推しの魔法少女が生きている世界が過酷すぎる!!
日比野くろ
第1話 推しの魔法少女に命を救われた
俺は社会の隅に押しやられていた。
努力を怠った子供時代。就活に失敗して流れ着いたブラック企業。底辺から抜け出せない毎日。夜、布団に沈むたび、同窓会で楽しそうに人生を語る同級生の姿を思い出しては胸が潰れた。
彼らに笑ってごまかすしかなかった自分が惨めだった。
気づいたときには、夢も、希望も、何もなかった。
会社帰り、布団に沈む。ため息が漏れる。
夜になるたび、「もっと努力していれば」と後悔するが、もう遅い。
そんな俺が唯一、拠り所にしていたのはソシャゲ『エヴォルシア』だ。
魔法少女が世界を救う、国内有数のヒットアプリ。その中に、俺が推しているキャラがいた。
最初期の低レア盾役。性能は低く、ストーリーにもほぼ出ない。誰もが手にするが、誰も注目しない──そんなキャラクターだった。
だが、俺には違った。
『大丈夫です! わたしが、みんなをお
どんなときも、前向きな笑顔を絶やさない。
誰より努力して、誰かの役に立とうとしていた。
だからこそ、俺は彼女を推した。
戦闘では頼りなかったし、性能で選べば上位互換の強キャラがいた。
それでも、彼女の台詞を見るだけで、俺の荒んだ心はほんの少しだけ救われた。
俺自身の姿を、彼女に重ねていたのかもしれない。必死に努力し続ける彼女を、応援せずにはいられなかった。不遇でも、努力すればいつか報われると信じたかった。
──そして、今日の生放送。
大型アプデで、ほぼ全キャラが強化されるはずだった。
けれど、彼女の名前はなかった。
「……どうして」
分かっていた。
人気がなければチャンスは与えられない。
俺自身と重ねるように、何度も願い、祈ってきた。しかし、彼女は世界から見捨てられた。
スマホを落とし、布団に沈む。生放送の明るい声だけが虚しく響く。
疲れた。
空っぽの感情のまま、呟いた。
「もう、なにもない……死にたい……」
──ぞくっ。
突然だった。
背中が、沈む。
布団が、ぬるりと変質する。
足も、腕も。泥のような何かが絡みつき、引きずり込まれる。
「……っ、が……!」
口が包まれて、息が詰まる。声が出ない。
視界が紫に染まった。
圧倒的な悪寒。
次の瞬間、俺は世界から、消えた。
気がつくと、見知らぬ街の中に立っていた。
いや、これを「街」と呼んでいいのか?
崩れたビルの残骸が無造作に積み重なり、道路には瓦礫が散乱している。傾いた電柱が今にも倒れそうな影を落とし、信号機は不吉な赤を灯したまま静止していた。
見上げると、黒い雲が空を覆い尽くし、微かな風の音だけが聞こえている。
「なんだ、ここ」
ついさっきまで、俺は自分の部屋でスマホを手に、ソシャゲの生放送を眺めていた。
なのに、気がつけばこんな場所に立たされている。
理解が追いつかない。
視線を落とすと、スマホが転がっていた。
液晶に細かなヒビが入り、電源を押しても反応はない。
「くそっ……とにかく、充電しないと。まさか修理しなきゃダメか……?」
スマホさえ使えれば、位置情報を確認できる。
いや、警察に連絡するのが先か。何が起きているかを把握しないと。
……そのとき、不穏な音が耳に届いた。
革靴やスニーカーのような、硬質な音じゃない。生足?
いや、もっと、何か。
そして足音は、一つではない。
警戒心が急激に膨れ上がり、その方向に視線を釘付けにする。
曲がり角の影から、五つの影が現れた。
俺の思考が、凍りつく。
人ではないそれが、こちらを見た。
緑がかった灰色の肌、鉤鼻、裂けた口元から覗く獣じみた歯。
──ゴブリン?
