第32話

花壇の花に水をやっていると校舎の影から誰かが覗いているような視線を感じた。

最近ずっとだ。

誰かに見られているような気がする。

女の子たちの嫉妬の視線でも、男の子の色目でもない。

私のことを探ろうとしてくるようなそんな視線。


「誰……?」


私は、影に向かって問いかけた。

するとしばらくして、分厚いメガネをかけた女の子がひょこりと顔を出す。


「あなたは?」


尋ねると、メガネの女の子はおろおろとしながら、こちらに近寄ってきて軽く会釈をした。


「……四年二組の市川 亜子です」


四年二組ってことは創ちゃんと同じクラスだ。

市川亜子ちゃん。創ちゃんからは聞いたことのない名前だ。


「どうしたの?」


彼女から敵意は感じなかった。

だから私は優しく彼女に微笑みかけた。


「あの……」


もじもじと手を揉みながら、メガネの位置をくいっと直す市川さん。


「……倉賀先輩!私を弟子にしてください!」


市川さんが勢いよく私に向かって頭をさげる。

私は一瞬ポカンとしてしまった。


「……弟子?」


市川さんは大きくうなづき、急に早口で喋りはじめた。


「私……この前のトイレで倉賀先輩の堂々とした姿を見て、憧れたんです。倉賀先輩は可愛くて、男の子にモテるだけじゃなくて、あんなにも強い人なんだって……」


「そんな大袈裟な」


「私も倉賀先輩みたいに可愛くて強くなりたいです!」


「う、うーん?」


「だから……弟子にしてください!」


市川さんの目はキラキラとしていた。

羨望の眼差しで見つめられ、少し照れくさくなってくる。


「別に私じゃなくても……」


「私、同じクラスに好きな男の子がいます」


「そ、そうなんだ」


「でも、その子も倉賀先輩のことが好きみたいで」


勘違いじゃない?とは言えなかった。

自分がどれだけ異性に人気があるかは、自分でもよくわかっていたから。


「だから、少しでも倉賀先輩のことを知りたいんです!」


ふすーっと鼻から息を吐き、市川さんはやる気満々といった様子だった。


「私みたいにならなくても、市川さんは市川さんの良さがあると思うし……そこを伸ばしていけばいいんじゃないかな」


私がそう言うと、市川さんはふと俯いた。


「……私には圧倒的に足りないものがあるんです。だから、それを倉賀先輩から学びたいんです!お願いします!」


突然、土下座する市川さん。

私は慌てて顔を上げさせる。

こんなとこ、誰かに見られたらまた変な噂を流されるかもしれない。


「わかった!わかったから、顔上げて」


「ありがとうございます!」


ため息をつく私をよそに、市川さんはどこからともなくメモを取り出す。


「では、さっそく……倉賀先輩はなんのシャンプーを使っているのですか?」


「へ?シャンプー?」


「はい!」


市川さんはペンをメモ帳に押し当て、今か今かと私の返答を待っている。


「……『さくら髪』」


別に隠すことでもないので、正直に答えた。


「『さくら髪』ですね!ありがとうございます!では……次に」


市川さんがカリカリとメモを取っているとチャイムが鳴り響いた。


「あ!ほら、チャイム鳴ったよ。もう戻ろう市川さん。続きはまた今度!」


「……わかりました」


市川さんは不満気にメモ帳を閉じるとポケットにしまった。






放課後、私は市川さんと隣り合ってベンチに座って、彼女のお悩み相談を受けていた。


「私、ダメなんです。好きな子と接すると、いつもキツく当たっちゃうんです」


そう言う市川さんはしょぼんとしていた。


「どうして?」


「恥ずかしくて。でも、照れているのを相手に悟られたくないから。わざと怒ったような態度をとってしまうんです」


「そっか」


「どうしたら、素直になれるんでしょうか!」


ぐいっと顔を近づけてくる市川さん。

距離感が掴みづらい子だ。


「む、難しいな……。キツく当たっちゃった後に『照れ隠しだよ』って言えばいいんじゃないかな?」


私は適当に答えてみる。


「ホントですか?」


疑い気味にジッと私を見つめる市川さん。


「う……うん」


「わかりました。やってみます」


市川さんがカリカリとメモをする。私はその横で頭を抱える。


「どうしたんですか?」


私の様子を市川さんが訝し気に見る。


「ううん!なんでもないの……市川さんは、その子のどこが好きなの?」


私がそう尋ねると、市川さんはパッと顔を赤らめた。


「好きなところ……ですか?えっと……ハッキリ理由があるわけじゃないんです。……いつも教室では騒いでてうるさいし、勉強はできないし、バカなことばっかやって先生に怒られてるし……。でも」


市川さんの、眉間に寄っていた皺がふっと緩んだ。


「でも?」


「その子の笑顔を見てると、幸せな気分になるんです」


不思議だな、と思った。

嫌いなところの方が多そうなのに、どうして好きになるんだろう。


「あの子が幸せなそうな顔をしていてくれるだけで、私もなんだか嬉しくて……それなのに、私はいつもキツく当たっちゃって……だから直したいんです!」


私は微笑んだ。

久しぶりにできた女の子のお友達は、少し変わっているけど、すごく真っ直ぐな可愛い女の子だ。


「そっか。頑張ろうね」


「はい!……あ!」


時計を見て、市川さんはあわてて立ち上がった。


「どうしたの?」


「いけない!私、塾の時間です。もう行かなくちゃ。今日はありがとうございました」


ペコリと私に頭を下げる市川さん。


「こちらこそ。最近は陽が落ちるのも早くなったから、気をつけてね」


「はい!ありがとうございます。先輩も、お気をつけて」


市川さんは、急いでランドセルを背負うと、忙しなく公園を走って帰っていった。


私はしばらく公園のベンチでボーっとしていた。

にゃーと猫の鳴き声が遠くで聞こえる。

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