七章 一緒におばあちゃんになって
『満腹堂』は決して大きな店ではない。
気取らない町の中華料理屋といった印象で、店内は客が二〇人も入ればいっぱいになってしまいそう。建物自体も年季が入っているようで新しさという点はまるで感じない。
でも、ボロいとか古くさいといった印象はない。長い年月、風雪に耐えてきた、穏やかだけど強靭な古木のような風格がある。
自然の木のようなほのかにさわやかな香りがするし、掃除も行き届いていて清潔そのもの。
歴代の店員たちがいかに大切に、丁寧に扱い、継いできたのかが全身で感じられる。
そんな店だった。
――これが時代を超えて受け継がれてきたクラシックの良さというものね。
少々、大仰な、そんな感想さえもったほどだった。思わず、お洒落な気分になってお澄まし顔になってしまう。
ほどなくして、たいそうお腹が空きそうな匂いが漂ってきて、
「うわあっ」
目の前に並べられた料理はどれもこれもマンガのなかでしか見たことがないような、なんとも豪勢で贅を凝らした料理ばかり。本格中華など生まれてこの方一度も食べたことのない
わかるのはせいぜい形そのまま使われているエビとカニぐらい。赤身の入った見慣れない肉はカモ肉だろうか。それ以外は本当になにがなんだかわからない。
わかることはただひとつ。とにかく、やたらめったらとお腹の空く匂いがしていて、見た目もそれに劣らずおいしそうということだけ。
「すごいです。これって、満漢全席って言うやつですか?」
『満漢全席』の正しい意味なんて知らないけど、とにかく『高級な中華料理』というイメージがあったのでそう言ってみた。
「あはは。あいにくだけどちがうよ。満漢全席ってのは宮廷料理の一種で、何日もつづく宴席のための料理だからね。うちは一般向けの中華料理屋だからそんな気取った料理は出さないよ」
「でも、味は確かよ」
胸をそらして自慢そうに言ったのは
「
『修行だけは』という言い方には皮肉っぽい響きがあったけど、まるで我が子を自慢するかのような態度。その言葉と態度にふたりの関係がよく表れていた。
「へえ、すごいんですね」
「あっはっはっ。料理人が修行するのは当たり前だろ。それに、料理人を褒めるときは料理の味を褒める。それが、マナーってもんだよ」
「あ、はい、そうですね。では、いただきます」
「おう。たっぷり食ってくれよ」
ニコニコと嬉しそうにそう答える
もう、一口食べただけで『おいしい……』と、全身が痺れ、天を仰いで両目を閉じ、感動に打ち震えてしまうほど。
それぐらい、しっかりとした味だった。
『上品なのにコクがあり、素材の味がしっかりと生かされている。噛めばかむほど深く、豊かな滋味が口のなかいっぱいに広がり、飽きることがない。これこそ本物の味!』
本物と偽物を区別する舌もないくせに、ついついにわか食通となってそんな批評をしたくなる味だった。
実際に口にすることなく、心のなかだけの呟きで終わったのは幸いだった。もし、そんなことを口にしていたら今後、一生、
当の
ともかく、
むしろ、
そんなふたりを料理人である
運ばれてきた大皿を見たときには女子ふたりで食べるには多すぎると思ったものだが、なんのことはない。
「ふう~」
と、
「すごいおいしかったです」
「まだお若いのに、名料理人なんですね」
一六歳の
「まあ、たしかに『修行だけ』はしたからな」
と、
「このお店は、この都市『目覚めの刻』ができたときからある老舗なのよ」
「
「へえ。従業員から。すごいんですね」
「ははは。ま、この店は『安くてうまい料理を、誰にでも腹いっぱい食べてもらいたい』っていう初代から受け継がれてきたモットーで経営されてきたからね。人件費を抑えて料理代を安くすませるために代々、店の店主と後継者と見込んだ特別な店員だけで経営されてきたんだ。そのために味の良さで知られながらも大規模化をさけ、あえて小規模経営に徹してきたってわけ」
「へえ」
「そんな店だからこそ、後継者に対する姿勢も厳しくってね。
『うちの味と精神を継げないような半端ものしかいないなら店をたたむ!』
