ep.14

長期休暇を終えても、利内さんは出勤して来なかった。

その後、退職届が出され、彼女は一度も顔を見せることなく会社を辞めた。

それからの私の生活は実に平和なものだった。

利内さんがいなくなった分、仕事量は増えたが、井上さんがしっかりフォローしてくれるため、以前よりつらくない。

数カ月経つと、アルバイトではあるが新しいスタッフも配属され、職場は安定した。

課長との関係も良好で、やっと職場が私の落ち着ける場所となった。

皮肉だが、私の中の怪物モンスターのおかげで今がある気がした。


それは秋の紅葉が彩り始めた頃、こうきママがママ友たちに紅葉狩りを提案してきた。

気候も良くなり、子供たちを思い切り外で遊ばせたい親心もあり、私たちはそれに賛同した。

当日、私は自家用車がないのでじゅなママに迎えに来てもらい、目的の公園へ向かった。

集合場所がそもそも車無しではいけない場所にするのが、こうきママらしかった。

目的地に着くと、既に他の皆は揃っていた。

こうきママが景色のいい場所を見つけていたらしく、まるでグランピングのような設営がされていた。

タープテントに組み立て式のテーブルや椅子、ピクニックバケットやポータブル冷蔵庫まで置いてあった。

それら、全てこうきママが用意したものだ。

この経済力の違いに圧倒されながらも、なぜ彼女のような金持ちの息子が私の息子と同じ保育園に通っているのか、いつも不思議に思う。

こうき君は来年、私立小学校に受験するらしく、こうきママはよくその苦労話を聞かせてきた。

こうきママが全体的なレベルを上げることによって、見栄っ張りなママたちはそれに必死に追いつこうとする。

弁当の中にデパ地下のおかずを入れてきたり、試行錯誤したと思われる流行りのキャラクターを模したキャラ弁を作ってきたりと、必死さが垣間見られた。

私にはそう言った意地もないため、ザ昭和の弁当のような中身で、大半はおにぎりと卵焼きで占めている。

するとそんな弁当を見て、こうきママが真っ先に声を上げた。

「あさひママ、ごめんねぇ。仕事忙しいのに、わざわざ作って来てもらっちゃって。でも、大丈夫。お弁当残っても、冷蔵庫持ってきてるから、そこに入れて後で持って帰ればいいよ」

彼女のその言葉は、私のお弁当が残る前提で話している。

しかも、持ち帰ることも確定だ。

そして、彼女のマウントトークが続く。

「最近、こうきにゴルフ習わせ始めたのね。なんか、ゴルフって英才教育にいいんでしょ?それ以外にもお受験用に塾通わせたり、ピアノやらせたりして、毎日忙しいの。こんなに忙しくするとさぁ、家事とか疎かになりがちじゃん。それにうち、犬もいるしさぁ、めっちゃ毛が落ちるのね。今までは、ロボット掃除機で対応してたけど、間に合わないから週一でハウスキーパーさんに来てもらうことにしたの」

いかにも家にお金ありますというトーク。

さすがに家政婦を雇う家は少ないのか、周りのママ友も、興味津々で話を聞いている。

「もぉ、めっちゃ楽!こんなに楽になるんなら、もっと早くに頼んでおけば良かったぁ。最初はさすがに人雇うのなんて贅沢かなって思ってたけど、週一でこんなに快適な生活になるなら、全然いいよ!ほんと、おすすめ!」

でもとその彼女の意見に他のママ友が反応した。

「料金、高いんでしょ?」

すると彼女は大声で笑って、手を振った。

「そうでもないのよ。一時間、三千円もしなかったと思うし。掃除なんて、二時間ぐらいあれば、終わっちゃうじゃない。一日六千円で、週一なら四回で二万四千円でしょ?月一でそのぐらいの金額で、自由な時間が買えるなら、全然安いから!家事ってさぁ、思ったより時間かかるし、重労働だし、働きながら家事するってかなりきついじゃん。だけど、それだけ払えば、自分が掃除するより、部屋をピッカピカにしてくれるの。大助かりよ。あさひママもさぁ、忙しいなら頼んでみたら?」

その言葉で全員の目線が私に向けられる。

私が仕事で忙しいのは確かだ。

しかし、家政婦を雇うほどの経済的な余裕はない。

「無理無理。そんなお金ないよ」

私が頭を振ると、こうきママは不思議そうな顔をした。

「そう?なんなら、朝陽君の面倒も見てもらえばいいんだよ。その分、あなたが働けばいいんじゃない」

――そんな無茶苦茶な……

彼女の意見は、シングルマザーの大変さを軽んじるような発言だ。

しかし、それも仕方ないと思う自分がいる。

同じ苦労をしない限り、その苦労を理解することは出来ない。

段々、空気も悪くなってきたので、慌ててじゅなママが話を変える。

「そういえば、こうき君はどうなの?お受験、順調?」

じゅなママの言葉に、彼女はぱっと顔を明るくして答えた。

「順調じゃないよ。お受験目の前なのに、課題が山積み。最近、習い事させすぎて、これって虐待?って思っちゃうもん。だから、こうきに聞いてみたのね。そしたら、僕は好きでやってるからいいんだよって言われて、超安心した!」

