許嫁を解消されたので、学年一の美少女と付き合います

白浜 海

プロローグ

「あんたってつまらない」


 そう言って、星野唯華ほしのゆいかは背を向けて去っていく。彼女は俺の許嫁だった。なので、今のは事実上の婚約の解消なのだろう。有り体に言えば、新川龍斗しんかわりゅうとしんかわりゅうとは星野唯華にフラれたのだ。


 別に悲しくはない。彼女は親が勝手に決めた許嫁だ。俺は当たり前のように彼女と結婚して、父の会社を継ぎ、父親の決めたレールの上を生きる人生なんだと思っていた。だが、今この瞬間に俺はそのレールから脱線したのだ。


「これからどうしようか?」


 親の言う通りにだけ生きてきた俺には今後のことは見当さえつかなかった。家族の縁を切られるのだろうか? 父の会社は妹が継ぐことになるのだろうか? 何となく家に帰る気にもならないので、公園のベンチに腰かけて空を見上げていた。


 外は雨が降っていたが、傘もささずにベンチに腰かけているので自然と周りからの視線も集まる。


「社長の息子という以外で注目されるのは初めてかもな」


 俺の父親は日本でもかなり有名な企業の社長だ。俺もその息子ということで周りからは注目を集めていた。


 だが、それも今日で終わる。


 解放されるといった考えや、不安になるといったような感情は生憎と俺は持ち合わせていない。全ては父の決めることだ。俺に俺の意思なんて必要ないのだ。


「なにしてるの?」


「ん? ……誰?」


 雨に打たれながらも空を見上げていると、目の前にビニール傘をさしながら俺を不思議そうに見つめる彼女がいた。見覚えがあるような気もするが、名前は知らないので恐らく同じ学校に通う生徒なのだろう。


「私は藤崎詩音ふじさきしおん……一応、同じクラスメイトなんだけど?」


「それはすまない。それで? 何か用か?」


「用事は別にないけど、雨が降っているのに傘もささずにベンチに座っているクラスメイトがいたら気にもなるでしょ」


「そうか」


 俺はそれだけ言って、空を見上げる。用事がないなら別にいいだろう。きっと彼女もすぐにどこかへ行くだろうし。そう思っていると俺の視界が何かに遮られる。空は見えるが雨は俺に当たらない。どうやら、彼女のさすビニール傘に入れてくれたようだ。


「なんだ?」


「雨に濡れたままだと風邪ひくよ?」


「そうかもな」


「そうかもなって……なんで泣いてるの?」


 泣いている? 一体誰が泣いているのだろうか? ……あれ? 傘の中にいるはずなのに俺の頬を一滴の水滴がこぼれ落ちる。……どうやら泣いていたのは俺らしい。


「俺は泣いていたのか」


「気付いてなかったの?」


「あぁ。泣いたのはいつぶりだろうか?」


「そんなこと言われても、私が知ってるわけないでしょ……」


 最後に泣いた日の記憶が俺にはなかった。というより、泣けるだけの感情が俺の中にまだ残っていた事に驚いたくらいだ。


゛よかった ゛

 

 特に理由は無いが、何故だか俺はそんなふうに思えていた。


「それで? どうして泣いていたの?」


「別に大した理由はない。許嫁にフラれただけだ」


「いや、大したことあるでしょそれ……」


 正直に言うと、俺が泣いていた理由がこれで合っているのかは分からなかった。フラれたからかもしれないし、違う理由なのかもしれない。もしかすると、特に理由も無く泣いていたのかもしれない。だが、客観的に考えると許嫁にフラれて泣いていたというのが自然であると思う。


