02 帝都を舞う翼
3月の澄み切った大空を、一羽の鷲がその大きな翼を広げ、悠々と舞っていた。
彼は、気高くて鋭くはあるが穏やかな眼差しを下界に向けていた。
もう、気の遠くなるほどの、遥かな時間。
下界を二本の脚でちょこちょこと動き回る奇妙な生き物が栄えては滅び、滅びてはまた立ち上がって動き回るのを、彼はずっと見守り続けていた。
大鷲は、二本脚で動き回るその奇妙な生き物、「人間」が、好きだった。
その人間たちが、大災害と愚かにも彼ら自身が作り出した禍々しい炎によって一度は全て滅び去ったのを目の当たりにし、深く心を痛めたのがついこのあいだのことだったように思える。
だが人間たちはしぶとかった。
再び立ち上がり、今彼が見下ろしている悠久の土地に現れそこに棲みはじめたのだ。
そして、人間たちの真の守護者である彼を差し置いて再び「神」とかいうものを作り出しそれを敬いはじめ、何の断りもなく勝手に彼を旗印にしてそこに集うのを、微笑みと共に、ずっと見守り続けて来た。
それから、だいぶ経つ。
人間の尺度で言えば、それは数百年から千年ほどの時間ではあるのだが。
それなのに・・・。
彼にとってはつい先ほど。人間たちの尺度ではもう半年前になるのだが、彼らは性懲りもなくまた炎の兵器を用い、隣の国の人間たちと殺し合いをした。
まったくもって、愚かなことだと思う。
しかし、殺し合いはもう、終わった。
昨日と同じ。今日も平穏な日になるのだろう。
人間たちの笑い声が響いてくると、彼もまた、嬉しくなる!
と、
つい先ごろから舞い始めた、彼よりも大きな翼を持った光る鳥が、また現れた。
光る鳥は、地上から大きな音を立てて舞い上がり、すぐに彼が舞う空の高みまで登って来た。
彼と同じ高みまで登って来る大きな光る鳥に会うのは、久しぶりだ。人間たちの尺度で言うなら、彼らが一度滅びかけたのと同じころ、千年ぶりほどなのだが。
その、光る大きな鳥。
それが人間どもが操っているものだと知り、嬉しかった彼の気分を再び落ち込ませた。
人間どもがあの光る大きな鳥から炎の矢を撃ち出して同じ人間どもと殺し合いをしていた記憶が蘇ったからだった。
せっかく滅亡を免れて再び殖え始めたばかりだというのに・・・。
またあれを殺し合いに使うのか!
まったく、この人間どもの愚かさを正す法はないものか・・・。
ふと、その光る大きな鳥の頭のところにいる人間が若い女であることに気づいた。
大鷲は、人間の、それも若い女が好きだった。
若い女は、可愛い!
しかも、この女は他の人間どもとはちょっと違うようだ。
なにやら、明るい光のようなもの、オーラを感じる。人間の姿をしているが、他の人間には感じない、何かがある。
しかし・・・。
若い女は、なにやら疲れた顔をしている。
なぜだろう。・・・気になる。
なにか、あったのだろうか。
気の毒にな・・・。
大鷲はその光る大きな鳥に乗った人間の可愛い、若い女に興味を惹かれ、しばし共に空を舞った。
「まあ・・・。なんて大きな鷲だこと!」
軍用のサングラス越しにその大きな鷲を眺めていたヤヨイは、コクピットの右の操縦席に着いている飛行服の伍長に話しかけ、左手を指した。
大鷲はしばらく共に空を飛んでいたが、ヤヨイの機が次第に高度を上げて行くにしたがってやがてどこかへ飛んでいった。
「きっと帝国の守り神の化身かなんかじゃないスかね」
操縦桿を握る伍長がそんな可憐なジョークを言った。
「テオ。あなた、意外に詩人なのね」
「Captain, Reached 3,000, All green!(機長、高度3,000に達しました。計器、異常なし)」
伍長はそれまで口にしていた帝国語を急に英語に変えた。それに応じ、ヤヨイもまた英語で指示を出した。
「Maintain 3,000. (高度3,000を維持せよ)」
「Roger. Maintain 3,000. Power down,(了解。高度3,000を維持。スロットル搾ります)」
副操縦士は左手を伸ばして機長席との間にある2本のスロットルレバーをやや戻し、高度を維持した。
ヤヨイは左右両方の翼に付いたエンジンを目視し、サングラスをちょっと上げて計器を見、水平飛行に移ったのを確認すると隣のまだ若い副操縦士を頼もし気に見やった。
チナ戦役が終わって、陸海軍ともにそれまで行われていたやり方や軍事用語の見直し作業が行われた。
特にこの戦役で初めて登場した航空機や戦車、そして海軍の専門用語や命令伝達などの部分で大きな改正があった。
その一つが、海洋と航空関係においての命令伝達を、帝国標準語から帝国内では一方言とも見なされていた少数派の英語へ変更が行われたことである。
理由は単純だった。
旧文明がそうだったから、である。
この100年ほどの間で、帝国は滅び去った旧文明の遺物を海底や地の底から多数発掘してきた。
