第3局:対 仕事 戦
これは、最初に勝敗を述べておこう。これは、明らかな敗戦である。全く出世はできなかった。「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉があるが、まさにその字義どおりの会社人生となってしまった。会社規模だけはデカい。もちろん、一生懸命、働いてきた。自分だけでならいざ知らず、守るべき家族もいる。嫌なこと、不合理なこと、いろいろなことにも耐えてきたと思う。しかしながら、まぁ、出世レースという意味では、予選敗退と言っていい結果となってしまったように思う。まぁ、いろいろ人間いるが、正直、出世した人とそうでない人に、理系ならいざしらず、基礎能力的には、そんなに大きな差はないと思う。では、何が違うのか?
出世した人の何が一番スゴイかというと、
つまり、偉くなるまではとことん滅私奉公で手柄は上司に譲り、土日の自由時間も潰し、朝早く起きて上司を車で迎えに行き、やりたくもないゴルフをやって、上司を送り届け、それだけの長い時間を過ごしながら、上司に嫌な顔一つ見せず、嫌われないでいるというのは、どういうスキルなのであろうか?私にはできない芸当の一つであったろう。そういう意味では、性格的に出世はしない人間だったのかもしれない。
しかし、出世して偉くなった人を見ていていいなぁ、と一番に思うのは、サラリーもしかりだが、何よりも「自分の思ったとおりの方針で仕事を出来る」ということだろう。それがための、苦節何十年の自己犠牲&滅私奉公である。だが、ここ5~6年で急に、そんな滅私奉公や自己犠牲の上にしか出世が成り立たない世界でもなくなってきているようであり、それはまぁ、その時代に生まれた運不運や宿命とでもいうものだろう。なんせ、自由の国民主国家アメリカでさえ、1923年になってようやっと女性参政権が認められたわけだし、それ以前の1800年代にあっては、奴隷制度が敷かれていたりしたわけで、その当時のアメリカに生まれた女性や有色人種の方々は、どんなに優秀であっても、世に出ることは出来なかったわけであるから、さぞかし、世の不合理を嘆いたことであろう。それに引き換え、昨今は何の経験値もない新入社員が初任給いきなり33万円の世界で、45歳以上のそれまで辛酸を嘗めさせられてきた多くの中高年の給与を、「今から転職は無理でしょ!?」と言わんばかりに原資にして、若者にいきなりの手厚い給与と年功序列廃止により、すぐに管理職への任用など大きく制度が変わりつつある。どこかの川柳で「父の給与 初任給の息子に 抜かれる」なんて、笑うに笑えない事態になっているのだから、会社人生の負け組にとっては、ますます辛く肩身の狭い時代となりつつある。まぁ、ただ、時代というヤツだけはどうしようもなく、人口減少の時代にあって、タイミング的に都心のマンション価格などは、人手不足影響から現在は平均家屋1.1億円という信じがたい値上がり状況になってきており、時代を透かしてみれば、今後空き家が出てくるのは必定なのだから、値下げは必至である。そんな中、結婚して、居を構えなければならない方々はこれまたキツイ。昨今は、家を買う際の住宅ローンは変動金利一択の時代が続いていたが、トランプ関税等の煽りを受けて、ついに変動金利も上昇してきている。食費を始め、エネルギー代の上昇に加え、頭金などあまり入れずに住宅ローンを組んでしまった若者などは生活が行き届くのか、不安であろう。かつての不動産バブル時代にも多くの方々が辛酸を嘗めたであろうし、戦中に生まれた方は参加もしたくない戦争に赤紙一枚で強制従事させられたわけであるから、「時代」による運不運は必ずつきまとうものだと思う。
