第4話
人の足音を聞いた気がして、私は振り返った。
高校の制服を着た少女。
なぜここに?
外階段の鍵は閉めた。マンションからの扉も開かない様にしておいた。
もし開いても、音がする。
その時にはもう私はここから離れている。
はずだった。
今飛んでしまえば間に合うのに、なぜか私の体は動かない。
風に髪をなびかせて、夕焼けに照らされたその子は、羨ましくなるほど綺麗だった。
何も言わずにまっすぐ向かって来る彼女に、
「来ないで!」
と私は叫んだ。
聞こえてないフリをしているのか、彼女は歩幅も変えずにトクトク歩いてくる。
自分にもこんな大声が出せたんだと、初めて気付いて、そして驚いた。
何食わぬ顔をしたまま、彼女は身軽にフェンスをよじ登る。
「な、何してんの…?」
また聞こえないフリをして、私のすぐ近くに
「ストッ」と降り立って、口端を上げて見せた。
「あなたこそ、何してるの」
澄ました顔が気に入らなくて
「み、見ればわかるでしょ。こっから飛び降りようとしてるの!」
と私は声を上げた。
「止めたって駄目だからね。私はもう生き…」
「止めたりなんか、しないよ」
彼女はゴソゴソとしてスマホを取り出した。
「こんなチャンス滅多にない。今から飛び降りようとしてる人を間近で撮影するの」
信じられない…。
綺麗な顔して、なんて人なの。
口の端を上げたままスマホを構える彼女に、私は薄寒さすら感じた。
「さ、早く飛んでみて。一部始終を全部撮るから。いつでもいいよ」
私はフェンスを後ろ手に掴み、もう一度下を見下ろした。
人が豆粒ほどの大きさに見える。
人間なんて、ちっぽけだ。
陳腐なセリフみたいな言葉が思い浮かんだ。
あの人が通り過ぎたら、手を離そう。
そう思って私が構えていた時。
「あ、ちょっとまって」
と彼女が言った。
私は少しイライラしながら
「何?」と尋ねる。
彼女はスマホを離して私に言った。
「せっかくだからさ、下から撮ってみたいの。あなたがここから飛んで、真っ逆さまに落ちてきて、地面に叩きつけられる瞬間を。そっちの方が迫力があるし。多分誰も撮った事のない記録映像になるよ」
人を人とも思わない口ぶりに、こんな頭のおかしな人も居るんだと、私は改めて思った。
「そんな事して、どうするの?拡散して儲けるの?人を何だと思ってんのよ!」
こんなヤツのために、いや、私の命の終わりがこんなヤツに面白おかしく使われる事に、私の感情が沸々と沸き上がってきた。
「だってすごいじゃない。人が落ちたらどうなるか、あなた見たことある? この高さであれだけ硬い地面だもの。きっと…」
そこから語られる惨状は、私が想像して気分が悪くなるほど、現実味を帯びていた。
それでも。
「それでも構わないわ。だって落ちてる途中で気を失って痛みすら感じないはずだもの」
「本当に、そう思う?」
彼女は瞬きもしない目で私を見つめる。
…そう、思う。ううん、きっとそうだって思っているだけ。
「あなたは最後の最後まで気を失う事はないわ。そこから足が離れた瞬間、すごい速さで下を目掛けて落ちる。経験した事のないスピードで。万がいち仮に、もしも引き返そうと思っても、その時はもう出来ない。目の前を反対向きに過ぎ去って行くマンションの窓。一瞬誰かの驚いた顔を見るかも知れないわね。そうしてあなたの体は地面に向かって激突する。目の前に地面が迫るその瞬間まで、あなたは見続けることになる。経験したことのない恐怖を感じる。でもそれは一瞬のこと」
映画のあらすじの様にスラスラと並び立てられたが、私にはそれが真実の様に思えた。それほどリアルに、感じられた。
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