6.アイツのクラスを目指して-秋弦-


【12月下旬~冬休み~】



史也に拾われる形で末端のクラスに入学することが出来た俺は、

その日から真面目にエレクトーンと向き合い続ける。



前以上にエレクトーンにどっぷりと浸かり続ける日々を歩き始めた俺は、

ゲームセンターでの集会も顔を出さなくなった。


K中学と自宅の直行・直帰の繰り返し。


そして電車で隣町の大田音楽教室に顔を出して、

史也のマンションで更に個人レッスンをして貰う毎日だった。



景以外の不良仲間には、エレクトーンに夢中になりだしたとバレて

気味悪がれたり、からかわれたりと、居心地の悪い時間が過ぎたけど

どんな喧嘩の時も、指だけは意識的に守るようになった。


指も足も演奏の為には怪我するわけには行かない。




必死にエレクトーンを向き合い続ける俺に、

景だけはいつも「頑張れよ。奏音ちゃんに会えるといいな。お前凄いよ、ホントに入学しちまってさ」なんて

俺の努力を一番近くで受け止めてくれた。



そんな日々を過ごし続けて、最初の進級試験の合格発表の日。




俺はいつものように大田音楽教室のドアを潜った。




年の瀬、年末、冬休み。



おまけに、クリスマスって言うこの日も俺は、

アイツの指示通り、奏音を追いかけたいのを我慢して

この場所へと姿を見せてた。




「おはよう、泉貴くん。

 お待ちかねの結果表よ」



そう言って、封筒を俺に手渡すのは美佳先生。


恐る恐る、その封筒を破って中のカードを確認する。








合格



泉貴秋弦を1月のレッスンより、

上級クラスの生徒とする。







そのカードを確認して、

思わずガッツポーズ。





そんな俺の行動に美佳先生はクスクスと笑いながら

話しかける。




「史也くんのレッスンは大変でしょう?


 でも見えないところで、

 史也くんもずっと努力してきた。


 泉貴くんの演奏も最初の頃とは見違えてきたわ」




そう言うと、美佳先生は入り口のドアから姿を見せた

大田先生に呼ばれて二人でレッスン室に入っていった。




レッスン時間前。




まだ誰も来ていない教室のソファーにどっしりと座りながら、

俺は音楽教室の試験を受けた日から今日までの間を思い返してた。



 

*



大田音楽教室の入学試験。



クラス分けの試験だけだろうと、

余裕ながらに受験しようとした演奏だったけど、

教室に入った途端に、そんな気持ちは吹っ飛んだ。



演奏を試みるもズタボロで試験結果なんて、

聞くまでもなかった。




不合格って言われかけたその時、俺を助けてくれたのは、

ガキの頃から奏音が、キャーキャー言ってるあの男。



【はすいふみや】が蓮井史也って事がわかった。



そしてアイツによって、最下位クラスから入学が許された俺。



だけど……俺にとって、びっくりしたのは、

蓮井史也、直々に俺のレッスンを教室の合間に

見てくれることになったってことだ。




けど胸中は複雑だぜ。




なんせアイツは奏音の憧れの存在。



奏音の心を虜にしやがるアイツは、

俺にとっては恋敵だ。





けど物は考えようだ。




アイツのテクニックを吸収して俺はアイツを越えるっ!!

越えて奏音を振り向かせてやるんだっ!!