さて、話が逸れた。やっぱり、出世する人はスゴイのである。歴史上、そういう意味でスゴイなぁと思うのは、ニキータ・フルシチョフとミカイル・ゴルバチョフであろうか?何が、スゴイかって、例えば、フルシチョフが仕えたその人は粛清王ヨシフ・スターリンその人である。機嫌を損ねれば、即ち死。漢文で、「すなわち」は「将・即・則・便・乃・輒」などがあるが、これほど分かりやすい「即ち」はない。フルシチョフが書記長に上り詰め、第22回党大会でスターリン批判をした後の作家同盟の集会で発した有名な逸話がある。フルシチョフがスターリンの個人崇拝と血の粛清を批判すると、無記名の質問票が回ってきた。フルシチョフがそれを読み上げる「それが行われていた時、あなたがたは何をしていたのか?」と。「この質問をしたのはどなたですか?」と
あと出世する人のあくなきハングリー精神も特筆すべき能力である。「満ち足るを知る」ということがないのである。まぁ、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の言葉ではないが、人間はあるものを得るまでは、それを得んがために飽くなき追求をするが、一旦それを得てしまうとその達成感は暫くするとすぐに消えてしまい、また次のさらなる上位目標を設定して、それを得んがために追求しようと動きだす生き物なのである。歴史的には、それが成功をもたらすこともあれば、同数ぐらい破滅の墓穴を掘るケースも多い。後者の例で言えば、豊臣秀吉などは、あれだけ群雄割拠の時代が長く続いた戦乱の世を統一して、そこで満足していれば良かったものを、朝鮮半島にまで進軍したのはいかにもやりすぎであったし、そういう意味では、よくぞ加藤清正とか福島正則などは無事に本土に帰ってきたものだなぁとある意味感心してしまう。
同じ例は、フビライ・ハーンの東ヨーロッパ征服であろう。言語なんてまるで通じなかったなか、遥かに伸びきった補給路というか、もはや現地調達であろうが、そういう孤立無援の中、征服したとあっては、おそらく滅茶苦茶に暴力的に殺戮を繰り返したであろうし、殺戮したは良いがそんな憎しみの籠った敵がぐるりと囲むなか、安眠などできるはずもなく、暴力が暴力を呼び、極限の緊張状態であったろう。そんな中で長い安定した統治などができようはずもなく、そういう意味では、老子の言葉の「満ち足るを知る」というのは、人生において、一つ重要な分別なのだとも思う。ただ、それも低いレベルで「満ち足りて」しまっていては偉業は成し得ないし、ブレークスルーも生まれてこない。ムズカシイのである。
では、一体、どんな人が仕事における勝ち組なんだろうか?例えば、スティーブ・ジョブズなどはスマートフォンiPhoneを生み出したわけだが、ああいう方に限って、病魔に襲われ若くして命を落としてしまうのはなんとも皮肉だし、巨万の富を築いたからと言って、ダイヤモンド採掘オーナーや消費者金融の社長などといっても、半ば奴隷のような人間を使って富を築き上げていたり、取り立て業者などを使って、時には自殺者も出るような中、富を稼いだとしても、毎日、安眠できるかと言ったら必ずしもそうでもないであろう。それは、兵器を作る会社であったり、人から半ば騙し取るような形でいろんなサービスを売っていたとしても、同様に寝つきは悪いであろう。一方、病院従事者や裁判官など、人命救助や世の秩序や正義のために働く仕事であっても、夜勤に継ぐ夜勤などで、全く自分の時間を持てなかったり、手術を担当する方であれば、時には失敗することもあろう。また裁判官だって、職務とはいえ、時に死刑判決も申し渡さなければならないことや誤審だってしかねない。人間だもの。そう、仕事になかなか楽なものはないのである。また、巨万の富も築き、結婚はしたが、子宝にはついぞ恵まれなかったような方なども、果たして、他人からは幸せな一代記を成した人と見るかもしれないが、その人の優先順位が我が子をこの腕に抱くということであったならば、心は満たされないであろうし、本当に他人の心の裡は分からないのである。