「俺はどうすればいいと思う?」


「そんなこと、私に聞かれても分からないよ……」


「それもそうだな。すまん」


 俺はそれだけ言うとまた空を見上げる。空を見上げ続けることに意味が無いのは分かっている。ただ、今はこのどんよりとした空を見上げていたい気分なのだ。


「ねぇ、どうして空ばかり見てるの?」


「分からない」


「新川くんって変わってるね」


「よく言われるよ。お前は人形みたいで気持ち悪いって」


「そこまでは言わないけど……けど、落ち込んでいる時に空を見上げるのはいいかもね」


「どうしてだ?」


「今は雨が降っていて空は暗いけれど、雨が止めば青空が広がるでしょ? 青は進めの合図なんだから立ち止まってなんていられなくなるからね!」


 そう言って、詩音は得意げに笑う。俺はそんな詩音から目を離すことが出来なかった。


゛ドクドク ゛


 今の詩音を見ていると何故か心臓の脈が早く感じる。何なのだろうかこれは? 不整脈でも患っているのだろうか?


「それなら、青空になるまで待ってみる」


「大丈夫だよ」


「どうしてそう思うんだ?」


「君ならもう大丈夫だから。すぐに前に進めるよ」


 詩音のこの言葉には根拠なんてものは存在しないだろう。詩音と話したのはこれが初めてだ。ほとんど初対面みたいなものだというのに、彼女は何を根拠にそんなことを言っているのだろうか? しかし、不思議なことに彼女のその言葉はすんなりと俺の中に入ってきている。詩音が大丈夫だと言うのなら大丈夫なんだろうと自然にそう思えているのだ。


 ドクドク。


 さっきから心臓がうるさい。本当になんなのだろうか? そういえば、心臓の脈が早くなるのは病気だけではなかった。恋をすると人はドキドキすると本で読んだことがある。


゛俺は恋をしているのか? ゛


 それならば脈が早く感じたり、詩音の言葉を素直に受け入れられたりするような気もする。これは俗に言う一目惚れというやつなのだろうか? それとも、弱っている時に優しくされると惚れてしまう。そういった現象なのだろうか? まぁ、どちらにせよ結果は同じであるのだが。


「そうか……これが」


「今度はどうしたの?」


「どうやら俺は君に恋をしたらしい」


「……はい?」


「こういう時は付き合ってくれと言えばいいのか?」


「ふふ……あははは。なにそれ」


 そう言って、詩音はお腹を抱えて笑い出す。持っていた傘は地面に落ちているので、俺も詩音も雨に濡らされている。それでも構わずに詩音は笑い続けていた。


「新川くんっておもしろいね」


「それは初めて言われたな。さっきもつまらないと言われてフラれたし」


「ふふ。だって、こんな告白を受けたのは初めてだよ」


「そうなのか?」


「自分で言うのもあれだけど、私って告白された回数は多い方なのにね」


「モテるんだな」


 俺から見ても詩音はかなり可愛いと思うので、それも当然なのかもしれない。見るからに気を使って手入れをしていると思われる黒髪。目が合うと見つめ続けてしまいそうな黒い瞳。身長の割には小さめな顔に少し高めの鼻。顔のどのパーツをとっても可愛いという評価が得られるであろう彼女なら、モテない方が不思議に思えそうなくらいだ。


 だが、告白した返事が大爆笑なんていうのはどうなのだろうか? これはフラれたということでいいのだろうか? 告白なんて全くの未経験なので俺にはこの反応が良いのか悪いのかは検討さえつかなかった。


「いいよ」


「?」


「付き合ってあげるって言ってるの!」


「そうか。ありがとう」


「新川くんみたいに、純粋な気持ちでの告白を受けたのも初めてだし、なにより新川くんと付き合うと楽しそうだしね!」


「期待に応えられるように善処する」


「私の初めての彼氏なんだから光栄に思ってよね!」


 そう言って俺に笑顔を向けてくる彼女は太陽のように眩しく感じた。


 気付けば雨はやんでいて、ところどころ青空が顔を覗かせている。どうやら、俺はここでこれ以上立ち止まることが出来ないようだ。



 青は進めの合図なのだから。

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