と同じのトラブルを引き起こす種のようだ。

 衣琉は笑うだろうな、自分がいなくても自分の残滓に踊らされ続けているオレを。


 いつも首にぶら下がって来ていたチビッ子のことを思い出すと、ちょっとだけ胸が温かくなる。そんな場合じゃないってのに、俺にとって妹のようなあの親友は大切な存在なのだ。初対面で銃突きつけられたが。その時に死んだ気分は今でも忘れていないが。いや死ぬだろう。銃だぞ銃。

 そう言えば八頭司と再会したのもあの頃だったな。元々小学校の同期だったんだが、中学は十波ヶ丘と違う方面に進んだ。曰く社会勉強。まあ、昔から今と変わっていない。静かに怖い存在として学級を時折凍り付かせていた。まったく恐ろしい思い出である。どっちも。


「そちらの線で捜査しようと思う。『DOLL』も地味に動かすよう、八月朔日達に言付けてくれ」

「……すっかり忘れてたな、八月朔日のネクタイの事なんか」


 オレが自己嫌悪で少しばかり目線を下げると、女にしては背の高い方の八頭司とちょうど目線が会う。八頭司は薄く笑った、皮肉っているのかそうでないのか区別はつかなかった。


「お前が不完全だからこそ面白いのだよ」


 オレはその意味を推し量りかねて目顔で問う。


「完全な人間であったら、全てを一人で解決してしまうであろう? そんな人間の元に付いたとして、出来るのは楽だけだ。それでは張り合いが無くてつまらないからこそ――――少しは不完全な者の下に居たいものだよ。だからこそ皆が付いて来るのであろうが」

「……そうか」

「お前も誇ると良い、今のメンバーがまとまっていられるのは自分のお陰なのだと。下手をすると単独行動の嵐で収拾がつかなくなるぞ、今期のメンバーたちは。お前が締めるところをきっちりと締めているからこそ、団体行動も単独行動もそこそこの加減にしてくれているのだ」

「イルの群れにいるみたいでぞっとしないな」

「言えている。何せ『DOLL』の面子が三人もいるのだからな」

「俺たちも情報源として利用されているんだろうな……まあ相互に利用し合っているから、問題はないが。しかし烏丸の身辺情報を泉谷に流すのは止めた方が良いと思うのだが」

「そこはそれ、PPSとは関係ないところでやっていると思ってやれ。実際にPPS内で痴話喧嘩に発展するまでは見守ってやると良い。あの二人もあの二人で、相性は悪くないだろうしな。それにお前が見守っていれば、あの二人も安心だろうよ。客観視してくれる上司がいれば、自然にどうにかなるものだ」


 コイツの言うことには昔から細くて強い筋が通っていて、

 その言葉はいつもオレ達を何気なく助ける。

 謎な女だな、八頭司という奴は。


「では皆にもよしなに伝えおくがよい」

「……ミーティングに出ないのか? 八頭司」


 そういえば去年の三年が引退する時、皆が八頭司を部長に推したにもかかわらず、こいつはオレを推した。案外、コイツの言う『完全な人間』というのは……コイツ自身なのかもしれない。不意にオレはそう思った。


「私にも、色々と仕事があってな」

「…………」

「兄のところに顔を出して、姪の相手をしろと言われている」

「お前は真面目なのか養殖なのか天然なのかオレも時々解らんのだが」

「多分全て当たっているのであろうよ」


 やれやれ、オレは頭を掻く。昼に突然八頭司にメールで呼び出され、まさかあんな事を話されるとは思わなんだ。

 ……『姫』という愛称で畏敬されている八頭司は妙な女である。変と言うのなら八月朔日姉妹や莫根も大した差は無いかもしれんが、奴の変さ加減は郡を抜いているように思う。『姫』という愛称を与えたのは烏丸だったが、あいつの事にしても今回の事にしても――――きっと、あいつが最良の方向に持って行ってくれそうな気がする。


