第3局:対 仕事 戦

 これは、最初に勝敗を述べておこう。これは、明らかな敗戦である。全く出世はできなかった。「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉があるが、まさにその字義どおりの会社人生となってしまった。会社規模だけはデカい。もちろん、一生懸命、働いてきた。自分だけでならいざ知らず、守るべき家族もいる。嫌なこと、不合理なこと、いろいろなことにも耐えてきたと思う。しかしながら、まぁ、出世レースという意味では、予選敗退と言っていい結果となってしまったように思う。まぁ、いろいろ人間いるが、正直、出世した人とそうでない人に、理系ならいざしらず、基礎能力的には、そんなに大きな差はないと思う。では、何が違うのか?


 出世した人の何が一番スゴイかというと、就中なかんずく「その嫌われないスキル」が本当にスゴイと思うのである。自分などは、感情がすぐに顔に出てしまうし、誰彼とも仲良く当意即妙なことを言って楽しく飲み交わせる人間でもない。しかし、トップに立つには、嫌われたらアウトなわけである。私などは、中島敦の『山月記』に出てくる虎に成り果てた李徴ではないが、「性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く」というようなところがあるからして、仕事上でも真面目で財務管理などを任されれば、苛烈なまでにコストカットなどを一刀両断やってのけるようなところがある。もし、上司が今のイーロン・マスク氏のような人間であれば重宝されたかもしれないように、味方となってくれる人ももちろん現れるが、敵となる人数も相当数に上るわけで、今、思うと仕事はそこそこでも、誰かが言っていたように、「人事評価なんてのはね、最後は人気投票なんだよ」とボソッと言われたように、もう少し丸く生きてきた方が得をしたサラリーマン人生だったように思う。それでも、数値管理は全幅の信頼を置いてもらって任されたし、上を数人、すっ飛ばして、いつも直接、私がトップから呼ばれた。ただ、まぁ、これがまたイケないのである。さらにサラリーマンとしてイケないのは、その返答も勢い、上を数人すっ飛ばして、トップに直接回答するものだから、それは人気投票的に最終稟議のところに行くまでに、日頃、その人たちは、私が直接答えてしまうと、「お前の存在意義はなんだ?」と煮え湯を飲まされているわけで、「〇〇はよく働いている」よりも却って「〇〇憎し」の感情の方が上回ってしまうのであろう。また、私も、数値センスのない人間にごちゃごちゃ入られたり、スピード感がないのは堪えられない性格であったし、私が聞かれたことを全て上の人間の手柄になるようにお膳立てをして、国会答弁よろしく、こう聞かれたらこう答えてくださいとか、最後にこれを出すと良いでしょう、などとアホな上司のために滅私奉公できる精神構造は持ち合わせていない。そう考えると、国会答弁を作る各省庁のエリート官僚などは本当にスゴイと思う。マンガ脳しか持ち合わせていないような大臣のために、徹夜で漢字にルビまで振って書き上げるのである。あれはできないなぁ。

 つまり、偉くなるまではとことん滅私奉公で手柄は上司に譲り、土日の自由時間も潰し、朝早く起きて上司を車で迎えに行き、やりたくもないゴルフをやって、上司を送り届け、それだけの長い時間を過ごしながら、上司に嫌な顔一つ見せず、嫌われないでいるというのは、どういうスキルなのであろうか?私にはできない芸当の一つであったろう。そういう意味では、性格的に出世はしない人間だったのかもしれない。


