六章 朝陽一筋だから!

 「はああ~」

 と、朝陽あさひは重いおもいため息をついた。

 場所は夕顔ゆうがおの友だちが経営しているという中華料理店。買い物をすませたあと、もう夕食の時間だということで、夕顔ゆうがおに連れられてやって来た。

 それはいい。

 問題はここに来る前。

 ラウラの店で服や靴を一通りそろえたあと、他の必要品を買うためにいくつかの店をまわった。

 と言っても、いまの時代、たいていの用は携帯端末ひとつですんでしまうので家具の類などはほとんどいらない。テレビも、ラジオも、PCも必要ない。必要なものと言えばクローゼットとベッドくらい。

 夕顔ゆうがおの部屋からして、そのふたつの他は小さなナイトテーブルぐらいしかなかった。あとは、女性らしい細やかさを感じさせる上品な花瓶にハーブの鉢植え。

 たったそれだけ。

 朝陽あさひも家具に対するこだわりなんてなかったし、両親と妹が残してくれた大事なお金をそんなことに使うつもりはなかったので、ごくごく安物ですませるつもりだった。食器や歯ブラシ、タオルなど、細々とした日用品を買ったあと、家具屋に入り一番、安いシングルのベッドを買うつもりだった。それなのに――。

 ここで、夕顔ゆうがおが猛烈に異を唱えた。

 「なに言ってるの⁉ ベッドを安物ですませるなんてダメよ!」

 「でも、ベッドなんて寝るだけだし……」

 「だから、大切なんじゃない。睡眠は一生のうちの三分の一を占める大事な時間。体を休め、脳の雑多な情報を整理し、一日の疲れをとり、新しい一日のためにリフレッシュするかけがえのない時間なのよ。睡眠の質がさがったら健康にも、美容にも悪いし、パフォーマンスだって落ちる。食事と同等以上に気を使うべき人生の大切な要素。だからこそ、寝具にはきちんとお金をかけて、良い物をそろえるべきなんじゃない」

 ケチと倹約はちがう。ここぞというところでドカンと大金を使うために普段は使わずにとっておくのが倹約。大切なことにまで出し惜しみしていたらただのしみったれたケチよ!

 グッと拳を握りしめ、そう力説する夕顔ゆうがおだった。

 とまあ、ここまではいい。

 正直『そこまで力説するほど?』とは思うけど、言っていることはわかる。とくに、美容と健康に関するくだりには、

 ――やっぱり、夕顔ゆうがおさんぐらいの美人になると、美容と健康には日頃から気を使ってるんだなあ。

 と、感心した。

 しかし、そのあとは……。

 「だから、シングルなんて絶対にダメ! ゆったりとしたダブルベッドを買いましょう」

 「なんで、そうなるんですか⁉」

 朝陽あさひでなくてもそう叫んだところだろう、恐らく。

 「あたしひとり用なのに、ダブルベッドなんて無駄じゃないですか」

 これがもし、女子プロレスラー並の巨体というなら自分ひとり用でもダブルベットが必要になるのもわかる。だけど、朝陽あさひは当時の一六歳女子としてごくごく平均的な体型の持ち主。

 身長も平均的なら、体型も――これでも一応、ダイエットに関しては気を使ってきた――平均的。シングルベッドで充分、おさまる体型なのだ。ダブルベットなんて買ったら広すぎて、もてあましてしまうにちがいない。

 しかし、夕顔ゆうがおは天上天下唯我独尊! とばかりに激しく主張した。

 「わたしが一緒に寝るからに決まってるじゃない!」

 「なんで、一緒に寝ることが前提なんですか⁉」

 朝陽あさひは真っ赤になって叫んだ。

 すると、夕顔ゆうがおは『お母さんと一緒に寝たい!』と駄々をこねる小さな女の子みたいに拳を握りしめ、全身で叫んだ。

 「だって、朝陽あさひのことが好きなんだもん! ずっと一緒にいたい!」

 そんなことを店内で堂々と叫んでのけたのだ。

 当然、まわりの注目が一斉に集まる。視線が痛い。朝陽あさひは全身を真っ赤に染めて、汗はダラダラ。女子同士の友だち婚が当たり前……という時代だけあって奇異な視線がなかったのは救いだったけど、

 ――救いになるか!

