第13話 契りきなかたみに袖をしぼりつつ

「んぅ…………ぷぁ……えへへ……琴音、気持ちいい?」

「ああ、気持ちいいよ。それに……ふふっ……幸せだ。言乃葉、愛しているよ」


 愛している、と告げられた瞬間に脳みそから信じられないほどの量の幸せホルモンがドバドバと分泌されていくのを感じる。

 身体中が一気に多幸感に包まれて気持ちいい……ふわふわと身体が浮くような……天にも昇るようなってこういうことなんだ……。

 胸がいっぱいになって、そこから溢れた気持ちが頬を伝って流れ落ちていった。


「言乃葉……?」


 涙を拭おうとして伸ばされた琴音の左手に私の右手を上からそっと重ねた。

 この温もりを生涯忘れることがないように、一生逃がさないようにと。


「違うの……幸せで……嬉しくて……琴音、私も……愛してる……」


 引っ掛かるようなこともなく、自然とそんな言葉が口から漏れた。

 琴音……嬉しそうだな。瞳が潤んで今にも泣き出しそう。

 喜んでくれたのかな、そうだったら嬉しいな。

 

「わたしは果報者だな……」

「ふふっ……泣いてもいいんだよ? 私が傍にいてあげるから」

「調子の良い奴め……あれだけ泣いていたというのに」

「泣きそうになってる琴音も綺麗だよ、へへ……」

「揶揄わないでくれ……その、恥ずかしい……から……」


 いつもお姉さんぶって余裕綽々って感じなのに。

 ちょっと攻められただけで赤くなって顔を背けるなんて……可愛いな。


「揶揄ってなんかない。ほんとに綺麗だなって……それに……ふふっ、可愛い」

「よしてくれ……か、可愛いと言われるのはどうにもむず痒い」

「照れてる琴音、可愛いよ? ちゃんと顔見せて?」

「あぅ……あの、だから……」


 琴音は困ったように視線を左右に忙しなく動かして、ちらっと上目遣いで私を見てきた。

 あまりにもいじらしい仕草にキュンキュンと胸が締め付けられて、愛おしさが込み上げてきて止まらない。


「好き……琴音、可愛い……私の……んぅ……好き、好き……」

「んぅ……言乃葉……言乃葉ぁ……」


 ちゅっ、とリップ音を鳴らしながら言葉と一緒に気持ちを伝えていくと、琴音はスイッチが入ったのか目をとろんと蕩けさせて首に腕を回してきた。

 甘えるような声を出して、もっとしてとおねだりまで……あの琴音が……。


「ねえってば!!」


 横から突然大声が響いたと思ったら肩を掴まれて無理矢理グイッと引き離された。

 水を差してきた声の主に目をやると不満そうな顔をしながら私を睨んでいる。

 どうして邪魔するんだろう……折角いいところだったのに。


「何回も呼んでるのになんで無視するの? あたしはいつまで見てればいいの?」

「私は何も知らないよ? 琴音?」

「あ、あぁ……すまない。君のことをすっかり忘れていたよ。恋は思案の外とは正にこのことだな……想像を遥かに上回る甘美な体験に思わず耽溺してしまっていた」

「どうでもいいけどさ……それで? もういいの?」


 一人放置されてイライラしていたのか、文は不機嫌さを隠そうともせず琴音に問いかけていた。

 