その言葉に周りのママたちがこうき君を絶賛した。

私はパラパラと落ちてくる紅葉を見上げながら、この退屈な時間が早く終わればいいのにと思っていた。

私と朝陽の席にだけ、タープテントは届いておらず、時々弁当の上に落ち葉が落ちてきていた。

隣で朝陽は、他にも机の上に美味しそうなご馳走があっても、ずっと私のおにぎりを食べて、おいしいねと話しかけてくれた。

そして、再び話題がこちらに振られる。

「私ね、朝陽君こそ、お受験すればいいのにっていつも思うのよ」

「え?」

私は慌てて顔を上げた。

発言したのはじゅなママだった。

「だって、朝陽君ってほんと、いい子なのよ。挨拶もきちっとするし、話し方もしっかりしているし、他の子の散らかしたおもちゃも率先して片付けてたの。私、一度見ちゃったんだけど、運動場で転んでいる子に真っ先に気が付いて、声をかけてたのも朝陽君だった。朝陽君見ながら、どんな教育をしたらあんないい子に育つのかなぁって思っちゃう」

その言葉はとても嬉しかったが、別のママの目線が痛い。

こうきママが不満そうな顔でこちらを睨んでいる。

「わかるぅ。私もね、この間、うちの娘の水筒を保育園に忘れそうになって、それを朝陽君がわざわざ届けてくれたのよ。彼、本当に気配り出来る子よね」

じゅなママの言葉に他のママ友も乗っかって来た。

いよいよ、こうきママの機嫌は最高潮に悪くなっていた。

話しに割り込むように、彼女は声を上げる。

「でもさぁ、お受験となると別じゃない?そりゃぁさぁ、うちの保育園の中では優秀だと私も思うよ。でも、それだけじゃねぇ。受験する子には、朝陽君レベルな子ならたくさんいるから」

――朝陽レベル?

なんだか、こうきママの失礼な発言に、私は苛立ち始めた。

「それに、なんて言うか、朝陽君ってちょっとあざといところがあると思うんだよね。大人の前でいい子するっていうかぁ、見られてるの意識してんのかなぁって。いや、わかるよ。シングルの子ってさ、何かと気を使いがちになるじゃん。自然ちゃ、自然なんだけど、見ててちょっと痛いって思う時あるよね」

その言葉を聞いて、じゅなママが慌ててこうきママを止めた。

「その言い方はちょっと。あさひママのいる前で……」

するとこうきママは半笑いで、手を振って、更に話し続ける。

「別にあさひママを非難しているわけじゃないの。シングルにはありがちってだけ。それに、あさひママにはお受験はかなり負担でしょ?いつも忙しそうだし、子供の世話で手一杯って感じじゃん。お受験進めるのは酷だよね」

「私は――」

私が答えようとした声に被せる様に、こうきママは続けた。

「お受験ってめっちゃお金かかるのね。私はこうきの将来を考えて、それでも今投資することが子供のためって思うからやってるの。でもだからって、お金もないのにお受験して、経済的に苦しい生活したら、本末転倒っていうか、子供がかわいそうじゃん。私はさぁ、母親だから、子供を第一に考えたいんだよね」

それでは私が朝陽を蔑ろにしているように聞こえる。

実に心外だった。

本心を言えば、こうきママに言い返したい気持ちでいっぱいだったが、子供たちがいる手前、声を荒げるわけにもいかない。

それに、心配そうな顔で見つめる朝陽を見ると、私は何も言えなかった。

「もし、気分悪くしちゃったら、ごめんねぇ。私は、あさひママや朝陽君のために言ってるだけだからさ。無理って良くないと思うのね。朝陽君には、朝陽君のペースがあるからさ、頑張ってこうきに合わせる必要ないと思う」

私に手を合わせて、笑顔で話すこうきママを見ながら、この母親はまともではないと感じた。

他のママ友たちもさすがに何も言えなくなって、沈黙が続く。

常に自分や自分の息子が先にいないと気が済まない、マウント女。

私は許せなかったけれど、いつものように目を閉じて心の中で呪文を唱える。

――我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢……

≪……出来るわけ、ないじゃない!≫

私の声が重なるように頭の中で響いて、まるでテレビの電源が切れるように、目の前の画面がぷつりと音を立てて、見えなくなった。

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