ってなわけで、俺は今に至る。




けど大田音楽教室に奏音を追いかけに行ったはずなのに、

肝心な奏音に今だに逢えないってどういう事さ。




そんな文句を愚痴りながら今までに詰め込まれ続けた、

アイツの鬼課題の数々をほ振り返っていく。



教室のテキストが、

エレクトーンの文字が入った薄いオリジナルの本一冊なのに対して、

試験の翌日にアイツが手渡したのは、アイツも使ってきた楽譜五冊。



・一冊目→初見専用



三段譜面がズラリと並ぶ練習問題。

見てるだけで、意識が遠のきそう。


俺って、譜読み苦手で奏音にもいつもバカにされてたんだ。


一曲演奏するのにも、最初にいちいち音を数えて、

テキストに書き加えて演奏してた。




・二冊目→運指レッスン【基本】



こっちは一段譜。

各小節の上にコードが書かれていて、

それを手掛かりに演奏する。


最初は、上鍵盤で右手がメロディーフレーズ。


下鍵盤で左手がコード、足鍵盤はコードを手掛かりにルート音。

その次は、下鍵盤で左手がメロディーフレーズ


上鍵盤で右手がコード。

足鍵盤は最初と同じコードを手掛かりにルート音。



って、CとかBmとかなんだよ、

この暗号。


日本人ならわかりやすくかけっての。



・三冊目→ピアノ教則本【ハノン】


二段譜面が、右手と左手である中で左手の譜面だけを、

足鍵盤で延々と練習する。


これもまた地道すぎて足がつりそう。



・四冊目→グレード別一般音楽


まぁ、今までの基礎練習に比べると

音楽らしい音楽に交われるんだけど三段譜面があるだけ。


そこにアイツが演奏したMP3データーを手渡されて、

「リズム譜」は君が耳でコピーして譜面にするんだよ。



って、いい加減にしろよ。

何時まで、睡眠時間削ってもおたまじゃくしが泳ぐわけねぇだろ。



・五冊目→音楽理論


上のテキストでわからない音楽の基本中の基本理論は

このテキストで勉強するように。





って、そんなこんなで鬼コーチぶり。


ガキの頃からこんな練習やってきてるアイツって一体

脳みそ、どうなってんだよ。




アイツのレッスン初日は悲惨だったよな。




アイツとの初日のレッスンは、

教室のスタジオでアイツらが借りてた時間に割り込ませて貰った日。



俺の近くで、史也と誠記さんは次々と打ち合わせをしながら

凄いパフォーマンスを繰り出していく。


そんな光景に圧倒されて言葉を失ってフリーズした俺の前に、

仁王立ちして、初見テキストを置いた史也。



「お前、時間は止まらないよ。


 俺のサウンドは俺のもの。

 お前のサウンドはお前だけのものだろ。


 だったら基礎から練習あるのみだ。


 お前の初見の楽譜の譜面は全部、俺の頭に入ってる。


 最初の頁からやってみな。

 その際、今はリズムは無視していい。


 その譜面に似合う音を選択して演奏すること」




サラリとそんな言葉を残して再びアイツは

自分のエレクトーンに向かうと、黙々と作業を始めた。




シンバルの音色がチッっと音を立てるとその後は、ただ何かの液晶内のボタンを

黙々と押しているのだけがわかる。


その次は、バスドラ。




そんな作業の音が気になりながらも、

俺はアイツの愛用してきた、初見テキストを開いた。




えっーと、最初の音がト音記号で

ラだろ。



下の音が、ヘ音記号で……。





「お前、遅いっ。初見になってない。

 今まで何してきたんだよ」




って、お前……そっちの作業に集中してんじゃないのか?

なんで俺の行動が筒抜けなんだよ。



「お前さ、予定変更」




そう言うと、自分の作業を止めて


作曲に使っていたのか、五線譜だけが描かれたルーズリーフを

一枚、俺に手渡す。


そして、ト音記号・ヘ音記号・ヘ音記号っと記号を五線譜に記入させる。





「ヘ音記号。

 加線を上に一。

 

 上から順に、とらわれし象」


「はっ?

 捕らわれし象って、何言ってんだよ」


「語呂合わせ。

 ド【と】ラ【ら】ファ【わ】レ【れ】シ【し】ソ【象】」




そう言いながら、アイツは手渡したルーズリーフに

万年筆でサラサラと書きこんだ。



「捕らわれし象ねー。

 

 良く思いつくな。

 けど無理あるよな、その語呂合わせ」


「俺も教えて貰ったからな文句はウチの先生に。

 まっ、アレも教えて貰ってるんだろうけど。


 ラインの間の音符は、それぞれの真ん中を鍵盤で思い描けば出るだろ。

 こうやって加線、下に二つ足したらヘ音記号はド。


 今度はト音記号な。


 ト音記号は逆。


 覚え方は下から上で、下の加線一本入れたとこから

 お味噌汁レバー。


 ド【お】ミ【み】ソ【そ】シ【しる】レ【れ】ファ【バー】。


 んで上に加線二本たしたらドになる。

 叩きこんでおくといいよ」



って、きっかりしたアドバイスには違いないけど

ところどころ、癖のある教え方。



インパクトありすぎて、忘れねぇけど無理ありすぎるぜ。


とらわれし象の方がまだマシか。




「んじゃ、次の頁から。

 俺は作業に戻るよ」



言われるままに初見テキストをめくって、

捕らわれし象と、お味噌汁レバーを当てはめる。



最初は戸惑ったけど、確かに慣れてくると簡単で

いちいち、基本のドとなる楽譜から数えなくていいのが楽だった。



順調に頁をめくりながら続けていくと、

自身の作業に集中していた手を止めて俺の傍へと再びやってきた。





「OK、早くなってきた。

 

 それを踏まえて、好きな音楽でも流しながら

 譜面に音を並べていく作業でも家で繰り返すんだな。


 時間だからお前は教室へ。

 教室終わったら、俺の家に今日も来るといい」




そのまま俺は、アイツのいる部屋を後にして

自分のクラスの部屋へと入る。



譜読みが少しだけ早くなった。


それだけで、今まで以上に楽譜と仲良くなれた気がした。

 

譜読みに多少慣れてくると、

大幅に演奏までの処理能力は短縮する。



右手と左手は楽勝。


ハノンをやり始めてから、踏み外すことはなくなった。



継続は力なり……。





進級試験に合格できた今だから、

そうやって思うことが出来る。





*





「あらっ、秋弦君まだ居たの?


