7.想いと課題 -奏音-


【一月下旬】


冬休みの間も、私は史也君にあの日言われたままの

足ハノンのみの練習だけで、まともなレッスンを受けることが出来ず

時間だけがすぎて三学期になった。



中一のこの時期から、

進学校である藤宮は保護者を交えた進路相談が始まる。



私の目標は昔から何も変わってない。




音楽に関わる仕事がしたい。

出来れば、史也君みたいにプロのエレクトーンプレーヤーになりたいから。



その旨を学校側に伝えたものの、

学校の先生は受け止めてはくれなかった。



*


松峰さん、実際は貴方が考えているように甘い世界ではないですよ。

音楽の世界で成功している人は、ほんの一握りです。


そんな夢を理想にする前に、勉学に励んで確実に

手に届く未来を掴み取ってくださいね。


松峰さんの今のままの成績では、エスカレートで高校に進学するのも

難しいですよ。


もっと現実と向き合ってくださいね。



*



早々に打ち砕かれる私の夢。




それでも私の夢は誰にも変えられない。 





今まで誰に何を言われても、笑って乗り越えられたのに

今回ばかりは……音楽教室での現実問題と重なって折れそうになってた。




史也くんに足でハノンの練習をするように言われて以来、

一月も終わりに近づこうとしていた。


レッスンは毎日退屈で好きな曲を演奏したくてウズウズしてる。



こんなことしか出来ないなら教室に行っても行かなくてもいんじゃない?



高い月謝出して貰ってるんだから、

それに見合ったお稽古をつけて欲しいよ。



ただでさえ、クラスの皆に比べて

新参者の私は、出遅れてるんだから。



私の劣等感は湧き上がってくるばかり。




史也くんは、他の皆にはちゃんとしたアドバイスをしてる。



だけど私の時は聞いてるのか聞いてないのか。

アドバイスもコメントも何もなし。



せっかくのドキドキのレッスンも、

これじゃ、意味がないじゃん。




史也くんがダメなら、美佳先生や大田先生に頼もうと

【私も通常のお稽古がやりたい】って掛け合ってみるものの、

二人とも【史也がさせてるなら】って私の状況が変わる気配はない。





私のエレクトーンが昔の機種だから、

出来る表現法も違うんだって新しいのを買ってほしいって、

お父さんとお母さんにねだってみるものの、うまく行くはずもなく、

「アンタ、どれだけすると思ってるの?」って。



お母さんはバッサリと言い捨てる。





それ以降は、お母さんの顔を見たらずっと家の中で喧嘩してる。




これだから音楽を経験したことない親は困るのよ。





『今のエレクトーンのままでもいいでしょ。

 まだ壊れてないんだから』


『どれでもエレクトーンには違いないでしょ』


『その新しいのにしないと、教室でレッスンできないのなら

 今の教室はやめて別の教室を探しなさい』



って……私が何か言うたびに、そればっかり。



だけど中学生の私には親に内緒でローンを組んで買い物するなんて

出来ないしバイトさせてくれる場所もない。






最新機種で出来ることが出来ないエレクトーンしかない、

私の惨めさなんて、お父さんにも、お母さんにもわかんない。



お父さんとお母さんが、

私の未来の可能性を摘み取ろうってしてる罪も

わかってないんだから。





そんな風に、想いながら

イライラする言葉をやり過ごしていく。





家でもイライラ。




教室でもイライラ。




教室でのレッスンは私だけ別メニューで、

足でハノンを弾くだけ。




史也くんに言われたから、

ただ義務的に淡々と課題をこなすだけの時間。



ストレスだけが溜まってる。






そんな生活が更に続いたある日、




その日は教室がない日で私は由美花の家へとお邪魔させて貰った。






由美花の家には、

最新機種の一番上級グレードのエレクトーン。





「ほらっ、お兄ちゃんの相棒触っていいよ。

 ちゃんとメールで許可は貰ってるから。


 最近、奏音がイライラしてるし、エレクトーンに集中してないって

 お兄ちゃんも心配してた」





誠記さんは……ちゃんと見てくれてるんだ私の事。




なのに……史也くんのバカっ!!

