アンブロークン・ラインズ ~黎明異聞録~

深月 慧

ブロークン・ラインズ 霊気荒廃近域・新崑崙

プロローグ:西と東の交差路より。あるいは、とある方士の最悪な日

 新崑崙こんろん


 そう呼ばれる都市がある。


 過去と未来の境界に立ち、東域イースタスに位置しながら、世界の中心とも称される……そんな都市。


 夜の帳に覆われ、頭上に浮かぶ月が周辺の海を冷たく照らす。街路に漂う立体映像ホログラムの時刻は、日付が変わる直前であった。


 駅前の繁華街に目をやれば、きらびやかでどこか下品なネオンの海が広がる。コンビニエンスストア、カラオケ、居酒屋。そして、居酒屋とも色街ともつかぬ看板持ちや客引きが、若者たちの流れを縫うように往来する。


 近くの立て看板には「現地域における客引き行為は条例により禁止されています」とあるが、誰もが素知らぬ顔。

 あふれる若者の群れは、まだ絶える気配を見せない。


 世界がどれだけ接続され、狭くなろうと、彼らはこの新崑崙の至るところで無邪気に騒ぎ、笑い明かす。

 そんな街の片隅、薄暗いバーのカウンターで、一人の男が真剣な口調でこう語る。

 曰く――方士は人であって人でない。空を駆け、尋常ならざる力と秘技で森羅万象を支配する。徒人には抗う術もない、過去に争いと混乱を撒き散らした化け物だ、と。

 それを聞いていた別の男と女が、退屈そうにそれぞれこう返す。


 ――へぇ、それで?


 ――悪いなあんちゃん。ここじゃそんなの当たり前なんだよ。


 

 †



 ――新崑崙

 ――中間域

 頭上から降り注ぐ月光を切り裂くように、銃弾が飛び交い、銃声が都市の一部をこだまする。


 二人の男が逃げ、それを集団が追う。どこにでもいる何でも屋アウトローと、小規模なギャングの追いかけっこ。

 誰かが大金を積んだのか、ただの気まぐれか。だが、男たちの目的が「一攫千金」であることは間違いない。

 一人の男が弾丸の雨をかい潜り、待機していた車両のボンネットの上を滑って車体を盾にする。すかさず拳銃を数発撃ち、追手への牽制として車に飛び乗った。相棒が同時にドアから滑り込む。


