七章 一緒におばあちゃんになって

 『満腹堂』は決して大きな店ではない。

 気取らない町の中華料理屋といった印象で、店内は客が二〇人も入ればいっぱいになってしまいそう。建物自体も年季が入っているようで新しさという点はまるで感じない。

 でも、ボロいとか古くさいといった印象はない。長い年月、風雪に耐えてきた、穏やかだけど強靭な古木のような風格がある。

 自然の木のようなほのかにさわやかな香りがするし、掃除も行き届いていて清潔そのもの。朝陽あさひの時代だとへたな飲食店に入ると所々、油汚れなどがこびりついていたり、食事中にゴキブリを見かけたりもしたものだが、ここではまちがってもそんなことはなさそう。

 歴代の店員たちがいかに大切に、丁寧に扱い、継いできたのかが全身で感じられる。

 そんな店だった。

 ――これが時代を超えて受け継がれてきたクラシックの良さというものね。

 少々、大仰な、そんな感想さえもったほどだった。思わず、お洒落な気分になってお澄まし顔になってしまう。

 ほどなくして、たいそうお腹が空きそうな匂いが漂ってきて、蘭花らんふぁが料理を運んできた。いくつもの大皿に盛られた料理がテーブルいっぱいに所狭しと並べられる。

 「うわあっ」

 朝陽あさひは思わず声をあげていた。

 目の前に並べられた料理はどれもこれもマンガのなかでしか見たことがないような、なんとも豪勢で贅を凝らした料理ばかり。本格中華など生まれてこの方一度も食べたことのない朝陽あさひにはどんな料理なのか、なにが使われているのかさえわからない。

 わかるのはせいぜい形そのまま使われているエビとカニぐらい。赤身の入った見慣れない肉はカモ肉だろうか。それ以外は本当になにがなんだかわからない。

 わかることはただひとつ。とにかく、やたらめったらとお腹の空く匂いがしていて、見た目もそれに劣らずおいしそうということだけ。

 「すごいです。これって、満漢全席って言うやつですか?」

 『満漢全席』の正しい意味なんて知らないけど、とにかく『高級な中華料理』というイメージがあったのでそう言ってみた。

 蘭花らんふぁは爽快な笑い声をあげた。

 「あはは。あいにくだけどちがうよ。満漢全席ってのは宮廷料理の一種で、何日もつづく宴席のための料理だからね。うちは一般向けの中華料理屋だからそんな気取った料理は出さないよ」

 蘭花らんふぁはそう言ったけど朝陽あさひの目には、テーブルに並ぶ料理は充分『気取った料理』に見えた。

 「でも、味は確かよ」

 胸をそらして自慢そうに言ったのは夕顔ゆうがおである。

 「蘭花らんふぁは修行だけはみっちりしているから。どんな高級店のシェフにだって負けないわ」

 『修行だけは』という言い方には皮肉っぽい響きがあったけど、まるで我が子を自慢するかのような態度。その言葉と態度にふたりの関係がよく表れていた。

 「へえ、すごいんですね」

 「あっはっはっ。料理人が修行するのは当たり前だろ。それに、料理人を褒めるときは料理の味を褒める。それが、マナーってもんだよ」

 「あ、はい、そうですね。では、いただきます」

 「おう。たっぷり食ってくれよ」

 ニコニコと嬉しそうにそう答える蘭花らんふぁだった。

 朝陽あさひはとりあえず一番、手近の大皿から料理を取り分けた。箸でつまんで口に運ぶ。見た目と匂いだけでももうお腹がグウグウ鳴って、体中の水分が涎になってほとばしりそうなぐらいだったけど、実際の味はそれ以上。

 もう、一口食べただけで『おいしい……』と、全身が痺れ、天を仰いで両目を閉じ、感動に打ち震えてしまうほど。

 それぐらい、しっかりとした味だった。

 『上品なのにコクがあり、素材の味がしっかりと生かされている。噛めばかむほど深く、豊かな滋味が口のなかいっぱいに広がり、飽きることがない。これこそ本物の味!』

 本物と偽物を区別する舌もないくせに、ついついにわか食通となってそんな批評をしたくなる味だった。

 実際に口にすることなく、心のなかだけの呟きで終わったのは幸いだった。もし、そんなことを口にしていたら今後、一生、蘭花らんふぁの顔を見るたびにのたうちまわって死にたくなるぐらい恥ずかしい思いをする羽目になっていたにちがいない。

 当の蘭花らんふぁ本人は見た目通りのサバサバした態度で笑って流してくれるだろうけど。

 ともかく、朝陽あさひはその味に誘われるままに本能に身を任せて食べにたべた。このときばかりは体重計の恐怖も、ウエストサイズの呪いも忘れていた。ふと見ると、夕顔ゆうがおのほうも朝陽あさひに負けず劣らず食べまくっている。