って言うのが先代の口癖でさ。おかげで代々、受け継がれてきた味を再現できるまで容赦なくシゴかれたもんさ。初代以来のモットーも叩き込まれながらね」
「へえ。すごいんですね」
そんな厳しい環境で鍛え抜かれたからこそのこの腕というわけだ。『すごい』という感想しか出てこない。自分にはとてもできそうにない。
「ま、あたしは昔から真面目で練習熱心だったからね。ここにいる要領のいい小悪魔とはちがってな」
「なにしろ、こいつは学生時代、お得意の小悪魔スマイルを振りまいては学校の課題を先輩連中にやらせていたんだからな」
「そうなんですか⁉」
いやまあ、たしかに、
「あれは、わたしがバスケ部のエースだったから『課題に時間をとられるぐらいならその分、練習して! 課題はかわりにやっておくから』って、先輩たちが言うからその通りにしていただけよ。あなたこそ、『こんなにめいっぱい運動しているのに、一食や二食じゃたりない!』って言って、後輩のお弁当をとりあげていたじゃない」
「あれは、あたしを慕う後輩たちが自主的に用意してくれていたんだ。好意を無にしないために、ありがたくいただいていただけだ」
なんでもこのふたり、学生時代は同じバスケット部に所属していたとのこと。
おかげで、学生時代は校内の人気を二分するスターだったとか。
――
グラビアアイドル並の顔と体の上に、運動神経まで抜群なんてズルい。
そう思わないでもなかったけど、あちこちムチムチながら無駄肉の一切ない引きしまった肢体はなるほど、アスリートという印象ではある。
「だいたい、お前はその練習だって不真面目だったろ。なにかというとすぐにサボっていたんだから」
「あれは、練習と休息のメリハリをつけていただけよ。ダラダラやっていたって身につかないもの。やるべきときは短時間に集中してやって、休むべきときは休む。それでこそ、身につくというものよ」
「あなたは、とにかく練習、練習で、休みも入れなかったじゃない。そのせいで他の部員がついて来れなくなって退部者続出。廃部寸前にまで追い込まれたんじゃない」
「勝負に勝とうと思ったら人より苦労しなきゃいけないのは当たり前だろ。あの程度で根をあげるなんて根性がないんだよ」
「それが、やりすぎだって言うのよ。本当、杓子定規で融通が利かないんだから」
「お前は調子が良すぎなんだよ。課題を先輩にやってもらっていることがバレたらそのたび、涙を流してションボリして見せて『……ごめんなさい、もうしません』。それで、教師をごまかして、あとはペロッと舌を出して同じことを繰り返すんだからな」
「泣いて許されるのは、この容姿あってこそ。生まれついての才能よ。才能を生かしての世渡りなんて当たり前じゃない」
一切、悪びれることなく、堂々とそう言ってのけたのはむしろあっぱれだったかも知れない。
それからもふたりは学生時代のことをあれやこれやと言いあった。最初は興味深く聞いていた
「どうしたの、
「……いいですよね。そうやって、なんでも言いあえる相手がいるって」
「
でも、その相手もいまはもういない。とうの昔に鬼籍に入っている。一緒に昔のことを語り合える相手はこの世界にはもうひとりもいない……。
そう思うとふいにたまらない寂しさがわきおこってきた。本来、いるべきでない時間に来てしまったのだという現実が重くのしかかってくる。
そのことに胸がいっぱいになり、涙がじわっとにじんでくる。にじんだ涙は目にたまり、やがて、一粒の水滴となってテーブルの上に落ちた。
「……
「だいじょうぶよ、
「あなたはひとりじゃない。わたしがいる。わたしがずっと一緒にいるから。あなたはこれから先、わたしと一緒にたくさんの思い出を作るの。やがては、一緒におばあちゃんになって、若い頃のことを語り合うの。そして、
「
「あたしもいるよ」
「あたしも、あんたと一緒に思い出を作っていくから。なにかあったらいつでもこの店においで。『満腹堂』は胃袋だけじゃなくて心も満たすための場所なんだからね」
「……はい」
ふたりにそう言われて――。
「でも……」
「手を出したらダメよ。
そう付け加えることを忘れない
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