 しかし、出世して偉くなった人を見ていていいなぁ、と一番に思うのは、サラリーもしかりだが、何よりも「自分の思ったとおりの方針で仕事を出来る」ということだろう。それがための、苦節何十年の自己犠牲&滅私奉公である。だが、ここ5~6年で急に、そんな滅私奉公や自己犠牲の上にしか出世が成り立たない世界でもなくなってきているようであり、それはまぁ、その時代に生まれた運不運や宿命とでもいうものだろう。なんせ、自由の国民主国家アメリカでさえ、1923年になってようやっと女性参政権が認められたわけだし、それ以前の1800年代にあっては、奴隷制度が敷かれていたりしたわけで、その当時のアメリカに生まれた女性や有色人種の方々は、どんなに優秀であっても、世に出ることは出来なかったわけであるから、さぞかし、世の不合理を嘆いたことであろう。それに引き換え、昨今は何の経験値もない新入社員が初任給いきなり33万円の世界で、45歳以上のそれまで辛酸を嘗めさせられてきた多くの中高年の給与を、「今から転職は無理でしょ!?」と言わんばかりに原資にして、若者にいきなりの手厚い給与と年功序列廃止により、すぐに管理職への任用など大きく制度が変わりつつある。どこかの川柳で「父の給与 初任給の息子に 抜かれる」なんて、笑うに笑えない事態になっているのだから、会社人生の負け組にとっては、ますます辛く肩身の狭い時代となりつつある。まぁ、ただ、時代というヤツだけはどうしようもなく、人口減少の時代にあって、タイミング的に都心のマンション価格などは、人手不足影響から現在は平均家屋1.1億円という信じがたい値上がり状況になってきており、時代を透かしてみれば、今後空き家が出てくるのは必定なのだから、値下げは必至である。そんな中、結婚して、居を構えなければならない方々はこれまたキツイ。昨今は、家を買う際の住宅ローンは変動金利一択の時代が続いていたが、トランプ関税等の煽りを受けて、ついに変動金利も上昇してきている。食費を始め、エネルギー代の上昇に加え、頭金などあまり入れずに住宅ローンを組んでしまった若者などは生活が行き届くのか、不安であろう。かつての不動産バブル時代にも多くの方々が辛酸を嘗めたであろうし、戦中に生まれた方は参加もしたくない戦争に赤紙一枚で強制従事させられたわけであるから、「時代」による運不運は必ずつきまとうものだと思う。


 さて、話が逸れた。やっぱり、出世する人はスゴイのである。歴史上、そういう意味でスゴイなぁと思うのは、ニキータ・フルシチョフとミカイル・ゴルバチョフであろうか?何が、スゴイかって、例えば、フルシチョフが仕えたその人は粛清王ヨシフ・スターリンその人である。機嫌を損ねれば、即ち死。漢文で、「すなわち」は「将・即・則・便・乃・輒」などがあるが、これほど分かりやすい「即ち」はない。フルシチョフが書記長に上り詰め、第22回党大会でスターリン批判をした後の作家同盟の集会で発した有名な逸話がある。フルシチョフがスターリンの個人崇拝と血の粛清を批判すると、無記名の質問票が回ってきた。フルシチョフがそれを読み上げる「それが行われていた時、あなたがたは何をしていたのか?」と。「この質問をしたのはどなたですか?」と誰何すいかする。誰も名乗り出る者はいない。「私たちが何をしていたかって?今のあなたと同じ。沈黙していたんだよ。ロシアには“最後に笑う者が最もよく笑う”という格言があるのを承知しておきたまえ」と。フルシチョフは社会主義・共産主義国の滑稽さを熟知していながらにしてトップに立った人物である。アメリカに行った際に、こんなジョークを発している。「フルシチョフは馬鹿だ、フルシチョフは馬鹿だと叫びながら赤の広場を走り回っている男が逮捕された。裁判では23年の重労働刑を言い渡された。罪の内訳は、3年は党書記侮辱に対してであり、20年は国家機密漏洩の罪だ」と。つまり、フルシチョフは、スターリンという死刑の大安売りをする人物にじっと仕えながら、おくびにも、反対の意や非情なまでの采配、不合理極まりない決定に対しても眉一つ動かさず、しわぶき一つ立てずに、静かに時が経つのを待ち、自分のやりたいことが出来るその立ち位置を掌握し、いざ権力を握ってから批判に転ずるという忍耐強い出世を果たしているし、ブレジネフとアンドロポフとチェルネンコを経て、共産党第一書記についたミハイル・ゴルバチョフその人も権力の座に就くまでは、じっと耐え、自らの手で平和への道筋の先鞭をつけた。その後、クーデターで権力の座から追われるとは想定外だったか。つまり、この二人ほど、その機会に向けて、虎視眈々と面従腹背ながら、全くその気配は消し、嫌われることなくトップまで上り詰めているそのスキルと忍耐力は、凄まじいものがあると思う。それまでに溜めたマグマを一気に放出すべく、トップに立ってからの二人の行動力は凄まじいものがあったと思う。