もっとちゃんと見て欲しい。



もっとちゃんと教えて欲しい。



私は貴方みたいに演奏したいのに……。




「ねぇ、史也くんと一緒にいる誠記さんだったら、

 史也くんの(煌めきの彼方へ)のレジスト作ってるかな?


 由美花知らない?」



史也くんに言っても可能性が乏しい私は

そのまま由美花にたずねる。




「あぁ、蓮井さんがお父さんの為に作った応援歌だよね。


 あの曲、テンポがあっていいよね。

 なんか始まりの曲って言うか。


 えっと、ちょっと待ってね。

 お兄ちゃん持ってたと思うよ。


 蓮井さんが演奏してるものとはお兄ちゃんが作ったものだから、

 レジストは多少違うと思うんだけどね」




そう言うと、由美花はエレクトーンの傍の本棚の扉をゆっくりと開く。




そこからコピー用紙の譜面を取り出して、

今度は、エレクトーンの前へと近づいて来た。





「えっと……確か、そのボタンだったかな」




そうやってボタンを考えながら押して、

液晶へと、曲名を表示させていく。




【煌めきの彼方へ】



そうやって記された文字の上にカーソルをあわせて

音色とリズムとプログラムをインストール。




手渡された譜面は、史也くんが直筆で描いていたものか、

誠記さんが直筆で描いていたものかはわからなかったけど、

手書きで書かれてることだけは確かだった。



多少、癖のある小さな文字で綴られたおたまじゃくし。




そのおたまじゃくしを辿りながら、最初に軽く両手と足だけをあわせて

次にリズムスタートでレジストを変えながら演奏してみる。




演奏しながら新しい機種は、微妙な指のタッチの差を読み取って

音を表現してくれることをマジマジと感じた。





何度も何度も夢中になって演奏する。






ダメっ。




ここはもっと、史也君は疾走感を出すように演奏してた。

もう少し指先から弾ませないと表現できないよね。



ここは……誠記さん、こんな明るい音にしてる。



だけど史也くんのは、こんな音に設定されてなかった。

もう……ちゃんと史也くんと一緒の様に演奏したかったのに。




教室ではあんな風に相手にされなくても、

やっぱり私の基準は悲しいほどに史也くんの演奏。




史也くんの存在なんだ。






「いらっしゃい。

 奏音ちゃん」  






何時の間にか、何処かから帰ってきた

誠記さんが姿を見せる。




慌ててキョロキョロと周囲を見渡すと、

お邪魔して、誠記さんのエレクトーンを借りて

一時間半くらい過ぎようとしてた。






「あっ、すいません。

 エレクトーン、楽しくて弾きっぱなしでした」


「あぁ、別に構わないよ。


 何?

 史也の【煌めきの彼方へ】演奏してたんだね」


「はいっ。

 楽譜は、私が耳コピしてた音と殆ど一緒でした。

 

