第10話

背中を丸め、そっと成績通知の紙を開く。


「創、どうだった?順位」


「ひっ」


背後から急に弘に声をかけられ、間抜けな声をあげて飛び上がった。


「そんな驚くことないだろ」


「俺の心臓は今、もろくなってるんだよ」


「そんなに悪かったのか?」


「……」


いっそのこと、言ってしまおう。一人で抱えるには重すぎるこの数字を。


「さんびゃく」


「300?ピッタリか?」


「じゅう」


「おっと」


「きゅう」


一瞬の沈黙が流れた。あれ?急に目から汗が。


「マジかよ。学年って全部で320人だろ?」


と、どこからともなく現れた悟史が残酷な現実を突きつけてくる。


「下から二番目か」


俺の順位を聞いて弘がちょっとホッとした様子なのが気に入らない。


「いや」


下から2番目……。確かにそうだ。俺の順位は319位。学年は320人。

だがしかし。


「あ……」


何かに気づいたように悟史が声をあげる。

さすが悟史。もう気づいてしまったか。


「え?」


理解できていない様子の弘に悟史が耳打ちをした。


「確か隣のクラスの藤田さん、風邪でテスト休んでた」


「あ」


察した弘が哀れみの目を俺に向ける。

そう。今回の定期テストは1人が風邪で欠席したため、受験者数は319人。

つまり、最下位は319位。


「うわぁぁあぁあん」


「泣くな!創!勇者だろ!最下位だからってなんだ!最下位だからって!お前はどん底を見たんだ!最下位ならもう這い上がるしかないだろ!それが最下位の特権だよ!」


弘がバシバシと俺の背中を叩いて励ます。


「うわぁぁあぁあん!教室の真ん中で最下位最下位叫ぶなよぉぉお!」


「よしよし」


乱暴に弘が俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。

全然嬉しくない。


「お前らはどうなんだよぉ」


涙を拭きながら2人に尋ねると、弘はぎくっとした顔をした。


「に……にひゃくごじゅうはち」


と、弘。


「お前も低空飛行じゃねぇか!」


よく人のことが言えたものだ。


「はぁ!創より61位も上だし!」


「変わらねぇよ!」


ぎゃあぎゃあと俺と弘が言い争っているのを悟史は涼しげな顔で眺めていた。

嫌な予感がする。


「フッ、醜い争いだな」


そう言って鼻で笑う悟史。


「なんだよ!お前はどうなんだ悟史!」


と、弘。


「そうだ!お前だけ隠すなんて許さない」


と、俺。


「別に言ってもいいけど」


お高くとまった感じで悟史は腕を組む。


「言え!」


俺と弘が詰め寄ると


「2位」


と、悟史は涼しい顔で答えた。


「ん?」


ハテナマークが弘の頭の上に浮かんでいる。


「ごめん。よく聞こえなかった。何百何十二位?」


俺が聞き直すと悟史はまた鼻で笑って、口を開いた。


「一桁の2位」


ハッキリと、スカした様子で答える悟史。


「おい創!こいつを消せばお前の順位318位になるぞ!」


弘が素敵な提案を持ちかけてくる。


「そうだな。殺ろう」


俺は拳を鳴らした。


「318位になったところで結局最下位だろ」


またも現実という強力な武器で俺のHPを削ってくる悟史。


「うるせぇ!」


確かにそうなのだが!


「お前、テスト期間中も部活やってたくせに」


弘が悟史の脇腹を小突く。

そうだ。大抵の部活はテスト期間中は活動中止になるがサッカー部はテスト期間中も変わらず練習があったらしい。


「大会近いからな。まあ、勉強の時間は切り替えてたけど」


悟史が涼しい顔で答える。

スペック高すぎかよ。

俺のなけなしのプライドは崩壊寸前だよ。


「まぁ、君は所詮2位の男だよサトシ君」


弘が悟史の肩をぽんっと叩く。


「2番目の男……ぷぷぷ」


弘と同じように悟史の肩に手を置く。

そうだ。いくらできる奴でも、所詮2番手!


「258位と最下位の男には言われたくないな」


全く相手にしていない様子の悟史。腹立つ!


「最下位っていうな!319位だ!」


「はいはい」


喚く俺に対して2位の男は余裕を持っていなしてくる。


「てか1位誰なんだろ?」


弘がふと疑問を口にした。


「確かに、それ気になる」


俺がそう言うと、悟史が口を開いた。


「ああ、それなら確か……」


悟史が1位の名前を口にしかけたその時、ドガッと音がして、教室のドアが勢いよく開いた。

大量のプリントを抱えた女子生徒が、教室の入り口で眼鏡を光らせ仁王立ちしていた。

彼女は市川さん。俺たちのクラスの学級委員長だ。

いかにも優等生といった黒髪ボブに分厚いメガネ。人を寄せ付けない厳しい態度は、クラスメイト達から恐れられている。

教室にいた一同が静まりかえる。市川さんは教室中央の俺をギロリと睨んだ。

え?俺?

市川さんはズカズカと大股でこちらに向かってくる。まるで、イノシシの突進のようだ。


「えっえっえっ?なに!」


俺は思わず後ずさりする。市川さんは、俺の目の前で立ち止まる。


「木之本君」


「は……はい!」


分厚い眼鏡の奥の鋭い瞳に睨みつけられ、俺は反射的にビシッと姿勢を正した。


「あなた今日、日直でしょ」


地獄の底から響いてるのかと錯覚するほど、低くて重い声に震え上がりそうになる。


「……そうだっけ?」


ちらっと黒板の日直欄を見ると、『木之本』と俺の名前がしっかりと書かれている。


「これ。朝倉先生のとこ持ってってね」


机にドンッと大量のプリントの山を置かれた。


「え?こんなに?」


「これの三倍の量を私は朝、運んだわ」


俺を睨み続けながら、市川さんはチッと舌打ちをした。怖すぎる。


「ひっ……」


「ヨ、ロ、シ、ク、ネ」


「は、はい……」


よろしく、という言葉をこんなに怖いと感じたのは初めてだ。


「あと、あなたたち」


市川さんはビシッと俺に人差し指を向ける。

よく見れば小指で弘、親指で悟史も指している。


「いつもうるさい」


目をかっぴらいてそういうと、市川さんはくるりと回れ右して教室から出ていった。

クラスの全員がホッと息をつく。


「市川さん怖ぇ」


弘はチワワのようにブルブルと体を震わせていた。


「確か市川さんだよ。今回のテストでの学年一位」


と、悟史。


「あー、ぽいぽい」


弘は納得したように、うんうんとうなづく。


「……ホント昔から厳しいんだよね、市川さん」


俺は大きなため息をついた。


「創って確か市川さんと同じ中学だったんだっけ?」


悟史に尋ねられて俺はコクンとうなづいた。


「そうそう……中学の時からあんな感じだったよ彼女。向こうもまさか俺が同じ高校に来るとは思ってなかったんだろうな」


「なんで?」


と弘が尋ねる。


「だって俺、中学でもほとんど最下位だったんだから。俺がこの高校選んだのなんて、メイがいるからだし。そうじゃなかったら俺の偏差値に妥当なその辺の高校行ってたよ」


俺の言葉に、弘と悟史は顔を見合わせた。


「なんだよ、高校選ぶ動機が不純だって言いたいのか?」


ムッとして2人に問いかけると2人はいやいや、と首を横に振った。


「違うよ。ただ、愛の力ってすげぇなーって」


そう言って悟史が呆れたように笑った。

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