第5話 石舞台

 石舞台に着くと、血なまぐさい匂いが鼻を突いた。

「……遅かったか……」

 モカラタが顔をしかめる。

 巨大な堀に囲まれた石の建造物は見る影もなく破壊されていた。

「何、この臭い?」

 堪らず、ユノワは鼻を塞いだ。

 ティトレーのけたたましい笑い声が耳に響く。

「ルーラ!」

「ルー、ラ?」

「ユノワ!竜の鱗をこちらへ!」

 褐色の肌の成人女性の姿に戻ったモカラタが、苦痛を噛み殺しながらも、てきぱきとユノワに指示する。

 ティトレーの笑いはおさまらず、ユノワは戸惑いつつも、血に汚れた石舞台の欠片にそっと手を伸ばした。ユノワの右腕に絡みつくように青竜の模様を描いていた鱗から光があふれ、石へと触れる。血に汚れた緑の草が揺れただけで、何の動きも起こらなかった。

「チッ、駄目か……」

 かつて、石舞台と呼ばれたものの成れの果て。

 ユノワがどれほど神経を集中しようとも、老い、石と化し、動かなくなった竜は戻らなかった。

 ユノワ達が到着する前に喰われたのだ。

 ルーラと呼ばれる獣頭人身の存在に。

 ティトレーの笑い声がいっそう激しくなった。このまま放っておけば、窒息死するかと思われるほど、何がおかしいのか彼は笑っている。

 苛立ちを和らげるようにモカラタが、彼を縛る見えない糸を引いた。

 尻を突き、地面に太陽のような金の髪をぶつけても、笑いは止まなかった。

「やはり、貴様を保護していたのはルーラか!」

 ルーラは、今では竜と同じく伝説上の生き物で、竜を好んで喰らう。

「モカラタ!竜が危ない!」

 竜の危機を察知したユノワが、モカラタの服を引っ張る。

「もう遅い……」

 目尻に涙を浮かべて、ティトレーが言う。

「俺の襲撃と共に、村もやられてるよ」

「ティトレー!」

「今頃、あの老いぼれも……」

「……残念だが、それはないな」

 不敵に笑うモカラタの女性らしい身体が、不意に逞しい男性のものへと変わった。

「お、前は……」

 驚愕に目を見開くティトレーに、竜は笑った。

「私は、ユノワと共に脱出した。お前の襲撃の前に、バレル達も村を離れた」

 ティトレーは歯ぎしりが聞こえて来そうな顔で、憎しみに溢れた目を竜に向けていた。

「お前が、ルーラから、どのような教育を受けたのかは知らない」

 竜はモカラタの姿に戻ると、一瞬で、ティトレーとの距離を詰めた。

「石竜と化していた、ここの竜はルーラに喰われ、元へは戻りそうにない。だが、」

 歌うように、竜はティトレーを追い詰めていく。

「我やユノワに危害を加えるというのであれば……」

 その先は、言葉にされずとも分かっていた。

 ティトレーは、表情のない目で竜を見つめると、視線を逸らした。虚ろな瞳だった。

 竜は、少年の頭を軽く撫でると、

「お前を選んでやれなくて、残念だったと思っている。だが、我には、ユノワが必要なのだよ」

 ため息を零すように言った。

 不安定に瞳が揺れる。

 ティトレーには、ユノワと自分の何が違うのか?さっぱり理解できなかった。

「竜……」

 ティトレーが心を開きかけたその時だった。

「ティトレー!」

 背後から、何者かが呼ぶ声がした。

 長身の、鳥の頭をした人身だった。

「バート!」

 ルーラだった。

 助けを求めるように、ティトレーがバートと呼んだルーラの元へと駆けつけようとするより早く、モカラタが、竜が彼の手足を縛る見えない糸を引いた。勢いを殺し切れず、ティトレーは、今度は前かがみに転んだ。