 そういう奴だ。八頭司は。

 俺のような凡人には出来ないことが出来るだろう。

 それでも俺を推してくれていることに、誇りを持とう。せめて。そんな女が俺を、信用して信頼してくれているということに。


「あれ、瀬尋? 珍しいな、こっちは進学クラスなのに」

「早川……」


 げ、と思う。あまり会いたくない奴に会ってしまった。

 ……この学校は校舎が全部で六棟ある。普通科棟、経済科棟、工業科棟、外語科棟、特別教室棟…そしてこの体・進・芸・産業混雑棟。クラス数の多くない四つの科が、一つの棟にまとめられている。この早川や八頭司は進学科で、オレは体育科、同じ棟には居るのだが一つの棟も中々デカイし、エリアが分けられているので偶然遭う事など滅多に無い。

 ……早川円日はやかわ・まどかは、現在の十波ヶ丘高校の生徒会長だ。進学科の三年で、オレとは中学からの知己である。どうにも昔からオレはこういう会長職の奴に好かれる気があるようなのだが……今はあまり会いたくなかったな。


 事件の話の後だ。こいつらに捜査権を奪われた、直後だ。大体生徒会に何が出来るというのだろうか。頭でっかちな組織だぞ、割と。俺たちのようにフレキシブルに動くことは難しいだろう。体育科の生徒もいないし、運動奨励会では裏仕事ばかりやっているから出場を一部免除されてすらいる。


「なんか沈んでるみたいだね? またPPS関係だろ」

「……まあな」


 と言うかお前たち生徒会絡みでもあるのだが。はて、と違和感に俺は首を傾げる。副会長。まさかな。そんな大胆なことは出来まいて。

 生徒会長に隠し立てするなんて、そんな手間なことを。

 出来るか? 南風真理奈の父親の権力を使えば。


「大変か? やっぱり」

「三年間楽だったためしが無い」

「はは、それだけ言えりゃ大丈夫だよ! ま、なんかあったら言ってくれよ……な? 出来る限りは協力するよ、中学からの馴染みのことだしな」


 ……………。

 案外、人間関係運は悪くない。早川はガリ勉系でもないし、スキャンダルにビクビク怯えるタイプでもない。この十波ヶ丘は新聞部や放送部なんかのマスコミが煩いが(そしてそのマスコミの中には『DOLL』の息の掛かった記者クラブも存在する)、そんなものはお構いナシで、少しばかり過激な女と付き合っているし。……あいつも謎な奴だ。

 一度切れると何するか分からないという点では、幼馴染だと言う烏丸とよく似ているが。そう言えば烏丸に会ったのは入学式で早川と話している時だったよなあ、なんて思い出す。


 何もかもをなくした入学式で、俺は烏丸と知り合った。そしてPPSにも勧誘された。新しい場所で新しい経験をするのも良いだろうと思っていたのに、結局今回も『DOLL』絡みの事件だ。全然俺にとっては新しくない。中学から馴染みの組織がいまだ暗躍している。と思えば表に出て来て翻弄してくる。衣琉の幻影は、それこそ、三年間一度も途切れたことがない。八月朔日姉が入隊してくる前にも、『DOLL』が裏にある事件はあった。まったく。


 結局オレは変な奴に好かれて変な事件に巻き込まれるタイプなのかもしれない。はぁ、と、何度目か忘れるほどの溜め息をついて、俺は早川に苦笑いを返した。


「早川、生徒会のメンバーは全員信頼できる相手か?」

「へ? そりゃそーだよ、あの地獄の選挙戦を勝ち抜いて来る連中だよ? 真面目すぎてぶっ倒れる奴がいるぐらいには、信頼している。……どうかしたか? それが」

「いや、そうなら良いんだ。本当にそうなら、オレも信頼してみよう」

「――――?」


 やっぱり早川には伝わっていないのか、まだ。まだ、それとも、故意に。

 だがPPSを信頼してくれている早川の部下だ、俺も一応は信頼しておくとしよう。林庭は怪しいに留めておくとして。今はまだ、動ける段階じゃない。動ける権限もない。理事の個人的な願いでも、表立っては動けない。


 この不便さにも慣れがあるというのは少し悲しいが、取り敢えず今は八月朔日を信じるという方向で考えよう。大体あいつは肉弾戦で相手を倒したりしない。もっと周到に、情報戦を仕掛けて相手を孤立させる方向に持って行くだろう。そういう意味でも、悪い信頼をしている。

 本当、悪くても信頼だな、これは。


 学食に向かいながらオレは、さっさと食えるものにしようと残り少ない昼休みを急ぎ足で歩いた。


「瀬尋……?」

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