第2話 ギリギリで切りました、半端で終わらせるが吉

 食堂に着いたのは僕とお嬢様が最後だった。

 遅刻したかと思い腕時計を見たがまだ六時半前なので大丈夫。時間にルーズな人はこのお屋敷にはいないのである。

 普通の家庭ではどのように食事を行うのかわからないことはないけれど、僕には普通のお屋敷ではどのように食事を行うかがわからなかった。

 そもそも普通のお屋敷ってなんだ。今時お屋敷は普通じゃない。

 どのように食事を行うかという疑問はテーブルマナーの話ではなく――たとえば、使用人は主人達と食事をとって良いのか、許される場合、それはどのような席になるのか。主人の隣に座るのか、はたまた使用人は使用人同士で別のテーブルで食べるのか。それとも使用人は主人の後ろで食事を見守った後、みんなでコソコソと急いで終わらすのか。

 二十四時間休みなく僕はお嬢様の執事だ。

 しかし執事も人間、食事も排泄も睡眠もしなければ生きていけない。

 この屋敷では使用人の人権はそれなり以上に大事にしてくれているので、長テーブルで皆で食事を行えるし、排泄も自由に許されていて、主人が寝たら睡眠をとって良いことになっている。特にお嬢様は僕が疲れている時は先に寝ることを許してくれる。

 使用人というのはあくまで名目であり、木町さんあたりを除けば、忠誠心のようなものを必要とはしていない。単なる仕事として使用人という主人の身の回りの世話を行い、それに見合った対価である生活の安定をもらっているのだ――いや逆か。生活の安定を求めて、僕や他のメイドさんは主人の世話をさせていただくのだ。

 お嬢様の後に僕は隣の椅子を引いてそこに座った。

 激辛カレーはすでに冬子さんによって席に配置されている。果たして僕のカレーは甘口になっているだろうか。

「全員席につきましたね。今日もお疲れ様でした。では――」

 いただきます。と皆が母様に続いた。

 毎日しているので声のばらつきはゼロと言って良いほど完璧。

 向かいに座っている鶴島さんと烏丸さんペアはカレーを食べてテンションが上がったようで辛い辛いと騒いでいる。プリンは二人で半分こしたらしい。

 お嬢様がカレーを口に含むのを見て僕も自分のカレーをスプーンで掬い口に入れる。

 甘口。

 よくぞやってくれたとテーブル一番端に座っている冬子さんの方にサムズアップをして見せた。冬子さんは首を傾げて苦笑い。母様は変なものを見る目で僕を見ていた。

「鹿螻蛄、そんなに速く…辛くないんですか?」

 お嬢様は舌を休ませるようにスースーと息をしながら問う。

「冬子さんにお願いしたんですよ。あまり辛くしないでって」

 そんな僕の答えに反応したのはお嬢様でもなく、冬子さんでもなかった。

 鶴島さんと烏丸さんがくすくすと笑い始めたのだ。

 なんだか馬鹿にされている気がする。そんなに甘口が格好悪いだろうか。

「別にいいでしょう?せっかくの好物のカレーなんです。美味しく食べたいじゃないですか」

 僕が言うと嘲笑は勢いを増した。

 お嬢様は首を傾げる。

 馬鹿にするだけ馬鹿にして黙ったままでいる二人に少し嫌気がさしたので話を変えようと僕はさらに口を開いた。

「そういえば二人とも、プリンはしっかり食べられました?」

 おやつのプリン、残り一つの争いを二人がしていたならばここで少しは状況が変わったのかもしれない。しかしこれもまた逆効果だったようで。

 二人は爆笑しだした。

 口を押さえて僅かながらにも上品さを繕おうとする鶴島さんと、そんなこと何も気にせずに手を叩き唾を飛ばして笑う烏丸さん。

 腹が捩れて呼吸ができなくなりそうなほど笑っているので僕は怒りを通り越して困惑した。

 お嬢様は僕と同じく状況を理解してはいないようだが、なんだか楽しそうに見える。それを見て僕は安心する。

 母様達は無反応、夢見さんは気になって僕の方を見ていた。そして――冬子さんは何故か、申し訳なさそうにこちらから目を逸らしていた。

 どうやら子供舌を馬鹿にされているだけではなさそうな雰囲気。

「――冬子さん、説明してもらえますか?」

「ごめんなさい。ちゃんと説明します」

 向かいの二人の笑いは未だ治らない。

「実は――」

 冬子さんは両手の人差し指を押し合いながらもじもじとしている。どれだけ言いづらいことなのだろうか。

「実は――私は何もしていないのです」

「何もしていない?」

 どういうことだ?さっぱりわからない。

「はい、鹿螻蛄くんのカレーはみなさんのものと変わらないものです」

 それはつまり…。

「激辛なんですか」

「激辛です」

 衝撃といえば衝撃だが――これだとしょぼくないか?