 あと出世する人のあくなきハングリー精神も特筆すべき能力である。「満ち足るを知る」ということがないのである。まぁ、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の言葉ではないが、人間はあるものを得るまでは、それを得んがために飽くなき追求をするが、一旦それを得てしまうとその達成感は暫くするとすぐに消えてしまい、また次のさらなる上位目標を設定して、それを得んがために追求しようと動きだす生き物なのである。歴史的には、それが成功をもたらすこともあれば、同数ぐらい破滅の墓穴を掘るケースも多い。後者の例で言えば、豊臣秀吉などは、あれだけ群雄割拠の時代が長く続いた戦乱の世を統一して、そこで満足していれば良かったものを、朝鮮半島にまで進軍したのはいかにもやりすぎであったし、そういう意味では、よくぞ加藤清正とか福島正則などは無事に本土に帰ってきたものだなぁとある意味感心してしまう。 

 同じ例は、フビライ・ハーンの東ヨーロッパ征服であろう。言語なんてまるで通じなかったなか、遥かに伸びきった補給路というか、もはや現地調達であろうが、そういう孤立無援の中、征服したとあっては、おそらく滅茶苦茶に暴力的に殺戮を繰り返したであろうし、殺戮したは良いがそんな憎しみの籠った敵がぐるりと囲むなか、安眠などできるはずもなく、暴力が暴力を呼び、極限の緊張状態であったろう。そんな中で長い安定した統治などができようはずもなく、そういう意味では、老子の言葉の「満ち足るを知る」というのは、人生において、一つ重要な分別なのだとも思う。ただ、それも低いレベルで「満ち足りて」しまっていては偉業は成し得ないし、ブレークスルーも生まれてこない。ムズカシイのである。


 では、一体、どんな人が仕事における勝ち組なんだろうか?例えば、スティーブ・ジョブズなどはスマートフォンiPhoneを生み出したわけだが、ああいう方に限って、病魔に襲われ若くして命を落としてしまうのはなんとも皮肉だし、巨万の富を築いたからと言って、ダイヤモンド採掘オーナーや消費者金融の社長などといっても、半ば奴隷のような人間を使って富を築き上げていたり、取り立て業者などを使って、時には自殺者も出るような中、富を稼いだとしても、毎日、安眠できるかと言ったら必ずしもそうでもないであろう。それは、兵器を作る会社であったり、人から半ば騙し取るような形でいろんなサービスを売っていたとしても、同様に寝つきは悪いであろう。一方、病院従事者や裁判官など、人命救助や世の秩序や正義のために働く仕事であっても、夜勤に継ぐ夜勤などで、全く自分の時間を持てなかったり、手術を担当する方であれば、時には失敗することもあろう。また裁判官だって、職務とはいえ、時に死刑判決も申し渡さなければならないことや誤審だってしかねない。人間だもの。そう、仕事になかなか楽なものはないのである。また、巨万の富も築き、結婚はしたが、子宝にはついぞ恵まれなかったような方なども、果たして、他人からは幸せな一代記を成した人と見るかもしれないが、その人の優先順位が我が子をこの腕に抱くということであったならば、心は満たされないであろうし、本当に他人の心の裡は分からないのである。