違う、そんなはずはない。
ゲームやファンタジーの話じゃあるまいし、こんなものがいるわけ──
黄色味がかった濁った瞳が、じっとこちらを捕らえた。
先頭の一匹が鼻を鳴らした瞬間、奴らは一斉に飛び出した。
「っ!!?」
思考を挟む余裕はなかった。
反射的に背を向け、全力で駆け出す。
老人の喉をひしゃげたような、耳をつんざく奇怪な叫びが迫ってくるのが分かる。
走る。
やばい。嘘だろ、なんなんだ!?
だが足がもつれ、次の瞬間、視界が回転する。
「──っ!」
硬い地面が迫り、激突した。
「ぐ、っ……ぁっ……!」
鋭い痛みが顔を襲い、鼻の奥に生温かい鉄の味が広がる。膝に走る鈍痛。服の内側でじわりと血が滲んでいく感覚があった。
だが、それが致命的な好きだった。
背後の気配。影が動く。
振り向くと、ゴブリンが棍棒を振り上げていた。
反射的に腕を上げる──間に合わない。
「……や、めろ……助けて……」
ゴブリンは喉を鳴らし、ニタリと笑う。
棍棒が振り下ろされた。
「が、ぁっ!!」
手の甲に衝撃。皮膚が裂け、血が滴る。
焼けるような痛みが腕まで駆け上がった。
思考が吹き飛ぶほどの痛みだった。
だが悶えている間にも、棍棒が振り上げられる。
(死ぬ、殺される。助けて、誰か……!!)
わけもわからないまま、死を直観して、意識がぼやける。
……だが、その瞬間。
目の前で、青白い光が炸裂した。
ゴブリンの棍棒が逆方向へと跳ね上がり、まるで罰のように振り下ろしたゴブリン自身の頭を直撃した。
「ギャッ!」
ゴブリンの悲鳴。吹き飛ばされる身体。混乱に包まれた空気──何が起こった?
「そこまでですよっ!!」
呆然とする俺の耳に、澄んだ声が届く。
見上げると、屋根の上に少女がいた。
青の巫女装束、きらめく魔力、風になびくツインテール。
「……嘘、だろ」
目を疑った。
いや、だが、間違いない。見間違えるはずがない。
知っている。『エヴォルシア』に登場する、最も不遇なキャラクター。
「わたしは──名もなき、魔法少女!」
突進してくるゴブリンたちを前に、彼女は迷うことなく屋根から飛び降りた。
そして俺を一瞥すると、指差してくる。
「そこのあなた。危ないですから、じっとしていてください!」
「え……」
だが、俺の返事を待たずに、再び腕の盾を構える。
その瞬間、先頭の個体が襲いかかった。
──しかし、次の瞬間。盾が輝く。
青白い光が弾け、ゴブリンの腕を吹き飛ばす。
ナイフが宙を舞い、ゴブリンはのけぞった。
「人を傷つける魔物は、許しません!」
次の瞬間、残った個体が一斉に襲いかかったが、彼女は迷いなく動いた。
足元から広がる青い魔法陣。その中心から、迫り上がる青銅色の壁。襲いかかろうとしたゴブリンたちは、容赦なく吹き飛ばされる。
「まだまだ……!」
圧倒的だった。
残ったゴブリンたちも、どうしようもないと悟ったのか、怯えたように後ずさっていく。
戦意喪失。
一匹、また一匹と逃げ去る。
一方で、気絶していた個体は、まるで最初から存在しなかったかのように、光の粒子となって消滅した。
「嘘だろ……?」
夢を見ているのだろうか。
数分前まで、俺は確実に殺される寸前だった。なのに、今目の前には──。
戦いが終わったことを確認すると、彼女はゆっくりと息を整えた。
そして俺の方を振り向き、険しげな表情で駆け寄ってきた。
「あなた、どうしてこんな危ない場所にいるんですかっ!?」
少女の声が鋭く空気を裂く。息を詰め、思わず数歩後ずさる。
瞬間、冷たい衝撃が背筋を走る。
目の前に立つ彼女を改めて見つめて、確信を得た。
「……すみちゃん」
間違いない。しかし、信じられない。
ソシャゲ『エヴォルシア』に登場する魔法少女、八咫純連。
俺が推し続けてきたキャラクター。
そんな彼女が、生身の人間として目の前にいる。