 とは、朝陽あさひの心の声である。

 ともかく、店内でそれ以上すったもんだしているわけにもいかないので、夕顔ゆうがおの希望通りダブルベッドを購入した。

 「お買いあげありがとうございます。お届けは明日の午前中になります」

 そう告げる店員の、微笑ましい母娘連れを見るかのような笑顔がひたすら恥ずかしい朝陽あさひであった。

 ともかく、そうして買い物をすませ、夕顔ゆうがおの友だちが経営する中華料理店にやって来たのだった。

 「ベッドが届くのは明日だから、今夜はわたしのベッドで抱きあって眠るのね」

 と、元気いっぱいの夕顔ゆうがおに対し、朝陽あさひは疲れはててげんなりしている。

 あまりに夕顔ゆうがおが楽しそうなので身の危険を感じ、

 ――いっそ、家の外で寝てやろうか。

 とも思ったけれど、さすがにそこまではできない。ともかく、好意を示してくれる大家相手にあまりに失礼だし、そもそも、土の上で寝たことなんてない。キャンプした経験すらないのだ。そんなことができるとは思えなかったし、したくもなかった。

 ――まあ、今夜一晩だけだし。明日にはあたし用のベッドが届くわけだし。鍵を閉めておけばいいことだもんね、うん。

 そう自分自身に言い聞かせた。

 朝陽あさひ夕顔ゆうがおの家の鍵のかかる部屋はひとつもないのだと知って絶望するのは、ベッドが届いたそのあとのことである。

 ともかく、時は夕食時である。朝陽あさひのお腹がググゥ~と、健康的な音をたてて大きく鳴った。朝陽あさひはたちまちいままでとはちがう意味で真っ赤になる。

 怒っていようが、疲れていようが、腹は減る。とくに今日は、夕陽ゆうひへの報告と買い物とで一日中、歩き通し。ラウラの店でピザやらケーキやらけっこう食べたはずなのに、若く健康――に、ようやくなれた――な肉体はそのすべてのエネルギーを消化し、吸収し、使い果たし、さらなるエネルギーを求めていた。

 「ははは。いい音だ」

 爽快そのものの笑い声とともに、祭りで『ワッショイワッショイ』言っている江戸っ子のように威勢のいい声がした。

 威勢はいいけれど、声質自体は若々しい女性のもの。ふと見るといつ来たのか、朝陽あさひたちの座るテーブル横に料理人姿の若い女性が立っていた。

 中華料理の鉄人として日々、重い中華鍋を振るっているせいか、女性にしてはガッシリした体つき。しかし、太っているという印象はまったくない。見事な筋肉質の均整のとれた体つき。身長も一八〇センチはありそう。それこそ、女子プロレスのリングに立っているのが似合いそうな女性だった。

 その女性が朝陽あさひを見て、にこやかに微笑んだ。ガッシリした体の上にあるのは短く整えた髪を乗せた男前美女子の顔。女子校に通っていれば、演劇部の王子さま役としてのオファーが殺到しそうな顔立ちだ。