 私が思う本当にこの人は幸せだろうなぁと思うような人は、例えば、映画音楽を作り世界中の人々を魅了し続けたジョン・ウィリアムズのような方とか、テニスのロジャー・フェデラーだとか、「自分の好き」なことを通じて、世界の人々を魅了し続け、そして、賞賛を得続けた方々だ。ただ、あれだけのパフォーマンスをするわけだから、飛び抜けた才能を持って生まれた上に、とてつもない努力を払い続けたからこそなわけで、そういう意味では、本当に稀有な存在である。そう思うと、女性はなかなか両立が難しいことが多いようにも思われる。例えば、マルタ・アルゲリッチなどのピアノは最高にステキだけれども、あれだけ世界を飛び回る仕事だけあって、何度かの結婚生活は破綻を来してしまっている。また、歴史に名を刻んだとしても、キュリー夫人は大発明の研究課程で落命してしまっているし、人類の歴史に輝かしい足跡を記したニール・アームストロングは、晩年は離婚してしまったり、ユーリ・ガガーリンも訓練中の事故で命を落としてしまったりと、本当に最後まで幸せづくしというのは、なかなか難しいように思う。また、先に挙げたジョン・ウィリアムズにしたって、ロジャー・フェデラーにしたって、有名税でどこに行くにしても、人々の目がつきまとい、その人の胸中ではどう思っているのかは当人にしか分からない部分もある。


 「人生、平凡が一番いいんだよ」この言葉は、高校・大学生時代はもちろんのこと長らく意味は全く理解できない言葉であったが、近年、ようやく、ほんの少し分かってきたような気もする。だが、それは若き日に誓った、「何事をか成さん!」と天に向かって闘志を滾らせていた日のことを思えば、ある種、多分に「負け犬の遠吠え」であるとも言えよう。まぁ、先の章でも書いていて、思ったが、他人の人から見たら、「なにをそんなことで悩んでんねん」というところもあろう。「言得イエール大学卒業して、大企業に入って、まぁまぁ健康に家庭も持って生活しとんのやろ?」と。だが、人間という生き物は兎角複雑な生き物で、生まれ持った「自己肯定感」の低さが、己を多分に悩める人生へと陥れているように思う。SNSやニュースなどを見ていて、病気を患ったりしながらも懸命に生きている方や勉強したくとも家庭環境から十分に勉強できない方々などからしたら、本当に私は恵まれている方だと思うし、父の時代やかりに現代であってもウクライナや貧しい国や自由のない国に生まれて生涯を全うする方々と比べたら、遥かに幸せであると思う。昨年も、ある同窓の人に「〇〇くんは、もっと自分に自信を持って生きた方がいいよ」と言われた。そう、そのとおりなのである。このエッセイも、なんで書いているのかと言えば、「もっと自分に自信持って、この先50年生きていけよ!その方が、お前の人生、明るいものになるぜ、きっと!」と自分に言い聞かさんがために書いているようなところが多分にあるように思う。だから、徒然と書いていながらにして、これはひと様が読んで面白い書き物になっているのだろうか?と自問しながら、書いていることもあって、なかなか筆が進まないし、普段話さない自己との対話であるから時間がかかるのである。


 恥のかき捨てで(あれ?これは旅の恥のかき捨てにとっておくべきか?)、一つ私の黒歴史を開陳しておくと、小学校の卒業アルバムに、2つの大汚点を残している。一つは、いわゆる「将来の夢」というやつでやらかしている。文集の付録として、最後の方のページに、「将来の夢」という文字が真ん中にあって、それに各人が放射状に銘々の将来の夢を書いていくあれである。

 ・プロ野球の選手になりたいです

 ・宇宙パイロットになりたいです

 ・お花屋さんになりたいです

 ・社長になりたいです

 ・看護婦さんになって、多くの尊い命を救いたいです

 ・総理大臣になって、世の中を良くしたいです

といった文字が並ぶなか(最後の二つなどはかなりデキル人が書いたような夢である)、なんと私は

 ・一国のゆうになりたい

ととんでもない大言壮語を書き記してしまったのである。文集が配られた卒業式の日、母がスーパーで買い物していると同じクラスの子のお母さんから「〇ちゃんは、すごいわねぇー。なにせ、『一国のゆうになりたい』ですものねぇ。オホホホ!」と言われて、母は「顔から火を噴くかと思うほど恥ずかしかったわぁ」と帰るなり私に行ったものである。三国志にかぶれると、こういうことを平気で言ってしまうので、要注意ものである。