 僕は直感的にまだ何かあると思った。

「他には?プリンも激辛だったんですか?」

「いえ、プリンは市販のものです。激辛ではありません」

「市販の…」

 つまり、残り二つのプリンは二つとも鶴島さんと烏丸さんが美味しくいただいていて――僕は市販のものを食べて、『とびきり美味しかったです』と、騙されていたことに気づかずに二人に報告したわけだ。

 実に面白くないぞおい。

 しかし気にしていても意味がないし、気にしているところをお嬢様や夢見さんに見られることが恥ずかしいから、僕は必死に言葉を紡ぐ。

「――なんだ…そんなことかー」

 カレーを口に入れる。激辛カレーを――全くと言って良いほど辛くない激辛カレーを。

「冬子さん、そんな顔やめてくださいよ。別に怒りませんし怒ってませんから。ほら、美味しいですよこのカレー。辛さが僕にぴったりだったんですよきっと。気づいていなかったけれど、辛いの強かったんだなー僕。良い発見ができました。それと市販のプリンでも十分美味しかったんですから、冬子さんの手作りがこれから食べられると思うと胸が躍りますね。果報者ですよ僕は。今世紀一のラッキーマンです。みなさんどうしたんですか?食べましょうよ、カレー。ほら、辛くて美味しいですよ――あ、やっぱこれ辛い。でもそれが美味しいです。冬子さん、いつも美味しいご飯をありがとうございま――」

「ケラ、もういいよ」

 夢見さんが僕を遮った。

 助かった。誰かが止めなければ僕の口は延々と回り続けていただろうから。

 空いていた口をなんとか閉じた。

 感謝を伝えようと向くと、夢見さんは辛さなんて一つも感じてなさそうに黙々とカレーを食べ勧めていた。

 それからは皆黙って食べ続けた。

 その後食べたプリンはやはり、市販のものと違いがわからなかった。


 散々なディナーを終えた僕はお嬢様が風呂に入っている間に母様との面会を済ませようと部屋に向かった。

 そして部屋に向かう途中の廊下で綾瀬さんに出会う。つまらなそうな顔をしているが、彼女はそういう顔に生まれてきたのだ。

「綾瀬さん、おやすみなさい」

「まだ寝ないよ、じゃあね」

 どこまでも無愛想だった。

 無愛想というか、こちらを不快にさせようと目論んでいるのかも知れない。会派を言葉のキャッチボールとするなら、僕が投げた球をキャッチをせずに、そのまま真横にはたき落として、ほら、早く拾って投げてこいよ、とか言ってきそうだ。

「そうですか。では夜を楽しんで…」

「今日の夕飯はいつも以上に無様だったね」

「あ、はい。そうだったかもですね」

 話を続けたいとか打ち切りたいのか、よくわからない人だ。

 キャッチボールをやめようとグローブを外して後ろを向いた瞬間にボールを後頭部にぶつけてくるようなイメージ。

 ああだめだ。ポジティブいこう。綾瀬さんとはいつ話しても新鮮である。

「鹿螻蛄くんの舌はぶっ壊れてるの?」

 デリカシーとかないのか。

「そうみたいです。今日だけで散々わかりました。少なくとも、普通じゃない」

「まぁ、鹿螻蛄くんが普通だったことなんて一度もないけどね」

 酷い言われようだった。ストレス溜まってるのかこの人。

 まあでも、一人で毒舌を貫くのは悪くないよな。複数人で毒を吐かれ続けるのは嫌だし、それはただのいじめだ。だから、綾瀬さんとの会話は新鮮だ。新世界と言ってもいい。

 しかしこのまま言われっぱなしになるのも面白くないので、今日の僕は抵抗してみることにした。

「――綾瀬さんだって普通じゃないでしょう」

「は?」

 睨まれたけれど、とにかく続ける。

「いやいや、綾瀬さん。今年で何歳ですか?」

 女性に年齢を聞くのはマナー違反だと言うが、世はジェンダーレス社会である。誰も僕を咎めることはできまい。

「二十五だけど」

「そう。もう二十五なんです。それなのに綾瀬さんの態度ときたら――僕よりも子供ですよ。僕は子供舌かもしれないですけど、綾瀬さんの精神もまだまだ子供です」

 別に僕は子供舌を馬鹿にされていたわけではないが、一旦無視だ。

 綾瀬さんの表情は固まっている。

「本当に子供です。若いというか、幼いですよ」

 少し悲しそうな顔をした。

 僕は、加虐心が満たされる一方で罪悪感に苛まれ始める。

「なんで、そんなこと急に言うの…」

 少しではなく、悲しそうな顔をしていた。

 僕は自分をマゾかと思っていたけれど、違ったのかもしれない。

 メイド服を着て年下に泣かされる二十五歳は、なかなか可愛らしい――がしかし、僕は罪悪感に耐えきれそうになかった。ということで…。

「いやいや、別に貶したわけではないです。悲しませるつもりも全くないんです。僕には。ただ、この通り屋敷で一番幼い僕にはこの屋敷は窮屈なものですから、綾瀬さんみたいな優しくて、子供心がある人がいると、ほっとするというか、落ち着くんですよね。だから、いつもそばにいてくれてありがとうと、その感謝を伝えるつもりが、不快な思いをさせてしまったのならすみません。でも、いつも綾瀬さんのその態度に助けられていることを、どうしても伝えたくて」