 今日は合格発表だけで、教室のレッスンはないけど

 史也君と待ち合わせなのかしら?」



ソファーに座っていた俺に亀山先生が声をかける。




げっ、今日レッスンないの忘れてた……。

何やってんだよ、俺。




「あっ、すいません。

 俺忘れてました」


そうやって頭をさげて、出口の方へと歩いていくと

入れ替わりに、暫く演奏会で見なかった史也の姿を捕える。




「あっ、史也」


「……そうか……。

 今日は進級試験の発表だったね」



少し考えてから俺に告げる。



「結果は?」


「合格したよ。俺」


「当然だよね。

 まだまだ練習不足だ。


 今から俺もスタジオで練習するけど、

 お前は?」


「あっ、俺も行きます」



帰ろうとしていた俺は、体を反転させて再び

教室の中へと入っていく。




目の前に居る「蓮井史也」のことを、

俺は何度かネットで調べた。




何を考えてるかわかんねぇのに、

誰にでも人当たりが良くて時折り、

黒さが見え隠れする存在。



こんな奴の何処がいんだか奏音も……。

それが俺が感じた史也の感想。



親父がプロテニスプレーヤーでウィンブルドンの大会とかでも出てた。

んで、母親はハリウッドスターの大女優セイラだったか。

セイラの妹は、ロイヤルバレエ団のプリマやってたレイラだったか。


そんな有名人一家の一人息子がアイツ。



だけど……俺はコイツには負けらんねぇ。

男の意地にかけて。




フツフツと闘志をたぎらせながら

アイツの入ったスタジオに後から追いかけて入る。




スタジオの中、アイツは空間全体を震わすような

スケールのでかい演奏を繰り広げ続ける。



その空間の中で、俺はアイツに与えられている課題を

黙々と練習していく。




だけど日々の練習の中で、確実に俺自身が進化を感じられた瞬間が

その日訪れた。




いつもはスケールがデカいなー、凄いなーっとだけしか思うことのできなかった音が

今は音符となって、俺の中に溢れかえっていく。



アイツがしている演奏を聞きながら、

俺も負けじと頭の中に思い浮かんでいる音を組み合わせて

アイツが演奏しているフレーズを一気に追いかけていく。




初めての感覚。



音の洪水が溢れかえっていく感覚に、

俺は課題の練習も忘れて夢中になってた。




アイツの演奏が終わって少し経った後、

俺も辿り続けた演奏を終える。




「秋弦、楽しませて貰ったよ」


「ってか、

 お前のその言い方が気に入らねぇ」

 

「ふふっ。


 君みたいに感情をむき出しにしてくるタイプは

 俺の傍では珍しくてね。


 つい、相手にしてみたくなった。


 ……松峰奏音……」



アイツが奏音の名前を紡ぐ。



それだけでイラっとする。




「奏音はてめぇに渡せねぇっ!!」



次の瞬間、俺はアイツの前で堂々と声高らかに

宣戦布告しちまってた。



その宣戦布告に無表情に笑みを浮かべると、

静かなトーンで切り返す。



「今の君には俺に太刀打ちできないよ。


 松峰奏音が所属する三級にも入れていない。

 その意味が君には、わかるよね。


 宣戦布告をしても君は土壌にすらいない。


 待ってるよ。

 君が俺の高みにのぼってくるのを。


 それまでは、教えてあげるよ。

 君にとっては屈辱だろうけどね」




そう言いながら、アイツはまた新しいプリントを

俺に手渡してくる。



そこには初見の延長戦なのかト音記号、ヘ音記号と

バラバラに書かれた楽譜に沢山並ぶ、おたまじゃくし。




「この一段を30秒目安にトレーニングして行くといいよ」



なんて鬼発言して差し出した。




「やってるやるよ。

 ちくしょー。


 今に見てろ、てめぇには絶対に負けねぇ」

 



売り言葉に買い言葉。



アイツのテンポにいいように操られながら、

俺はドンドン吸収していく。



奏音が好きなエレクトーンの世界を。




そして最近は、俺自身も気になりだした

エレクトーンの世界を。




「なぁ、史也今日の試験結果」



アイツに今の俺を認めて欲しくて、

鞄の中に片付けた試験結果をアイツに手渡す。




一級昇進のカードを握りしめながら、

封筒の中に入っていた試験結果の詳細を確認する。




A・B・Cの3ランクで表記されている詳細表。




初見力 A。

課題曲 A。

自由曲 A。




トリプルAでこの俺が昇級が決まってるなんて嘘だろ。




ライバルに教えて貰うのはマジで悔しいけど、

アイツのクラスまで、後一つ。



コイツについて行きゃ、

俺の実力は確実に伸びる。




次の昇級が決まれば俺は三級だ。





「当然の結果だね」




そう言いながらもアイツは不敵に微笑んだ。






忙しすぎる年の瀬。


この日も俺は、エレクトーンにどっぷりと魅了されながら

奏音を思い続けてた。








待ってろよ、奏音。



今に追いついて振り向かせてやっから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る