 しかも、そんな言葉を書いている中、文集の中の題名はなんと「雑草」である。

たしか内容はこんなである

 「雑草はどんな環境でも根を張り、芽を出し、力強く成長する。僕はそんな雑草になりたい」


 今なら、当時の自分の胸倉を掴んで、「一国の雄になりたいのか、それとも雑草になりたいのか、どっちかハッキリしろ!」と自分を叱り飛ばしてやりたいのである。

 

 また、これ、ある意味、私が人生を清く正しく慎ましやかに生きる規定ガイドラインを作ったと言っても過言でないのが、この小学校の文集でのこの二大失態であるとも言える。つまり、大成功を収めたとしても、なにか女性絡みのスキャンダルとか犯罪でも起こそうものなら、「さすがは、「一国のになりたい」と言っただけのことはある。頭のてっぺんからつま先まで、オスなのである」と書き立てられるであろうし、没落すれば、「やはり雑草はであった。一時、ぐんぐんと勢力は伸ばしたものの、踏みにじられ、除草される運命にあったのである」などと書き立てられるのが関の山であろう。そう、つまり、品行方正に、平凡に尊く生きるより他はないのである。図らずも、小学6年生の時に書いた言葉が、私の永遠の十字架になろうとは、この時、思いもしなった(笑)。


 そういう意味では、自分で前提条件をつけてしまった以上、平凡に生きていくしかないのかもしれない。


 まぁ、仕事といっても、それは、配属ガチャという問題も大いにあると思う。職場の人間関係だったり、職種なども大いにサラリーマン人生に影響は与える。自分などは、文学部出身で数値は苦手であったが、財務&事業計画管理方面に配属となり、最初のうちは、本当は右投げ右バッターなのに、左打席でばっかりずっと球を打たされている気がしたものである。同期のメンバーが自分が得意な分野に配属されて、ホームランをパッカンパッカン打っている間に、こちらはコツコツとヒットを飛ばすのがせいぜいだった時は苦しかった。言得イエール大学H学部へ進学した時同様、配属された業務への適性もなかなか見いだせなかったし、そもそも大蔵省の主計局に倣って、主計課と呼ばれる地獄のブラック残業組織に回されたものだから、本当に過労死するかと思った。なにせ、月曜日に出社したら、次に改札を通るのは金曜日の終電か、土曜日の終電かであり、金曜日の11時は毎週、いつも怖かった。帰れるのか、今週も土曜日も出勤なのか?かが決まる瞬間だったからである。3日徹夜というのもあり、あの時は本当に脳の血管が切れるのではないか?と命の心配を本当にした。その後も会社を大分割するような、人跡未踏の誰もやったことのない組織に配属されたりと、本当にコキ使われる会社人生で、その割に報われるところ少なかった。私に一番足りないのは、感情を顔に出さないスキルであり、そういう意味では、学生時代にディズニーリゾートなどでキャストのバイトでもしていたら、出世街道に乗っていたことと思うが、しかし、そんな私だから、そもそも、ディズニーリゾートなどでのバイトは決して務まらなかったと思う。


 私の好きな映画の一つに『ロッキー』と『ロッキー4』がある。そういえば、高校~大学生~社会人3年目ぐらいまでは、やたらとシルベスター・スタローンに似ていると、いろんなシーンで言われた。顔の造形は全くと言っていいほど違うのであるが、見る人によっては、酷似しているとのことなのである。ある似ている角度があるのだとか。そんなわけで、高校時代は一時「ロッキー!」と呼ばれていたし、そんな風に呼ばれると私の中のエンターテナー要素がシャドー・ボクシングポーズなどをしてしまうのである。


