第37話
「よし、行こう!」
弦の人たちがステージからはけると同時に、式台や、他の椅子などをすべて脇に寄せる。セッティングには、1年弦の桜たちが手伝ってくれた。さすがに会話をする暇はないため、アイコンタクトで演奏をたたえた。
セッティングが終わり、それぞれの席について、譜面台に楽譜を置く。
桜たちも楽しみにしてくれているのか、1年弦の女子10人ほどが、楽器を片付けることなく、空いていた一番前の席に陣取っていた。
演奏前に、浅野先輩がマイクを片手に軽く挨拶をする。
「では、これから、管楽器打楽器の9人による演奏をさせていただきます。弦楽が主流のこちらの部ではありますが、この4月、管楽器を演奏したいという1年生が7名、この管弦楽部に入ってくれました。弦楽合奏の曲は、昨年の夏から練習を始めておりまして、管弦楽としての演奏の準備をするには時間が足りなかったのですが、今回、私たちとしても、どうしても演奏の機会が欲しいと考えまして、管打9重奏という形で練習して来ました。今回演奏させていただきますのは、ご来場のみんな様も、おそらくご存知の曲です。では、聴いてください」
新歓ライブの時とは違って、今回はきちんと台本を用意していたらしく、簡単に挨拶を終えた先輩は着席する。そして、沈黙の中、みんなで目を合わせる。呼吸を揃えて、アインザッツを経て、演奏を始めた。
この曲の冒頭は弦から始まるが、そこはフルートの桂さんが代わりを務める。そして、ホルンが快活な第1主題を告げる部分は、原曲のとおり、宍戸先輩のホルンの独壇場だ。さすがは安芸中吹奏楽部の元部長。渦巻いた金の管全体から音が鳴り響いており、特徴的な金色の髪もまた、楽器の一部なのではないかと思うほど、光をはじいている。
しばらくすると、そこに、トランペットが加わる。この曲の副題は、「快楽をもたらすもの」。これを表現するには、トランペットは、ラッパらしい華やかで明るい音を出すことが求められる。続いて、男3人がかりで音楽室から下ろしてきたティンパニが鳴らす低い響きが入ると、弦のパートを木管4人で分担しながら、トロンボーンが低音で支え、時おりシンバルが花を添える。
第2主題に入った。なるべく原曲パートを維持しつつ、順に、リズミカルな主旋律を演奏していく。第3主題も同様。舞曲風の素朴で明るい曲調を極力崩さないよう、一音一音丁寧に、音の粒を楽器から放つ。ヴィオラの賀茂さんお気に入りの第3主題。一番前の席で聴いてくれている。ここを蔑ろにするわけにはいかない。
ここからはもう、総力戦の持久戦だ。全員が、休む暇がない。クラ以外は各楽器ひとりしかいないため、音量を落とすわけにもいかない。口の周りの筋肉に、少しずつ疲労がたまり、心拍数もあがる。それでも、演奏しながらテンポを刻む浅野先輩をみんなが集中して見つめながら、演奏し続ける。
そして、いよいよ、かの有名な第4主題、あの旋律に入った。ここはまずは、ホルンのソロで始めて、盛り上がる部分を全員で吹くことになっている。
ここまでは順調。
いや、順調だった。
ただ、やっぱり危惧していた自体が起きた。それは、金管のツバ問題。ずっと吹き続けていると、どうしても楽器の中にツバが溜まる。すると、音が途切れてしまうのだ。演奏前に散々抜いていても、溜まるものは溜まるし、特に、主旋律と和音を引き受けてくれていた宍戸先輩の負担は大きかった。ホルンはとにかく使い勝手がいい楽器だから。
事前にこうなることは分かっていたため、その場合でもとにかく主旋律の時は吹ききるということを決めていた。
いや、でもまずい……おそらく、エアコンの冷風がちょうど宍戸先輩に直撃してるんだ。だから、口から出た息が冷えて、水になる。たぶん、ツバの量だけではない。ホルンは管の長さだけでも数メートルあるから……。
この状況に他の7人も気がついたのか、演奏しながら目で会話を始める。しかし、どうしようもない。そうこうしていると、第4主題の中でも、クライマックスの部分が近づく。原曲では、ヴァイオリンがオクターブを上げて主旋律を弾き、トランペット始め金管の和音が入る部分だ。
ここだけは、どうしても聴かせたい。9人誰もがそう思っていた。でも、状況は最悪だ。
その時だった。この場で聴こえるはずのない音が響いたのは。
突如として講堂内を包み込んだのは、弦楽器の情熱的な主旋律。
目を、疑った。
耳を、疑った。
1年弦、桜たちが、ステージ下の前席で楽器を構えて、第4主題の演奏に加わったのだ。
最初は、何が起きたのか分からなかった。酸欠で、頭がおかしくなったのかと思った。先ほどまでとは段違いの音の層。奏でられる音は膨張して塊となり、空気を熱く震わせて、聴き手の耳に届く。ステージ外からの演奏、バンダ演奏ともいうけれど、これを予告なしでやったことにより、観客からは驚きの反応がある。
本当のオーケストラ構成には全然及ばない。それでも、管弦楽の響きは、これまでに蓄積していた疲労を、一瞬にして霧散させるには十分なほどに、耳心地のよいものだった。
管のみんなも同じようで、その表情に余裕を取り戻していた。浅野先輩は嬉しかったのか、心なしか微笑んでいるように見える。無表情を貫く越智でさえ、音が艶を取り戻しているような気がした。
でも、懸念はある。人数が増え、しかも初見の合奏。第4主題のゆったりとしたところは何とかなるかもしれないが、その後はどうなるだろう。下手すれば崩壊するかもしれない。
それを察知したのか、世良さんがグロッケンのスティックを目立つように掲げると、指揮棒のように握り、テンポをとってくれた。管と弦と打、それぞれの視線が、スティックの先に集中する。
桜たちは原曲のパートを弾くようなので、代わりを務めていた木管4人は、それぞれのオリジナルのパートへと戻ると、籠から解き放たれた鳥のように、自由に歌い始める。
そのまま2週目の第2主題に。人数は足りないものの、ほぼ原曲の楽器構成となった。先ほどよりも演奏する楽器が増えたため、複数の動きが折り重なり、この曲の壮大さを表現することができる。
だけど、ごめん。この曲の最後、一番かっこいいところは、『王様の楽器』の出番なんだ。
第3主題も無事切り抜けた後、低音勢の第4主題にかぶせる形で、トランペットがすべてを持っていく。そして、最後は全員で音を合わせて、華々しい形で終わりを迎えた。
少人数規模でのアンサンブルであることには変わりない。オーケストラと呼ぶにはあまりにも心許ない編成であることは全くもってそのとおり。
しかし、それぞれの楽器から奏でられた色鮮やかな音色は、この場の空気を、惑星最大の星に染め上げた。満足してくれた観客は、スタンディング・オベーションで応えてくれる。
こんな高校の文化祭の演奏程度で、何と大袈裟なんだ。みんな内心、そう思っているだろうけど、全員で胸を張って立ち上がり、その場で深々と頭を下げた。
やっぱりこの瞬間は最高だ。鳴り止まない拍手が、熱狂が、奏者の心をおかしくさせる。これが、楽器を演奏するということなんだ。
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