 そんな男前美女子に、店内にイケメン風が吹き抜けそうなさわやかな笑顔を向けられて、朝陽あさひは思わず真っ赤になった。

 たちまち、夕顔ゆうがおのムッとした声がした。

 「ちょっと、蘭花らんふぁ! 朝陽あさひはわたしの運命の恋人なのよ。いつもの調子でちょっかいかけないで」

 頬をふくらませてプンスカ怒っている。嫉妬に狂うその姿。文句なしにかわいい姿ではある。

 夕顔ゆうがおに言われて、蘭花らんふぁと呼ばれた女性は納得顔になった。

 「ああ、そうか。あんたが朝陽あさひか。夕顔ゆうがおが一〇年以上まちつづけていた眠り姫。ようやく、目覚めたんだな。おめでとう」

 そう言って、ニッコリ笑う。

 その笑顔だけで恋愛未経験の一六歳女子にとっては金銀財宝にまさる贈り物。朝陽あさひは耳まで真っ赤に染まる。それを見た夕顔ゆうがおはまたも頬をふくらませるのだった。

 そんな夕顔ゆうがおの気持ちを知ってか知らずか、蘭花らんふぁはたくましい両腕をいっぱいに広げ、挨拶した。

 「ようこそ、眠り姫! 我が『満腹堂』へ! あたしは夕顔ゆうがおの学生時代からの友だちで蘭花らんふぁ。あんたのお腹はあたしの自慢の料理で満たしてあげるからね。たっぷり食べてってよ」

 見た目通りのサバサバとした気さくな態度。いかにも気っ風の良い姉御といった感じだった。

 「あ、は、はい、ありがとうございます。はじめまして。春日かすが朝陽あさひです」

 朝陽あさひはあわてて挨拶した。イケメンオーラに呑み込まれたせいで少々、おかしな言葉遣いになってしまった。

 そんなふたりのやり取りに、嫉妬に狂った棘だらけの声がした。

 「ちょっと、蘭花らんふぁ! お客にちょっかい出してないで早く料理してきなさいよ。それでも、プロの料理人?」

 夕顔ゆうがおはそう言ってから両腕を組み、ふくれっ面でつづけた。

 「まったく。学生時代からその調子なんだから。ちょっとばかりイケメンだからって、かわいい子と見るとすぐに手を出してさ」

 蘭花らんふぁはその言い草に怒るかと思いきや、余裕の笑顔。片目など閉じてニカッと笑ってみせる。そんな仕種もまたイケメン。

 「お前ほどじゃなかったさ。『目覚めの刻』名物、美少女キラーよりはな」

 「美少女キラー?」

 思いがけない一言に朝陽あさひは目をパチクリさせる。途端にあわてだしたのは夕顔ゆうがおである。そんな夕顔ゆうがおにニマニマ笑いを向けながら、蘭花らんふぁは追い打ちの言葉をかけた。

 「こいつは、昔っからかわいい女の子に目がなくてさあ。相手かまわず食いまくってたんだよな。まったく、悪いやつだよなあ。こんなかわいい眠り姫がいたっていうのに、いっつもちがう女の子、連れていたんだから」

 「……へえ。夕顔ゆうがおさんってそういう人なんですね」

 そう言う朝陽あさひの両目がジト目になっていたことは――。

 誰も責められないだろう。

 「ち、ちがうんだってば、朝陽あさひ! あれは、あなたが目覚めたときにスマートにエスコートできるように練習していたって言うか……」

 「それ、相手の女子に失礼です」

 きっぱりと――。

 正論を言われて夕顔ゆうがおはたちまちションボリしてしまう。

 そんなふたりの脇で蘭花らんふぁの爽快そのものの笑い声がした。

 「もう、蘭花らんふぁ! いつまでそこにいるつもり? 早く、料理してきてよ」

 「まだ注文してもらってないんだよ」

 三人そろって漫才がはじまってしまったので忘れていた。夕顔ゆうがおは手早くふたり分の注文をした。朝陽あさひは中華料理の名前などチンプンカンプンなので注文はすべて夕顔ゆうがおにお任せしたのだ。

 「まいどあり~」

 と、蘭花らんふぁはそう言いながら厨房に引っ込んだ。その途端――。

 夕顔ゆうがおが椅子を蹴倒す勢いで立ちあがった。体を伸ばし、朝陽あさひにつめよった。両手でガシッとばかりに朝陽あさひの手をつかむ。

 「信じて、朝陽あさひ! わたしは絶対ぜったい朝陽あさひ一筋だから!」

 朝陽あさひの手を両手で握りしめながら――。

 真剣きわまる表情でそう力説する夕顔ゆうがおであった。

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