「ああ。予想とは違っていたが……これはこれで……寧ろ、僥倖と言うべきか……」

「何ブツブツ言ってるの……いい加減離れてよ。コトも、ほら!」


 私の後ろに回ると、両脇に腕を通して琴音から引き剥がそうとしてくる。

 琴音の温もりが消えていく。私から琴音が離れていく。


「嫌! 離して!」 


 離れたくないと琴音の身体にしがみついて必死に抵抗した。


「コ、ト……?」

「別にこのままでも話はできるでしょ!? 琴音、琴音ぇ……」

「ふふっ……大丈夫だよ言乃葉。ほら、降りて? わたしはどこにもいかないから」

「……ほんと?」

「本当だとも。さぁ、ほら」

「琴音が言うなら……わかった」


 本当は離れたくなかったけど、渋々頷いて嫌々琴音の上から床に足を下ろした。

 あんまりしつこいと嫌われちゃうかもしれないし……それにこれからはいつでも一緒にいられるんだ。

 だって私と琴音は恋人同士なんだから……ふふっ……。


「ふぅ……これで万事解決かな。言乃葉、葉山さんと一緒にいるのはつらいかい? 、今まで通り仲良くやれそうにはない?」

「ううん……できるよ。私と文は友達だから」


 どうしてあんなに悩んでたんだろう。

 そうだよね、失恋しても友達に戻るなんてありふれた話だよね。

 絶縁なんかしなくたって私には琴音がいるんだ。何があっても琴音がいてくれる。

 私は文が好きんだ。

 私が好きなのは、愛しているのは琴音だけ。


「コト……約束だからね? もう逃げたりしないでね?」

「うん、ごめんね文。約束する」

「うんうん。仲よき事は美しき哉。良い行いをすると気持ちがいいね、ふふっ……」

「……川崎さん、ごめんなさい。それと……ありがと」

「とんでもない。わたしの方こそ礼を言わせてもらうよ。ありがとう、葉山さん」


 文は琴音に向き直り、深々と頭を下げて感謝の言葉を述べていた。

 琴音のお陰で仲直り……仲直りはちょっと違うな……私が一方的に拗らせただけだし……関係が修復できたんだ。私からも改めてお礼を言わないと。


「琴音、ありがとう」

「感謝は言葉じゃなくて、ね? ふふっ……楽しみにしてるよ」


 琴音は意味深に口元を指差しながら悪戯っぽく笑った。

 様になってるのがずるいなぁ……私がやったら笑われるよ。

 なんか、ちょっとムカつく……。


「蕩けた顔してた癖に……」

「なっ!? そ、それはお互い様だろう!?」


 ボソッと呟くと琴音はボッと一瞬で顔を紅潮させて取り乱し始めた。

 素知らぬ顔で白を切り通そうっと。自覚はあるしその程度じゃ照れたりしないよ。


「私はそんな顔してないよ? 好き好きーって甘えてきて可愛かったなぁ」

「うぅ……だから……それは言乃葉も……」


 可愛いなぁ……やっぱり攻められるのに弱いんだ。

 いつものクールな琴音がまるで形無しだ。私なんかの一言で照れて弱々しく反撃しようとしてる。


「首に腕を回してきてもっとしてっておねだりして……琴音は可愛いね」

「し、してない……」

「えー? 絶対してたよ? 可愛かったな……言乃葉、言乃葉ぁって必死に名前を呼んで求めてきて……ふふっ……」


 思い出すだけでキュンとしてしまう。早くまた琴音とキスしたい……。

 溶け合って混ざり合うみたいなあの気持ちいい感覚が忘れられない。

 愛して、愛される喜び。好きな人を幸せにして、幸せにされる幸福感。

 文、いつまでいるのかな……。


「してないと言っているだろう! それに、その、可愛くなんかない……」

「可愛いよ? 真っ赤になって恥ずかしがってるのも、否定してるけどホントは可愛いって言われる度に喜んでるのも、それを隠してるのも全部可愛い」

「うぁ……言乃葉ぁ……」

「琴音……」

「ねぇ、あたしもいること忘れてない?」


 ……もう! 琴音が蕩けた顔でこっち見てたのに! 

 

「ん゙んっ! ……ふぅ……失礼した。いやはや……己を律するのがこうも難しいとはね……」

 

 あー! あーあ……文のせいで琴音がいつもの澄まし顔に戻っちゃった。

 大袈裟に咳払いなんかして……もうちょっとだけ意地悪したかったのに。

 ……邪魔だなぁ。


「コト? どうしたの?」

「ううん、なんでもない。そろそろ授業始まるし、戻ろっか?」

「う……うん……。川崎さんも一緒に行こう?」

「ああ、そうだね……それじゃあ、行こうか」


 時間はいくらでもあるんだし、焦らなくてもいいや。そう思って三人で連れ立って空き教室を後にした。

 琴音が鍵を閉め終わるのを待って、カチャン、と音がした後並んで歩き出した。

 私を真ん中に左側に文が、右側に琴音が。

 いつもと違う右側になんだかこそばゆいような、それでいて嬉しいような不思議な感覚を抱きながら歩いていく。


「コトの彼女さんなんだし……これからあたしとも仲良くしてくれる?」

「こちらこそよろしく頼むよ。わたしの知らない言乃葉のことを教えてくれると助かる。少し調子に乗ってるようだからあとで灸を据えておかないとね?」

「あははっ、わかった。おねしょ以外にもたくさんあるんだから」


 背、高いな……いつもより高めに見上げなきゃいけないんだ。

 私の歩幅に合わせてくれてるし……ふふっ……ここから教室までそこまで遠いわけじゃないんだから別にいいのに。

 

「文、余計なこと言わなくていいからね?」

「じょ、冗談だってば……睨まなくったっていいじゃん……」


 あれ? 睨んだつもりじゃなかったんだけど……。

 そんなに険しい目つきしてたかな?

 

「怒ってるわけじゃないから」

「……だったらいいけどさ」


 文はなんだよ、と納得がいってないのかブツクサと文句を垂れている。

 もう一度しっかりと伝えておこう。変にこじれても面倒だし。


「本当に怒ってないよ、勘違いさせてごめん。私は文に嘘はつかない、そうでしょ?」

「……うん。そうだよね。コトはあたしに嘘つかないもんね」


 小さい頃からの約束だからね。

 私はそれを破ったことがないし、これからも破らない。

 あのとき用事を思い出したって言って逃げ出したのも、琴音に慰めてもらうって用事が……なんてのは詭弁かな?

 好きな人ではなくなってしまったけど、その約束は守るよ。


 たとえ文が私との約束を破って、私を一人にしようとしても。

 ずっと一緒にいてくれるって言ったのに。もう覚えてもないのかな? 

 今となっては、どうでもいいけど。

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