 むしろ、夕顔ゆうがおの方が多く食べているかも知れない。それこそもう、食べたものが胃袋ではなく胸に入っているのではないか、と思わせる見事な食べっぷり。おかげで、朝陽あさひも遠慮ひとつすることなく食欲のままに食べることができた。

 そんなふたりを料理人である蘭花らんふぁはニコニコといかにも嬉しそうな笑顔で見つめている。料理を作ってくれた当人がこんなに嬉しそうにしてくれているのだ。もっともっとと、食べたくなる。

 運ばれてきた大皿を見たときには女子ふたりで食べるには多すぎると思ったものだが、なんのことはない。夕顔ゆうがおとふたりでペロリと平らげてしまった。皿に残ったソースまで舌で舐めとって、きれいに食べきりたいぐらいである。

 「ふう~」

 と、朝陽あさひは身も心も満腹しきって、食後のお茶を飲みながら一息ついた。その表情がなんとも幸せそうで、見ている誰もがついつい微笑んでしまいそうなほど。

 「すごいおいしかったです」

 朝陽あさひは心からの笑顔で蘭花らんふぁに言った。

 「まだお若いのに、名料理人なんですね」

 一六歳の朝陽あさひが言うには少々、おかしな賛辞だったかも知れないが、蘭花らんふぁは笑って素直に受けとめてくれた。

 「まあ、たしかに『修行だけ』はしたからな」

 と、蘭花らんふぁは先ほどの夕顔ゆうがおの言葉に対する仕返しだろう。『修行だけは』という点を強調してそう言った。

 「このお店は、この都市『目覚めの刻』ができたときからある老舗なのよ」

 夕顔ゆうがおが自慢する気たっぷりにそう言った。

 「蘭花らんふぁは四代目の店主。と言っても、親子とか親類というわけじゃなくて、従業員として務めはじめて、先代に鍛え抜かれて後継者になったんだけどね」

 「へえ。従業員から。すごいんですね」

 「ははは。ま、この店は『安くてうまい料理を、誰にでも腹いっぱい食べてもらいたい』っていう初代から受け継がれてきたモットーで経営されてきたからね。人件費を抑えて料理代を安くすませるために代々、店の店主と後継者と見込んだ特別な店員だけで経営されてきたんだ。そのために味の良さで知られながらも大規模化をさけ、あえて小規模経営に徹してきたってわけ」

 「へえ」

 「そんな店だからこそ、後継者に対する姿勢も厳しくってね。

 『うちの味と精神を継げないような半端ものしかいないなら店をたたむ!』

 って言うのが先代の口癖でさ。おかげで代々、受け継がれてきた味を再現できるまで容赦なくシゴかれたもんさ。初代以来のモットーも叩き込まれながらね」

 「へえ。すごいんですね」

 朝陽あさひは芸もなくそう繰り返した。

 そんな厳しい環境で鍛え抜かれたからこそのこの腕というわけだ。『すごい』という感想しか出てこない。自分にはとてもできそうにない。

 蘭花らんふぁ夕顔ゆうがおに視線を向けた。ニッとばかりに少々、意地の悪い笑顔を作りながら答えた。

 「ま、あたしは昔から真面目で練習熱心だったからね。ここにいる要領のいい小悪魔とはちがってな」

 蘭花らんふぁ夕顔ゆうがおの頭を指先で軽くこずいてみせる。ふたりの関係の深さが見てとれて、ちょっと羨ましくなるような仕種だった。

 「なにしろ、こいつは学生時代、お得意の小悪魔スマイルを振りまいては学校の課題を先輩連中にやらせていたんだからな」

 「そうなんですか⁉」

 朝陽あさひは驚いて叫んだ。

 いやまあ、たしかに、夕顔ゆうがおの見た目ならそれぐらい簡単にできるだろうし、そんなことをしでかすのが似合いそうなキャラではあるが。

 夕顔ゆうがおは旧悪を暴露された格好になったわけだが、少しも動じなかった。それどころか、『当然』と言わんばかりの堂々たる態度で答えた。

 「あれは、わたしがバスケ部のエースだったから『課題に時間をとられるぐらいならその分、練習して! 課題はかわりにやっておくから』って、先輩たちが言うからその通りにしていただけよ。あなたこそ、『こんなにめいっぱい運動しているのに、一食や二食じゃたりない!』って言って、後輩のお弁当をとりあげていたじゃない」

 「あれは、あたしを慕う後輩たちが自主的に用意してくれていたんだ。好意を無にしないために、ありがたくいただいていただけだ」

 なんでもこのふたり、学生時代は同じバスケット部に所属していたとのこと。夕顔ゆうがおがスモールフォワードで攻めの柱、蘭花らんふぁがセンターとして守りの柱。このふたりの活躍でなかなかに強かったらしい。