「出せッ!」


『目的地へ移動します』


 運転席に誰もいない車が、指示を受けて走り出す。


「イヤッホォ! これで俺たちも大金持ちたぜ!」


 男は戦闘の興奮コンバット・ハイに任せて叫び、相棒の名を呼んだ。


 だが、様子がおかしい。相棒の腹が銃弾で貫かれ、血がシートを染めていたのに気がついたのはその直後であった。


「おい、嘘だろ!  くそっ今すぐ病院に――」


 言葉を遮るように、激しい衝撃が車を襲う。頭上から何かが飛び乗ったような、重い音。


「今度は何だ!?」

「ハロー、無法者アウトロー


 割れた窓から、聞き慣れぬ声が響いた。

 自分でも相棒でも、ましてや無機質な人工知能の音声でもない。


 一人の男が立っていた。

 無骨ないかにもアウトロー然とした彼らとは対照的に、薄手のコートのようなものを西域ウェスタスの服の上に纏い、高速走行真っ只中の車の上に平然と立つ。


「こんな夜中にどでかい花火を上げてくれたな。カツ丼は期待するなよ」

「クソっ!! こんなときに限ってかよ!」

「流派の門を叩いてなお落ちこぼれたゴミには、もったいない死に方をプレゼントしよう。感謝しな」


 方士を撃退しようと男の腕が動いた瞬間、その腕――高度なサイバネティクス技術から成る義肢にナイフが突き立ち、シートに縫い止められる。


「あがぁァぁッ!!!?」


 縫い止められた義肢の周辺には、エーテルの残滓が舞っている。

 何かしらの呪術を使おうとしたのだろうが、その直前で止められていた。

 丁寧なことに、刺すついでに擬似的に痛覚を送り込み、同時に義肢の痛覚抑制機能をカットするという手際の良さまで見せつける。


 ナイフの柄には糸が繋がれ、その先に薄黄緑に発光する札が漂う。投擲の動きすら捉えられなかった。


 激痛に悶絶するアウトローを蔑みとともに見下した方士は、なんの感慨もなくそして当たり前のように車から飛び降り、着地する。


「排除執行――」


 直後、呪符が爆発した。小規模だが、二人をまとめて消し飛ばすには十分な威力だった。


「こちら第二班。主犯格のバカどもの処理が終わった。そちらは?」

『こっちも終わった。方士のなり損ないすらいない連中だ。どんな武器を持とうが同じさ。無双ゲーみたいにな』

「あぁ、確かに。違いない」


 西ウェスタスの『科学Science』とその技術。イースタスの『TAO』とその技術。

 その複合体たる『大道工学テクノタオ』。それを土台に生まれ変わった新崑崙では、方士という大道工学の申し子たる『化け物』など、今となってはありふれた存在に過ぎない。



 †



 人生に嫌な瞬間が人の数ほど星の数ほどあるように、「最悪だ」と思う瞬間も同じぐらいあるのだろう。例えば――何があるだろう。


 方術流派の試験でしくじったとき?

 大事な会議で極めて馬鹿な発言をしてしまったとき?

 馬鹿な方士が暇つぶしかなんかの研究で村一つ潰したとき?

 見知った顔のキョンシー兵が襲ってきたとき?

 理不尽にも方士どうしの殺し合いに巻き込まれて吹き飛んだとき?


 まぁ、人それぞれではあるだろう。


 では、ぼくの場合は?

 少なくともその答えは、体から生えている短剣と流れ出る血液が雄弁すぎるほどに語っていると思う。

 本当は今すぐにでも短剣を引っこ抜いて治療用術式と丹薬をキメて、応急処置レベルでもいいからとっとと治したい。だが悲しいかな、術式を組むのに必要なエーテルが致命的に足りていないのだ。


 新崑崙における龍脈ロンマツの壊死と、それに伴うエーテル不足は今や叫ばれて久しいが、術式が組めないレベルではなかったはずだ。やっぱり場所の問題なのか?


 閑話休題。


 まず一体何があったのかを簡単に説明しよう。

 まず初めに断っておくが、僕は何も悪いことはやっていない。こればかりは天に誓ってもいい。ほか流派の一部方士みたいに罪のない一般人を虐殺したことなんて一度もない。むしろやらかしたバカどもに対して天に代わって仕置をしたぐらいだ。故郷の言葉を借りるなら天誅ってやつ。


 ただ困ったことに、理由の一つだったりするんだろうなぁこれ……。まぁいいや。


 少なくとも襲われる前までやっていたのは、現在進行形で行方不明になっている師匠の遺品の整理だ。ただ、遺品と言っても一般家庭レベルのものではない。師匠は立派な方士だし、おまけにある流派――ぼくがいるところでもあるわけだが――のリーダー的立ち位置だったのもあって、とんでもないブツが意外とゴロゴロしていたりするのだ。


 そんななか、壁を威力を絞った爆薬でぶち抜いて襲いかかって来たのが、目の前で転がっている……今や物言わぬ数体の死体になったクソザコ方士もとい鉄砲玉たちだ。実力はクソザコの鉄砲玉にふさわしく、方士としてのレベルは実際サンシタも良いところだろう。だがお互いに運が悪かった。


 龍脈の壊死である。

 エーテルの流れである龍脈がどういうわけか死滅する迷惑極まりない現象が、よりによって呪符を貼った襲撃者の頭を爆散させようとした瞬間に起こったのだ。龍脈が死んだら当然その場所からはエーテルを得られない。呪符を制御し直すにもタイムラグが生まれてしまう。そしてその間に呪符はエーテルに還ってしまうのだ。


 そうなったら信じられるのは、気を含めた己の肉体と獲物だけである。だからこそこうやって生き延びることができたのだが。


 ……さて、改めて話をしよう。

 ぼくが一体何者で、どういう人間で、どうしてこんなところで腹を刺されて、失血死か瓦礫の下敷きになるかの二者択一を迫られる羽目になったのか。


 端的にいうなら「これまで」のお話だ。

「これから」は多分ないだろう。よほど運が良くない限りは。

 そしてぼくは運が良い自覚はミクロン単位でないも同然だし、なんなら今年は厄年だ。


 だから、これからするのは『ぼくのこれまでのお話』なんだ。

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