それらの中の文献がことごとく英語表記だったのである。旧文明の末期、最先端の科学や軍事、交通インフラの共通語が英語だったのを受けての措置だった。
なにしろ、英語よりはいささか面倒な帝国語への翻訳が省けたし、帝国語そのものがドイツ語を母体として英語やフランス語などのいわゆる「ごちゃ混ぜ」語だったから、あまり抵抗感がなかったからでもある。
ことに陸海軍とも電波通信が標準化し、短い時間で確実に情報を伝達する必要に迫られていた。
その場合、男性名詞や女性名詞などがあり語形変化もいささか複雑なドイツ語を母体にした帝国語よりも、より簡素に表現でき、省略も容易な英語の方が便利だった、という理由もある。まったく、英語というのは、まるで戦争のために作られた言語ではないか。
ただし、数量に関しては、例えば旧文明の航空法はフィート表記だったが、帝国ではそれをメートルに変更した。表記法が複数あると、ややこしいしメンドウだからである。だが海軍のノーチカルマイル、「海里」表記はそのままとなった。理由はよくわからない。海軍の旧文明への郷愁なのかもしれない。
「Compass Heading 330.(磁方位330を指向せよ)」
「Roger. Compass Heading 330.(了解。磁方位330を指向します)」
テオドール・ユンゲ伍長は左にゆっくりと操縦桿を倒した。翼がやや左にバンクし、飛行機はコンパスの指し示す北西方向30度西を目指した。それが真の真北になる。
実際の極方向と磁方位が違うのは千年前のポールシフト以前からのことである。ただしその、旧文明を滅ぼした大災厄の発端となったポールシフト以降、北回帰線が現在の北極に対してやや北上した。つまり、地軸の傾きが大きくなったのだった。
「テオ、操縦代わる?」
「いや、大丈夫スよ。なんか機長お疲れみたいスから、もうしばらくは」
軍用機の歴史は偵察機から始まった。
旧文明の20世紀初頭、第一次世界大戦で二枚羽の複葉機を敵の上空に飛ばし敵情を調べたのが偵察機のはじまりである。
そして次に爆撃機が生まれた。最初の爆撃機は偵察機から身を乗り出した操縦士が帰りがけに片手で持てるほどの小さな爆弾を投げ落とすというものだったらしい。戦闘機が生まれたのはそれからすぐだった。敵の偵察機や爆撃機を迎撃し撃ち落とすためだ。
二枚羽の飛行機同士の最初のドッグファイトはいかにもコミカルで長閑なものだった。
敵の飛行機に並航させたり、敵とすれ違いざまに、持ち合わせていた工具を投げつけ合ったりというもの。その後、煉瓦や石を投げ合ったりになり、拳銃や猟銃を使ったものに移って行った。
そして、イギリスとロシアが黒海のクリミア半島を巡って戦ったクリミア戦争やヤーパンとロシアの戦争に使われた機関銃が飛行機に搭載され、本格的な戦闘機が生まれた。1915年のことである。
帝国の航空偵察は新たに新機種が配備され、さらに機構も一新された。
今、ヤヨイが機長として乗り組んでいるのは最新鋭の双発偵察機だった。偵察機を意味するreconnaissance aircraftの頭文字を取り、「R2」と呼ばれた。チナ戦役でも活躍したそれまでの単発機が「R1」である。
「R2」型は「R1」型に比べ航続距離が長く、帝都南の飛行場から飛び立って途中一度も給油することなく北の国境を越え、一時間ほど滞空し再び帝都まで帰還できる性能を持つ。また、操縦席が剝き出しの「R1」と違い、キャノピー(風防ガラス)がある。
航空工廠に付属していた偵察部隊も正式に陸軍の一組織となり、その任務の性質上ウリル少将の機関の下に「特務機関航空偵察隊」として再編成された。同時に、それまでの飛行経験と「R2」型のテストパイロットを務めた経緯とで、ヤヨイが「R2」型のパイロット養成も引き受けることになったのだった。
パイロット候補は今までの一般からではなく軍の中から階級を問わずその適性を満たす者を選抜した。ヤヨイはチナの偵察任務で飛行教官であった機長の反乱に遭遇したが、そうした事件を踏まえての再発防止、保安防諜上の措置であることはもちろんだった。
海軍の最新鋭戦艦であるミカサ級よりは安価だが、巡洋艦より高価な飛行機ではある。それなりの責任感、デューティー感覚を持った者が求められたが、飛行機を飛ばす適性は貴族の比率の高い士官よりも、ほとんどが平民である下士官や兵の方に多く見いだせた。今操縦桿を握っているテオはヤヨイが育てたパイロットの第一期生になる。もちろん、平民だ。
「あ、やっぱりそう見えちゃう? 実はそうなのよお・・・。
行き慣れないところに行って、し慣れないことをして、たくさんのイケ好かない人に会うと、疲れるわよね」
「あー、なるほど。ほーんと、そうスよね。わかります」
昨日の出来事を思い出し、ヤヨイはまた憂鬱を掘り起こした。
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