「お前は、バレルの息子だ。後継者として選ぶ事は出来なくても、行かせるわけにはいかない」

「簡単に捨てておいて、よくも言えたものだな」

 バートと呼ばれたルーラが、クスクスと笑った。

「バート……」

 ティトレーは、それでもルーラの方へと手を伸ばそうとする。

「おいで、ティトレー。今更、竜の元に戻っても、お前は竜殺しの汚名をそそげまい」

 村を出て以来、自分は、竜を主食とするルーラの下で、ユノワへの憎悪と混乱を抱えて生きてきた。住む場所を与えられ、生きる術を習い、今日の襲撃に備えて生きて来た。

「……流されるな。竜がいなくなれば、生きていけなくなるのは奴らも同じだ」

 モカラタの姿をした竜が、ティトレーを片手で抱え起こしながら囁く。

「ユノワ!」

「はい!」

 ティトレーの前を何かが舞った。彼女の右手から伸びた青い光が、一直線に、ルーラへと伸びて行く。

 赤の装束に身を包んだバートは余裕でそれをかわし、ユノワに微笑みかけた。まるでそれが合図か何かだったかのように、青い光が屈折し、バートの顔を狙った。 バートの意識が逸れた少しの間に、モカラタは、竜は、ティトレーを抱えて、ユノワのところまで飛び退いた。

 ああ、これじゃあ、まるで敵わないじゃないか……。

 凛としたユノワの顔を見つめながら、ティトレーは涙をこぼしていた。

 竜が必要とする魔力も、適切な判断能力も、訓練されて来たとはいえ、全て、今のティトレーにはないものだった。

 竜の腕から地面へと足を下しながら、ティトレーは思った。

 人間の感情には理性で割り切れないものがあるとはいえ、ティトレーとユノワでは元の素質が違ったのだ。

 肩に届くか届かないくらいの柔らかな髪に、あの頃と変わらない表情。今は凛とした表情をしているが、人を和ませ、心を開かずにはいられない気持ちにさせるユノワを、自分も愛さずにはいられなかった。

「泣くな」

「泣いてなどいません」

 手足の自由を奪われ、涙をぬぐうことも出来ず、ティトレーはぼやける視界でユノワを見ていた。

「加勢しろ」

「……今ここで自由にすれば、俺はあなたを殺すかも知れませんよ?」

 圧倒的な力の差があるとはいえ、自分は十年間、竜を主食とするルーラに育てられたのだから。

「そんなことは分かっている」

「だったら、今、俺をここで殺して下さい」

「お前は、ユノワを見殺しにしたいのか?」

「俺から居場所を奪った幼なじみなんて……」

 竜とティトレーが会話を続ける間も、ユノワとルーラは向き合っていた。

「ユノワ!」

 モカラタの、竜の言葉が波動となって、ユノワに伝わる。

「はい!」

 ユノワは転ばないように気をつけながら、徐々に後退し始めた。石舞台と呼ばれていた建造物の、石と化した竜の頭部があったと思われるところへ向かって。

「何をする気だ?」

 悠然と構えていたバートが口を開いた。

「これを持っておけ」

 モカラタの姿をした竜は、ティトレーにルーラに喰われた竜の鱗を持たせると、

「ユノワ!」

 一気に石竜と化した竜の頭部があった場所へと駆けるように命じた。

「馬鹿な!」

 これにはティトレーの方が面食らった。バートは、ルーラの中でも上位に位置する。そんなことをすればユノワは、バートに無防備に背中をさらすことになり、一瞬で破壊されかねない。

「お前は、ユノワがどうなってもいいのだろう?」

 モカラタの姿が、竜の姿とダブり始める。

「いいから、それを使え!」

 ティトレーに有無を言わさず、竜は命じた。

「くっ!」

 ティトレーは、手のひらを開いて、石と化した竜の残骸を、十年間世話になったバートに向かって投げつけた。

 まるで、バートに喰われた竜の意志を宿していたかのように、それは最後に強い光を放ち、地面を覆う緑のような色に変わると、ティトレーの右腕へと巻きついた。それは、思っていたよりも大きな衝撃だった。苦痛に顔をしかめるティトレーに竜は微笑みかけると、一気に駆けた。その後を追うように、ティトレーの腕から黒い光が放たれ、バート目がけて走った。汗をかき、歯を食いしばりながら、全身で何とか耐える。下手をすると、身体ごと持っていかれそうな気がした。

 竜とバートが絡み合い、激しく打ち合う間に、ユノワは石と化した竜の頭部があったと思われる場所まで辿り着き、そっと地面に手を突いた。

「精霊モカラタの名において、ユノワが命じる。竜、次はどちらへ?」

 彼女の声は、緊張感なく響いた。

「了解しました」

 ティトレーには届かなかった声をキャッチして、ユノワは地面にワープホールを開けた。





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