 おかげで、学生時代は校内の人気を二分するスターだったとか。

 ――夕顔ゆうがおさん、バスケなんてしてたんだ。

 グラビアアイドル並の顔と体の上に、運動神経まで抜群なんてズルい。

 そう思わないでもなかったけど、あちこちムチムチながら無駄肉の一切ない引きしまった肢体はなるほど、アスリートという印象ではある。

 蘭花らんふぁ夕顔ゆうがおに重ねて言った。

 「だいたい、お前はその練習だって不真面目だったろ。なにかというとすぐにサボっていたんだから」

 「あれは、練習と休息のメリハリをつけていただけよ。ダラダラやっていたって身につかないもの。やるべきときは短時間に集中してやって、休むべきときは休む。それでこそ、身につくというものよ」

 夕顔ゆうがおはそう言い返してから、蘭花らんふぁに言った。

 「あなたは、とにかく練習、練習で、休みも入れなかったじゃない。そのせいで他の部員がついて来れなくなって退部者続出。廃部寸前にまで追い込まれたんじゃない」

 「勝負に勝とうと思ったら人より苦労しなきゃいけないのは当たり前だろ。あの程度で根をあげるなんて根性がないんだよ」

 「それが、やりすぎだって言うのよ。本当、杓子定規で融通が利かないんだから」

 「お前は調子が良すぎなんだよ。課題を先輩にやってもらっていることがバレたらそのたび、涙を流してションボリして見せて『……ごめんなさい、もうしません』。それで、教師をごまかして、あとはペロッと舌を出して同じことを繰り返すんだからな」

 「泣いて許されるのは、この容姿あってこそ。生まれついての才能よ。才能を生かしての世渡りなんて当たり前じゃない」

 一切、悪びれることなく、堂々とそう言ってのけたのはむしろあっぱれだったかも知れない。

 それからもふたりは学生時代のことをあれやこれやと言いあった。最初は興味深く聞いていた朝陽あさひだが、ふいにため息をついた。

 「どうしたの、朝陽あさひ?」

 夕顔ゆうがおが尋ねた。

 朝陽あさひはテーブルに視線を落としながら、少し寂しそうにつぶやいた。

 「……いいですよね。そうやって、なんでも言いあえる相手がいるって」

 「朝陽あさひ……」

 朝陽あさひにもいたのだ。病気であることが発覚して眠りにつくまでは。こうやって、なんの遠慮もなく昔のことをさらしあいながら言い合える相手が。

 でも、その相手もいまはもういない。とうの昔に鬼籍に入っている。一緒に昔のことを語り合える相手はこの世界にはもうひとりもいない……。

 そう思うとふいにたまらない寂しさがわきおこってきた。本来、いるべきでない時間に来てしまったのだという現実が重くのしかかってくる。

 そのことに胸がいっぱいになり、涙がじわっとにじんでくる。にじんだ涙は目にたまり、やがて、一粒の水滴となってテーブルの上に落ちた。

 「……朝陽あさひ

 夕顔ゆうがおが呟いた。夕顔ゆうがお蘭花らんふぁは涙ぐむ朝陽あさひを前に、いままでの言い合いが嘘のように神妙な、そして、慈愛あふれる眼差しを向けていた。

 「だいじょうぶよ、朝陽あさひ

 夕顔ゆうがおが両腕を伸ばした。朝陽あさひの手を両手でしっかりと、そして、ありったけの愛情を込めて握りしめた。

 「あなたはひとりじゃない。わたしがいる。わたしがずっと一緒にいるから。あなたはこれから先、わたしと一緒にたくさんの思い出を作るの。やがては、一緒におばあちゃんになって、若い頃のことを語り合うの。そして、夕陽ゆうひおばあちゃんが眠る木の下に還ってひとつになる。そう。わたしはあなたを絶対にひとりにはしない。だから、だいじょうぶ」

 「夕顔ゆうがおさん……」

 朝陽あさひは涙の消えない目で夕顔ゆうがおを見た。そのときの夕顔ゆうがおの顔はまるで、天才的な仏師が魂のすべてを込めて作りあげた菩薩像のようだった。

 「あたしもいるよ」

 蘭花らんふぁがそっとささやいた。自分の手を朝陽あさひ夕顔ゆうがおのそれに重ねる。

 「あたしも、あんたと一緒に思い出を作っていくから。なにかあったらいつでもこの店においで。『満腹堂』は胃袋だけじゃなくて心も満たすための場所なんだからね」

 「……はい」

 ふたりにそう言われて――。

 朝陽あさひは涙をにじませた目で微笑んで見せた。

 「でも……」

 夕顔ゆうがおはキッと蘭花らんふぁをにらみつけた。

 「手を出したらダメよ。朝陽あさひは、わたしの運命の恋人なんだから」

 そう付け加えることを忘れない夕顔ゆうがおだった。

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