「えっ──え、え……!?」
しかし俺の一言を聞き取った瞬間、彼女の表情が硬直する。
「ど、どどど、どうしてっ、なんで!?」
「は?」
「なぜ、わたしの正体を知っているんですか!!??」
俺を指差す指が震えていた。
「正体って……」
「今、わたしの名前を呼びましたよね!? すみちゃんって!」
さっきまでの活躍が嘘のように、目に見えて取り乱していた。
なぜか。考えて──そして、脳内を冷や汗が滴る。
まずい。
自分が何を口にしたのか、遅れて理解する。
魔法少女には”お約束”がある。『正体がバレるのはNG』──それは『エヴォルシア』の世界でも変わらない。その身分を隠して活動するのが通常だ。
視聴者やプレイヤーの目線では、変身前後で同じキャラクターだと分かる。
けれども、作品の中では、証拠がない限りは決してバレることはない。
つまり、彼女がここで「八咫純連」であることを知る者は、本来いるはずがない。
俺は、正体を隠している彼女の名前を、迂闊にも呼んだ。
「そ、それは……なんとなく……?」
「なんとなくで当たるわけないですよ!? そうですよねっ!?」
叫ぶような勢いで詰め寄ってくる。俺は圧倒され、反射的に後ずさる。
どうする?
どう言い訳すればいい?
こじつけでもいい、ここを切り抜けないとまずい。
「……思い出せないんだ」
「え?」
苦し紛れに出たのは、そんな言い訳。
自分でも分からないことにしてしまえばいい……そんな、単純すぎる発想。
俺の説明に、彼女の目が大きく開く。
無理があるのは分かっていても、何も思いつかないから、これしかない。「ソシャゲのプレイヤーなので」と正直に説明するほうが余程無理がある。
……でも、乗せられるか?
「なんとなく名前が浮かんだ。でも、どうして知っているのかが分からない。俺、自分のこともよく分からなくて……」
「まさか……記憶喪失、ですかっ!?」
えっ。
──いいのか? 今ので、本当に?
「……そう、かもしれない」
「なるほど、それなら納得できます!」
「え。そ、そう?」
「はい! わたしの名前を知っていた理由は分かりませんが、でも記憶喪失なら仕方ないです!」
全く疑われないとは思わなかった。
いや、そういえばすみちゃん、ゲームでも他人の言うことを疑わない子だった。
人がいいというか、騙されやすいタイプ。その善意につけ込んで、俺は推しを騙してしまった。
……胸が痛む。
一番厄介な追及を逃れることはできたのは僥倖だ。
「でも、どうしましょう。記憶がないのに、こんな場所に一人でいるのは、危なすぎますよ」
「そ、そうだよな」
しかし、それでも、彼女の表情はまだ硬いまま。
俺はまだ何がなんだか分かっていない。しかし、ここが危険な場所だということくらい分かる。さっきの生物がうろついているので、一刻も早く避難したい。
「とりあえず、避難できそうな場所を探したい」
「安全な場所はありますが、入るには身分証が必要なんです。ありますか?」
「……持ってない」
持っているのは、電源のつかないスマホだけ。
普段は肌身離さない財布類も、家のテーブルの上だ。
そうですか……と、すみちゃんは肩を落とし、眉を寄せて思案していた。
「……どうにか助けを呼ぶ手段はないのか?」
「難しいと思います……京都のほとんどは魔物の支配下ですから、助けは来ないと思いますよ」
すみちゃんが真剣な顔で言う。
その言葉に俺は思わず息を呑んだ。
(待て。『京都のほとんどは魔物の』……それって、すみちゃんの存在だけじゃなくて)
それは、まるで──いや、俺がプレイしていた『エヴォルシア』の物語そのものだ。
現実とファンタジーが入り混じった、ディストピア。
魔法少女と、異世界から来訪した侵略者との戦争が起きている世界なのか。
……違う。今はゲームの設定を思い出している場合じゃない。
さっきのゴブリンは本物だった。
