第5話

 翌日。音楽室から遠く離れた駐輪場に、浅野先輩と俺たち2人は、楽器を持って集まっていた。今の部室に、管楽器を持って入るのは、宣戦布告と思われてしまうらしく、こんな場所しかないらしい。ちなみに、ホルンの幽霊部員は、「気が向いたら参加する」程度の反応しかなかったみたい。これもう、来ないパターンじゃん……。


「最初に、腕前を聴かせてもらっていい? 分担、どうしようかと思って」


 ダッタン人って、オリジナルはフルオーケストラ編成の曲だから、それを数人でやるって、なかなか厳しいものがあると思う。しかも、この構成だし。


「じゃ、俺から」


 そう言って、佐伯は軽くチューニングした後、一曲吹き始めた。普通に上手かった。おそらく、チャイ4もトロンボーン1stを吹いたんだろう、高音が綺麗だった。浅野先輩も同じような感想を抱いたみたいで、「おお」と感嘆の声を上げながら、ぱちぱちと手を叩いていた。


「いいね、上等上等」


 先輩に褒められたのが素直に嬉しいのか、佐伯は軽く頭をかきながら、俺に演奏を促す。


「展覧会の初っ端ソロ、吹いてくれ」

「何で?」

「聴きたいから」


 こいつ……。


「まさか、受験で鈍って吹けなくなったとか言わないよな?」

「うるせぇ」


 子供じみた挑発。でも、俺にだってプライドはある。俺は、俺たちは、この曲で、全国に行ったんだから。


 すっと息を吸い、高らかに楽器を奏でる。三方を校舎に囲まれた駐輪場。音が反響し、白昼、明るいラッパの音が木霊する。


 この曲を吹いている時、世界は自分を中心に回っているのではないかと、そう思えてしまう。いや、世界そのものが、自分のために作られたのではないかとさえ、思えてくるのだ。堂々とした響きは、正しく、『王様の楽器』と形容するにふさわしい。


 吹き終えた俺を待っていたのは、沈黙だった。浅野先輩は、一瞬眉に皺を寄せた後、目を見開いてこちらを見つめている。


「……河野君、下の名前、聞いてもいい?」

「仁義です。河野仁義」

「中学は?」

「港中です」

「2年前、県大会ダメ金常連の港中が、全国まで行ったよね?」

「ありましたね」

「その時、その曲吹いた河野君って、今私の目の前にいる河野君?」

「そうです」

「……」


 一方の佐伯もまた、きょとんとした様子で拍手しながら、そっとつぶやいた。


「……プロかと思った」

「ねーほんと! これは、心強い後輩!」


 ここに来て俺は、まんまと佐伯に乗せられたことに気づいた。佐伯の挑発は、展覧会くらい吹けるだろ? っていうものではなくて、浅野先輩に聴かせることで、入部を断りづらくさせるためのものだった。してやられた……いや、楽器持ってきた自分が悪いんだけど。


「そんなに綺麗に吹けるなら、明日のダッタン人、オーボエのパートお願いしていい? 私、フルートとクラのパート吹くからさ」

「え、オーボエ?」

「主旋律よろしく」

「というか、先輩、新歓ライブ、明日なんですか?」

「え、明日だよ?」


 佐伯と顔を見合わせる。


「だから、春休みはずっと、弦の子たちはそれに向けて練習してたよ」

「管の子たちは?」

「昨日顔合わせして、今日練習して、明日本番」

「ちょっと何言ってるか分かんないです」


 え、本気?


「先輩、楽譜は?」


 突拍子もない話。さすがの佐伯も、動揺を隠しきれない様子で口を開く。


「ないよ、そんなもの」

「!?」

「冷静に考えてみて。あったって、人数これなんだから」

総譜スコアもなし?」

「今日、昼休みに音楽室探したけど、見つからなかった。楽譜置き場、散乱しててさ。去年の楽譜係誰だったっけって思ったら、私だった~! まあでも、冷静に考えてみたら、総譜があったところで、懇切丁寧にパート分けなんてやってる時間ないから、結果オーライってことで」


 全然オーライじゃないんだが……?


「……どうするんですか?」

「私と河野君は演奏経験者なんだし、いけるでしょ」

「俺は?」

「耳コピして。低音出せるの、佐伯君しかいないから、低い音をメゾピアノくらいでずっと吹いてくれたらいいよ」


 この先輩、ハチャメチャすぎる……!


「先輩、ダッタン人って、フルで演奏したら10分くらいありますよね? 無理じゃないですか?」


 佐伯が可愛そうだと思って、助け舟を出すことにした。


「さすがにそれを要求するほどの鬼じゃないよ、私」


 鬼の自覚はあったのかよ。


「最初の、オーボエのところまでやって、終わりでいいんじゃないかな? その後の激しい部分は4人でやっても迫力ないし、そもそも、新歓ライブの時間、延長できないから」

「そうなんですか?」

「今の時期の1年生は、5時までしか居残りできないんだよ。6時まで残るには、正式に入部しないと。このルール破ったら、ペナルティとして部費が削られるから、覚えておいて」

「え?」


 スマホをポケットから取り出して、時刻を確認する。


「5時まであと20分ですね……」


 普通に考えて、無理じゃない?


「さ、ずべこべ言わずに練習だ!」

「楽譜もないのに?」

「とにかく、練習だっ!」


 新歓担当の本来の仕事そっちのけで、重荷から開放されたかのようにクラを吹く浅野先輩は、それはそれは楽しそうだった。






 ロシアの作曲家、ムソルグスキー作『展覧会の絵』。ムソルグスキーが作曲したのはピアノ組曲らしくて、彼の死後、オーケストラ楽曲にしたのは、『ボレロ』で有名なフランスの作曲家、ラヴェル。絵の展覧会を訪れた際の散歩プロムナードの様子を曲にしているそうで、曲ごとに拍子が違うのは、歩きながら絵を見る際の歩調を表しているとも言われている。


 トランペットのソロで開始される冒頭のメロディは、普段、クラッシックを聴かない人でも、一度は耳にしたことがあるはず。私にとっては、中2の時、吹コンで演奏した思い出の曲だ。


 河野君が圧巻のソロを吹いて、そのソロが、私は心の底から大好きで。あの堂々としたソロを聞くと勇気がもらえて、絶対に全国金取ろうと思って。それまでは、2年生がソロを吹くことに対して色々あって、部内はいがみ合ってたのに、その対立さえも静めて、みんなをひとつにして。


 だから、分かる。どこからか風に流されて聞こえてくるこの音が、河野君のトランペットだってことくらい。また、上手になったんだね。高校受験があったのに、ちゃんと楽器の練習、してたんだ。そしてやっぱり、高校でも、楽器やるんだね。


 逃げた私と違って、河野君は本当にすごい。私も、ほんの少し、君みたいに勇気があれば、違ったのかもしれない。高校生になって、私も変わらなきゃいけないって、一歩を踏み出さないといけないって、そんなことは分かってる。けどだめだ。あの時の光景が、脳裏をかすめてしまう。何もかもが、怖いんだ……私はいつまで、過去に生き続けるんだろう……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る