扉の番人5

 

「薫!」

「薫、何を言う!」


 止めようとする悟と立花に薫は叫んだ。


「もういいじゃないっ。

 もう充分だわっ。


 私たちは存在するはずのなかった世界に生まれて、此処まで生きた。

 もう、この人を解放してあげてっ」


「お前、自分が何を言っているのかわかっているのかっ」

 薫は詰め寄る立花の腕を掴んだ。


「貴方がそれを言うのは、この世界を存続させたいから?」

 微かに嘲笑する恋人に見据えられ、立花は詰まる。


「だったら、貴方にだってわかるでしょう!?


 私だったら……私だったら耐えられない。

 お嬢さんには救いがないのよ。


 この世界が続く限り。

 幾ら待っても、どれだけ待っても、お嬢さんの想う人は現れない。記憶も消えない。


 永遠に報われることのないその気持ち、誰より貴方がわかるはずでしょう?


 わかっていて、貴方はそれを利用し、お嬢さんの心に蛇のように入り込んだんだからっ」


 立花の腕を掴んだまま、薫はその場に座り込む。


「お願い。もう、お嬢さんを解放して」

 お願い、と薫はもう一度、繰り返した。


 もう―― 私を解放して。


 立花は唇を噛み締め、薫を見下ろした。


 そのとき、

「……もういい」

 ふいにそんな声がした。


 皆が振り返る。


 少女は微かに笑っていた。

 諦観の滲むその顔で。


「もういいよ。

 わかっているのよ、私だって。


 わかっていたのよ。

 決して開けてはならないと」


「お嬢さん」

 少女の瞳は両親の墓である扉を見上げ、かがり火に揺れていた。


「でも、ただ諦めるなんてできなかった!

 本当は、皆が思ってるほど、私の記憶は確かじゃない。


 いつも、いつもいつもいつも怖かった!


 あれは本当のことなのか。

 もしかしたら、私の勝手な妄想なのかもしれない。


 だって、どんな証拠もこの手にはないから!」


 少女は、ぐっと何かを掴もうとするようにその手を握り締めた。


「こうやって、人に妨害されることでしか、その真実を確かめられない」


 薫、と友の名を呼ぶ。


「ごめんなさい。私も確かめたかったの。


 もう一度貴方と寝て、貴方があれを夢に見るかどうか― だって、貴方は現実にあったことしか見ないから」


 少女は薫に近づき、彼女の肩に額をぶつけた。

 薫はその肩を抱いて、暗い上空を見上げる。


「お嬢さん、貴方は私の神でした。


 長い間、私が崇拝していたのは、扉の中の見えない神ではなく、庭の片隅でひとり泣いていた貴方でした。


 貴方の気持ちがわかるようになって、私は貴方の強さに驚嘆した。

 今までこの世界を消さないでいてくれた貴方の強さに。


 どんなときでも、逃げることなく、一人の人を想い続けた貴方こそが、神でした」


 少女は子どものように薫に縋りつく。

 薫はやさしくその背を撫ぜた。


 ふたつしか違わない二人だったが、まるで年の近い母娘のようにも見えた。


 少女はおそらく諦めるだろう。

 誰もがそれを予感したとき――。


「アハリヤ アソバストマウサヌ アサクラニ タカアキラノタイシン オリマシマセ」


 微かな韻律が耳をくすぐる。


 石段の両脇に並ぶ灯篭の火が、かがり火が、風もないのに揺れていた。


 貴彬の大神 降りましませ――。

 洞穴の湿気を含んだ空気が震えた。


「香織!」

 悟が叫んだ。


 だが、香織は扉の前で、神がかりする直前の巫女のような顔で手を合わせていた。


「香織さん……?」

「アハリヤ アソバストマウサヌ アサクラニ タカアキラノタイシン オリマシマセ」


 三度めの呪文だった。

 更に激しく、灯りは揺らめき始める。


 まどかたちは手を取り合い、その光景を息を詰めて見つめていた。


 蝋燭の揺れる炎は、霊魂の象徴。

 少女は吹き上がるそれを見て息を呑んだ。


 香織は己れに宿る力を信じ、縋るように遥か高くそびえる扉を見上げた。


「我らが氏神たる貴彬の大神。

 五十一代番人貴城香織と、五十二代御堂薫からの、最初で最後の願いです」


 薫が、はっと香織を見る。


「『扉』へ通じる門を――!」

「香織! やめろっ」





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