余計なことを考える前に、まずは安全を確保するべきだ。
「……身分証以外に、安全な場所へ行く方法はないのか?」
「魔法少女なら、ひょっとすると助けてくれるかもしれません」
すみちゃんはさらりと答えた。
俺は頭に疑問符を浮かべながら、彼女が身にまとう衣装を眺めた。
魔法少女のコスチュームを見られて、俺の持つ疑問に気付いた彼女は、気まずそうに視線を逸らした。
「あの……私、正式な魔法少女じゃなくて……」
「正式な?」
「はい。本来なら、許可を受けた魔法少女しか活動できないんです」
「そんなルールが……?」
「はい。なので、公的な助けを呼ぶのは難しくて……」
それは、初めて聞くルールだ。
『エヴォルシア』国の支援を受けて活動している魔法少女の物語だ。
現代日本に異世界からの敵が現れる一方、魔法の力に目覚めた少女たちが、脅威に立ち向かう。
つまり、この世界の魔法少女は世間から隠れていない。
公的な支援を受けて活動している。
しかし物語の中で、全ての設定が描かれたわけじゃない。
すみちゃんは、どうやら公的な支援を受ける魔法少女じゃない。
俺も、そこまでは知らなかった。
そして、その枠にいないので、俺を助ける立場にもないということだろう。
(脱出しないと。でも、どうやって出ればいいんだ……いや。分からなくても、ここから離れることが先決だ)
俺は無意識に手の甲を見た。紫色に変色した痣。
さっきのゴブリンの棍棒の一撃で、たったこれ。次は、命がないかもしれない。
なぜ『エヴォルシア』のキャラクターと世界が広がっているのか、わからない。
しかし、事態は急を要する。
一刻も早く、安全な場所に逃げないと。
「……じゃあ、どうすればいい?」
おそるおそる尋ねると、すでに考え込んでいた彼女は「はっ」と顔を上げた。
「ほかの魔法少女に保護してもらえばいいんです!」
「え?」
「魔法少女は、困っている人を助けるのがお仕事なので。ちゃんとした魔法少女なら、しっかり安全な場所まで連れて行ってくれます!」
「そんな都合よく、来てくれるのか?」
「それは……運次第です!」
頼りない。
でも、他に手はない。このまま放置されれば、確実に魔物にやられる。それを悠長に待つわけにもいかない。
「だから、それまでの間……」
彼女の小さな拳が、ぎゅっと強く握られた。
「わたしが、あなたを守ります!!」
きっぱりと言い切るすみちゃん。
魔力を纏い、まっすぐこちらを見る。冗談でも軽口でもなく、彼女は本気だった。
「……そ、それは……いいのか?」
思わず口にしてしまった。
脅威が、まだそのあたりをうろついているなら、戦える力を持った存在に守ってもらえるのはありがたい。
だが野良で活動している彼女に、そんな義務はないように思える。
俺は彼女を知っているが、彼女は俺のことなんか知らない。
「迷惑じゃないのか? たまたま出会った人間のために、わざわざ……」
本当に、「俺なんか」のために、ここまでしてくれるのか。
どうしても問わずにはいられなかった。
「迷惑なんて思ってません!」
即答だった。淀みなく、強い声。
「放っておいたら、また魔物に襲われるじゃないですか! わたしも魔法少女の端くれ。あなたをここで見捨てるわけにはいきません!」
その言葉はひたむきで、まっすぐで。そして、迷いがなかった。
目の前の存在が、推しとか、女の子とか、そういうことを考える余裕は俺にない。
見捨てられたら終わりだ。
俺は、疼く手の甲を一瞥し、頭を下げる。
「……ありがとう。どうか、頼らせてください」
理解が追いつかないこの状況で、放り出されるのは不味い。
「おまかせください!」
すみちゃんは力強く頷くと、にっと笑顔を見せた。
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