 音の作り方は、違いますね。


 なんか、史也君の音に慣れ過ぎて

 リズムも音も世界感も違和感がありました」


「違和感かっ……」





誠記さんは呟くように小さく告げて考え事をするように腕を組んだ。




「奏音ちゃん、アイツの趣旨がまだわかってないみたいだね。


 わかってたら、そんな言葉が今の奏音ちゃんから

 出てくることがないばすだから。


 今日は、もう終わりにしよう。


 ただ……一曲だけ、今から俺がアイツの【煌めきの彼方へ】を弾くよ。

 君が違和感を感じたそのレジストで」




そう言うと、誠記さんは私を椅子から押しのけるように合図して

自らが所定の位置へと座る。




そのまま始められた演奏はやっぱり、私にとっては違和感が募るばかりで

誠記さんのパフォーマンスがエスカレートすればするほど

史也くんのその曲が穢されていくみたいで許せなかった。 





「何かわかった?」





そう問いかけられた言葉に答えることもせず

私は由美花にだけ「帰る」っと告げてその場所を後にした。




私の中で得た収穫は、

最新機種の表現力が凄いってこと。





そして……益々、新しい相棒が

欲しくてたまらなくなったって事だった。





新しいものに目移りしてしまうと、

家にある今までの相棒が、

凄く価値のないものに思えてしまう。





最新機種に比べて、

出来ないことを数えていく。





あれも出来ない、

これも出来ない、

それも出来ない。






そうやって出来ないものばかりを

数えるようになった子に、愛着が持てるかって言われると、

持てなくて……下取りの値段とかも調べるようになる。



だけど世の中って無常すぎるよ。



購入した時は、100万円を越えてた

上位機種なのに、新機種が出て数年が過ぎるともう殆どの価値がなくなってる。



新機種の購入を条件に頑張って5万円くらいですねって。



5万円じゃ、

購入の足しにもあまりならないじゃん。



上手くいかないことばかりで、

ストレスは溜まる一方。



史也くんに近づきたいっ!!

目指したい。





だけど……近づくことにすら許されない。


何でよっ。


こんなにも、追いかけようって頑張ろうって思ってるのに。





それでも私の練習メニューは変わることはない。


その後も教室のレッスンに通うたびに、

足鍵盤でハノンばかり練習していた。





周囲の皆は、【人魚姫】を連想して、

貴方の中の物語を曲にしてくださいっとか

次から次へと、課題が着々と進んでるのに。




取り残されてる感が漂いながらもヘッドホン越しにハノンを練習して、

その合間に、誠記さんら見せて貰った【煌めきの彼方へ】の暗譜した楽譜を

こっそりと追いかけて演奏する。



だけど……大好きな史也くんの曲を感じているはずなのに、

心のモヤモヤが消えることはなかった。




チラリと史也君の視線がこっちに突き刺さったような気がして、

慌てて足のハノンに切り替える。



だけど史也君は相変わらず、関わってくる気配もなくて、

私はまた目を盗みながらその曲を演奏する。





そんなレッスン時間が終わって、

教室の部屋を出た時、信じられない奴が待機室に居た。




「よっ!!」




そうやって姿を見せたのは、

前の中学で一緒だった、泉貴秋弦。





「秋弦……アンタ、何でいるのよ」


「何って、俺一途だから。奏音を追いかけてな」


「気持ち悪い。

 ストーカーみたいなこと言わないでよ。


 それに私知らない。

 アンタまで、ここに通ってたなんて」





そうやって休憩室で言いあいしてた背後から

投げかけられる声。






「秋弦、奥の第一レッスン室だ。


 早くしろっ。

 明日は、お前の次の進級試験予約してあるんだからな。


 落第なんて、するわけないよな。

 俺が気にかけてやってんだから」




えっ?




何、この会話。




秋弦が、史也くんにレッスンつけて貰ってるってこと?



私はまともに、レッスンなんてして貰えないのに

秋弦のくせに史也くんに。



また一つモヤモヤとイライラが広がっていく。






「わかってるよ。

 俺はお前を超える男だからな。


 明日の試験も、楽勝で乗り越えてやるよ」




そんな大口を叩きながら、

秋弦は告げられた、第一レッスン室の中へと消えていった。





残された沈黙。






第一レッスン室に向かう去り際、

私に向けられたのは、史也くんの冷たい蔑むような言葉。





「松峰、最近の君には失望したよ。


 憧れだけの薄っぺらい想いなら、

 君はエレクトーンから手をひくべきだ。


 辞めればいいよ」






吐き捨てられたその言葉に、

一気に血の気が引いた私は力が抜けたように、

その場所にヘタヘタと座り込む。




だけど史也くんは私に関わるそぶりも見せず、

秋弦のいるレッスン室へと遠のいてしまった。





私の想いを受け止めてくれない

史也くんなんて嫌い。




私の想いを踏みにじる課題も嫌い。

私はもっと史也君のように演奏したいだけなのに。




上手くなりたいだけなのに、

そんな純粋な気持ちが、どうしてわかって貰えないのよ。




悔しくて、

涙だけがとめどなく溢れ続けた。



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