第2章 異端者

第9話 古い本

 ユリウスと激しい応酬を繰り広げた日から数日後。


 ソーニャは、訓練の息抜きに、王立図書館を訪れていた。ここは王国随一の規模と蔵書数を誇る図書館であり、エルイーネ王国で出版された本は全てここに集められていると言われている。


 ソーニャはあまり本を読む方ではないが、鍛錬における体の使い方や精神の統一の仕方など、騎士としての務めを果たす上で参考になると思われる情報を得るため、図書館に足を運ぶことはあった。


 目的の本が並んでいる区画に辿り着き、背表紙を吟味していると、後ろから声をかけられた。


「……あなた、ソーニャさん?」


 振り返ると、そこには白いワンピースを着た、栗色のロングヘアの女性が立っていた。ヒールのついた白い靴を履いているため、ソーニャよりも少し背が高く見える。


「フレドリカ殿。珍しいな、貴殿が外出とは」


 彼女こそが、オリヴェルの思い人、フレドリカであった。彼女は美人ではあるが、その顔にはほとんど表情というものが見受けられない。そのため、彼女を変人扱いする人も多くいた。ソーニャは特に彼女と親しいわけではなかったが、たまに顔を合わせれば挨拶するぐらいの仲ではあった。


「借りていた本を全て読み終わってしまったの。だから、新しいのを物色しに来たのよ」

「そうか。何かめぼしいものはあったか?」

「ええ。面白いものを見つけたわ」


 フレドリカは初めて、意味ありげに微笑した。彼女の表情が変化するのは滅多に見られないので、ソーニャはひどく驚いた。しかし、フレドリカはソーニャのことなど気にせず、持っている手提げから一冊の分厚い本を取り出した。その表紙は黄ばんでおり、かなり年季が入っていることがよく分かった。


「一階の童話コーナーの隅に紛れていたのよ。ちょっと見てみてちょうだい」


 ソーニャは言われるまま、表紙に目を凝らした。文字は薄れてしまっているが、何とか読み取れた。しかし、どうやら古語で書かれているらしく、ソーニャには一部しか解読できなかった。


「……エルイーネ……伝説……?」

「『エルイーネ王国古来の伝説と真実』よ。どうやら、これは禁書みたいなの」


 声を潜めるフレドリカに対し、ソーニャは大声を出してしまった。


「きっ、禁書!? それは大変だ、すぐに司書に報告しなくては……むぐっ!?」

「しーっ、声が大きすぎるわ。誰かに聞かれたらどうするの」


 フレドリカに口を塞がれ、ソーニャは抵抗したが、思いの外彼女の力は強かった。だが、すぐに解放してもらえた。自由になった口で、ソーニャはフレドリカに抗議する。


「別に聞かれても良かろう! いかがわしい書物を見つけたら、即刻報告すべきだ」

「何言ってるのよ。あなたはこの本に興味がないわけ?」

「……なくは、ないが……」


 実のところ中身を少し見てみたいと思っていたソーニャは、歯切れの悪い口調になった。それを受けて、フレドリカは笑みを深めた。


「じゃあ、決まりね。一緒に読んでみましょう」

「なっ……そのようなこと、もし露見したら……」

「大丈夫よ。これは古語で書かれているから、読めませんでした、と言えばいいわ」

「フ、フレドリカ殿。貴殿は古語が読めるのか?」

「ええ。学者の母に、散々勉強させられたから。あの人の押し付けも、役立つ時が来るなんてね。……さあ、読書スペースに行きましょう」


 ソーニャは半ば強制的に、フレドリカに連れられていった。










 ソーニャとフレドリカは大きな木製のテーブルの前に並んで腰掛け、早速本の表紙をめくった。埃が舞い、ソーニャは軽く咳き込んだ。一方のフレドリカはまったく意に介せず、最初のページに書かれた文字を追っていく。


「著者は……エーギル・ヘルクヴィスト。知らない名前ね。出版社の名前は書かれていないわ。装丁も手作りみたいだし、もしかしたら、一般には流通しなかった、私的に作った本なのかも。ええと……『ここにエルイーネの過去の真実の一端を記す。後学の一助となれば嬉しい』。なかなか好奇心を刺激してくれるじゃない。その謳い文句に見合った内容なのか、しかとこの目で確かめさせてもらうわ」


 フレドリカはさっとページをめくった。目次が顔を出す。ソーニャはその中の一つの章に釘付けになった。


「封じられた血……魔女……?」

「あら、それが気になるの? いいわよ、読みましょう」


 フレドリカは目次に記されたページを開いた。すると、白黒の挿絵が一番に目に飛び込んできた。描かれていたのは、黒いローブを身にまとった一人の女性だった。しかし、その頭には山羊の角のようなものが生えていた。絵の下には、「魔女(想像図)」と記されている。


「……『かつてエルイーネ王国には魔女と呼ばれる存在がいた。彼らは超自然的な力である魔法を操り、国教である聖光教に歯向かう、異質な者たちだった。彼らの頭からは、獣の角が生えていたという。異形の者である魔女は、その強大な力を用いて国を傾けたとして、その多くが処刑された』ですって。魔女、ねえ。そんなのがいたなんて、初めて聞いたわ。歴史では習ってこなかったし。そうでしょう、ソーニャさん?」

「ああ、そうだな。私の知るエルイーネ王国史では、リーアス神がこの世界に降臨され、混沌と虚無に満ちていた世界に光をもたらし、天地や人々など、万物を創造なさったとされている。その後、神はご自身が初めて造られた人間を国王とし、彼に自らを祀り、篤く信仰するようにと命じられ、それと引き換えにご加護を与えられると約束された。以来この国では、聖光教が正統とされている。……魔女という存在など、その歴史の中に介在する余地はないはずだが」


 フレドリカはしばらく思案する様子を見せた後、一つため息をつき、パタンと本を閉じた。


「この本がどれだけ信用できるかは分からないけれど、この国の歴史研究に一石を投じるものであることは間違いないわ。ただ、この内容は、あまりに私たちが知るエルイーネの歴史とは違う。……もしかしたら、国ぐるみで隠蔽したことなのかもしれない」

「はっ!? 隠蔽? いや、そんなことあるはずがない。聖光教は……この国は、常に公明正大だ。これは、どうせこのヘルクヴィストとかいう者が、注目を浴びたくてでっち上げたものだろう。こんな虚偽の記述に惑わされるべきではない」


 本を返してこようとするソーニャを、フレドリカが止めた。彼女は真剣な表情をしている。


「な、何をするのだ」

「私はもう少し、この本を読んでみたい。この国の『真実』について知りたいの」

「だから、これはでっち上げだと……」

「そう断ずるには早いわ。この著者、いろいろな文献を参照しているし、実地調査もしているみたいだもの。ある程度、学術的な価値はある本だと思う」

「……貴殿がそこまで言うのなら、これは貴殿に預けよう。扱いには気をつけるのだぞ」

「分かってるわ」


 フレドリカに本を渡して、ソーニャは彼女と別れ、図書館を後にした。


「……魔女というものが本当にいたのだとしたら、それはもしや、今でも存在していたりするのだろうか……? ああ、考えただけで恐ろしい。まあ、だが、だとしても、聖光教に仇なすものは全て成敗するのみだ」


 ソーニャは不安な気持ちを追い払い、鍛錬へと向かった。

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