 よくもこんな適当な言葉が出てくると、自分でも呆れた。

「あ、そういうことなんだ。びっくりした。わたし、嫌われてるのかと思って…」

「違いますよ。僕が綾瀬さんを嫌いになんてなるわけないじゃないですか。むしろ屋敷の中で一番仲良くしたいと思っています」

「そうだよね。よかった」

 ちょろかった。

 僕は別に嘘を言っているわけではない。別に綾瀬さんは嫌いではないし、もう少し仲良くしてほしいとも思っていた。ニュアンスの違いだ。

「ではおやすみなさい。明日も頑張りましょう」

 夢見さんを倣って、僕は『頑張る』という単語を使ってみた。

「うん、鹿螻蛄くんも頑張ろうね」

 尿路結石のようだった彼女はすっかり角が取れてビー玉みたいに丸くなってしまった。坂道とかに置いたらとてもよく転がりそうだ。

 淑女を尿路結石に例えたのは僕が初かな、なんて思いつつ。

 綾瀬さんとの対話を終え、僕は再び母様の部屋に歩き出した。

 切り替え切り替え。

 母様は一体、僕に何の用があるのか。

 そもそも僕は母様と話をする機会が滅多にない。学校から屋敷に帰ってきて、僕が寝るまでに会話をする人物は、メイドさんたちとお嬢様がほとんどであり、母様は週に一回程度だ。それも説教や事務的な連絡がほとんど。それを言われる際は今日のように時間を設けることもなければ人伝てにすることもない。ただ夕食の後などに、ポツリと一方的に要求を述べるだけだ。会話とはいえないのかもしれない。僕の母様間でのコミュニケーションは人類の中でも類稀なほど、一方的な要求の連続なのだ。

 とにかく僕は好かれていない。

 嫌われてもいない――とかなり助かるな。

 考えれば考えるほど、ますます予想がつかなくなった。別に今母様との会話の内容を知れたところで何にもならないけれど。

 母様の部屋の扉をノックした――コンコンコンと三回。二回ノックはトイレでの空室確認なのでNG。

「どうぞ」

 すぐに返ってくる返事。

 僕がお嬢様を肩車しても裕に通れるほど大きい母様の部屋の扉を押し開けると、中には母様――黒糸縅白虎さんとその妹である黒糸縅白狐さんが二人で缶ビールを飲んでいた。微笑を浮かべながら姉妹で語り合う姿は微笑ましい――がしかし、僕の入室とともに二人の笑みは消えてしまった。残念。

「ようこそ、鹿螻蛄。コンちゃん、聞きます?」

 母様の声は威厳がある。僕は嫌いだ。

「いえ、もう自室に戻ります。木町?」

 僕と母様の話の邪魔をしないようにと、コンちゃんこと白狐さんは隣の部屋にいた木町さんを連れて部屋を出て行った。木町さんは何故か僕を睨んでいた。本当になんでかね。

 とはいえこれで二人きり。

「お待たせしました、母様」

「別に、たいして待っていません――今日は前髪を下ろしているのね」

「はい、お嬢様にやってもらいました」

「可愛らしくていいですね」

 可愛らしい、か。

「ありがとうございます」

 スカスカの礼を述べた。

「それで、今日はどんなご用件で?」

 苛立ちが抑えられるか微妙だったので単刀直入に聞いた。

 言葉遣いは合っているかな。敬語って本当に難しい。木町さんに指導を受け続けても未だ身につかない。小学生から英語を始めても未だ全く話せないことと同じ原理だろうか。

 母様はそれを聞くと缶ビールを一気飲みして低いテーブルに置いて、まあ座りなさいと言い、先ほどまで白狐さんが座っていたソファを指した。僕は失礼しますと、呟きながらまだ少し温いソファに腰を沈める。

 愛されたいな。本当に。

「まず、これを読んでもらうのが手っ取り早いでしょう」

 言って母様はどこからともなく取り出した白の封筒をテーブルに置いた。母様の方も僕と長く話していたくはないのか、無駄のないやり取りになりそうだった。これは良いことか。

「これは?」

「手紙です」

 それはわかる。僕が聞いているのは誰から誰に対しての手紙なのかと言うことだ。しかしそれは読んでからでいいなと思い僕は封筒を手に取った。

 さっきからかっかしすぎだろう。頭がおかしいのか僕は――おかしいんだろうな、僕は。

 深呼吸。

 白い封筒には何も書いておらず、切手の類のものもない。どうやらこの屋敷に直接届けたらしい。

 中にはA4の紙が一枚。

 鉛筆で書かれたそれは、字が汚く、右肩下がりになっていた。少し集中しないと読めなさそうだ。

「じっくり読んでください」

 母様は真剣な口調だった。

 なんとなくシリアスな気分になりつつ、僕はその手紙を読み始めた。

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