 『ロッキー』の良いところは、それこそ、イタリアの種馬と呼ばれた粗削りで決して才能やセンスに恵まれたわけではない、いわば「雑草」であるロッキー・バルボアが、ひょんなことからチャンピオンに挑むチャンスを掴むも、恋人が昏睡状態に陥るハプニングに見舞われ、練習に身が入らなくなってしまう。だが、奇跡的に昏睡状態から目覚めた恋人エイドリアンがロッキーを枕頭に呼び寄せ耳元で一言、囁くささやのである。「勝って!」と。すると、俄然猛然と目の色を変えてトレーニングに打ち込むロッキー。そんな姿を見て、コーチや町の人までもがロッキーを応援し出す。自分に厳しく、追い込み、そして高い壁に挑む。結果は届かなかったが、必死の努力に「悔いなし」というすがすがしさを持って幕を閉じる。素晴らしい。私は、憧れの高校に、必死の努力で小学校の時は凡才だったにもかかわらず、なんとか入学を果たせたが、入学試験が終わった瞬間は、「結果はどうあれ、やれるだけのことはやり切った」ととてもすがすがしい気分で試験会場を後にしたことを憶えている。「この高校の水道の水をまた飲みたい!」という思いと「この水を飲むことはないのかもしれない」との思いが交錯しながら、試験会場を後にする時に、水を一口、口に含んだのをとてもよく憶えている。自分に重ね合わせるところが多分にあったから、顔も似たのだろうか?

 そして『ロッキー4』は、ソヴィエトのイワン・ドラゴとの対戦である。当時は米ソの冷戦の真っただ中であったから、敵地ソ連での試合は、あからさまな敵視とブーイングの嵐の中で進行していく。しかし、打たれても打たれても、果敢に立ち上がる姿に次第に観衆も惹きつけられ、最後は、ゴルバチョフ書記長も拍手してロッキーの勝利を称えるぐらいに、人々の心が変わっていくさまが描き出されている。そして、ロッキーは観客にマイクでこう訴えるのである「人間は変われるんだ!」と。


 なにを、お前は突然、ロッキーの話なんか始めたんだ!?とお思いになったことであろう。私も、今でも、この映画は好きであるが、どうであろう、やはり、人の性格って、生まれ落ちた時から「心の有り様」とか「マイ・ポジショニング」とか「温度感」とかって、そうそう変わるものではないのではないだろうか?というところがある。もちろん、小さい頃は「引っ込み思案だった」のが、「プレゼンでも物怖じしなくなった」とか、小さい頃はすぐに泣いたのが、闘争心を抱くようになったとかそういうのはあると思う。ただ、なんというか、「テン(ション)上げタイプ」なのか「テン(ション)下げタイプ」なのか、とかは、なかなか生来のポジショニングからは人は変わらないような気が最近はしている。みなさんは、どう思うであろうか?そういう意味では、人の性格というのは、いつ形成されるのであろうか?という考察は非常に興味深い。生まれ落ちた瞬間のDNAのディオキシリボ核酸のコード配列で決まっているのか、それとも、言葉等を学んでいく3歳ぐらいまでの生育環境で決まるのか、はたまた、その後の成長過程でいくらでも変わっていくものなのか?


 などなど、いろいろいろいろ考えていくと、果たして、自分の最適の天職とは何だったのだろうか?と考えても明確な答えは出ないし、配属先が変わっていたところで、自分の性格的に大出世を遂げられていたかは、分からないというのが正直なところである。ただ、それこそ、天の配剤ではないが、配属先での業種や人間関係が変わっていたら、もう少しは出世は果たせていたであろうとは思う。ただ、全てがすべて思いどおりにいく人生はなかなかないであろうとも思うのであるので、プライベートが平穏で心身ともに健康で過ごせているのであれば、仕事面の多少の不遇は受け入れて、精神安定上、「満ち足るを知る」と心を落ち着かせる他はあるまい。ただ、自分の思い通りに仕事というものを大展開できなかったのは、至極残念無念である。ただ、この戦局を今から覆せない以上、潔くここは敗北を認めるしかないであろう。「敗軍の将、兵を語らず」というが、まぁ、「一国の雄」どころか「将」にもなれず、「一兵卒」で終えることになりそうである。あの小学校の文集はなんとか全回収できないものであろうか?(笑)

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