私が思う本当にこの人は幸せだろうなぁと思うような人は、例えば、映画音楽を作り世界中の人々を魅了し続けたジョン・ウィリアムズのような方とか、テニスのロジャー・フェデラーだとか、「自分の好き」なことを通じて、世界の人々を魅了し続け、そして、賞賛を得続けた方々だ。ただ、あれだけのパフォーマンスをするわけだから、飛び抜けた才能を持って生まれた上に、とてつもない努力を払い続けたからこそなわけで、そういう意味では、本当に稀有な存在である。そう思うと、女性はなかなか両立が難しいことが多いようにも思われる。例えば、マルタ・アルゲリッチなどのピアノは最高にステキだけれども、あれだけ世界を飛び回る仕事だけあって、何度かの結婚生活は破綻を来してしまっている。また、歴史に名を刻んだとしても、キュリー夫人は大発明の研究課程で落命してしまっているし、人類の歴史に輝かしい足跡を記したニール・アームストロングは、晩年は離婚してしまったり、ユーリ・ガガーリンも訓練中の事故で命を落としてしまったりと、本当に最後まで幸せづくしというのは、なかなか難しいように思う。また、先に挙げたジョン・ウィリアムズにしたって、ロジャー・フェデラーにしたって、有名税でどこに行くにしても、人々の目がつきまとい、その人の胸中ではどう思っているのかは当人にしか分からない部分もある。
「人生、平凡が一番いいんだよ」この言葉は、高校・大学生時代はもちろんのこと長らく意味は全く理解できない言葉であったが、近年、ようやく、ほんの少し分かってきたような気もする。だが、それは若き日に誓った、「何事をか成さん!」と天に向かって闘志を滾らせていた日のことを思えば、ある種、多分に「負け犬の遠吠え」であるとも言えよう。まぁ、先の章でも書いていて、思ったが、他人の人から見たら、「なにをそんなことで悩んでんねん」というところもあろう。「
恥のかき捨てで(あれ?これは旅の恥のかき捨てにとっておくべきか?)、一つ私の黒歴史を開陳しておくと、小学校の卒業アルバムに、2つの大汚点を残している。一つは、いわゆる「将来の夢」というやつでやらかしている。文集の付録として、最後の方のページに、「将来の夢」という文字が真ん中にあって、それに各人が放射状に銘々の将来の夢を書いていくあれである。
・プロ野球の選手になりたいです
・宇宙パイロットになりたいです
・お花屋さんになりたいです
・社長になりたいです
・看護婦さんになって、多くの尊い命を救いたいです
・総理大臣になって、世の中を良くしたいです
といった文字が並ぶなか(最後の二つなどはかなりデキル人が書いたような夢である)、なんと私は
・一国の
ととんでもない大言壮語を書き記してしまったのである。文集が配られた卒業式の日、母がスーパーで買い物していると同じクラスの子のお母さんから「〇ちゃんは、すごいわねぇー。なにせ、『一国の
しかも、そんな言葉を書いている中、文集の中の題名はなんと「雑草」である。
たしか内容はこんなである
「雑草はどんな環境でも根を張り、芽を出し、力強く成長する。僕はそんな雑草になりたい」
今なら、当時の自分の胸倉を掴んで、「一国の雄になりたいのか、それとも雑草になりたいのか、どっちかハッキリしろ!」と自分を叱り飛ばしてやりたいのである。
また、これ、ある意味、私が人生を清く正しく慎ましやかに生きる
そういう意味では、自分で前提条件をつけてしまった以上、平凡に生きていくしかないのかもしれない。
まぁ、仕事といっても、それは、配属ガチャという問題も大いにあると思う。職場の人間関係だったり、職種なども大いにサラリーマン人生に影響は与える。自分などは、文学部出身で数値は苦手であったが、財務&事業計画管理方面に配属となり、最初のうちは、本当は右投げ右バッターなのに、左打席でばっかりずっと球を打たされている気がしたものである。同期のメンバーが自分が得意な分野に配属されて、ホームランをパッカンパッカン打っている間に、こちらはコツコツとヒットを飛ばすのがせいぜいだった時は苦しかった。
私の好きな映画の一つに『ロッキー』と『ロッキー4』がある。そういえば、高校~大学生~社会人3年目ぐらいまでは、やたらとシルベスター・スタローンに似ていると、いろんなシーンで言われた。顔の造形は全くと言っていいほど違うのであるが、見る人によっては、酷似しているとのことなのである。ある似ている角度があるのだとか。そんなわけで、高校時代は一時「ロッキー!」と呼ばれていたし、そんな風に呼ばれると私の中のエンターテナー要素がシャドー・ボクシングポーズなどをしてしまうのである。
『ロッキー』の良いところは、それこそ、イタリアの種馬と呼ばれた粗削りで決して才能やセンスに恵まれたわけではない、いわば「雑草」であるロッキー・バルボアが、ひょんなことからチャンピオンに挑むチャンスを掴むも、恋人が昏睡状態に陥るハプニングに見舞われ、練習に身が入らなくなってしまう。だが、奇跡的に昏睡状態から目覚めた恋人エイドリアンがロッキーを枕頭に呼び寄せ耳元で一言、
そして『ロッキー4』は、ソヴィエトのイワン・ドラゴとの対戦である。当時は米ソの冷戦の真っただ中であったから、敵地ソ連での試合は、あからさまな敵視とブーイングの嵐の中で進行していく。しかし、打たれても打たれても、果敢に立ち上がる姿に次第に観衆も惹きつけられ、最後は、ゴルバチョフ書記長も拍手してロッキーの勝利を称えるぐらいに、人々の心が変わっていくさまが描き出されている。そして、ロッキーは観客にマイクでこう訴えるのである「人間は変われるんだ!」と。
なにを、お前は突然、ロッキーの話なんか始めたんだ!?とお思いになったことであろう。私も、今でも、この映画は好きであるが、どうであろう、やはり、人の性格って、生まれ落ちた時から「心の有り様」とか「マイ・ポジショニング」とか「温度感」とかって、そうそう変わるものではないのではないだろうか?というところがある。もちろん、小さい頃は「引っ込み思案だった」のが、「プレゼンでも物怖じしなくなった」とか、小さい頃はすぐに泣いたのが、闘争心を抱くようになったとかそういうのはあると思う。ただ、なんというか、「テン(ション)上げタイプ」なのか「テン(ション)下げタイプ」なのか、とかは、なかなか生来のポジショニングからは人は変わらないような気が最近はしている。みなさんは、どう思うであろうか?そういう意味では、人の性格というのは、いつ形成されるのであろうか?という考察は非常に興味深い。生まれ落ちた瞬間のDNAのディオキシリボ核酸のコード配列で決まっているのか、それとも、言葉等を学んでいく3歳ぐらいまでの生育環境で決まるのか、はたまた、その後の成長過程でいくらでも変わっていくものなのか?
などなど、いろいろいろいろ考えていくと、果たして、自分の最適の天職とは何だったのだろうか?と考えても明確な答えは出ないし、配属先が変わっていたところで、自分の性格的に大出世を遂げられていたかは、分からないというのが正直なところである。ただ、それこそ、天の配剤ではないが、配属先での業種や人間関係が変わっていたら、もう少しは出世は果たせていたであろうとは思う。ただ、全てがすべて思いどおりにいく人生はなかなかないであろうとも思うのであるので、プライベートが平穏で心身ともに健康で過ごせているのであれば、仕事面の多少の不遇は受け入れて、精神安定上、「満ち足るを知る」と心を落ち着かせる他はあるまい。ただ、自分の思い通りに仕事というものを大展開できなかったのは、至極残念無念である。ただ、この戦局を今から覆せない以上、潔くここは敗北を認めるしかないであろう。「敗軍の将、兵を語らず」というが、まぁ、「一国の雄」どころか「将」にもなれず、「一兵卒」で終えることになりそうである。あの小学校の文集はなんとか全回収できないものであろうか?(笑)
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